『BOTTOMs ~最低野郎たち、地の底で~』

     ◆     ◆


「――――――――――――――――……!」

部屋の隅、壁に背を預けてうずくまっていた少年・ドッピオは、
疲労から来る眠気に危うく意識を手放しかけ、慌てて首を起こした。

そのまま部屋を見回すが――幸い、奴の、あの『化物』の姿は無し。
彼が『ボス』より借り受けているスタンド、『キング・クリムゾン』の額にはめ込まれた
もう一つの顔『エピタフ』で未来を予知するが――そちらも変化は無し。

「やっと、『撒いた』か……?」

と、ドッピオは溜息を付いた。

(まったく、しつこいヤローだったぜ)

ドッピオは右手で鈍く光る『壁抜けののみ』を見つめながら毒づいた。
あの化物、多少の厚さの壁越しならばこちらの位置を知ることができるようだ。
何しろこののみで壁を抜け、奴に見えない所で極力物音を立てないように動いても、
正確にこちらの位置を探り当て、追いかけてくるのだ。

その移動の方法も尋常でない。
地下道を逃げに逃げ、どんどん深くに下っていってようやく辿り着いた
この奇妙な地下宮殿(地霊殿、という名らしい)。
ドッピオはその狭い廊下の一本、その奥の行き止まりの地点で、近くの部屋から調達した家具をデタラメに積み上げ、
即席のバリケードを築き上げた。
無論、目的は奴の足止め。奴の能力から判断するに、バリケードは数分と持たず破壊されるだろう。
だが、それで十分。こちらには壁抜けののみがある。
これを使えば、行き止まりの壁の更に奥に逃れ、奴を引き離し、完全に撒くことができる。

――そう思っていた。
だが、奴はバリケードをすり抜けてきたのだ。蛇のように。
全身の骨格をバラバラに解体し、手足をタコの触手の様にグニャグニャにしならせ、
胴体をピッツァ生地のようにペタンコに延ばし、顔面をパンストをかぶった銀行強盗よりさらに醜くひしゃげさせて、
積み上げられた家具のスキマを、蛇やミミズのようにくねらせて通り抜けてきたのだ。

――まぁ、でも、お陰でちょっと胸がすく思いができた。
あの化物がバリケードをすり抜けて着地する地点を『エピタフ』で予測し、
そこの床に『壁抜けののみ』で穴を開けてやったら、
手足を折りたたんだ奴は穴のフチに捕まることもできず、真っ逆さまに床下に落ちていったのだ。
そのマヌケな光景は中々にお笑いだったぜ。

そういえば、この地霊殿とかいう建物、地下の建物に特有というべき奇妙な構造をしている。
基本は石造りの西洋風のだだっ広い建物なのだが、窓はほとんど無く、
床のステンドグラスから明かりを取っている。
太陽の光が差さず、風も吹かない地底だから、窓が無いのは納得できる。
では床から明かりを取っている光源は何か?
どうやら地底の溶岩らしいのだ。
あの化物ヤローを床下に落としてやった後にこっそりステンドグラスを覗くと、
地霊殿の下には広大な空間が広がっていた。
赤いもやのようなものが立ち込め、あの化物ヤローの姿を確認することはできなかったが、
火成岩や砂に覆われた、荒涼とした土地であることは判った。
どこかドッピオの生まれ故郷・サルディニアの夕暮れを思わせる風景だった。
そして遠方のそこかしこでは、溶岩と思しき赤い光が輝き、床下の空間と、この建物を照らしていたのだった。
この建物は遺跡ではない。元々地底で生活するために造られており、今もヒトが住んでいるのだ。

いまドッピオがいるこの部屋もそうだ。
若い女の住む部屋らしく、フリルがふんだんにあしらわれた妙にファンシーな飾り付けがされている。
壁のハンガーに掛かった緑色の上着は見覚えがある。
最初に仕留めようとした目玉と触手のスタンドを操る女、古明地さとりの服にそっくりだ。
どうやらここは、あの女の住み家らしい。ヘンなところに住んでいるな。

まあ、ここが誰の家かはどうでもいい。
あの高さから落ちたのだ、あの化物も無事では済むまい。
これでようやく、休憩を取ることができる。
兎女にやられたボスもそろそろ復帰できるか?
見回すと――ちょうどいい所に『電話』が転がっていた。

ドッピオは受話器を拾い上げ、顔の傍に当てた。
そして虚空を見つめて

『つー、つー、つー………』

と口から待ち受け音を発した。

「くっそ! いつまで寝てんだよ、ボス……!」

苛立ちと心細さからドッピオは思わず声を荒らげ、
『ちぎれたコードのぶら下がる受話器』を乱暴にポケットに押し込んだ。
そして、傍にあったタンスの中からタオルを引っ張りだし、それを乱暴に引き裂くと、
えぐられた右肩の傷口に巻きつけ、止血した。
こうして傷の手当てができるのも、今のうちだ。
『一つしかない』身体だ、大事にしなければ。

ボスのためなら、この命惜しくはない。
この僕の身体が、どれだけ傷つこうとも構わない。
あの化物だって、すぐに刺し違えてでもトドメを刺しに行ってやりたい。

だが、この身体は――

『……ボス……そこに……いた……のですか?』
『確かに そこにいるのなら …………ボス 完全に ぼくたちの 勝ちだ』

ドッピオがこの幻想郷に呼び出される直前の、最期の、最期だったはずの光景がフラッシュバックする。
『矢』を手にした暴走状態の『シルバーチャリオッツ・レクイエム』を追う、
ジョルノ、トリッシュ、ミスタ、そして、この世で最も尊敬するボス――の声で話す、
忌々しい男、ブチャラティ。

『シルバーチャリオッツ・レクイエム』の能力は、人々の精神を無差別に入れ替えるスタンド。

ドッピオが見たトリッシュはまるでミスタがそうするような、堂に入った仕草で拳銃を構え、辺りを警戒していた。
ドッピオが見たミスタは、その筋肉質な体型に似合わぬ女性的な仕草で、ドッピオの方を振り返っていた。
生まれて初めて聞くボスの肉声で話す男は、ブチャラティのスタンド『スティッキー・フィンガーズ』を宿していた。
そして――死にゆくブチャラティの肉体にドッピオを残し、ボスは『そこ』へ、トリッシュの魂へと取り憑いていった。
『矢』の秘密を暴き、勝利をつかむために。

ドッピオとディアボロの周囲でデタラメに入れ替えられた『5つの魂』と『4つの肉体』。
ブチャラティの魂が入ったのが敬愛するボスの肉体だとして、ドッピオ自身の肉体はどこへいってしまったのか?
ドッピオはふと、そんな疑問を抱いた。

「………………ぐおっ! 痛ッて!!」

と同時に、ドッピオの頭を激痛が走った。
バリバリと紙が少しづつ引き裂かれるような音が、頭がい骨の中、左側から聞こえる。
まるで脳が少しづつ破壊されていくような響きに、ドッピオは恐怖した。

「くそっ……あの兎女め……」

思えばこの酷い頭痛も、スタンド能力の不調も、ボスが帰ってこないのも、すべてあの兎女が原因だ。
このゲームとやらの優勝うんぬんは抜きにしても、あの女だけは生かしておけない。
いずれ絶対に始末してやる。

――だが、今は無理をしてこの身体を失う訳にはいかない。

ドッピオは再起を誓いつつ、再び部屋の隅に座り込み、傷ついた心身を休めるよう務めた。
野生に生きる獣のように、すぐにでも臨戦態勢に入る気構えを残しながら。

ボスを『王の中の王』として、再び『永遠の絶頂』に押し上げる。
ボクはそのための『兵士』だ。ボスの為なら、どんなことだってする。
どんな屈辱だって受け入れる。
例えボクとボスがどんな存在だったとしても、その意志だけは偽りのない真実だ。



     ―     ―

この地を知る者には『旧地獄跡地』と呼ばれる処の入り口で、その男は突っ伏していた。

「GUUOOH……」

サンタナが唸り声と共に目を醒ます。
胸板をこするのは岩と砂利の感触。
鼻孔に入り込んでくるのは、火山性ガスの臭気。
周囲を取り囲むのは、やはり岩だらけの荒涼とした風景であり、遠くでは溶岩と思しき輝きが見える。
体を起こし辺りを見回しても、つい先程まで追い回していた赤い守護霊を操る人間の姿は無い。

そうだ、とサンタナはこれまでのいきさつを思い返す。
オレはあの人間を追っていて、貧相なバリケードを通り抜けてきたと思ったら――。
あの男の持つ妙な道具で床に穴を開けられ、ここに落とされたのだ。
天を仰ぎ、落ちてきたはずの場所を見上げるが――遠すぎる。
辺りにガスが立ち込めているせいもあって、サンタナの上方にあるはずの、あの建物は影も形もない。
サンタナはハッとして、体の中に押し込んでいたデイパックを脇腹からひねりだした。
そしてデイパックの中の『紙』の一枚を開き、中に収められていた時計を読んだ。

――相当の時間が経ってしまっている。
あの男に一杯喰わされてここに落とされた後、オレはそのまま結構な間、気を失っていたらしい。
相当に疲労していたのだ。無理もない。
だが、その疲労もこうして休んだお陰で、ある程度は回復した。
あのひときわ知能の低そうな人間から奪った手足も、馴染んできている。
急がねばならない。日中に地上に逃げられてしまっては、追跡は夜までお預けとなってしまう。
そうだ、あの赤い守護霊使いの人間は、オレが殺す。

奴が手に持っていた、穴を開ける道具は中々に使いでがある。他の誰かに奪われるのは惜しい。
――が、それ以上に、人間などという劣等種が、
波紋や、あのような守護霊などという異能を操るのが、実に――実に気に食わない。
物体をバラバラにする力を持つ、黒髪の男の守護霊。
オレの手足の換えにしてやったあのド低能ヅラでさえ、その右手で何もかもを削りとって消滅させる守護霊持ち。
オレが今追い回しているあの少年も、こちらの動きを的確に読んでいるとしか思えない立ち回りで、
追跡をこれまでかわし続けてきている。

人間だけではない。
オレも初めて見る、未知の種族たち。
背中からコウモリの翼を生やした小娘は、その体から紅い光を放ち、オレに直接触れても喰われることなく、
逆に俺を弾き飛ばした。
最初に遭ったツノの生えた小娘も、火の玉を飛ばす、身体を霧に変える、
鎖で縛り付けて体力を奪うなどの多芸ぶりを見せていた。まあ、奴は返り討ちにして喰ってやったのだが。

そうだ、脆弱な種がどれほどの異能を身につけようと、結局は種族の差を覆すには至らない。
オレはどんな異能さえも跳ね返す偉大な種だ。そうでなければならない。
――それが、流法【モード】という異能をモノにすることができず、
同族からも見放されたオレに残された、最後の拠り所なのだから。
今度こそ、オレが偉大な種であることを、かの劣等種族どもに示さねばならない。

こうして赤い守護霊使いの人間を再び追うべく立ち上がったサンタナは、
足元に一対の車輪の跡が通っていることに気づく。
たどって行くと、すぐに岩壁に沿って登ってゆくつづら折りの長い坂道が見つかった。
岩壁に造られた曲がりくねった坂道は、はるか上に向かって続いている。
坂道にはやはり、車輪の通った跡が刻まれている。
硬い岩の上にさえ刻まれた轍(わだち)。何回も、何百回も通った跡のようだ。
車輪の付いた荷車か何かで、繰り返し何かを運んでいたのだろう。
ここを通れば、先ほどまで少年を追いかけていたあの建物に戻れるに違いない。

人間から奪った足の感覚を確かめるように、サンタナは坂道を登ってゆく。
――長い。そして、高い。遠目で見た時、坂道の頂上が見えないことから判っていたことなのだが。
サンタナも、仮にも『柱』の末席。この程度の坂道で消耗する体力など、問題ではない。
だが、この高さで足を滑らせ、万が一でも頭から落ちたら、いかに偉大な種とはいえただでは済まない。
奴らに、『脳を破壊されたら死ぬ』と名言されているのだ。
だから落ちたらただでは済まないハズなのだが――
オレはついさっき、この坂道のてっぺんと同じ高さから頭から落ちて、
こうして無傷でピンピンしているぞ? これは一体どういうことだ?

――サンタナはまだ知らない。
偉大な種族でありながら、偉大な種族としての誇りを失いつつある彼だからこそ、
辿り着きうる境地が存在するということを。



     ◆     ◆

じっとうずくまっていたドッピオが、ハッとして首を起こした。
奴の足音が聞こえる……!
ピタリ、ピタリと、裸足で石造りの床を歩く足音が微かに聞こえてくる。
あの原始人、生きていやがった。

ドッピオは耳を床につけ、足音に聞き耳を立てた。
――この俺を探し回っている。
奴の能力をもってすれば、いま隠れているこの部屋がバレるのは時間の問題だろう。
こちらから打って出て、始末してやる。
奴があの高さから落ちて生きていたのは驚いたが、まあ想定の範囲内だ。
それでもある程度休む時間を稼いだおかげで、1回か2回かは『時間を吹き飛ばす』能力を使うことができる。
『時間を吹き飛ばす』ことさえできれば、あんな奴すぐに始末できる。
わざわざここで休憩を取ったのは、万一生きて床下から登ってきた奴を確実に始末するためでもあるのだ。

ドッピオは奴が近づいてくるのをじっと待ち伏せた。
奴の足音に近い方の壁に耳を当て、『エピタフ』の予知に目を凝らす。
『壁抜けののみ』を握る右手に、自然と力がこもる。
奴ならこの位置はすぐ気づくに違いない。
奴がドッピオの待つ壁の真裏に現れた瞬間、『キング・クリムゾン』を発動して時間を吹き飛ばし、
『壁抜けののみ』で壁をくりぬいて、奴の背後に回る。そして脳天を叩き割る。
大丈夫だ、オレとボスの『キング・クリムゾン』ならできる。やってみせる……!

ドッピオはその瞬間をじっと待った。
ゴキリゴキリと何かが折れるような音が聞こえてくる。
奴は先ほどと同様に、全身の骨をバラバラに解体してバリケードをすり抜けようとしているのだ。
オレの部屋に近づいてくる……! 限界まで引きつけてから、やってやる……!

だが、奴の骨の外れる音は突然、ピタリと止まる。
そして、走り去ってゆく足音に変わる。
オレの待ち伏せがバレたのか!? どこから来る!?
『エピタフ』の予知は――!

(なんだ、コレは!?)

エピタフの予知は、部屋の出入口の扉のすき間から、『紅い煙』が流れこんで来ているビジョンを写した。
10秒後、そのビジョン通りに出入口の扉のすき間からは紅い煙が。
敵襲だ。奴とは違う、新たな敵がこの地霊殿にやってきたのだ。
奴は新たな敵の襲撃を察知して、オレの追跡を切り上げたのだ。
それにしても、この『紅い煙』は何だ? スタンド能力では無い様だ。
床下の空間に広がっていたガスとは異質に見えるが、毒ガスの類か?
気休め程度にはなるか、とドッピオは先ほど部屋で調達したタオルにペットボトルの水を浸し、
防毒マスクの代用としようとしたが、すぐに取りやめた。
エピタフの予知は、すっかり『紅い煙』、いや『紅い霧』で満たされたこの部屋の中でも問題なく呼吸するドッピオを写している。

(毒ガスではないか。だが……!)

部屋の中を満たし始めた『紅い霧』は、だんだんと濃度を高めてゆく。
このままでは、視界が利かなくなる――。 目眩ましなのか?
既に個室としてはかなり豪華な広さのこの部屋は、反対側の壁を見通すことができなくなっていた。

(『視えない』んじゃあ、予知が役に立たねえ……!)

『エピタフ』はドッピオの周囲の未来のビジョンを見せる能力。
この『紅い霧』で真っ赤に染まりつつある空間では、その効果は激減してしまう。
この地霊殿を『紅い霧』に染めた奴はいずれ殺さなければならないが、ここは一旦退く。
部屋の中の、地霊殿の外壁につながると思われる壁に向けて"のみ"を向けようとしたドッピオだったが――!
足元からジッパーの音が忍び寄ってきているのに気づいた。

(この音は……『スティッキー・フィンガーズ』! ブチャラティの奴、生きてやがった……!)

ドッピオは直感する。
恐らくこの紅い霧は、ブチャラティの仲間の誰かによるもの。
『キング・クリムゾン』の能力の一つ、『エピタフ』を封じるための策。
つまり奴らは、他でもないこのオレを仕留めるためにこの地霊殿にやってきたのだ。

(ジッパーの音が、こっちにまっすぐ向かってくる……くそっ、なぜオレの位置が判る!)

『キング・クリムゾン』による『時間を吹き飛ばす能力』の連発ができる状況なら、
一人ずつ相手をして全滅させてやってもいい。
だが、今はできない。精神力の回復が追い付いていない。
繰り返すが、『時間を吹き飛ばす能力』の発動は2回がせいぜいだ。
半裸と、ブチャラティと、紅い霧を出すブチャラティの仲間。
3人を確実に仕留めるには足りない。
残り1人も『時間を吹き飛ばす』ことなく戦って勝てない相手ではないだろうが、
それでも負傷は避けられないだろう。
この身体をこれ以上傷つけるのは(何故かよく分からないが)マズイ。
――だから、ここは退く。戦略的撤退だ。
あの半裸が、ブチャラティかその仲間のどちらかを片付けてくれれば助かるのだが――。

ドッピオは『壁抜けののみ』で外壁に円をなぞろうとする。
だが、外壁に向かう壁はドッピオがくりぬくまでもなく、ひとりでに開いたのだ。
真鍮色の、人一人が通り抜けられるほどの巨大なジッパーによって。
壁向こうの暗闇から、静かな殺気をたたえた視線がドッピオを射る。
現れたのは、ドッピオも知る、白いスーツに黒髪のボブカットの――裏切り者だ。


「見つけたぞ、ディアボロ……旧地獄……貴様にはお似合いの場所だな」

「ブチャラティか……ボスは今忙しいんだよ……」


そういうとドッピオは後ずさり、ブチャラティと距離をとるように走り出した。
ブチャラティが後を追うように動き出す。

目指す先は地霊殿のどこかで勃発していると予想されるもう一つの戦いの場。レミリアと原始人の戦闘。
ブチャラティにとっては戦いを1体1×2から2対1対1として数的優位を得るための。
ドッピオにとっては混戦状態でキング・クリムゾンを最大の効果で発動するタイミングを得るための。
奇しくも、二人の狙いが奇妙な一致を見せた。
地霊の館を、二つの魂が走りだす。



     ◯     ◯

時間は、数分前に遡る。

地霊殿に足を踏み入れたブチャラティとレミリアが、緊張した様子で言葉を交わしていた。

「奥から上がってくる魂が一つ。……隅の方の個室らしき場所で隠れている魂が一つ。
 隠れている方がディアボロだ……間違いない」

「本来は怨霊の封じ込められた所だというのに、あいつらはいないようね」

「ああ。感知できる魂はお前を含めて三つだけだ。……怨霊がいたら何かマズいのか?」

「ええ、怨霊は人や妖怪に取り憑いてそいつを操ろうとするのよ。
 人なら怨霊を祓えばそれで済むけど、私たち妖怪が取り憑かれたら命に関わるわ」

「人でも、命に関わるんじゃないのか?」

「……妖怪は精神の在り方に依存した生き物なの。
 あまりに長い間怨霊に取り憑かれ続けて、その妖怪の在り方を規定する行動を取らなくなってしまったら、
 ……そして、本来のその妖怪としての在り方を誰からも忘れられてしまったら、
 そいつは怨霊が抜けた時、どうなってしまうのでしょうね?
 少なくとも、取り憑かれる前と同じ、とはいかない。
 そうなれば、元の妖怪は死んでしまったのと同じよ」

「やはり、人にも効くんじゃないか?
 俺たち人間だって、怨霊か、何かに操られて犯した罪は、怨霊が抜けた後も残り続ける。
 『怨霊が憑いていた』と周りに信用してもらえなければな。
 そうなれば、社会的には死んだも同然だ」

「それも、そうね。
 ……この床の血は、地下に下りてからここまで、ずっと同じ血液型のものが続いているわ。
 紅いスタンド使いの、あいつの血よ」

レミリアは指先に取った血を舐め取りながら言った。
吸血鬼である彼女は、血の味で血液型を判別できるのだ。

「同じ血液型の誰かとすり替わったのでなければな。
 ……もっとも、こうして追跡の手がかりとなる血さえ止める余裕のないあいつに可能ならば、の話だが」

「恐らく、あの原始人に追い回されているのね。……ディアボロと原始人。ここにいる魂の数と一致するわね」

「ああ。そして、ディアボロを仕留めるチャンスは今しかない」

「『キング・クリムゾン』。……『ごく近い未来を予測し、時間を吹き飛ばす』スタンド。
 スタンド自体の破壊力も超強力。確かに話に聞く限り、戦いにおいてはほとんど無敵に思える能力だわ」

まさか咲夜を殺したのもディアボロなのでは、という憶測がレミリアの脳裏をよぎった。
相当に制限されているらしいとはいえ、『時を操る程度の能力』を持つ咲夜を
本気の殺し合いで殺害しうる手段は、やはり時間に関わる能力なのではないか、その程度の根拠だったのだが。

「……だが、今は無敵ではない。あの原始人を始末できずに逃げ回っているくらいだからな。
 恐らくだが、『時間を吹き飛ばす』ことができるほどの精神力が回復できていないんだ。
 ……俺たちがここに到着するまでの時間で多少は回復できたのかも知れないが、
 むやみに連発できる状態ではない、と考えて良い」

「そういえばあのディアボロって奴、さっき見た時もなんだか足取りがおぼつかなかった様に見えるわ」

「『矢』がこの手にない現状、『キング・クリムゾン』を破るのは、使い手が消耗している今しかない」

「ねえ、ブチャラティ? ……このままディアボロと原始人が潰し合うのを待ってから、
 残った方を片付ける……って手もあるんじゃないかしら」

「いや、奴らのケジメは可能な限り俺たち自身の手でつけたい」

「……フフ。愚問だったわね。私も同じ意見よ」

「……それに」

「……時間が、無いのね」

「ああ」

「……もう奴らが潰し合うのを待っていられないという訳ね」

一度死したブチャラティがジョルノから与えられた生命の残り火は、今にも燃え尽きつつあった。
もしここでブチャラティが倒れたなら、最悪レミリア一人で二人の相手をするハメになる。
奴らが一時的に手を組む可能性も、決してゼロではないのだから。
――だが、死に近づき、肉体を脱しつつあるブチャラティの魂は、ある能力をもたらしていたのだ。

「ところでブチャラティ、魂の位置が探知できるっていうのは、本当なのね?」

「ああ。代わりに、視覚はもうじきダメになりつつあるが。
 視界が暗くなってくるのがわかる……じきに魂の宿らない物体は見えなくなるだろう。
 だがそのお陰で、地霊殿の壁を透かして、奴らの位置を探知できる……」

「……どんな見え方なの、魂って?」

「基本的には生きている時の姿と変わらない。
 但し、スタンドの様に半透明で、全体的に単色の色が付いている。……魂の色、とでもいうべきか。
 ヒトのシルエットが灯火のように輝いていて、遠くからでも結構よく見えるんだ」

淡々とした調子で、ブチャラティは話す。
自分が刻々と死に近づいていくのを、全く怖れていないかのように。
レミリアはこらえきれなくなり、ブチャラティに尋ねた。

「……貴方は、死ぬのが怖くないの」

「死を全く怖れない人間なんて、存在しない。
 俺だって、怖かった……ジョルノと、俺の意志を継いでくれる同志と出会うまではな」

「また、ジョルノなのね」

ブチャラティの父は麻薬に殺された。
麻薬の取引現場を偶然目撃してしまった彼は、口封じにチンピラから襲撃を受け、その傷が元で死んだのだ。
一方、父を守るため口封じの刺客たちと戦い、殺人という罪を負ったブチャラティは、
ギャング組織の構成員となるしか生きる道がなかった。
だが、そのギャングこそがまさに麻薬の元締めだった。

父を殺し、多くの子たちに不幸をもたらす麻薬をばらまく行為に加担せざるを得なくなったブチャラティ。
しかし麻薬の流通を止めるため、ギャングの上層部に反抗することなど、到底不可能。
ブチャラティのような下っ端から上層部への接触方法は、ギャングの組織では厳重に秘匿されていたからだ。
その上、組織への裏切りは惨たらしい死によって償わされる。
ブチャラティにはどうすることもできなかった。ただ、組織に従って、『死なないでいる』ことしかできなかった。
そんな彼が麻薬で潤う組織の一員であることに慣れてゆくのを実感することは、
まさにゆっくりと死んでゆくことに等しかった。

そんな、『死なないでいるために、ゆっくりと死んでゆく』だけだった彼の前に、
ジョルノという『灯台の光』が現れた。
ブチャラティと同じく、『今のギャング組織を変えたい』と意志を同じくする仲間。
ジョルノの登場以降、ブチャラティを取り巻く状況は坂を転げる石の様に急展開を迎える。
ブチャラティは幹部に昇進し、正体不明だった組織のボスとの接触に成功するまでに至ったのだ。
それだけで、ブチャラティにとっては十分過ぎる成果だった。
もし自分が死んでも、ジョルノがその後を継いでくれる。
彼はそれを成すだけのものを、全て備えていた。

もうブチャラティが為すべきことは、その命燃え尽きるまで自分の意志に殉じること、ただそれだけだった。

「ブチャラティ……貴方は『意志』を継ぐ者さえいるなら、自分の命はどうでもいいっていうの?
 人間のそういうところ……理解に苦しむわ。それじゃまるで、意志の奴隷じゃない。
 もし貴方がジョルノと、意志を継ぐ仲間と出会っていなかったら、貴方はどうなっていたっていうの?」

ブチャラティは、しばし目を閉じた。
そして数秒となく、こう答えた。

「どうだろうな……恐らく、いつかどこかのタイミングで……
 たった一人でも、自分の意志を貫くために、行動を起こしていたと思う。
 どんなに無残な結末が待っているとしても、自分の心が死んでいくのには耐えられない……だろうな。
 結局……自分の心を裏切ることはできない。
 お前のいう、意志の奴隷っていうのは、案外的を得ているのかも知れない。
 でも、それで良いと思う。俺のこころから生まれ出る『意志』というものは、人間の心の中に存在する、
 最も清らかなもの、聖なるものに違いないだろうから」

「聖なるもの……吸血鬼で悪魔の私には、やっぱり縁遠い話だわね」

「そうか? ……お前なら、すぐにわかると思うが。
 ……さあ、レミリア、『アレ』をやってくれ」

レミリアが小さく頷くと、二人は地霊殿の奥へと向き直った。
そしてレミリアは左手を胸の前にかざし、手を広げ、指を下に向けて差し出した。
すると、紅い霧が彼女の手から流れ出し、周囲の空間を紅で塗りつぶし始めた。

「……力が制限されているとはいえ、この建物を『紅霧』で満たすくらい、訳ないわ。
 本調子なら幻想郷中の日光さえ遮るくらいだもの。
 ……じきにこの中は3メートル先さえ見えなくなるほどの濃度になる」

レミリアはかつての『紅霧異変』を、ここ地霊殿で再現しようとしているのだ。

「これなら、『キング・クリムゾン』の予知で見える範囲もだいぶ抑えられるはずだ。
 確か地霊殿の床下には広い空間が広がっていて、障害物が無いんだったな? 
 俺は床下から行く。壁や柱がいつ見えなくなるか分からないからな。お前は大丈夫か?」

「夜の王たる吸血鬼に、闇の中で動けるかを心配する奴がいる?」

レミリアは背中のコウモリの翼をはためかせ、既に下半身を床下に潜らせたブチャラティに答えた。

「フッ……すまない。俺はディアボロをこの広い廊下へおびき出す」

「……ねえ、ブチャラティ。やっぱり、わからないわ。
 そんな体になるまで戦って、傷ついて、短い命を終えてしまう貴方にはなにが残るというの?
 何のために戦っているの?」

「……結局の所、性分、なのだろう。
 きれい好きの人間が散らかったゴミを放っておけないように、
 几帳面な人間が裸のCDを放っておけないように。
 俺は……人が悲しむのを見るのが嫌なんだ。
 だから、悲しみをいたずらに増やす麻薬をどうにかして止めたい。
 この体朽ち果てても、何かせずにはいられないんだ」

「悲しきサガ、か」

「否定は、しない。
 ……そろそろ霧が地霊殿を満たした頃じゃないか?」

「もうじきよ。ねえ……ブチャラティ……貴方はもっと、自分を大切にした方が、よかった。
 もう……手遅れ、だろうけど」

「俺はいつだって自分の心は極力大切にしている。……ジョルノが生き返してくれた心だ」

「違う。……心じゃない。体とか、お金とか、もっと表層的なものを。人間は心だけじゃ生きられないのよ」

「それこそまさに手遅れだったな。せめて15年前の俺に言ってやるべきだった。
 ……もっとも、結果は変わらないだろうが」

「……でしょうね。スタンドなんてモノを出すほど強い心の持ち主だもの。
 自分の心に振り回されるのは……それこそ貴方の運命なのでしょうね」

「……レミリア。もう良いか?」

「頃合いよ。……じゃあ」

「「行くぞ!」」


ブチャラティは床下に全身を下ろし、床裏にジッパーを走らせた。
ジッパーのスライダーにぶら下がり、向かう先はディアボロの魂の灯火。
奴のスタンドビジョンと同じ色の、紫がかった赤――クリムゾンレッドの灯火である。
奥の下り階段から登ってくるのは、無色の魂。
白とも、黒とも、透明とも違う、色味のない色。敢えて表現するならば、からっぽの色である。
あの原始人らしい色だと、漠然と納得する。
そして、背中を預けるのが、ディアボロとはまた違う、紅い魂。
やや黄みがかった鮮やかな赤、スカーレットの輝きを放つ魂を背に、
ブチャラティは地底の宮殿のさらに底を進んだ。


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最終更新:2015年11月12日 02:28