白兎巧師よ潮流に躍れ ――『絆』は『相棒』―― ①

『因幡てゐ』
【昼】D-4 香霖堂前


私の永い人生、こうして今思えばひたすらに『逃げ』を極めた臆病な道程だった。
そもそも妖怪兎なんて妖獣の中でも指折りに弱者の部類に入る。弱いものは弱いのだ、しょうがないじゃんか。
それでも私は生を謳歌したいと願った。弱いなりに知恵を蓄えてきた。
妖怪には、幻想郷には、いや『此の世』には不変のルールという奴が空を覆っている。
『強者は弱者を支配しなければならない』という、至極シンプルな不文律が。
例えばこの幻想郷なら真っ先に名が挙がるのは『博麗霊夢』とか『八雲紫』なんかがそうだ。
賛美されるべき強者こそがこの世のバランスを支配できる権限を持ち得、私みたいなヒエラルキーの下の下は目立てば叩かれる矮小な歯車でしかない。

まだ命名決闘法が定められていない不安定だった頃の幻想郷。そこでも私は常に『狩られる側』の妖獣でしかなかった。
調子に乗った妖怪共から逃げて逃げて逃げて逃げて、夜明けの到来を待つことに一生懸命なウサギ。それが私。
永く生きて得た知識は全て自分の保身の為だけに使ってきた。妖怪兎のリーダーを務めていたのもひとえに自分が生き残るため。
そう……『自分のことしか考えない』。この思想は妖怪ならば至極当たり前の考え。妖怪なんて言ってしまえば誰もが身勝手なんだから。

世のバランスというのは実によく出来たもので、私たち弱者はどんなに虐げられようともその存在は決して淘汰されることはない。
弱者が在るから強者は在る。強者が在るから弱者は在る。まさしく歯車だ。上手く噛み合ってるじゃないか。
だけどそんな世界の住人が“助け合って生きている”なんて誰が思う? 少なくとも奴らは私たちをただの踏み台程度にしか考えてない。


そんな底辺での生き方に育まれた故という訳じゃないけど、私は自ずと理解もしていた。……いや、生まれながらに知っていた。
『法』とは比類なき力。人も妖怪も屈するしかない力、つまりは暴力だ。
暴力によって私たちはまさしく赤子のように無力な存在へと変わっていった。
この世の強者と弱者の関係の本質とは『隷属』であることに、人はいつしか気付くもんだ。
私みたいな錆びた考えの底辺者は、所詮は量産可能のただの歯車。絶対不変のシステムを動かすだけの動力に過ぎない。


そんな私が。
痛みや困難から逃げ続けてきた私が。
臆病で、自分が第一だってズルく考えてる卑怯者の私が。


「―――賭けてみよう。ジョセフと、てゐの二人に。僕の命“チップ”全てを」


どうして、同じ弱者である霖之助から、こんな謂われぬ期待を背負わされているんだ?



香霖堂の玄関前。情けなくドアに聞き耳を立てていた私の鼓膜に入り込んできたあの男の台詞が、いやに反響する。
ここまでの成り行きは大体理解出来た。馬鹿げたことに、アイツらはなんとギャンブルによってあの八雲藍に立ち向かっているらしい。
相手見て喧嘩ふっかけてんの? ジョセフやシュトロハイムならともかく、霖之助は九尾のヤバさを知らないわけじゃないでしょ。
言わんこっちゃないじゃない。案の定、ボロクソに負けてる。私、散々警告したよね?

大体、霖之助のアホ野郎はズルいんだよ。
私よりも弱いクセにさ、その“せめて自分にも出来ることだけはやり遂げよう”って『信念』だけは立派。
弾幕ひとつ撃てないクセにさ、命をも捨てる『覚悟』だけは華々しい。

信念? 覚悟?? はぁ~??? なにそれ美味しいの。
随分と似合わない姿勢じゃない。乾坤一徹の勝負なんて時代遅れだよ。この幻想郷には不似合いの概念だ、信念や覚悟なんて言葉は。
もちろん私も例外じゃない。そんな気概はクソ喰らえだ。寿命が縮む。
今日までのらりくらりと生きてきただろうアンタが、一体どうしてそうも能動的になって動いている?
知り合いが死ぬのが嫌か? 私だって嫌だ。
ジョセフの精神に感化されたか? 私だって……アイツには突き動かされている、部分もある。正直。


「あんなチビうさぎに何でそこまで期待してるのかね」

「てゐと君の『二人』にさ。人と妖怪が手を組むってのも中々新鮮で面白いと思うよ。
 もっとも半妖の僕が言っても説得力があるのかないのか、って感じだけどね」


勝手なことを言ってくれる。私の気も知らないで……!
その『人と妖怪が手を組む』って部分もぶっちゃけ途方もない大穴だらけの『ギャンブル』なんだよ! 人と妖の英雄譚だなんて夢物語さ!
幻想郷の歴史を見てみなよ! 人間は妖怪を畏れ! 妖怪は人間を襲う! 歴史の基盤は結局のところ『争いの歴史』だ!
私が人間と手を組んで異変を解決する? ふざけないでよ。現にアンタら、三人がかりで負けてんじゃん、その妖怪に。
そのうえ相手は幻想郷のシステムを根本から支えるあの八雲の眷属。私と違ってまごう事なき『強者』だ、八雲藍は。
現在の藍に何があってゲームに乗ってるのかは知ったこっちゃないけど、それは曲がりなりにもヤツが選んだ道!
言い換えるなら、八雲の眷属に歯向かうってことは現行の幻想郷システムそのものに喧嘩売るってことだぞ! それをあの霖之助は―――


「―――なんで、私なんかに、託しちゃうんだよ…………っ」


ドアの向こうで誰かが倒れた音が響いた。たぶん、霖之助がやられた音。


瞬間、私の頬に何か冷たいものが伝う。
涙……なんかじゃない。これは『雨』だ。雨が、降ってきた。
思わず空を仰いだ私の視界に、どんよりとした雲が一面に広がっていた。いつの間に天気が悪くなったんだろう。
こんなハリボテ世界にも雨は降るんだな。まるで今の私の心模様だ、この天気は。ははっ。

惨めだ。私は、なんて惨め。
これが神サマの定めた運命だなんて言うなら、私は神サマをひゃっぺん呪ってやる。
運命だ因縁だなんて言葉は、私には無縁。弱者だろうが強者だろうが、妖怪ってもっと自由であるべきだろ……!


私は自由に生きたい……!
私は誰にも縛られたくない……!
私は救われたい……!


私は…………死にたくない……っ!




「ジョセフ……今すぐ賽子を渡せ。それともまた“よからぬコト”でも考えているか?」

「ジョセフお兄さん……」



―――でも!

弱者には、弱者の意地がある!

それはきっと、同じ弱者である霖之助にも理解させるためのもので……

つまりは、霖之助の奴を見返してやりたかったんだ、私は……っ!

つくづく馬鹿な行為だって思う。私らしくない、自棄っぱちな行動……

でも、ほんの少しの勇気なら既に受け取った。幸運を呼ぶ福籠……フクロウから。


『オレは中立ダカラヨォ~~、オマエに頑張レとか言ワネェーケドヨォ~~……
 モー少しぐらい、自分に素直にナッテモイインジャネーノカナー』


龍の言葉が脳裏で再生される。

このDISCにはどこか、固い決意を感じた。


『よく聞け!邪知暴虐の糞主催者共! 儂は佐渡の、いや、幻想郷の二ッ岩、二ッ岩マミゾウじゃ!
 儂はお主たちの負けにこの生命を賭ける!いざ勝負じゃ!』


同時に響く、力強い声。どこかの誰かの、魂の叫び。

この妖怪もきっと、誰かに敗北して、心半ばに散ったひとり。

そして霖之助と同じで、その生命を偶然とはいえ私に賭けてしまったひとり。

本当に、お前ら皆、勝手だよ。

自分勝手に命賭けて、そのくせ後は人任せときた。

ギャンブルで賭けていいのは自分の命までだろ。言っとくが私は、力は本当に弱いぞ。


『お主には悪いことしたかのう。そういえば鈴仙殿も同じ兎の妖獣じゃったか。どうにも儂は妖怪兎と縁があるようじゃ。
 でもま、これも一蓮托生じゃろ。力添えなら惜しまんぞい!』


死んだヤツがペラペラ頭の中に語りかけてくんなよマミゾウとやら。てか鈴仙と会ったのかよ。

くそ……益々コレ、負けるわけにはいかなくなったろ。畜生。

分かったよ……この場所に来た時から、本当は最初から覚悟してたんだ。

少し、ビビッてただけだ。臆病で悪かったな、私はこーいう奴なのよ。

そこで見てろ霖之助。今からお前をギャフンと言わせてやる。今どき『ギャフン』だぞ。


―――だから死ぬな。私も死なない。やるだけはやってみるからさ。







「―――待って。……ちょっと、待ってよ。その勝負」







そして私は自ら足を踏み入れた。

生への渇望……真の意味で『生きること』への執着、その扉の向こう側へ。

人生とは、生とは、欲望だ。

生きるということは、手に入れるということ。



―――『ギャンブル』なんだ。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

ジョセフ・ジョースターは『この』場面を予想していなかったわけでは、決してない。
彼は因幡てゐの本質を、初めて会った時から何となくではあるが見抜いていた。彼女がひとつの『分岐点』に立ち、迷っていたことを。
臆病だが口だけは達者。意地悪いが気だけは強く。嘘吐きで腹黒だがどこか健気で根っからの悪人ではない。
なるほどと、ジョセフは霖之助が語った言葉に今更ながらも合点がいった。確かに少し、ほんのちょっぴり自分とてゐは似てるかもしれない。
だからこの小さな仲間が俺たちのピンチに駆けつけてくれるかも、などといった都合の良い妄想を今まで考えなかったわけではないのだ。


『まさか本当に現れてくれるとは』


ジョセフの脳裏に過ぎったこの言葉が口にされるよりも早く、彼の思考はここに来て急ピッチで回転を始めた。
もはや後がない藍とのチンチロ一騎打ち勝負最終戦。勝利への道を必死に模索していたこの瞬間に起こった僥倖。

僥倖とはてゐの存在だ。幸福を運んで来たのはてゐであり……いや違う。
てゐそのものの存在がジョセフにとっては『幸福』に他ならない。いま、この時この瞬間にとっては。


「―――待って。……ちょっと、待ってよ。その勝負」


香霖堂の扉をゆっくり開けて突入したてゐの第一声。弱々しくも決意のような灯火を篭らせる彼女の言葉は、すぐに途切れることになる。
まず場を躍動させたのは、いち早く思考を完結させたジョセフの大声。



「てえええええええぇぇぇゐッッッ!!!!! 橙の『リモコン』を奪えぇぇぇぇーーーーーーーッッッ!!!!」



突如自分に向けられた叫びに戸惑う兎と猫の影ふたつ。てゐと橙。
その僅かな隙、同時に動いた人と狐の影ふたつ。ジョセフと藍。

「――――――ッ!!」

藍の顔が歪を示す。ゲーム最終局面にして、初めて予想外の事態が起こってしまったのだから。
まさかジョセフの仲間がここに来て登場するとは露にも思わなかった。だからこそジョセフの思考から一手遅れてしまった。

『ゲームに関係ない第三者の介入』

この事実が何を意味するか。
現時点でそれを理解できているのはジョセフと藍の二名のみ。

「え…………? ぁ、ちょ……っ」

一方のてゐは廻り巡る展開に思考が追いつかない。
当然だ、彼女は今の今まで音と声のみによってゲームを外から傍観してきた身。しかもゲームを傍受していたのは途中からだ。
この場の詳細な流れ、空気をその身に実体験してはいない。

焦るてゐに襲い掛かる暴力は、その殺気を隠そうともしない藍の凶手。
飛び跳ねるようにして椅子から激しく立ち上がり、テーブルに足をかけてそのままジョセフの頭上を飛び越える。


『殺される』―――てゐは本能で感じた。標的は間違いなく自分だ。


(何故なにどうして? なんでワタシ? ちょっと待て。本物の九尾だ。大妖怪で。あの八雲紫の式神。完全に狩人の目。ヤバイ奴だ。
 いや何でワタシに来んの。まだ何もしてないじゃん。チンチロはどうした。クソッ やっぱ来なけりゃ良かったこんな場所)

一瞬のうちに様々な思考が目くるめく脳裏に去来する。走馬灯ってこんな感覚なんだろうなぁと馬鹿げた感情が一瞬湧いた。
その呆けの刹那、無防備なてゐの心臓を貫かんとする藍の貫手を、ジョセフが横からド突いた。いかな大妖の突撃といえど、真横からの衝撃には崩れるものだ。
たまらず藍は椅子ごと吹き飛ばされるも、負傷してない左腕の方を地への支えとし、身体を捻って受身を取った。

そしてここまでの流れを身動きも取れずに傍観していた当事者てゐは、今やっと理解することができたのだ。


(橙のリモコン……首輪…………あっ…そ、そっか! 私なら!)


見ればジョセフの首にも藍の首にも、黒い鉄製の輪っかが装着されている。あれこそが件の首輪なのだろう。
そして彼らは現在、その首輪を外すためにゲームに興じているようなものであり、そのリモコンを橙に握られているからこそ迂闊に強行手段を行使できずにいる。
だが第三者であるてゐならば。首輪など嵌められていないてゐならば。
首輪の執行を恐れることなくリモコンを奪うことが出来る。そして即座に藍の首輪のスイッチを押してしまえばいい。

「……橙、悪いねッ! 今だけは大人しくしててくれ!」

考えてみれば実に単純で簡単なことだった。
何故もっと早くに気付かなかったのか。ひとえに自分の精神状態が酷いものだったからに違いない。
てゐは駆けた。この時ばかりは鴉天狗の飛行速に並ぶんじゃないかと自負できるほどの全速。
たいして長くもない足で橙めがけて駆け、大して長くもない腕をその手に持つリモコンまで伸ばす。
DISCで得たドラゴンズ・ドリームを使用すれば藍相手に驚かせるくらいは出来るかもしれないが……
いや、あの能力はどうにも速効性に欠ける。発動から攻撃までへのタイムラグがあるらしいのが難点だ。
やはり強引にもリモコンを奪うしか……!


「橙ッ!! ジョセフのリモコンを押せぇぇぇッッ!!!!」

「―――っ! ぁ、で、でも……藍さま、わたしは……」

「め――――――くッ! 小兎ごときがァァ!!」


床に腰を落としたままの姿勢で藍は叫ぶ。いつもの冷静沈着な一面が嘘のように崩れていた。
そしてそのまま左腕を伸ばし、てゐへと弾幕をすかさず発射。
威力もない、一発だけの弾幕はてゐの命を刈り取ることは出来なかったが、彼女の体を壁まで叩きつけることには成功した。


「あう……ッ!」

「てゐ!!」


―――失敗。


てゐの腕はリモコンに触れることすら出来ず、激痛を伴う結果のみに終結した。
またとないチャンスを逃してしまった。せっかく燦々たる遊戯からの脱退の機会だったというのに。
いや、てゐのせいではない。彼女からは、何となくジョセフらについてきただけという偶発的様子は感じられなかった。
「その勝負待った」というてゐの言葉からは、どこか決意めいた意志が滲み出てきていた。
ならば彼女には何か意図があってこの勝負に介入してきたのだろう。その決意を邪魔した無粋者は、むしろジョセフ。
わけもわからずいきなり暴力沙汰に巻き込んでしまい、その小柄な体にあわや怪我をさせるところだった。

「オイ大丈夫か!? すまねえ、俺が余計なこと叫んじまったせいで……!」

「………………いや、もうムリ。わたし死んだ」

「元気そうだな。無理はすんな、そこに居ろ」

数時間ぶりに再会した悪戯兎との会話は、状況とは反して惚けたモノから始まった。
二人の地が如実に反映された空気ではあったが、ここからは帯を締め直さなければならない。

「よお藍ねえちゃん。お互いちょっとしたハプニングだったな。
 だがこのウサちゃんとは同じ里で暮らす妖怪同士だろ? ここは見逃しちゃくれねーかな」

会話する間にもジョセフは思考を止めることをしなかった。
この時このタイミングで因幡てゐが乱入して来た事実をどう受け止めるか。どうチャンスに変えるか、と。
少なくとも『不幸』ではない。状況は既に最悪だ、そこからの更なる転落など考えたくない。
ならばやはりてゐとはジョセフにとって『幸運』そのもの。そう思いたい一心で藍へと視線を交わした。

「…………巫山戯るな、その兎はお前の仲間だろう。里でも有名な腹黒妖怪を前にむざむざ見逃せるものか」

冷たい顔で青ざめる橙を自身の後ろに隠し、藍は懐から鋭い薙刀を向けながら牙を剥きだす。
哀しきかな、てゐの幻想郷での評判は負のイメージに傾いていた。いまや彼女は完全に敵視されている。
ならばどうする。勇気を出して救援に駆けつけた彼女を追い出すか。それで藍が納得するならばいい。
だが追い出したところでジョセフを待つのは敗色濃厚の賽子勝負再開。事態の好転には繋がりそうもない。

「何の悪戯をしたものか分からん厄介者を放置など論外。気の毒だが今すぐ死んでもらうか、何ならこの『首輪』でも付けるか? ひとつ余っているが」

ディパックから黒光りする鉄輪を脅すようにチラと見せ付けられる。初めに橙に付けられていた首輪だ。
藍からすればほんの冗談。皮肉のような言い回しで挑発しただけに過ぎない台詞。



「そう……その言葉を待ってたよ。その『首輪』……私にもよこしなさいよ」



――――――だから、惜しげなくてゐがそう返してきた言葉に彼女は思わず目を丸くしてしまった。



「「………………は?」」


マヌケな台詞で返したのはジョセフも同じ。
今、このチビ兎は何と言った?


「ジョセフたちを縛ってるその悪質な首輪……私も着けてやるって言ってんの!」

「…………??」


ジョセフは学校の成績はあまり芳しくなかったが、それでもタチの悪い切れ者と称されるだけは頭の回転が無駄に速い。
そしてそれ以上に八雲藍は怜悧な大妖。聡明さでは幻想郷でも五指に入る部類なのだ。

その手練手管ともいえる二人をして、今てゐが発言した言葉の意味を図りかねていた。
命綱を差し出しに現れた救世主が、何故か綱と共に沼底に飛び込んできた。それ以外に言い様のない言葉だった。

「てゐ……? もしもォ~~し??? お前さん、来てくれたのは嬉しいんだが―――」

ジョセフは。
そう……ジョセフには、てゐが重い足を動かすに至った『勇気』というものを少しばかり履き違えていた。
彼女がこの場所に現れた理由……玉砕覚悟でもなければ、根拠のない特攻を仕掛けたワケでもない。


てゐには確固とした意志があって、
自分なりに考えたやり方があって、
嫌々ながらではあったが、
本当に選びたくもない道ではあったが、




「わ……わた、私と…………っ! いや、私たちと今すぐ『勝負』しろ! や…八雲藍ッ!!」




―――確かにこの瞬間、因幡てゐという弱者の意地が、生への渇望を示した。

―――『生きる』ために。『手に入れる』ために。『立ち向かう』ために。ジョセフの『傍に立つ』ために。

―――暗闇に微かに灯る『光』を目的に、自ら足を踏み入れたのだ。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

勝負。
今、確かに勝負と言った。
弱小妖怪の代表格、妖怪兎の因幡てゐが。
大妖怪に区別される最強格、九尾の八雲藍に対して。
『勝負しろ』と。確かに叫んだ。名指しで、人指し指まで突きつけて。
それがかつての幻想郷……伝統ある『命名決闘法』での遊戯ならば手を叩き、盃を交わしながら「おうやれやれ」と観戦する者も居ただろう。
スペルカードルールとは弱者でも強者に打ち勝てるというルールの下、制定された法だ。
だが言うまでもなく、現在の幻想郷はルールに守られた法治国家ではない。
誰が勝つか誰が負けるか、何が正義で何が悪かも分からない、倒錯した歪みの具現化。
荒され。脅かされ。集団感染する狂気に、ひとりまたひとり侵されていく。

この八雲藍も同じ。
狂気のウイルスに侵された悲劇の殺戮者だ。
因幡てゐを取り巻く『命名決闘法』などという蓑は既に存在しない。彼女を守ってくれるルールなど、今となっては白昼夢。
そんなてゐと藍が何でもアリの死合いの盤上に立ったところで、結果は火を見るより明らかだ。


「勝負、だと? 気でも違ったのか。お前はもう少し利口な考えの出来る妖怪だと思っていたが」


だから藍が『妖怪兎如きに舐められている』と機嫌を損なったのはごく当然だろう。互いの『格』を理解していない身分でもないはずだ。

「かか、勘違いすんな! お前なんかと殺し合うなんて死んでも嫌だよ! 『コイツ』で勝負しようって言ってんのさ!」

腰が引けながらも懐から取り出したてゐの右手には『トランプセット』が握られていた。
てゐとて考え無しにこの場へ乱入したのではない。自身の支給品『ジャンクスタンドDISC』の他にひとつだけ小道具が配布されていることを思い出したのだ。
普通のトランプ。ともすればジャンクDISC以上に使えないハズレ品だと決めつけ、今まで取り出すことすらしなかった支給品。


「私たちとこのカードで撃ち合え。ただし、スペルカードなんかじゃあない。普通の札だ」


てゐは自分の虚弱さを誰より知っている。だからやはり、ルールこそに守ってもらわなければ格上には勝てない。
『遊戯』というものには『ルール』があり、ジョセフたちも今の今までそのルール上にて賽を振り合っていた。
『遊戯』とは『殺し』の対極。まともな殺し合いでは不覚を取るであろうことがわかっているてゐは、遊戯盤で敵の上を行くしかない。
ルール無用のバトルロワイヤルにてルールを作り、身を投じることで隙を突く。

てゐは『ギャンブル』で命を賭けることに勝機を見た。

「……話にならん。何故私がジョセフとの勝負を中断してまでお前との札勝負に臨まねばならない?」

うん。予想通りだ。
てゐは藍のにべもない反論に心中で頷く。
そりゃあそう来る。てゐの持ちかけた提案は全く論理性が無い。
一突きで死に絶えるような雑魚妖怪相手に一体どこの大妖がわざわざ命を賭けたギャンブルなど行う?
そんなことはてゐも分かっている。彼女も生きた年月だけは藍など比べ物にならない程だ。長寿の知恵、ここで発揮せねばいつ発揮する。

「私に勝ったら『いーもん』あげるよ。まだまだ長い戦いが待っているアンタにとって、喉から手が出るほど欲しい代物のはずさ」

どこぞの男にも似た意地悪い笑みをニタリと浮かべながら、懐から小物を取り出す。
薬のような液体が入ったガラスの小瓶だった。

「あれ……お前、そりゃ確かシュトロハイムの野郎が持ってた……」

「そ。『ほ・う・ら・い・のクスリ』。当然本物だよ」

蓬莱の薬。
かつて天才薬剤師の八意永琳が世に生み落としてしまった、大罪の象徴。
飲めばひとたび『蓬莱人』……いわゆる不老不死へと変化する薬。
此度の殺し合いにおいては多少なりとも効能がセーブされているにしても、その効果は絶大。
禁忌ゆえに進んで飲む者など、まともな感性をしている者ならほとんど存在しない。それほどに呪われた薬。


「―――蓬莱の薬、だと? キサマがそんなものを……!」


そう。『まともな感性』をしている者なら決して飲もうなどとは思わない薬。
しかしこの九尾は現状まともではなかった。主の為ならばどんな『大罪』ですら犯すこともやむなしと決めた、狂信者。
だからきっと、藍は迷うことなくこの薬を飲む。飲もうと欲するはず。
そこにてゐは目を付けた。交渉ごとで何より大事なのは会話の『主導権』を握ること。
相手の思考・陰謀・策略……そんな見え隠れする意思を紐解く資質が必要だ。
因幡てゐという妖怪は元来、そういった交渉には慣れている。弱者である妖怪兎たちのリーダーを務めている彼女だから率先して談合を行い、時には欺くこともしてきた。
シュトロハイムに蓬莱の薬が支給されていたのは先ほどの情報交換の際に聞いている。交渉の材料としてはこの上ない逸品。
だから藍に吹き飛ばされた後、隙を見て彼のディパックから頂戴させてもらった。

生粋の『詐欺師』だと罵声を浴びてきたのは何もジョセフのみに非ず。因幡てゐもまた、生まれついての『詐欺師』であった。

「この蓬莱の薬を賭けて今すぐ私と『ゲーム』で勝負しろ。じゃなけりゃあコイツは今すぐ私が飲み干してやる」

瓶の蓋に手を掛けながら、堂々と宣言して見せた。
本当のところを言えばこんな厄物、飲みたくないに決まっている。
コレを飲んだ者がどんな末路を辿るのか。いや、きっとどのような末路をも辿ることは出来なくなるのだろう。
てゐの周りには三人の蓬莱人が居る。彼女らの抱える罪や苦しみはとても想像できる世界には無い。
しかし幸運というべきか、今回の殺し合いに限っては蓬莱人といえど『死ねる』らしい。永遠の苦しみなど味わうことはないのだ。

だから『飲める』。いざとなったら自分も飲んでみせる。
それほどの気概を、てゐは死ぬ気で醸し出して見せた。言うまでもなく、藍へとその覚悟を見せ付けるためだ。

「ウサギ風情が随分と上から物を言ってくれる。今すぐに勝負だと? ジョセフとのチンチロはどうなる」

今はジョセフと藍のチンチロ、その最終局面の途中。
てゐが外から傍聴していた限りでは、限りなくジョセフ劣勢の場面だった。
そのゲームを放り出してまで……つまりジョセフへの『トドメ』の機会を逃してまで藍がこの提案を受けるかといえば、希望は薄い。
てゐにとってそこが最も難関。ギャンブルのテーブルに着くまでがまず、この作戦のひとつの鬼門であった。
劣勢のジョセフを救い出す意味も兼ねての、あのタイミングでの乱入。この申し出は何とかして受け入れさせなければ。


「え、と……それはモチロン――――――」

「ナシでしょ! チンチロ勝負はあそこで終了! 終わり! お前はシュトロハイムと霖之助を見事倒せた。そこは認めてやるぜ!
 残念ながら俺は『時間切れ』で倒せなかったみてェーだが、チンチロはお前の勝ち。そう言わざるを得ないっつーコトよ!」


言いにくい申し出に淀むてゐの横で、さも自信満々でジョセフは言った。言い切った。断言した。
あのチンチロに時間制限など設けてはいなかったし、藍のチップかジョセフら三人のチップが全て無くなるまでの勝負だと事前に決めたはずだ。
吹けば飛ぶハチャメチャな理屈。よくぞまあこんな戯言をぬけぬけと言い切れたもんだと、てゐは一周回ってジョセフを賞賛した。コイツは大物だ。

「…………橙。この阿呆のリモコンを押―――」

「わーーわーー待て!! お願い待って!!」

ジョセフも冗談で言ったつもりはない。あのままチンチロを続けていたら間違いなく負けていた。
ならばここは死ぬ気で口八丁をこなし、何とかして藍を納得させるしかない。チンチロを再開させれば、打つ手ナシ。全て終わりなのだ。
何もノーカンにしろとは言ってない。既に仲間が二人やられたのは事実であり、その仇討ちは必ず行わなければならない。

(クッソ~~~! なんか俺ってば、こーいう状況ばかり遭遇しない!?)

ワムウたちに毒指輪を埋め込まれた時といい、どうしてこう毎度毎度崖っぷちに追い込まれるのか。
しかも今回はてゐの勝負に持っていくまでが厳しいうえに、真の本番はそこから始まる。そのトランプ勝負とやらで負ければ皆仲良く全滅だ。


「……てゐ。いくつか聞こうか」

「……か、カモ~ン」

「先ほどからお前はしきりに“私たち”と勝負しろと言い張ってるな。となれば勝負というのは、私とお前たち“二人”の勝負ということか?」

「え~~~っと…………うん!」

「え゛ッ! そ、そーなの!?」

やや口ごもりつつもてゐはハッキリ笑顔で肯定した。ジョセフはその答えを予想していなかったのか、間抜けな顔で大口を開けてしまう。

「当たり前だろ! アンタ、私一人であの九尾を相手取れって言うの!?」

「そ、そりゃまあ、そうだがよ……」

「だったらウダウダ文句言わずに男らしく腹括れ! ハイ決定! 反論は受け付けないよ!」

実に強引にジョセフの勝負参加が決定してしまった。この男を尻に敷く態度、彼の地に残してきたスージーQを思わせる。
しかしそれはそれで悪い展開ではない。人間を下に見てくるあの妖狐、是非ともこの手で制裁を加えたいとも思っていたところだ。

―――問題なのは、この女に『多勢』が通用しないことだ。

ジョセフとてゐがコンビになり、藍と新たに勝負するのはいい。
だが先のチンチロでの不覚、忘れるにしては記憶に新しすぎる。
自信満々で三対一を仕掛けたところで返り討ち。もはや数の利など考えない方がいい。

「その蓬莱の薬が本物だという証拠は?」

「さっきお師匠様が直々に調べた……んだけど、残念ながら物的証拠は無い。まさか飲んで確かめるわけにもいかないし。
 でも信じてよ。これ本物。私、正直者だから嘘つかないウサ♪」

「凄いな。その言葉を信じるマヌケが幻想郷に居たら見てみたいものだ」

ぶっちゃけ言うと、てゐ自身も本物なのかの区別は付かない。
永遠亭の住民でありながら、蓬莱の薬なんてまずお目にかかれる代物ではない。
だがシュトロハイム曰く、永琳は確かに本物だと鑑定したという。ならば本物なのだろう、たぶん。

そしてもうひとつ。てゐはこの会話の中にもさり気なく『種』を蒔いた。
自分と永琳がこの会場にて、既に『繋がっている』というようなニュアンスの種を。
実際の所、てゐ自身は永琳とはまだ会ってない。シュトロハイムのみが彼女と邂逅を果たしただけだ。
しかしこの種の効果は上手くいけば絶大な牽制になる。あの月の天才『八意永琳』が既に自分たちの仲間として動いていることを相手に錯覚させれば、藍とて易々とは動けないだろう。

更にこれは誰の意図したものでない完全なる偶然だが、藍は先ほど『レストラン・トラサルディー』にて鈴仙と、シュトロハイムに化けたスタンドの二名を襲っている。
参加者にしては妙な違和感があったとはいえ、まさかかのシュトロハイムが偽物だとは思わない藍の脳内では、ある図式が出来上がりつつあった。
すなわち『シュトロハイムと鈴仙が繋がっている以上、そのシュトロハイムの仲間であるジョセフや因幡てゐも鈴仙とは仲間である』という構図だ。
この構図の中にも既に『永遠亭』の住人の名前が二つある。となれば先ほどてゐが蒔いた種にも説得力が加わってくる。


『ジョセフたちの仲間には“八意永琳”“因幡てゐ”“鈴仙・優曇華院・イナバ”らが居る可能性が極めて高い―――!』


永遠亭の奴らは厄介だ。
過去の出来事からも藍はそう判断せざるを得ない。ここに“蓬莱山輝夜”の名前まで加わったらもはや手が付けられない。
他の二名はまだどうとでもなるが“八意永琳”と“蓬莱山輝夜”。この両名を一度に相手にするのは愚策だ。
ただの可能性に過ぎない予測だが、厄介の芽は摘んでおきたい。


(少しずつ……腹の中から喰らうように、慎重に崩していくか)


藍は構築した。
この先、必ず激突するであろう強敵との戦いに備えて。


―――『月崩し』の策を。


「…………まぁいいだろう。私の腹は決まった。蓬莱の薬が本物なのかという裏は取っておきたいが……
 不本意だがここはお前を信用しよう、妖怪兎」

「え、ホント? さっすが話の分かるおキツネ―――」

「―――ただし『条件』がある。まずひとつ、『勝負内容』は私が決めさせてもらう」


うぐ、とてゐは小さく唸る。
胸中に生まれるは、小さな焦り。勝負内容を相手に決められるというのは言うまでも無く、大きすぎる譲歩。致命傷にすら成りかねない。

「俺は構わないぜ。お前が勝負の内容を決めろ藍」

迷うてゐの小さな肩をポンと叩き、ジョセフが前に出た。
そもそも此度の勝負の提案は、圧倒不利だったジョセフのチンチロ勝負を中断させてまで割り込ませた掛け合い。
ある程度の譲歩は当然。こればかりは利は藍にある。


「勝負ルールは幻想郷に多少なりとも馴染みがあり、かつシンプルで長くならないものが良いな。
 となれば―――『ババ抜き』などどうだろうか?」

「……バっ」

「ババ抜きィ~~~??」


意外といえば意外。
あの誰もが経験の一つ二つあるだろうトランプ種目『ババ抜き』。
チンチロにしてもそうだったが、このような大衆遊戯で命を賭けること自体、馬鹿馬鹿しい。
だが藍の目はまたしても真剣そのもの。今度こそジョセフを喰い殺そうと企む狩人の瞳。

「いいじゃん、ババ抜き。私だって札勝負の種目にそこまで精通してるわけじゃなし。シンプルなのは良いね」

率先して合意したのはてゐの方。
彼女もトランプ勝負を持ち出した手前、事前に色々と内容の予想はしていたが……『ババ抜き』は悪くない。
少なくとも技術や経験が重要なファクターを担う他の種目よりも俄然やりやすい。てゐにとっては、“特に”。

(理屈で考えればほぼ100%私が勝てる勝負だ……! なんたって私は『幸運の白兎』だぞ!)

てゐが藍に勝っている要素は『運』しかない。
その運の要素によって大きく左右されるババ抜きなら、小細工ナシで勝てる。
勝てる……のだが。

(……でも、コイツ。わざわざ私に対して運勝負なんて、不気味だぞ……! なに企んでのよ……?)

今や手放しで喜べるような状況じゃない。
先のチンチロ勝負でこの妖狐の何を見てきた? 何を見てしまった?
断然有利かと思われたジョセフらに対し、類稀な手腕と先見で圧倒してみせたのは八雲藍の方ではなかったのか。
今度の勝負だって、必ず何かの『意図』があって仕掛けてきたに違いない。
150%の警戒と備えをしなければ、敗北する。喰い殺される。


「……ジョセフ。一緒に勝つわよ、今度は」


一緒に勝つ。
てゐの口から自然に出たその言葉を、てゐ自身、深く咀嚼する。
似合わないな。そうは思いつつも、不思議とコレが悪い気分ではない。
弱者の自分が人間と共に強者である九尾を討ち倒そうだなんて、ちょっと前までなら死んでも言わなかった。
あれもこれも全部霖之助のせいだ、と。
彼女は心の中で彼に舌を出す。


「勝つのは勿論だが……何でわざわざカードで勝負なんて提案したんだ?
 お前があのままチンチロに参入すればこの狐女ともう少しスマートに勝負できる流れになれたと思うぜ?」

「受けやしないよ、この九尾は。運の要素が強いチンチロでよりによって私と勝負なんて、能無しのやることさ」


もっとも、このババ抜きだってどう転ぶか全く予想がつかない。
チンチロよりも遥かにシンプルで、それこそ完全に運次第で雌雄は決する内容なのだから。


「納得してもらえたか? それならば次の条件だ。
 この勝負に私が勝てば蓬莱の薬は当然として、因幡てゐ……お前には私に『協力』してもらおう」

「ひぇ!? 協力!?」


今度はてゐも変な声が出た。
提示された第二の条件。それはてゐの、藍に対する協力要請。
裏を返せば勝負に負けてもてゐだけは殺されることはない、ということにはなる。
しかしこちらも手放しで喜べない。協力する内容については大方想像がつく。

「そうだ。私の手足となり、仲間の月人たちと接触しろ。
 奴らの情報を聞きだして来たり、場合によっては『暗殺』の命も視野に入れる」

途端に鳥肌が立ってきた。
ようするにてゐに『スパイ』のような役目を全うしろと言うらしい。
なるほど、藍からしてみればてゐなどの虫ケラを殺すよりは存分に利用した方が遥かに有用。
対永遠亭組を打ち崩すにはまず内壁から壊していけということだ。利口だが、なんと狡猾な手口か。
諜報仕事だけならまだマシだが、あの永琳を暗殺しろなどという命令を下された日には、二度と朝日は拝めそうにない。

「……おい、てゐ。大丈夫か? 体震えてっぞ」

「あ……う……! ダ、ダイジョーブ……ダイジョーブ……」

もっともらしい条件を叩きつけてきた。ジョセフらが負ければ彼ら三人は殺され、てゐはこの女の軍門に下るというわけだ。
蓬莱の薬による身体改造も加わり、この勝負の勝敗によっては藍の得るアドバンテージは果てしなく大きいリターンとなる。

「以上の二つの条件に了承するなら私はお前の勝負、受けてやろう。どうする?」

藍の浮かべる気味の悪い微笑には、大妖特有の自信がありありと見て取れる。
彼女の中ではこんな勝負、既にして勝ったようなものなのだ。てゐ達が勝つにはその驕心に付け入るしかない。
もとより頷くしかない条件。この提案を受け入れなければ先のチンチロ勝負の再開、すなわちジョセフの『敗北』が現実になりかねない。
てゐが勝つにはもう、ジョセフの協力ナシではあり得ない。


「わかった……やろう。やろうよ。私たちの運命を賭けたババ抜き勝負って奴を」

「こちとら願ったり叶ったりのチャンスなんだ。次は叩きのめしてやるぜ、八雲藍」


グッド。
藍はそう一言呟き、首輪を取り出しててゐに放った。
これを装着することで、もう後には引けなくなる。
首に巻いた首輪は『決意』の証明。その重さに、てゐも腹を括る。

自らの命をチップに、今度は自分自身がこの異変を解決する。その最初の第一歩。
幻想郷を救うだとか、そんな大それた正義感ではない。
ただ何も出来ない自分が惨めに思えて悔しかった。
霖之助にギャフンと言わせたかった。
ジョセフのようになりたかった。
自分のことばかりだ。私は何て自分勝手。
でも、それでもいい。妖怪なんてみんな自分勝手なのだから。


私は今日、初めて自分の運命の為に前へと歩き出す。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「てゐはシュトロハイムと霖之助を少し頼む」


ジョセフに任され、私は首輪にやられた霖之助と軍人のオッサンを壁際に運んだ。
霖之助はともかくこの軍人の図体といったら巨大なもので、しかも見た目以上に重い。カラクリ仕掛けという奴らしい。
おかげで相当に苦戦しながら床を擦り回し、やっとの思いで端まで寄せることができた。因みにジョセフは手伝おうともしなかった。

「霖之助……? おーい、こぉりーん」

念のため呼びかけてみたが、その瞳はうっすらこちらを睨みつけている。何か癪だったから頬をぺちぺち叩いてやった。
どうやら神経毒の効果はその身体を麻痺状態にするらしく、死んでるとか気絶してるわけではないらしい。矢毒にも使われるアレだ。
でも、あくまでも『今のところは』だ。もうあと幾許もすれば、生命に影響が出る。


(……それまでに決着つけてやるからな。だからそこで見てろ、アホ面商人)


コイツに勝手に託された命のチップ、今から倍に増やして返してやるさ。
こう見えて私はギャンブル強いよ。貴方も知ってるでしょ、私の幸運。

一回だけ。一回だけ舞台の立役者になってやる。
この私が、よりによって人間と協力して半妖の貴方を助けてやるって言ってんの。
首輪をしっかりと締め付ける。これでもう、逃げようもなくなっちゃった。
あはは。笑いすら出てくるよ。でも、一蓮托生って言うじゃん? 私たちが負けたら皆死んじゃうんだろうね。

実を言うとさ、少し……震えてる。
勿論、怖いからってのもあるけど……、それ以上に『燃えてきた』。少し、だけどね。
誰かの為に……いや、本当のところは自分の為かも。
どっちでもいいよ。兎に角、自分の安全しか考えてこなかった私が、こうして貴方たちに託されてることに。
今、本当にやる気になっちゃってるの。燃えてんのよ。姫様あたりに見られたら多分からかわれるでしょうね。
貴方の馬鹿が移ったんだと思うよ。だからさ、


―――責任とって、最後まで見届けてよ。





「…………ぁ、……て…ぃ…………」


驚くことにその時、霖之助が僅かに声らしきものを漏らした。
確かに意識はあるようだ。よかったよかった。


「……………………?」


なんだ? 霖之助、何かを『見てる』……?
彼の視線からは、どこか意志めいたものを感じた。
何事かと思い霖之助の視線をそっと追ってみると……

「……橙、か? アイツがどうかしたの?」

確かにコイツの視線の先には『橙』がいた。
その意図なるものがよく分からん。口もパクパクさせてるだけで言葉も出てこないようだ。
何かを伝えようとしているのか……?

だがゴメン霖之助。何のことやらさっぱりだぞ。
さっぱりだけどしかし……コイツの意識があるというのは『運が良い』。ナイスだ。


「貴方の言いたいこと、今はわからないけど……でもこっそり聞いて。
 『トン一回で左。トン二回で右』……だ。“その時”になったら死ぬ気で指動かせ。貴方の指示通り動くから。
 私の言いたいこと、わかるよね?」


私の伝えるべきことはこれで終わり。後はもう、真剣勝負だ。あまりコソコソやってると藍に怪しまれる。


んじゃ、行ってくるよ霖之助。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

ジョセフはチラと時計を見る。現在10時7分。
迫る第二回放送時刻。それまでにはこの勝負も終結させたい。
行儀悪くドスンと椅子に腰を落とし、卓上の椀と賽子を親の仇のように睨み付ける。


――――――負けた。完膚なきまでに、敗北した。


心に積もりゆくは、崩されたプライドの瓦礫。
仲間を伴って挑んだチンチロ勝負は結果こそ途中終了の形ではあったものの、実質的にはジョセフの大敗だ。
てゐの機転が無ければあのまま全滅していた。皆の命を預かった身にして、敗けたのだ。
残ったチップをギリリと握る。託された意志だ。このまま敗けたんじゃあ、あまりにも無念ではないか。


「―――理解し難いな」


てゐから渡されたトランプを一枚一枚改めながら、藍は言った。
かの聡慧にも知り得ない事があるのか。女の言葉の意味を計りかねるジョセフに藍は紡ぐ。

「何故、お前はしがみつく? 奇跡でも見出そうとしてるのか? 巡らないチャンスを願っているのか?
 その朧気で鈍った意志をかろうじて保ち、何故また私を睨みつけられる?
 先のチンチロ勝負は中断でも引き分けでもない。お前の『負け』だった。それを理解出来ないお前ではないだろう?」

その通りだ。
自分ひとりではコイツに『勝てやしない』。それを骨の髄まで理解させられた。
遊戯種目が変わったところで、その事実は忘れようのない真実。
奇跡など幻想。チャンスなど待っても来ない。
如何にしてこの最強の妖怪に勝てばいい? ジョセフはその答えに到達出来ずにいる。
わかるのはただひとつの真実。

「……俺が諦めりゃあ橙はこの先、一生笑うことも出来ねえ。皆の意志だって嘘になっちまう。それだけだぜ」

「詐欺師のような男がいっぱしの粋を語る。そのギラついた瞳…………目障りだよ」

藍の金色の瞳に燻るは、深淵。
輝きを失った色の中にかつての八雲藍は無く、今や心の迷宮を彷徨う怪物。
怪物だ、この女は。


「……トランプに妙な細工も無いな。いいだろう、このままコイツを使わせてもらおう。
 橙。この中からジョーカーを抜き取り、シャッフルしろ。中立のお前がやるのだ」

「ジョーカーを……? おい、ババ抜きやるのに何でジョーカーを抜くんだ?」

「少しルールに興でも持たせた方が盛り上がりはあるだろう。変則ババ抜きだ。
 ババ抜きとはご存知、互いに札を取っていき最後にジョーカーが残ってしまった者が負ける遊戯。
 今回の場合ジョーカーは最初から抜いておき、ババの代わりとなるカードは“ランダム”で決定される。
 そのカードはゲーム終了まで確認不可とする。つまり、どのカードがババなのか分からないババ抜きだ」

「は? それってつまり…………」

ババ抜きではなく、正確には一般で言うところの『ジジ抜き』。
“何が抜かれたかわからない”状態でするババ抜きであり、こうなると終盤近くに成らないと警戒が出来ない。

「シャッフルは出来たか橙?」

「で、出来ました藍さま」

「ならば私とジョセフで一回ずつカットする。好きな場所をどうぞ」

言われるままにジョセフはデッキをカットし、続いて藍もカット。

「よし。橙、一番上のカードを一枚抜き、それを誰にも見せずにしまっておけ」

「…………は、はい」

幼い手が一枚のカードを抜き取り、この瞬間『ジジ』が決定した。
本来四枚ずつあるはずの数字札が三枚に減り、ジジに限っては最後に必ず一枚残ってゲームが終了する。
決して手札に残してはならない、負のカード。これこそがジジ抜きである。


「ババ抜きは結構やるけどジジ抜きは殆どやったことねーんだよな~。あ、橙。抜き取ったジョーカーと外箱は俺が預かっとくぜ」

「……ルールを確認しよう。左回りに手札を取り合い『ペア』のカードが揃えば場に捨て、最後に残った『ジジ』を持っていた者の負けとする。
 負けた者は即首輪発動。お前らが勝てば首輪の鍵と解毒剤をくれてやる。この二つは橙に預けておく。ごくシンプルなルールだ」

「慣れねえサイコロ勝負より、やっぱカードの方が断然やりやすいぜ俺はよォ~。てゐちんはどう?」

「私もいいよそれで。もう、行くとこまで行っちゃおう」


霖之助たちを壁際に寝かせ、傍でルールを聞いていたてゐも着席する。
その首には、命を縛る首輪がしっかりとその存在を主張していた。


「てゐ……ジョセフお兄さん……! わたし―――!」

「何度も言わせるな橙。今のお前は中立の立場だぞ。
 お前は黙って『やるべきことをやればいい』。いいな?」

「…………は、い」


説き伏せるような重圧を受け、橙は頷いた。
その様子をてゐは深く―――深く、観察する。



「それでは始めようか。橙、カードを一枚ずつ全員に配れ。

   ―――正真正銘、これが最終遊戯“ラストゲーム”だ」



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最終更新:2016年03月16日 17:39