手力雄神社

 今日ご紹介するのは、岐阜県にある手力雄神社(てぢからおじんじゃ)ですっ!岐阜県には手力雄神社が2つあって、元々の神社は岐阜市に806年頃に建てられ、もう一つは後に各務原市に分祀されたものです。それぞれ特色があります!

 

岐阜市の手力雄神社は、「手力の火祭」がとにかく有名です。毎年4月の第2土曜日に行われる火祭の名の通りとにかく火がバーって出てきます!大筒から火の粉が飛び出す中を神輿を担いで踊ります!また8月の第2日曜日には夏の火祭が行われ、地面に直接花火を置いて点火する地割れ花火などが見られます。

 

 

4月の第2土曜日ですから、昨日の12日に行われました。20メートルの高さから日が降り注ぎ、神輿からも火が出て、見物客からは大歓声が上がったとのことです。この手力の火祭は岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

一方、各務原市の手力雄神社は、なんと魔王織田信長も恐れたという逸話が残っています。戦国の乱世、岐阜城を攻め落とそうとした信長は付近の神社を焼き払って回っていたのですが、手力雄神社に火を付けようとした時、信長は全身が動かなくなり落馬してしまいました。

 

神社の祟だと思った信長は焼き討ちをやめ、神社に参拝した所体が元通りに動くようになり、それ以来この手力雄神社を厚く敬い、宝物を寄進し、周辺の土地に対して税金を免除したそうです。ですからこの神社には数多くの宝物が文化財として残っています。

 

また、もう一つ信長に関する話が残っているのが桜です。信長が武運を祈ってこの神社で弓の練習をした際にこの桜に弓を立て掛けたことから、信長公弓掛桜と呼ばれています。また的場を作った跡地に植えられた桜は的場桜として親しまれています。エドヒガンザクラという桜なのだそうです。

 

 

最終更新:2014年04月16日 18:13