緋想天に耀け金剛の光 ――『絆』は『仲間』――

天人の五衰。

天界で長く快楽の世界で悠々としていたとしても、いざそこから転落するという時にはとてつもない苦しみに襲われるのだ。
その時が近づいてきた場合に現れる五つの衰亡の相のことを「天人五衰」という。

一つには頭の上の花鬘もたちまち萎れ、
二つには天衣も塵や垢で汚れ、
三つには腋の下より汗をかき、
四つには身も穢れて臭い出し、
五つにはもはや自分の住居をも楽しまなくなる。

そうなってくるとその七日目に、いよいよ地獄の十六倍もの苦しみが襲い天界から退く時がやってくるのだ。

ここに居る比那名居天子に限らず、天人は総じて身体がこの五衰に満たされることを最も嫌う。
死こそが恐怖そのものだ。
人も妖怪も、およそ数多の存在がこの死から逃れようと苦悩し、高みを目指そうとする。
天人も例外ではない。寧ろ天上に漂う雲の上にまで登り詰めた天人らこそが、不死を究めた種族の最たる例であるひとつだ。
しかし彼らは不老不死といえども、遠い遠い未来の死を免れる方法など無い。蓬莱人でもない限り、どんなものにも寿命は存在するのだ。


天人・比那名居天子。
元人間。親の七光りという経緯で天人という座に胡坐する、この上ない我儘者で、怠惰者。
彼女は自分さえ楽しければそれで至上の幸福を得られる。その為なら身の回りの世界が多少、地に傾こうが気にしない。
退屈嫌い。負けず嫌い。努力嫌い。少女を表す端的な要素の悉くは、まるで子供のそれ。

だから、と言ってもいいのだろうか。
少女は無駄に強く、厄介者で通っていた。
栄華である現在を極めた、光り耀く箱入り嬢。

天人の五衰を逆説的に考えれば、無類の不良天人・比那名居天子は今を楽しんでおり、体は汚れず、臭ったりせず、腋から汗すら流さない。
頭上の仙果である桃の果実は、彼女を体現するかの如く清々しい鮮度を放ち続けることだろう。



不良娘の比那名居天子は、紛う事なき非想非非想天の娘―――幻想の有頂天に轟くトンデモお嬢様であった。

このお話は、緋想天にて腕組んでいたひとりの天人が地上に降り立ち、最悪の異変を砕こうと奮起する――

そんな、世にありふれた寓話。

例えその結末がどんな終わりを迎えようとも。

それは、世界からすれば、ありふれたものでしかない。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『比那名居天子』
【昼】C-2 GDS刑務所 医療監房


『死』が、私を見上げながら微笑むように視えた。
それはもう、ムカつくくらいにハッキリと。堕ちゆく私の顔に歪む死相が、走馬灯のように流れて映り込んできたのだ。

ここは地上の大罪人が収容されるグリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所、通称『水族館』……と館内案内所に書いてた。
罪人の魂が漂う肌寒いこの施設は、まるで地獄だ。天界に住む私には間違っても縁のない場所。

その天蓋を叩っ壊してやった。
登って、上って、昇って、遥か天界を仰ぎ往くかのように幾重もの天柱を足蹴にして。
そうして辿り着いた石の海。私の行く手を邪魔するその蓋に穴を開けるために。
光遮る石に亀裂を裂き、大空に飛び出すために。
なにより、あの悪魔を二度と這い上がれぬ石海に沈み臥せるために。

この右手に携えた、“勇気”を意味する剣閃にて。
一太刀を掲げ、それで終わり。


天井が派手な音を立ててバラバラと崩れ落ちる、その僅か最中。
私は一瞬だけ、天空を見上げた。
次第に拡がっていく亀裂のスキマから射し込まれる、一筋の光明。
灰色の雨雲がほんの気まぐれで見せた、僅かばかりの慈愛。
雨の中からお天道様が顔を覗かせる、お狐様の嫁入り。
俗に謂われる天気雨。眩いばかりの日光と、天高く上り往く龍神様――七色のアーチ“天の虹”。
更にはその遥か天上、いまや懐かしき我が楽園の里である天界を望み見て。


(綺麗だなあ………………)


と、ただそれだけ。
昔日の頃、毎日のように仰いだあの空が。
今となっては怠惰を過ごし、つまらない日常の象徴と成り果てたあの空が。


こんなにも、綺麗に映った。


あの空にもう一度帰りたいと、一瞬でも思ってしまったのは内緒。
退屈な場所ではあったが、あの天こそが私が本来座する故郷であり。
あそこには家族が居る。衣玖も居る。幸福な生活に必要な凡そ殆どの物が揃っている。

だから“最後”に、私は宙を落ちながらも腕を伸ばした。あの美しき虹を掴みたくて。
どんなにつまらなくとも、彼の処こそが天人・比那名居天子にとっての天国であり。
そして、この世に二つと無い家なのだから。

腕を精一杯に伸ばして、すぐにも私は途中で止めた。
このとき確かに、私は決意したんだと思う。
何の決意かと問われれば……今はまだ、その正体が掴めない。
でも私は、これを以て全てを投げ打つ。
『不楽本座』……かつて在るべきだったその座を、自ら捨てる。

ああ……私はとうとう、かつての『今』を楽しめなくなってしまったのだ。
五衰の一角。その砦が侵される。こんな天子(わたし)は、天子(わたし)じゃない。
ならばわたしとは誰だ。
わたしは今から何に成る?
瓦礫と共に堕ちながら、わたしはゆっくり考える。


善悪の頂に在る『真実』とは何か? 
之より地獄に堕ちたる罪深き天人こそが、果たして悪と成るか。
決めるのは閻魔か。
それとも釈迦か。
あの『右腕』か。
―――違う。


天道。
天人が住まう世界。私の居る処だった筈の場所。
空を舞う奇跡こそが天人たる所以だったのに、今の私ではもう空を翔べそうにない。

―――堕ちる。堕ちる。天子は堕ち逝く。

人間道。
人間が住まう世界。四苦八苦に悩まされる世界で、私には無縁だと思っていた場所。
大昔、まだ人間だった私がこの世に生を受けた場所でもある。

―――堕ちる。堕ちる。天子は天から視界を落とす。

修羅道。
阿修羅の住まう世界。修羅は終始戦い、争うとされるとか。
まるで今の私みたい。この殺し合いに、一体何人の修羅が跋扈しているのかしら。

―――堕ちる。堕ちる。天子は下界の悪鬼を見下ろす。

畜生道。
牛馬なんかの畜生の世界。ほとんどが本能ばかりで生きている、救いの少ない世界。
ここまで来れば立派なマイナスだ。プラスからゼロへ。ゼロからマイナスへと私は堕ちている。

―――堕ちる。堕ちる。天子は只管マイナスへと身を堕とす。

餓鬼道。
腐れに腐った餓鬼の世界。飢えと渇きに悩まされる餓鬼は、ある意味このゲームにはおあつらえ向けだ。
他人を慮らない餓鬼なのは、果たして今までの私か。

―――堕ちる。堕ちる。天子は全てを捨て去ってでも。

地獄道。
とうとう辿り堕ちてしまった地獄の世界。天人がこの界隈に踏み入れるなんて言語道断。
罪を償わせるために在るのがこの世界なら、私の犯した罪――或いはこれから犯す罪とは。

―――堕ちる。堕ちる。天子はこの世の最底まで墜落した。


此処に御座すはまさしく邪鬼。
不可視の暴虐を撒き散らす、死界の骸骨を模した鬼そのもの。
対峙すべくは天から堕ちた堕天使もとい、堕天子少女。
比那名居を冠した不屈の破天荒が、崩落する石の海と共に地獄へと舞い堕りて来たのだ。

数多の罪人を閉じ込めるこの刑務所は、さながら地獄。無間の牢獄だ。
とするなら、希望という名の天へと向かって立ち登った天子は。
そこから再び地獄の底へと堕ちてしまった天子は。
もう二度と、栄光の天界へと這い上がれなくなってしまったのだ。

蜘蛛の糸から堕ちてしまった者は、決して光を見ることなど出来ない。


(私は……それでいい)


流れる六道を堕つる最中、心に過ぎった感情が少女の人生を決定付けてしまった。
足元にド級の要石を顕現させ、崩れゆく柱と天蓋に紛れて。
鋭く睨み付けるは、地獄道から見上げる悪鬼の貌。


今思えば、死の予兆……そのフラグとでも言うべき片鱗は“あの時点”で既に見えていたのだ。
偽りの空を裂こうと、妖怪山の山腹から下界を見下ろしていたあの遊戯開始時点で。
空が飛べない、なんて体験は随分久しい。『主人公』を目指して崖から飛び立った彼女が、情けなくもゴロゴロと転げ落ちた頃が半日も前。
落下の影響で天衣が汚れてしまったあの時は深く考えなかったが、アレこそまさに天人五衰・衣裳垢膩。滅亡の前兆。

こうやって、大地に落ちる/堕ちるのは今回で二度目だ。
そして現在、堕天子の抱える死相の数。その程は―――

『死』が、視えた。
頭上華萎(ずじょうかい)。頭の上の花鬘もたちまち萎れ、
衣裳垢膩(えしょうこうじ)。天衣も塵や垢で汚れ、
脇下汗出(えきげかんしゅつ)。腋の下より汗をかき、
身体臭穢(しんたいしゅうわい)。身も穢れて臭い出し、
不楽本座(ふらくほんざ)。もはや自分の住居をも楽しまなくなる。

完全なる天人五衰。全てが充満に刻まれた崩壊の序章。
これより私は間違いなく、死ぬのだろう。それが何となく、分かる。
死ぬのが怖くないのかって? 馬鹿を言わないで欲しい。
死が怖いから、天人なのだ。
死が怖いから、不死を究めたのだ。
死が怖いから、より地獄に近い下界を見下ろすのだ。

嗚呼、天人とはなんと因果で愚かな極地なのか。
こんな身体で、『アイツ』の傍に居られるもんか。



こんな身体で。




こんな身体で……





……こんな、身体でッ!











   ガ オ ン ッ !











――――――『死』が、視えた。












「――――――クレイジー・ダイヤモンド」










同時に、この世のどんなことよりも優しい金剛の光が私を包み、そして。











▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『東方仗助』
【昼】C-2 GDS刑務所 医務室



―――天女に包まれる、優しい夢を見た。



上も下もない無限の闇。
どこまでも落ち着かない浮遊感に苛まれ、東方仗助はその場所に浮いていた。
ズキズキと、腹の傷が抉るような痛覚を訴えかける。
まるで地獄だなと、仗助は大雑把でしかない感想を抱く。


(向こうに居るのは……ありゃ康一、か?)


深淵の先の先。何十里の彼方にポツンと佇む、見える筈のないシルエットが網膜に映った。
チビの癖に妙な存在感を放つそれは、何となく友人・広瀬康一に見える。
護ることが出来なかった、男の姿。


(あっちには……じいちゃん? ……はは、マイッタぜ、こりゃ)


目を横にやれば二人目のシルエット。
東方良平。毎日のように見飽きた家族の影だ。
彼もまた、かつて仗助が護れなかった男のひとり。
その内に正義の精神を宿す、立派な男だった。
死んだ人間が居るというのなら成る程、ここは確かにあの世の類なのだろう。

(つまりおれは…………クソ。あのままお陀仏になっちまったっつーのかよ)

仗助の最後の記憶には、小さな少女の背中が映っていた。
どうしようもなく我侭で、うるさくて、生意気で、高飛車で、自己中で、暴力的で、不条理で、子供っぽくて、厄介者。あと、なんか硬い。

そんな内心ムカつくとすら思っていた女。

だが、『仲間』だ。

最後に彼女は、仗助を『護』ろうと必死に駆けていた。今までの彼女の姿を思うと、目を疑う光景だ。
少しは成長した、ということなのだろうか。
仗助はほんの少し、少女の行いを誇りに思った。仲間の気高い姿を見れば、誰しもが誇り高い気持ちを抱くものだ。


ふわっ、と。
何かが手に触れた。


虚ろな意識の中、仗助が首を回すと。
そこに居たのは、蒼天の色彩を放つ、長く綺麗な髪を持つ天女。
母親が愛する子を愛でるかのような壮大な母性が、ほんのりとした温かさを伴って仗助の右手を包む。



純粋に、綺麗だなと思った。





(生きてんのか……おれ……)


再び目を覚ませばそこはベッドの上。固い石の壁に阻まれた、冷たい部屋の中に仗助は孤独と共に居た。
どこか施設の内部らしい。自分をこの場所まで運んで来たであろう仲間の姿は、ない。

「天子さん……?」

寂しさの中、思わず呟いた少女の名に応える者は居ない。どうしようもなく、孤独感を覚えてしまう。
ズキリと痛む脇腹が、時の止まった仗助の世界を動かした。
見れば自分はパンツ一丁。衣服を脱がしたであろう心当たりの異性を思い浮かべ、思春期である少年は柄になく羞恥を覚えた。
脊髄反射でいつもの学ランを探すも、壁に掛けられたそれは、水気を切られていたとはいえ未だ全身が濡れていた。
ひとしきり大きな溜息を吐き、仗助は我侭主の帰還を待つことにする。

「……っつか、ヘッタクソな処置だなオイ」

己の包帯姿を見れば、なんとまあ彼女の不器用の極みが見て取れた。
最低限の消毒は施されていたものの、不慣れどころか元来の手際の悪さが容易に想像できるグダグダの包帯が腹を覆っている。
ド下手くそではあったが、しかし彼女にしては頑張った。及第点だ。



ゴォォ…ン  ドゴォ…  ガォオン……



まこと上から目線な感想を抱いていると、何処からか地響きと騒音が鳴り響いてきた。
発信源は遠くはない。この施設が何処なのかは分からないが、あのガトリング女が追って来ている可能性もある。

「男がオンナ置いていつまでも寝てるようじゃ、カッコわりーな……! 可愛げのねェ奴だがよォ」

濡れてはいるが、せめてズボンとシャツだけを羽織り、男は眼孔を鋭く変貌させた。
学ランの胸ポケットから愛用のクシを取り出し、魂の象徴とも言える髪を乱雑にセットしながら。


少年・東方仗助は、地響きの震源地――仲間の元に駆け出した。





「――――――クレイジー・ダイヤモンド」



聴こえた響きは、この世のどんなことよりも優しく。

そして、この場の誰よりも怒りに満ちた音色を孕んでいた。

だが少なくとも、意識が薄れゆく天子には、その奏でが心地良く聴こえる。


「じょ、ぅ……っ、……っ…………、」

「喋んねえでくれ、天子さん。……傷はおれが治す」


其処は廃れた、石の舞台上であった。
仗助が目撃した光景は、どこまでも重苦しい演劇で。
そして何よりも、到底許すことの出来ない悲劇が今まさに幕を引き下ろそうとしていた。

舞台は崩壊した石の海上。
喝采は天から堕ちる雨音。
役者は孤独の悪鬼と天女。

三流の、馬鹿げた脚本だ。
何故そこに、おれが居ない?
何故おれは、仲間の傍についてやれなかった?
何故彼女は、こんなにも悔しげな瞳でおれを見上げている?

少女の右肩から先が丸々失われ、絶望的な量の血液がこの地の海の底に、血の海を形成する。
クレイジー・Dで治す。それでも、何度能力を施しても……傷は治ってくれない。
ドクドクと流れ込む切断面だけは何とか塞いだ。それでも、右腕は帰ってきてはくれない。
『無い』のだ。どこを探しても、天子の白魚のように綺麗だった腕から先が。

例えば、仗助の脳裏に過ぎったのが親友・虹村億泰のスタンド『ザ・ハンド』だ。
あの右腕に削られたものは、どこかへ消えてなくなってしまう。そうなれば仗助の能力でも治せないことは、既に織り込み済みだった。


治せない。仲間の負傷を、治してやれない。
それが仗助にとって一番の悔しさと、怒りの正体であった。
天人は頑丈。そんな謳い文句はあくまで物理的な防御。金剛の如き装甲を称えた物に過ぎない。
ならばこの攻撃痕は何だというのか。あらゆる盾に風穴を開ける、そんな矛にて突かれた様なこの傷は。
矛盾にすら成り得ない。敵の持つ矛が、最高の暴力性を携えていただけの話。

ダイヤモンドの様に硬い盾は……砕かれた。
クレイジー・ダイヤモンドは……治せない。


「―――天子、さん。悪ィ……ちぃーっとだけ、我慢しちゃくれねえか。すぐに、絶対に……助けてやるからな」

「―――ば、……っ、……か………………――――――」


それは未だかつて聞いた事のない、有頂天少女の弱々しい言の葉。
力無く倒れる仲間の姿が、“あの時”吉良吉影の攻撃を受けた億泰の姿と否が応でも重なる。
何度揺すっても、何度声を掛けても、目を開ける事すらしなかった親友の姿。

だが奇跡は起きた。
あの時、億泰は暗闇の中から自分の戻るべき『場所』を見つけ出し、帰ってくることが出来た。
仗助の仲間を想う懸命な優しさが、確かに奇跡を起こしたのだ。


だから今回だって、きっと―――


「クレイジー・ダイヤモンド。この崩壊した天井を、『直す』……!」


絶望に蝕まれつつある仗助の声色が、倒れる天子を包んだと同時。
天上から崩れ落ちた夥しい数の瓦礫が、在るべき場所に収まろうと動き出す。
仗助はそっと優しい手つきで、その瓦礫のひとつに天子の身体を置くと。
暁色の雨の中、崩落した地の雨は時を逆流し、天人を支えて再び天へと上り往く。戦場の血の雨から、遠ざけるように。

蜘蛛の糸から堕ちた罪深き天人は、再び天へと帰っていくのだ。
全ては少女を『護る』為。あの悪鬼から、動く事も喋る事も出来なくなった仲間を救う為に。


「コイツをブッ飛ばして、すぐに……何とかして完治させてやるからよ……! だから待ってろ……っ!」


空に見えなくなった天子へと、希望を傾けるように声を掛ける。
声色の震える理由は、怒りか、絶望か。少なくとも今の仗助に、天子の傷を治す術は見つからない。
最後に触れた少女の身体から、生命の光が消え去っていくように見えた。
ただの奇妙な幻想。ふざけた幻覚に違いないと、己に鞭打ちながら。
あるいは、『そんな現実など見たくない』と、この期に及んで青臭い希望に縋りたかったのか。


「テメーかかって来やがれコノヤロォーーーーッッ!!!」


目の前の男に対しては、殺意を収める鞘など見当たらない。だがそれは敵もまた同じだろう。

瞬殺宣言。仲間を逃がし、仗助はサシでのやり合いを心に決めた。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『八坂神奈子』
【昼】C-2 GDS刑務所 医療監房 屋上





















比那名居天子は死んでいた。
















少女の右肩を境とした左は、本来の少女から酷くかけ離れた惨状。
冠する丸の黒帽に供えられた天界の仙果も、蒼を彩る流麗の髪も、今や血雨に塗れて萎える。――頭上華萎。
高貴なる装いも過去のモノ。粉塵や土垢、果てはこの雨によって夥しく全身を濡らしている。――衣裳垢膩。
残る左の脇下のみならず、容姿端麗という他ない身形から覗く肌汗は少女が懸命に戦った証。――脇下汗出。
嘗ての華麗はいずこやら。穢れに穢れきったその御身より放たれるは、罪人が纏う血の臭い。――身体臭穢。
四項を満たして尚、滅亡の予兆を自覚していて尚、在るべき場所に唾を吐き、自ら堕ち退く。――不楽本座。

その全てが、天人の死を確かな終末として伝えていた。


「アンタ、天人なんだろ。上からモノを見下すその鼻につく態度。すぐに分かったよ」


少女の右肩を境とした右に目をやれば、そこには左半身よりも更なる悲劇が目に見えていた。
いや、見えなかった。既に右腕が丸々消失した、不完全な躯体が野晒しにされていたのだから。

在るのは五体不満足であり。
そして五衰満足となった天人少女の骸。


「なんとまあ、ものの見事に天人五衰のフルコースを極めてるじゃないかい」


かつての栄光もあられなく、“天人”比那名居天子は死んだ。


「……直接の死因はこの無くなった右腕よりも、むしろ五衰を満たしちまった苦しみかねえ」


天人の亡骸を前に胡坐かき、独立不撓の神は独りごちる。
その表情に貼り付くは、哀情とも憤怒とも興味とも見える、下々には形容し難い薄い笑みだった。

彼女がわざわざ雨に降られてまで医療監房の屋上に足を運んだ理由は、此処に眠る少女を暫し眺めていたかった以外に無い。
下界の死闘なら、途中からではあるが直に覗いていた。この比那名居天子とヴァニラ・アイスを名乗った男の、それはあまりにも熾烈なぶつかり合い。
割って掻き乱そうなどという無粋な水差しなど、見た瞬間、思考の彼方に吹き飛ぶほどの壮絶な光景であった。
ルール無用の殺し合いだというのに、だ。
あろうことかその戦神は戦場から一歩遠のき、天に登った。少女の『果て』を、一目見たいという、ただそれだけの理由で。

これもまた、ちっぽけな感傷に過ぎず。

遅れて登場した、あの負傷した少年は……まさに遅すぎたのだ。
この天人がたった独りで戦っていた理由など、ひとつしかない。
先刻、湖での戦い。その一端が、少年に暫しの休息を急務とさせた。

「私のせい、だろうねえ。アンタがここでオッちんでるのは」

女は胡坐の上で、自嘲気味の溜息を漏らす。
後悔など勿論していない。しかしだからこそ、己が関わった少女の末路は見届けるべきなんじゃないかと。

少年のスタンドが少女の傷を治していたように見えたと同時、全ての柱が少女を再び天へと押し上げた。どうやら彼の能力の全容が見えた気がする。
だが、少女の傷は絶望的であり。
そして天人としての『死の予兆』は免れようもなかった。


「五衰を満たした天人の苦痛は地獄の十六倍と聞く。いやはや、想像したくもない痛みだろうさ」


そっと優しく、八坂神奈子の手が少女の頬に触れた。
実際の年齢は違うだろうが、早苗とそう変わらない年頃のように見える。
まだ温かみが残る頬を擦りながら、ぽつりぽつりと神奈子は呟き続ける。


「それなのに―――ねえ、何故なんだい? アンタは自ら五衰を受け入れたように、私には見えたがね」


立てた片膝に乗せる逆の手で頬突き、戦神はゆっくりと吐き出し続ける。
雨の音にも掻き消されそうな、小さく、しかしどこか優しげな声色で。


「まさかとは思うけど、あの少年の為かい? だとしたら信じ難い。
 五衰を受け入れる天人なんて古今東西、天にも地にも聞いたことない。……そこまでして、あの人間の傍に拘りたかったとでも?」


蜘蛛の糸を一度でも堕ちた者が、再び天へと帰れることはない。
この娘は少年の能力で、天に帰れたのではない。
天に召されてしまった。陳腐な物言いだが、事実はそれだけだ。

あの時、天人は自ら堕ちた。
死の予兆を我が身に受け入れておきながら、釜底に投身したのだ。
何の為か? それを真に理解できる者は……


「―――少なくとも、私には理解できないね」


神奈子は空を仰ぐ。
雨雲のスキマから、僅か射し込む日の光。偽りが創ったお天道様。
暁色の光線が反射を促し、辺り一面を薄紅の雨景色へと変貌させた。


天人、暁に斃れる。
そんな幻想の光景を、戦の神は見惚れるように、ただただ……眺める。


(―――早苗。アンタは今、何処でどうしてる? この暁の空の下、まだ私を止めようと錯綜しているのかい?)


もし早苗がまだ生きているのなら、それは傍に居る者のおかげでしかない。
このゲームをあの子がたった一人で生き抜くことは、あの子お得意の奇跡を起こしたって不可能だ。
ならば容易に想像がつく。早苗の隣に居る者は恐らく……“あの時”仕留め損ねた花京院典明だろう。
線の細い見た目に反して、天晴れな精神を持つ少年だった。あの男が付いているなら、早苗もそう簡単には死なない筈だ。

あの子に死んで欲しくない。
神奈子が心から想う願いであり、そして同時に不可能な現実だとも察していた。

この殺し合いは……あの子が想像する以上に凄絶だ。最低だ。醜悪だ。
その本質を心根で理解できた神奈子には、早苗が此処から生還できるとは端から思わない。
だからこそ、今では奮起する気力のある早苗も、最後には必ず潰れる。人の悪意に殺されてしまう。
神奈子にとってそれこそが危惧する最悪であり、避けなければならない事態である。
出来ればそうなる前に、早苗には私自ら手を下さなければならない。
慈愛溢れる抱擁の中、あの子には地獄を見ずに綺麗なままで逝って欲しい。


矛盾した想いだと分かってはいても。
神奈子の願いとは、最初からそれただ一つ。


「それでも……早苗が花京院と出逢ったっていうなら、それは幸運だったのかもしれないね」


幸運。
つまるところ、この殺し合いで生き残る術は幸運があるかどうかだ。
自分にとって最良の『相手』と出逢えるかどうか。乗ってようが乗ってまいが、それがその人間にとっての運命を左右する。
早苗にとっての花京院が最良なのかは分からない。元よりあの少年には片鱗にしか触れていないし、そんなことはあの子達にしか知り得ないことだ。


「じゃあ、『アンタ』にとっての最良が、あの『仗助』だった……ってワケかい?」


雫に濡れる骸に、語り掛ける。
少女から返事は、当然返ってこない。
この天地人が有頂天に再び返り咲くことは、もう無い。
五衰を満たすとは、そういうことだ。


「天子、だったよね? アンタ。良い名前を貰ったね。『今』となってはその名前も無意味だろうけどさ。
 …………面白いね。面白いよ。アンタも、あのハンバーグ頭も」


そんな興味を抱いたからこそ、神奈子は戦場に割って入ろうとはしなかった。
自分こそがこのゲームに興じる立役者だと、自覚しておきながら。
敢えて神奈子は、漁夫の利を獲る無二の好機を自ら逃したのだ。

殺し合いに乗っているとはいえ、神奈子にも感情はある。
下界の人間に揺られて感情を昂ぶらせる気まぐれこそ、神たる本分。
そう、自分にも言い聞かせるように、神奈子は自らを嘲け笑う。


頂に辿り着けなかった全ての少年少女が、いずれは滅ぶ運命だと分かってはいても。
今はどうか……この未来ある若者たちをもう少し、眺めていたい。これも感傷である。

だが、もしも。万に一つ。誰かの奇跡で。この醜悪なゲームを砕ける者たちが現れるとするなら。



「―――それは私のような、古席で胡坐かく老害じゃあない。主人公ってのはアンタたちみたいな……未来ある若者の役目さ」



諏訪子みたいに酔った言葉を吐いちまった。神奈子はそう苦笑し、しかし酒に酔うなら茶飯事だとも。

しばし景色の彼方を眺め、何を思ったかビーチ・ボーイの針を、己の居座る床の下……戦場へと垂らし始める。
あるいはその光景こそが、漁夫の利を表す故事そのものの絵のように。


然らば、気ままな神の獲物は――――――


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「貴様は、何だ?」


短い言葉の中に、男の隠せぬ殺気が煙のように朦々と出で立つ。
天子に惨劇を下した男の戯言だ。仗助としては聞く耳を持つ理由もない。


「―――東方仗助」


聞く理由はないが、答えぬ理由もない。
たった一言。今からボコボコに殴り飛ばす代償として、名前くらいは与えても良いだろうと、仗助の最後に残った理性が口を動かした。

「そうか…………貴様も、か」

返されたその言葉の意味を考える理性までは残っていない。
仗助には時間が残されていなかった。天子の状態は―――いや、それを今考える事こそ無意味の極地だ。
相対する男は、果たして満身創痍である。
流石はあの女というべきか、タダでは転げない。起き上がるついでに五、六回は足を踏みつけてくるような理不尽娘だ。
その理不尽娘をああも悲惨に仕立て上げたこの男の能力とは。
警戒すべきは男が隠すその牙。ボロボロの相手とはいえ、安易に近付くべきではない。

「お前……東方仗助。…………そうか、キサマもそうだったか。通りであの小娘……」

ブツブツと、男は文字通りの血眼となってこちらを睨みつけている。
その視線の……死線の先にあるモノは。


「あの『黒い翼の小娘』も……同じだった。先程の、剣を振り回す生意気な小娘と。
 ……何故『ジョースター』に与する者共は、こうもわたしに――いや、DIO様に、牙を立ててくるのだ?」

「……あ? ディオ~?」


男が睨むは、首の『アザ』。
学ランを脱ぎ、シャツのみとなった上半身の首に映えた『星のアザ』が、眼前の男の殺気を誘発している。

「テメー、今確かに『DIO』っつったよなぁ~。そいつとどんな関係だ?」

「答える必要はない……! キサマもこのヴァニラ・アイスの暗黒空間にバラ―――」

「だったらよォー!! 答えなくてもいいぜッ! 本人に直接訊くッ! テメーを壁に埋めた後でな!!」

茶番は要らない。
もう我慢の限界だ。そして限界たるは、天上にて待つ仲間だ。
ヴァニラと名乗った男の左腕が無かった。あれも天子の功績か。
あの覇なる天候の如し破天荒を怒らせたのだ。腕の一本二本、持っていかれて当然。
だが男に牙は残っている。その牙こそが天子を瀕死にまで至らしめ、ならばそれを折ることこそが仗助の仕事。
ヴァニラに武器は見当たらない。流石に例のガトリング女ほどの露骨な武装など早々無いだろうが、スタンド使いの可能性も十二分にある。
瓦礫に塗れた床の掃除は九割がた片付いた。クレイジー・Dの能力を以てすれば、全てが元在る侭に。
最後の大掃除だ。そこに立つはゆらりと蠢く、ドス黒いヒトの形。
もはや立っているだけでも大した精神力だ。死にかけを呈する狂気の塊。

(何か分からねぇが、奴の持つ『何か』はあの天子さんの身体を粉々にする程の破壊力がある……迂闊には近づけねえ)

迂闊には近付けない。だが敵もまた、迂闊には近付かない。
時間稼ぎでも狙っているのか。はたまた呆けか。それは仗助にとって最も陥りたくない状況。

「ほう……来るのか、ジョースター」

「近付かなきゃテメーをブッ飛ばせねェーんでな……!」

だから往く。初志など捨て、敵の闇を孕む懐にあえて潜り込む。
ヴァニラの言う『ジョースター』が、首のアザを指しているとするならば。
東方仗助はやはりジョースターの血脈を受け継ぐ男だ。この直進力こそが間違いなく彼をジョースターたらしめる証だ。
ダイヤのように硬い意志の貫徹こそが、彼を表す耀きなのだ―――!


男との距離、五メートル。
仗助はクレイジー・ダイヤモンドを顕現させる。
ヴァニラに動きは、まだ無い。


男との距離、三メートル。
スタンド射程距離は二メートル。あと一歩の踏み出しで、金剛の拳を叩き込める位置。
ヴァニラに動きは、まだ無い。


男との距離、二メー「ドラァァアッ!!!!」


時速300km/hの豪速が、弾けんばかりの怒声を伴ってストライクゾーンに叩き込まれる。
馬鹿正直に放った真正面からのストレートではなく、敵の失った左腕という死角から曲げるように打ち込んだスライダー。

「~~~~~~~ッッッ!!!!」

捕手のミットに吸い込まれるように、ヴァニラの腹へとデッドボール狙いの死球が打ち込まれた。
敵がスタンド使いだと仮定して、バッターという名の守護霊すら顕現させず、バットを振ることすらなく馬鹿正直に攻撃を受けた。
その理由とは何だ。それを考える時間すら惜しい。

「どーしたバニラの森永アイスちゃんよォー! 暗黒空間がどーとか仰ってなかったかァァー!?」

猛りを抑えることの出来ない仗助は、吹っ飛んでいったヴァニラへの追撃を容赦なく狙う。
そもそもがこの相手、既にしてボロボロの状態であったのだ。
ならば仗助のクレイジー・Dとマトモに相対するほどのスタンドパワーが残っているか、考えるまでもなかった。
怪我人相手だ、とか。卑怯だ、とか。暴れ狂った頭の中では倫理観も意味を成さない。
わざわざ負傷を治してすぐさまボコす……ハイウェイ・スターの時のようなみみっちい飯事は、杜王町だからこその『遊び』の様なものだ。

この男に、そんな遊びは通じないだろう。
本気で撃った弾道ミサイル。クレイジーな怒りの体現をその身に受けてなお、敵は立ち上がった。
敵もまたクレイジー。その双眸に迸るは究極の殺意。殺意以外の全てが切り抜かれた男の視線は、フラフラと立ち上がって今なお崩れない。

男がジョースターに抱く殺意を一身に受け、正面から切り崩すはやはりダイヤの拳。

「その根性、グレートだぜ……! 医者に行くならおれ以外の所に当たりな。このクソゲームが終わった後でな!」

殺すことはしない。仗助が過去に相対したスタンド使いを直接死に至らしめた事など、ひとりとして居ない。
それはこの殺し合いも同じこと。呪われた魂に成り果てる業を自ら背負ったりは絶対にしない。

だが剛を以て強を制す。轟々と撃ち放たれる豪なる拳こそが、呪われた業を跳ね返すのだ。
GOのシグナルは既に鳴った。己の胸中に宿る怒りを、自ら鼓舞して。
漆黒を秘めた男は、地に立つことが精一杯。隙だらけの、透きだらけ。
すかさず二撃目を与えてやる。
三撃目は、無い。

GOだ。GO。


GO―――!


ゴウ―――!



ご、ぉ―――






   ガ オ ン ―――!






―――『静』から『動』へ―――


仕込み杖から放たれた、なにより不吉な音が。

不屈のダイヤモンドをも削る、暗黒の殺意が。

不可視の暴虐となって。



ヴァニラ・アイスの全霊の一撃は、機を待つことで初めて効果を発揮する。
左腕は捨てた。石の海に覆われ、肉体も限界が近い。
男の脅威の具現像『クリーム』。その能力の旨みも半減したと言っていい。
なにしろ本体が暗黒空間に侵入出来なくなってしまうほどの精神性にまで変貌したのだ。
最強の矛と盾。その盾が無用の長物へと。
それならそれで、新たな境地へと至ればいい。たったそれだけの、細事だ。

新たに現れたジョースターの一族。この脅威に、どう立ち向かうか。
ヴァニラは奇をてらうことで、機を待った。それもまた、細事。

『この敵は、先の戦闘にて既に瀕死の一歩手前だ』

実際そうであったし、そう思わせることにも成功した。
ただ一撃。少年の操る屈強な金剛拳を、ただ一撃だけ耐える事が出来れば。
攻撃の手段が肉弾戦のみであろう相手の距離を引き付けることが出来れば。


その油断は、致命的な隙となって『クリーム』をストライクゾーンに打ち込めるコースを誘発させる筈だ。



油断をしたつもりなど無かったが、やはりそれは油断に過ぎなかったのだろうか。
仲間を。女を。自分を救うために奮起した彼女を。
殺したこの男に対して、怒り心頭の思いが邪念となり、隙を突かれてしまった。
自慢の髪型を貶された時よりも、断然気分が悪い。プッツンした。

したたかだったのは、ヴァニラ・アイス。
天子の状態を省みれば、この男の攻撃が必殺の攻撃性を備えていることなど一目瞭然だろうに。

見えない。
仗助には、何が迫ってきているかがまるで見えない。
不可視なのだから当然だ。『ナニカ』が迫ってきている、というあやふやな脅威だけが彼を戦慄させている。

そしてそれは、一瞬で完結する。
防御は間に合わない。そして、意味も無い。
男の形相からは「してやったり」という感情が、嫌というほどに雪崩込んでくる。
してやられた。
敵は、切札を巧妙に隠していた。透明のベールにて。
隙だらけなのは自分であり、透きだらけなのは敵のスタンドであった。


(お――――――)


終わった。
失敗(しくっ)た。


すぐ眼前に迫る『ナニカ』を察知し、仗助の頭にはそればかりが流れて消える。
天子の頑強な肉体を削ったソレをまともに喰らい、果たして戦闘の続行など可能なのか。
きっと、無理。
何が仲間だ。
おれはまたしても、仲間を救えなかった。
あの我が侭で、それでいてちょっぴりだけは優しい女を。
命を救ってもらった恩人を、救えない悔しさ。
泥のように圧し掛かる、憤り。不甲斐無さ。
負の感情が、スタンドの動きを鈍らせる。
金剛の光が。耀きが。
風前の灯を思わせる儚さで、消滅していく。


ダイヤモンドの拳に、亀裂が。
砕けない拳が、暗黒に呑まれて、そして――――――




   ガ オ ン ―――!




伸ばしたその腕に、線が入った。













「――――――あ?」

「……………っ!?」


そして、それは線に留まった。


(…………なに? は……『外した』のか!?)


グンと伸ばした右腕。その外側の皮膚に走る、真一文字の線。亀裂。
傷は負ったが、想定したものより遥かに浅い裂傷。
正体不明の攻撃が、外れた。何の前兆も見せずして。


完全なるアウトコース。打者も投者も理解不能といった呆け状態。さながらクロスカウンターが決まる直前の絵面のままで時間が止まった。


「――――――ド」


一瞬早く我に返ったのは、少年の方。


「ドラァアッ!!!」


時間の溜めは生じたが、勢いの溜めは削がれてしまった。
距離もなく、停止状態から速度が殺されたままのパンチに威力は生まれない。
しかし、呆けるヴァニラの顔面を再び殴り抜けるだけのダメージまでには届いた。

「ガハッ!?」

冷たい石の床に這わされたヴァニラは、未だ理解に及ばない。
何故、クリームの攻撃が逸らされた? 完璧にタイミングを合わせた、正確無比の一撃必殺を生み出せたはずだ!
コイツは何をした!? ……いや、何もしてやしない。殴り抜けた本人も、何が何やらといった表情なのだから。
ならば理由は自分にある。クリームは逸らされたのではなく、バランスを崩したのだ。
即殺の矛を外した理由は、クリームの――否。
本体・ヴァニラのバランスが猛烈に崩されたことに端を発する。


「――――――なに?」


脳震盪直前の頭部を支えながらも、己のバランスが崩れた『原因』を発見した。


『右腕』が、無い。


正確には、本来あるべき腕が備わっていた場所にぶら下がっていたのは、貧相な『元のまま』の腕だった。
あのジョニィ・ジョースターから受けたタスクの攻撃を癒した『聖なる遺体』が消失していた。
本体とスタンドの状態はリンクする。ヴァニラ本体の右腕が以前までの負傷状態に突如戻ってしまった為、クリームの軌道が崩されたのだ。

「ど……どこだ!? あの『右腕』は何処にいったァーーー!!」

全霊の一撃を逃した。
膨れ上がる怒りの感情を吐き出しながら、ヴァニラは自らを離れた肉体を探す。


「―――グレート……」


声の主は仗助。
追撃の好機を見過ごし、彼は見上げていた。
石の海の天井。天上。
天の光を。

其処に在るのは、正しく聖なる光。
降り注がれた極光に浴びられ、天へ天へと浮かび上がっていく『右腕』を。
まさに我々は奇跡の瞬間を垣間見ている。
聖なる遺体がひとりでに飛び上がる、神の起こした奇跡。

だが真相は違う。
右腕は、ひとりでに動いているわけではなかった。
それは気まぐれな神の起こした軌跡をなぞる様に。
一本の『糸』に釣り上げられ、遺体は天を辿るのだ。

ならば天にて座す神とは、誰なのか。
奇跡をもたらした神は、少年に何を授けるのか。

それもまた、真相とは違う。


「――――――お……オメー」


少年の視界が、歪んだ。
これこそ神の威光がもたらした影響か。
それもきっと、違う。

光は、スキマから漏れ出ていた。
確かに直した筈の、石の天蓋から割れた亀裂。
其処から漏れる光こそが、宙に浮く遺体を耀かせていたのだ。
そしてスキマは次第に亀裂を広げ。


―――次の瞬間、破天荒を連想させるド派手な音と共に炸裂した。


「チクショウ、やっぱオメ~…………!」


視界がグニャリと歪み、一筋の雫が仗助の頬を伝った。
それは決して、神の奇跡に心奪われた俗物的な感情ではない。

ただただ、嬉しかったのだ。
少年が最後に触れた少女の身体からは、生命の光は既に失われていた。
心の奥底では、そんな絶望が蝕んでいたから。


だから、こうしてもう一度『あの女』の天立つ姿が見れるなんて。


天井が、崩された。
そこに見える少女が、乱暴な手つきで『聖人の右腕』をブン取る。
そこに立つ剣を携えた少女が、完全なる五体満足を取り返し、仁王立ちでこちらを見下ろした。
絶望的だった筈の傷は、遺体により上書きされ。
在るべき姿を取り戻した少女の傲慢な笑みが、天人の帰還を何よりも正しい真実として歴史に刻みつけた。

だが在るべき姿ともまた、真相は少し違う。
腰に届くほど長く綺麗だった蒼色のロングヘアが、バッサリと断髪されていたのだ。肩まで、短く。
恐らくはその左手に持つ勇気の大剣で、不器用ながらも強引に切り落としたのだろうか。無骨で、荒々しい断髪式だった。
渦巻く胸中は、どういう心境か。少女の表情からは、何となく思惑が窺える。


それでも仗助は、今はただこう叫ぶのだ。


「生きてんじゃねーかこのクソ女ッ!!!!」

「生きてるわよッ!! このバーーーカ!!!!」


ああ、あの大胆不敵な態度は、確かにかつての少女だ。
しかし違う。かつてのままだが、何もかもが違う。
仗助には今の少女が、何故だかそんな風に見えた。

そしてその予感は、次なる少女の宣誓によって確信を得た。

少女は右腕を伸ばし、あの天を指す。
まるで天に仇為す、強欲なるヒトのように。
あの天こそが不倶戴天の敵だと、豪語するように。


「――――――私は天人を辞めるわ、仗助」


小さく前置きを並べて。
傲岸不遜な人差し指を有頂天に向けて立てた【人間】の少女が、気高く吼える。


「ヒトに堕落することで、新たな『自分』に至れるというのなら……
 もはや天人としての座(強さ/弱さ)など―― そんな名誉など――

 ―――この天の衣(なまえ)と共に、脱ぎ捨ててやるッ!」


その少女は高々と、新たなる自分を宣言した。
こんな愚かな自分を縛る煩悩も、誇りも、全てを捨てよう。
あの六道を堕ち往く最中、少女の中にそんな決意が光を灯し始めたのだ。
お気に入りだった髪を短く切り落としたのも、分かりやすい意思表示の為。己を奮わせる決意の証だ。

少女は天に仇する指を下げ、地獄で這い蹲る悪鬼に向けてもう一度叫んだ。


「母なる空の有頂天より堕落した愚かな私には、天衣無縫などもはや過去の栄華!
 今を以て、私はヒトだ! 【人間】比那名居“地子”と、その【仲間】東方仗助が!
 貴様を父なる大地の下に還してやるッ! 粉々にしてね!」


右手には聖光を。
左手には勇気を。
今……聖なる勇気を宿して少女は、少年(なかま)の『傍に立つ』―――!




「……なんで私を助けたのよ」


少女は下界に指を指したまま、視線だけは逸らさず背へと訊ねた。


「私はキッカケを与えただけさ。肉体的な死から復活出来ても、精神的な死からは逃れられない。天人なら尚更だ。
 『五衰』から復活できたのは紛れもなく、アンタ自身の成長が起こした奇跡だよ」


胡坐をかいたままの姿勢で、その神は不敵に答えるだけだった。


「こんな『右腕』……本当はもう見たくもなかったのに」

「だから『キッカケ』なのさ、そいつは。あんな暴君よりもっと相応しい所持者が居るだろうと、私はお節介を焼いただけ。
 そいつをどう扱うかはあくまでアンタだ。嫌なら捨てりゃあいい」

「……答えになってないわ。アンタの目的は皆殺しでしょう。これじゃ逆じゃない」

「見たかったのよ。アンタがどんな『決意』を下すかを、ね」

「…………ふざけないで」

「いやいや本気だよ。本来、五衰に蝕まれた天人はもう終わりなんだ。それはアンタが一番良く知っている。
 そんな絶望的な逆境を越えさせたのは、私みたいな一柱の神じゃなく、ましてやそんな干からびた『右腕』でもない。
 ……天人を辞め、人間の身に堕ちるなんて素っ頓狂な『決意』に至ったアンタ自身が起こした奇跡。
 そんな神をも恐れぬ愚行――天人を辞めることで……自ら“ヒト”に堕ちることで、死の予兆を回避したんだ。普通なら考えにも及ばない」

「……私、元々は人間だし」

「通りで。……だが、二度と天界の地は踏めないよ。そんな穢れた身体じゃあ」

「それも含めての、私の『決意』よ」

「……そんなに、あの少年の隣が心地良いかい?」

「…………」

「無粋だったね。ごめんごめん」

「……今は見逃してあげる。次会ったら、ブッ飛ばす」


少女は最後まで背後の神へと目を合わせず、そこから飛び降りた。
その背中は、心なしか以前よりも生き生きと耀いてるように、女には見えた。


「……全く。見逃したのは私の方だってのよ」


漏れ出た独り言も、どことなく浮かれてるようで。

八坂神奈子は楽しそうに笑った。




―――堕ちる。堕ちる。天子は全てを捨て去ってでも。


石の海。その最天上からもう一度。
あの時と今では、その意味も全然違う。
さっきはまだ、心に迷いがあった。
今はもう、ありはしない。
私が地上に降り立った時、その瞬間こそがこの名前とも決別の時だ。

―――堕ちる。堕ちる。天子は新たな座を見つめながら。

左に持つ勇気の剣を、右に。
その右腕こそが、かつて私を上から目線で見下した幻想そのもの。
今は、私の手中。ざまあみろ。

―――堕ちる。堕ちる。天子が立つは人間道。天子が絶つは地獄道。

之より先は人の道。
自らの位置は此処にこそ。
嗚呼、其れが艱難たる逆境であろうとも。
五衰を受け入れた今の私には、其れこそが天への道。天人道。

―――堕ちる。堕ちる。真なる天人道とは、崖を登ることと見付けたり。

それでも今はヒトである身。
一度地獄に堕ちることで、見える光も在るというもの。
だったら喜んで堕ちてやる。何度でも。
そいつが私の目指す天人道。

―――堕ちる。堕ちる。奈落の底にまで堕ちた人間に残るは、這い上がることだけ。

ならば強くならないわけがない。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し。
私は救わなければならない。
他ならぬ、私自身の手によって。
そいつが私の謳う堕落論。

―――堕ちる。堕ちる。此処はこの世の最底辺。しかし、彼女にとっては最高天。

平和で何の不足も不満もない状態であれば、人はいくらでも理想の自分でいることが出来る。
好きな仮面を被って、本当の自分を偽って生活することだって出来る。
だが、いざ其処から転落するという瀬戸際へと至った時。
彼らはどこまでその状況を保っていられる?


仮面は脱いだ。
天衣も捨てた。
在るのは――新たな『座』のみ。


有頂天である天界に、登るべき崖は存在しない。
そこに住む、端から天人である彼らは、そんな些細な事にも気付かない。嫌悪すべき怠惰だ。
ならば堕ちよう。なればこそ私は堕ちたのだ。
地上の有象、『ヒト』の身に。
ここは人間界。今こそ私は此処から登ろう。
もう一度、空を翔ぼう。

―――これから隣を歩く、唯一無二の『仲間』と共に!


「仗助ェ! 『アレ』いくわよォ!!」

「『アレ』? ……上等ッ!!」


溌剌とした声で、天子は仲間に促した。
何を、とは言わない。言うべくもないのだから。

猛烈な勢いで天から降ってくる天子の意を、仗助は察する。
対する悪鬼。討つべき地獄の鬼ヴァニラ・アイスは、これに対応できない。
殺した娘が、今また天から舞い降りる光景。
先の焼き増しだが、決定的に違う。

少女には仲間が居た。
少年には仲間が居た。
だが、ヴァニラには。

孤独でしかないヴァニラには、対応する術がとうに失われている。
それでも男の牙は折れたりはしない。
不屈の狂気は、不可視の凶器と成って。
今また少女と、すれ違うのだ。

「浅はかだぞッ! 今度は全身を奪ってやるッ!!」

空すら飛べない少女に、宙空にてクリームを躱す術は次こそ無い。
左腕も、右腕も、必要ない。
牙さえあれば、唯一無二の畏敬に従う術が揃うのだから。

「クリィィィィイイイイムッッ!!!!」

「―――断じて行えば鬼神も之を避く。固い決意をもって断行すれば、何者もそれを妨げることは出来やしない。
 それでも貴方が避けないというのなら。私も之を避けるつもりは毛頭ない。必然、衝突ね。そして最後に立つのは……
 ……より意志の硬い方よッ!」

天を照らす金剛の光が、空から突っ込んでくる天子を包んだ。
天庭(あまてらす)で戯れる神のように、どこまでも不敵な笑みを作りながら。
鬼神の暴虐に衝突すれば、タダでは済まなくなる。先のやり合いで、それは身に沁みて心得ていた。

馬鹿正直には突っ込まない。語る言葉を持たずしても、少女と少年は通じ合っていたのだから。

「いくぜッ! クレイジー・ダイヤモンド!!」

天子が得意の要石を出現させたのと、仗助のスタンドが光を反射させたのは同時だった。
二人に降り注ぐは、眠ったら死ぬ程度の天気『ダイヤモンド・ダスト』の耀き。
相手の気質に合わせて天候を変える天子の特技が、仗助の気質に影響されて天を映す光を反射させたのだ。

暁の雨から、金剛の細氷へと。
ダイヤモンド・ダストの発光が、クレイジー・ダイヤモンドの像を無限の耀きへと乱反射せしめ。
幾億と繰り返される金剛と金剛の幻想リフレクト――その混合が、仗助と天子の精神に黄金のスピリッツを生み。
それは果てしない絆へと昇華し、砕けぬ意思で交わす勇気の賛歌となる。
決して砕けぬ金剛<ダイヤモンド>の光こそが、彼女の目指す緋想天へと導くただ一つの路。

最硬の精神こそが、最高の精神なのだ。
ギラギラ耀く粒子纏うこの精神こそが、大異変解決の『主人公』たる証明なのだ。
もう『ごっこ遊び』なのではない。遊びで、興で立ち向かうことは止めだ。
胸に抱く真の意志が、少女の理想を最硬の石へと変化させ。
今ここに二人の『主人公』が並び立つ―――!


少年が、要石を拳で砕いた。
バラバラの粉末状にまで散らされたそれは、ヴァニラの身体を煙の牢獄のように包み、そして。


「―――直す」


一人の不良少年と、一人の不良天人。
少年と少女が初めて出会い、拳を交し合った『あの時』の光景が鮮明に思い出される。
同じだ。
仗助がとった手段は。天子が選んだ路は。
初めてのケンカ、それの再現に過ぎない。
だが、あの時とは何もかもが違う。

「な、に……ッ!?」

「ただし、今度はアンタが餌食になりなさいッ!」

塵状から復元された要石がヴァニラを巻き込んで固まり、捕縛した。
動きを止めたところで、不良コンビの合体技は終わりはしない。

「もっとよ仗助! もっと、もっともっともっともっともっとーーッ!!」

「分かってんすよ、ンなこたァ! ドォラララララララララララララララララーーーーーッッッ!!!!」

地の底から天子が呼び出した天柱に、仗助がラッシュを打ち込む。
動きの止まったヴァニラにこれを躱す術は、またしてもない。
柱とヴァニラ。ふたつを同時に巻き込んで。
金剛の拳は、悪を砕く。

「――――――――――ッッッ!!!!」

もはや吐き出す絶叫も出ない。
要石に取り込まれたヴァニラが、そのまま天柱にも取り込まれて。

クレイジー・Dのデタラメな復元能力が、その地に一本の『人柱』を作り上げた。

「ガ…………き、サマら……! ジョース、タ…………ッ!」

抜け出せない。声を上げるのも苦痛だ。
クリームを……駄目だ!
完璧に体が柱と同化している。スタンドを操ることすら出来ない……!


「―――って、きゃああああああ止めて止めて受け止めて仗す……」

「は!? うごァ!!?」


敵の完全無力化に成功し、安心しきった仗助の素敵な髪の上に、落ちて来る天子が流れ込んで倒れた。
何とか受け止めたはいいものの、自慢の髪型は散々たる有様を呈してしまった。

「痛ったたたぁ~~~……ちょっと仗助! ちゃんと受け止めてよ! 私の身体、もう前みたいに頑丈じゃないのよ!?」

「ッテェ~~……あーーー!? お、おれの髪がぁーー!!」

「アンタの下手な髪より私の心配をしなさいっ!」

「誰の髪がヘチマのへたみてぇだとコラァーーー!!!!!」

そこにはいつもの光景。
そりの合わない男と女が、日常風景となった痴話喧嘩を始めるだけだった。


「コロ、シテ……ヤル……ぞ…………ッ! きさ、まらァ……!」

「あらアナタまだ居たの? 随分シックな見た目になったじゃない」

「テメー、ヴァニラだとか言ったな。悪いがテメーにはこのまま観光名所オンバシラ様として、一生を過ごしてもらうぜ」

「……殺さないの? 仗助」

「……おれは、そーいうのは好きじゃねえ。殺しちまったらそれは『このゲームに乗る』っつーことだからよ」

「……そ。ま、アンタがそう言うなら私はそれでもいいけど」


たったそれだけを言い放ち、獰猛なる二人の少年少女はそこから立ち去って行った。


後に残るは真の孤独。
ヴァニラはこの罪人眠る魂の牢獄で、一生を過ごす事になる。
それはどれほどに屈辱的で、憤慨すべき醜態だろうか。
なまじ意識がある分、死ぬことよりも恐ろしい末路でしかない。
主の為に何の行動も起こせず、おめおめと敗北し。
果ては永遠の生き地獄を晒す羽目になるのだ。
男にとってそれは、地獄の何十倍にも耐え難き罰だった。






――――――――――

――――――

―――










孤独の世界に、変化が赴いた。


人柱と成り果てた邪鬼の前に、柱の女が現れる。
何もかもが嵐の後だ。其処に女の入り込む隙間など、僅かとて在りはしない。

決着は、完全に付いたのだ。


「いーや、付いてないね、全然。アンタほどの男を思えば、全く終わってないともさ」


八坂神奈子はここで初めてヴァニラ・アイスと正面から対峙した。
満身創痍である天子と仗助を追撃する利を捨て、漁夫の利を狙った獲物をこの男一点のみに絞ったのだ。

理由など語るに及ばず。


「ゥ……ゴ、アァア……! 女ァ……オレを、この柱から……出せェェ…………ッ!」

「おー怖。まだまだ元気じゃないかい。アイツら、結局トドメは刺さなかったみたいだね。
 そんな『優しさ』で、この殺し合いの儀を生き残れるとは到底思えないがねえ」


だがそれもまた、彼らの素晴らしき味なのだと神奈子は納得する。
だから神奈子は天子を救うような神の真似事を行い、二人を見逃したのだから。
彼らを生かしておけば、優勝を狙う自分にいずれ牙を向けてくることは明白。
それも問題はさほど無い。それならそれで再び返り討ちに出来る自信はあるし、逆境の中に身を置くというのも一興だ。
それにあの少年少女が掲げる……云うなら『黄金の精神』とも称すべき正義の覚悟は、早苗を悪意から護ってくれるかもしれない。
少なくとも『来るべき刻』が到来するまで、早苗は生きなければならない。他の誰よりも、あの娘と決着を付けるべくは己なのだから。



「―――だが、アンタは『駄目』だね」



女の醸す雰囲気が一変した。

目の前で殺意を撒き散らすこの男こそが、神奈子の危惧する最悪そのもの。
こんな危険の針を振り切った悪魔を早苗と遭わせる訳には、絶対にいかない。
最優先で掃討すべき対象は、天子でも仗助でもない。


「お前はこの場所で散れ。ヴァニラ・アイス」


ガチャンと。
柱の女を、柱足り得る者として象徴する『鉄の柱』が、重厚な金属の音を鳴らした。
だがそれは女の真髄などでは決してない。八坂神が柱足りえる者として象徴される真相は、ヒトの生み出した殺人兵器には無い。


「天道是か非か。神から受ける正当なる裁きの対象は、人か。天か。罪か。言うべきにも非ず。
 是は善。善こそ人。成れど人は天成らず、天は人の身に堕ちて。其処に在るは、今や金剛に耀けん、人ふたり」


女が両の掌(たなごころ)を激しく合わせ、『柱』を創造する。
生贄には大罪人を。
流れる血は冷たい刑務所の、地の獄の極へと。
天より降り注ぐ四の巨なる御柱が、男へと。


「善悪の頂に在る『真実』とは、ヒトの個々が持つ精神の器。その中身にこそ在る。
 其処に裁きを下すのは……天じゃあない。 ―――下すは我! この“山坂と湖の権化”八坂神奈子也ッ!
 貴様こそ非! 非であり卑でしかない有象の羅刹如きに、天寿全うの生など永劫無いものと心得よッ!」

「グ…………ウグオオオオォォォおおおおおガアアアァァあああぁぁあッッ!!!!
 わたし、は……ッ! お、オレは……ッ! こんなところでェェエエーーー!! DIO様にィィイイイ!!!」



          グシャリ



断末をあげる人柱は、天上より降り注がれし御柱により潰された。
肉の弾ける音と血飛沫とが、印を結んだ神奈子の眼前で儚くも舞う。

さながら、墓標のようであり。
それは女神が見せた、生に苦しむ人間へのせめてもの情であった。


「貴方の信仰する神<DIO>は、貴方に本当の幸福を与えられましたか?
 その起源は果たして崇拝? 賛美? 畏敬? ……畏怖なのかしら?
 私には貴方が不憫でなりません。罪が宿るは人の内。せめてその魂、どうか安らかに眠りなさい。
 ……ヴァニラ・アイス」


神々たる威光を煌かせながら、神奈子は柱の墓標に背を向けた。
近くに落ちていた男のディパックを拾い上げ、中身を検めて、すぐに施設外へ足を運ぶ。
雨は未だ止まず。むしろゲームの進行を表すかの如く、その勢いは増すばかり。
神奈子は弾薬が濡れるのを防ぐ意味も兼ね、乾を操る。身の回りの雨が、透明状のドームに弾かれるように避け始めた。
『乾』とは『天』。元来、風雨の神である神奈子に雨は意味を為さない。屋外だろうが屋内だろうが、これまでと同じ様にガトリングの行使は可能だ。


「あの天人……いや今は“人間”か。気まぐれで施しを与えた身、すぐに鉢会うってのもなんだかね……」


右腕を丸々奪われたあの天人に、ヴァニラの右腕から“釣り上げた”神々しい遺体を授ける気になった理由とは。
どちらにしろ皆殺しという最終目標に変わりはないというのに。敢えて神奈子は少女を救い、今また見逃すつもりでいる。

五衰の苦しみを受け入れ、それに耐え、最後には天人の座すら堕りたあの少女。
少女がそれほどに辛い選択を選び、人間として傍に居ることを決意させたであろうあの少年。

神奈子が理に適ってない気まぐれを起こした理由など、間違いなくあの二人の精神に中てられたからだ。
そんな不明瞭とした自覚が、己の胸を漂うかのように渦巻いている。

だのに何とも……気分がイイ。朗らかだ。



「―――全く……これだから人間って奴は好きさ。魅せてもらったよ……アンタ達の『人間賛歌』を」



人間を辞め、高みを登ろうとする輩は星の数ほどいる。
だが高みから人間に堕ちようなどという奇特な種は、そうはいない。
人間賛歌は『勇気』の賛歌。
居るべき全ての地位を捨て、人間へと成ることを決意したあの少女。
勇気(PLUCK)の剣身を振り抜き、生涯初めての『仲間』を手にした幸運(LUCK)を生まれ持ったあの少女。


―――それもまた、穢れし檻の中で生まれた……ひとつの素晴らしき『人間賛歌』なのだろう。





【ヴァニラ・アイス@ジョジョの奇妙な冒険 第3部】 死亡
【残り 56/90】

【C-2 GDS刑務所 医療監房/昼】

【八坂神奈子@東方風神録】
[状態]:体力消費(小)、霊力消費(小)、右腕損傷、早苗に対する深い愛情
[装備]:ガトリング銃(残弾70%)、スタンドDISC「ビーチ・ボーイ」@ジョジョ第5部
[道具]:不明現実支給品(ヴァニラの物)、基本支給品×2
[思考・状況]
基本行動方針:主催者への捧げ物として恥じない戦いをする。
1:『愛する家族』として、早苗はいずれ殺す。…私がやらなければ。
2:洩矢諏訪子を探し、『あの時』の決着をつける。
3:DIO様、ねえ……
[備考]
※参戦時期は東方風神録、オープニング後です。
※参戦時期の関係で、幻想郷の面々の殆どと面識がありません。
 東風谷早苗、洩矢諏訪子の他、彼女が知っている可能性があるのは、妖怪の山の住人、結界の管理者です。
 (該当者は、秋静葉、秋穣子、河城にとり、射命丸文、姫海棠はたて、博麗霊夢、八雲紫、八雲藍、橙)
※神奈子がどこへ向かうかは、次の書き手さんにお任せします。


『比那名居地子』
【昼】C-2 GDS刑務所 正面玄関



















「……仗助」

「……なんスか」

「私、今……何処に“居る”?」

「おれの隣で一緒に大の字で仰向けになってるように見えます」

「そうね」

「そうっすね」

「じゃ、もう一個。……貴方にとって、私は“要る”存在かな?」

「たりめーっスよ。仲間っつーのはそういうことでしょ?」

「そうね」

「そうっすね」

「…………」

「…………」

「え、終わり?」

「うん」

「いや、うんって……続きは無いンすか?」

「続けて欲しいの?」

「いえ別に」

「そ」

「…………」

「……確認、したかっただけよ」

「続けるんスね」

「文句ある?」

「無いっす」

「よろしい。……私はね、私の座すべき場所を、今一度確認したかったの」

「座すべき場所……っスか?」

「そう。私は天人って教えたでしょ?」

「まあ、はい(ていうか天人って何だ?)」

「高貴で極楽。毎日歌って踊って食べてればそれで幸せな腑抜けた種族の事よ」

「……天子さんは嫌いなんすか? その天人ってのが」

「在り方は正直、好きになれなかったわ。だって退屈だもの」

「そーいうモンっすか? 随分気ままで楽しそうっすけどね」

「そーいうモンよ。……それでも私は、この親のついでで手に入れたような己の地位に誇りはあったわ」

「結構なことじゃないっスか」

「でも、その役柄も全部捨てちゃった」

「……」

「天人の五衰。その症状が現れると、天人様はその地位を退くことになる。想像できない苦しみに悶えるの」

「ごすい……何スかそれ?」

「後であの寺子屋にでも訊いて。とにかく、天人としての比那名居天子は死んだ。
 もう、ダメなのよ。この五衰が出てきちゃったら」

「じゃあ、今おれの横でペラペラくっ喋ってるアンタは誰なんですか」

「いい質問ね。頭上華萎。衣裳垢膩。脇下汗出。身体臭穢。これら四項を満たしてしまった私に最後に残ったのは不楽本座だけ」

「ふらくほんざ……ってなんスか?」

「質問が多いわねえ。『自らの住居すらも楽しめなくなってしまったこと』。私は最後まで残った自分の座すべき場所を、自ら捨てた。
 今までの自分じゃあ、新たな座に居座る資格なんて無いって気付いちゃったからよ」

「新たな座……」

「アンタの隣よ、仗助」

「……じゃあ天子さんは、わざわざおれの隣に座る為に、その『ふらくほんざ』っつーのを捨てたンすか」

「『仲間』っていうのは、同じ高さで一緒に戦うってことじゃないの? 片方だけが天上で見下ろすってのは、何か違うんじゃないかってさ。
 だからアンタの居る、遥か地上まで堕ちて来ただけ。それだけの……ことよ」

「それだけ……って、それで天子さんが全部捨てちまったんじゃあ意味ないじゃないっスか!」

「あら、私の為に怒ってくれてるんだ?」

「はぐらかさないでください! よーするに天人辞めちゃったってことでしょーが! アンタの『誇り』じゃなかったんスか!?」

「座を降りて、天人辞めて、全部捨てても……新しく手に入れた座があるじゃない」

「……そいつが『仲間』、スか」

「今まで結構長く生きてきたけど、私には『仲間』はおろか『友達』と呼べる存在も居なかった。アッチから来るのは死神ばっかりよ。
 ……だから嬉しかった。不思議ね……天人じゃなくなったってのに、こんなに清々しい気持ちになれるなんて。
 あ~あ。不良天人から天人を取っちゃったら、それこそただの不良じゃない。げっ……アンタと一緒じゃん」

「天子さん…………」

「地子」

「……はい?」

「私の……人間だった頃の旧名。比那名居地子。正直この名前で呼ばれるのは嫌いだったけど。
 天人“比那名居天子”は今日を以て消滅。人間“比那名居地子”に戻るわ。これから私のことは『地子』と呼びなさい、仗助」

「“ちこ”、スか。……ぷっ」

「って、ナニ笑ってんのよアンタ!」

「い、いや……響きがチンチクリンで可愛いなって思っただけっスよ…………ぷくく」

「はあッ!? あ、アンタ、人の名前でよくも………………いや待って」

「……?」

「フンフン。仗助……人べんに丈夫の『丈(じょう)』と『助』ける、かあ」

「!!」

「決めたわ! 仗助! これから貴方を仗助(じょうじょ)……『ジョジョ』って呼ばせてもらうわ!」

「はあッ!? いや、それだけはカンベンしてくださいよ天子さん!」

「地・子!」

「いや、幾らなんでも名前音読みで『ジョジョ』は強引だしダセーっすよ!」

「あははははっ! いいじゃないジョジョ~! 『不良コンビ』同士、『信頼』を築き合う仲間なんだしさ~」

「ぐ、ぐぬぅ~~……! 屈辱だぜ……そのアダ名でおれを呼ぶ奴がまたも現れるなんてよォ~!」

「で、ジョジョ。どう? どう? これ!」

「早速呼ぶんスね…………何がスか?」

「イメチェンよイメチェン! 心機一転。人間に堕ちた新・地子様の可愛い髪型はどう?」

「前向きっスねアンタ……。そうっスねー、おれはどっちって言やあ、ショートよりロングの方が大人びてて好きっスけど」

「……え」

「あ、いや天子……じゃねえ地子さんのことじゃなくってですね、単に髪型の好みって言うか……」

「仗す……じゃなかった。ジョジョは………………年上の方が好み、とか?」

「うん? まあそっすねー」

「……そ、そう。…………そっか、そっかぁ」

「……あ! これも地子さんのことを言ってるんじゃねっスよ! 大体、地子さんってぶっちゃけあんま年上らしくねえ、っつーか……」

「…………は?」

「粗暴だし、我侭だし、子供っぽいし、おれの好みを言うならもっとこう……全体的な凹凸が圧倒的に足りねえ、っつーか。なんか硬いし」

「…………」

「スタイルもそうなんだが、クールさが足りねえよなあ~~地子さんには。髪切ったぐれーじゃあ人間、簡単に変わりゃしねーぜ~」

「………………こ、の」

「……あん?」





「この…………イカレヘチマヘアーがーーーーーーッ!!!!」





   ゴ キ ャ !







☆★ 永江衣玖さんの特別課外解説2 ★☆
  [ジャーマン・スープレックス]
これまた有名なプロレス技ですね。簡単に言えば、背中から組み付いての投げ技です。
相手の背後から腰に腕を回してクラッチ(手と手を組むこと)し、そのままブリッジをする要領で相手を真後ろへと反り投げる豪快な技です。
えーっと、まあ大層危険な技でして。素人がプロレスごっこで、ましてや屋外マット外で絶対やっちゃダメな奴ですよ。
悪者ならともかく、大切な『お仲間』に仕掛けるような技じゃないです。「ゴキャ」って音出てましたけど、総領娘様……。

【C-2 GDS刑務所 正面玄関/昼】

【東方仗助@ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない】
[状態]:首ゴキャ(多分そのうち治る)、黄金の精神、精神疲労(小)、右腕外側に削られ痕、腹部に銃弾貫通(処置済み)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品×2、龍魚の羽衣@東方緋想天、ゲーム用ノートパソコン@現実 、不明支給品×2(ジョジョ・東方の物品・確認済み。康一の物含む)
[思考・状況]
基本行動方針:仲間と共に殺し合いに反抗し、主催者を完膚なきまでに叩きのめす。
1:このカチカチまな板オンナ……ちっとも変わってねえーーッ!!
2:後は真っ直ぐジョースター邸へ向かう。
3:吉良のヤローのことを会場の皆に伝えて、警戒を促す。
4:承太郎や杜王町の仲間たちとも出来れば早く合流したい。
[備考]
※幻想郷についての知識を得ました。
※時間のズレ、平行世界、記憶の消失の可能性について気付きました。
※デイパックの中身もびしょびしょです。


【比那名居天子@東方緋想天】
[状態]:黄金の精神、人間、ショートヘアー、霊力消費(極大)、肉体疲労(大)、濡れている
[装備]:木刀、LUCK&PLUCKの剣@ジョジョ第1部、聖人の遺体・右腕@ジョジョ第7部(天子の右腕と同化してます)、三百点満点の女としての新たな魅力
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:仲間と共に殺し合いに反抗し、主催者を完膚なきまでに叩きのめす。
1:この華麗なるスタイルがまな板みたいですってェ!?
2:後は真っ直ぐジョースター邸へ向かう。
3:これから出会う人全員に吉良の悪行や正体を言いふらす。
4:殺し合いに乗っている参加者は容赦なく叩きのめす。
5:吉良のことは認めてない。調子こいたら、即ぶちのめす。
6:紫の奴が人殺し? 信じられないわね。
[備考]
※この殺し合いのゲームを『異変』と認識しています。
※デイパックの中身もびしょびしょです。
※人間へと戻り、天人としての身体的スペック・強度が失われました。弾幕やスペルカード自体は使用できます。


150:或いは暢気なアームチェア・ディテクティブに捧ぐ 投下順 152:ある者は、泥を見た
150:或いは暢気なアームチェア・ディテクティブに捧ぐ 時系列順 152:ある者は、泥を見た
148:相剋『インペリシャブルソリチュード』 東方仗助 163:船、うつろわざるもの、わたし。
148:相剋『インペリシャブルソリチュード』 比那名居天子 163:船、うつろわざるもの、わたし。
148:相剋『インペリシャブルソリチュード』 八坂神奈子 155:この子に流れる血の色も
148:相剋『インペリシャブルソリチュード』 ヴァニラ・アイス 死亡

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最終更新:2017年06月02日 23:40