DAY DREAM ~ 天満月の妖鳥、化猫の幻想 前

『マエリベリー・ハーン』
【?】?-? ???????


―――私は星を見ていた。


廃れた石段から仰ぐ満点の星空は、地平線から天頂にかけて光の砂粒のように広がっている。
光害のない澄んだ空気の空に広がる星の海を見ていると、日常の悩みしがらみなんかすっかり忘れてしまいそう。
持参してきた温かいお茶を水筒の容器に注ぐと、コポコポと小気味良い音と共に湯気が立ち昇った。
フーフーと息を吹きかけ、少し冷ます。私はちょっぴり猫舌なの。

チラリと腕時計に目をやる。いつかの誕生日記念に親友から贈られた大切な時計だ。
針は23時32分を過ぎたところで、私はいつもの事だと分かっていながらもいつも通りの溜息を吐く。
そんな私の姿を見計らったかのタイミングで、この静かな空間に似つかわしくない露骨な足音と聞き慣れた元気溌剌な声が響いた。


「やー遅れちゃったよ、メンゴメンゴ! 今日は2分19秒の遅刻かな?」


神社の石段の下から駆け上がってきたのは、我が親友であり相棒でもある宇佐見蓮子のバイタリティー溢れる姿。
トレードマークであるいつもの黒い帽子と赤いネクタイに、今日はマフラーとカーディガンを着こなしてのスタイルだ。
蓮子と待ち合わせをすると毎回私が彼女を待つ羽目になるのはもはや秘封倶楽部の風物詩であり、今夜もやっぱり私はこの寒空の下で体を擦りながら暇を潰すことになった。

「あのね蓮子、人がシャーベットアイスになりそうな気温の中待ってたっていうのに、第一声がその台詞なの?」

「だから謝ったじゃないー。お詫びにさ、ホラ! シャーベットじゃないけどアイス買ってきたんだ。一緒に食べようよ」

とても反省しているようには見えない態度で蓮子は私にストロベリーのカップアイスを手渡した。
大晦日の深夜、この寒空の下で私は何故コンビニアイスを食べなくっちゃあいけないのだろう。せめて体が温まる物をお土産に選んで欲しかった。

「寒いからこそのアイスじゃないの」とは蓮子の弁。わからないでもないけど、この仕打ちはあんまりよね。
大体、時間が正確にわかる能力を持ってるクセに、そのうえで遅刻するとは宝の持ち腐れとしか言えない。
そろそろわざとやってるんじゃないかと思えてきた。

「まぁまぁ、せっかくの年越しなんだしいつまでもむくれてるとキュートなお顔が台無しだゾ♪」

ちょっぴりムカついたのでほっぺをひっぱたいてやろうかという思考が過ぎったけど、それはやめにしてアイスの蓋を顔面に投げ付けてやった。
好物のストロベリー味といえど真冬に食べるのはやっぱりふさわしくない。せっかくだから頂くけど。 …あ、美味しい。

「あはは。メリーったらわかりやすいよねー。じゃ、私も頂きますか! 横失礼~」

袋からバニラアイスとついでにお酒を取り出しながら蓮子は私の隣に腰掛けた。
それから、私たちは何も言わずお互い同時に空を見上げた。

数瞬の静寂。


今日は12月31日。大晦日だ。
この場所は都心から少し外れた場所にある、寂れた神社の境内。
長い長い石段を上がった先にある、私たち2人だけが知ってる秘密のスポット。
眼下には都会の人工光群。真上には自然の光輝。人工と自然の境目に位置するこの場所は私のお気に入りだった。
石階段を一段一段上がるたびに有像と混沌から解き放たれ、朧気で虚ろな境界線へと踏み込んでいくこの感覚。
だからなのか、この場所は『結界』の紐がゆるい。
この世のどこかであり、どこでもない世界に近しい場所。

そんな魅力的な土地で私と蓮子は、毎年正月を迎える。
「これから毎年ここで年を越そうよ!」そう言い始めたのは確か蓮子の方からだったかな。
それからは毎年この場所にお互い集まって、夢を語ったり、次に行くオカルトスポットなんかを決めたり、安物のお酒を呑み交わしたりするようになった。
今年も終わりが近づいて、いつもの様にこの場所へと赴いて。
いつもと同じ様に蓮子が遅刻して。
いつもの同じ様な会話をして。
いつもと同じ様に笑い合って。




―――あれ?




いつもと同じなはずなのに、いつもとは何かが違う『違和感』。
どうしてだろう? だって今蓮子としているこの会話もいつもと同じ普通の会話なのに。
お昼にカフェで食べたフルーツパフェの話だとか、蓮子と一緒に行ったハーブティのお店の話だとか。
全部いつも通り。大学のカフェで蓮子と話すような内容と何ひとつ変わらないのに。
だってこの後、きっと蓮子はいつも通りのくだらない話をしだすわ。
昨日はそんなに呑んでいないはずなのに妙に頭がズキズキするだとか、本当にどうでもいい話をきっとしだす。


あれ? どうして私は蓮子がこの後話し出す内容がわかっちゃったのかしら?

…そうだ。『違和感』の正体はこれよ。

さっきから私は、蓮子と会話する内容がなんとなくわかっちゃってるんだ。
次に行くオカルトスポットの場所も、明日の初詣はどうするかっていう内容も、全部、ぜーんぶ私にはわかってる。
あらかじめ未来の記憶を刷り込まされたような、デジャヴ…みたいな感覚?
だから、私の目の前で喋り続ける蓮子は次にきっとこう言うわ。


「……うぅ、頭痛い。おっかしいなぁ、昨日はそんなに呑んでいないはずなのに」



私の予想通り、蓮子が頭を押さえながらぼやいた。

ああ、そうか。これはもしかしなくても、夢なんだ。

そろそろ年も移り変わろうかという間際になって、私は驚くほど素直にその認識を受け入れた。
そうよ、これは夢。全て私の幻想なんだわ。
だってそうじゃなきゃ説明が付かないんだもの。
私の右手にいつの間にかあの『白楼剣』が握られているなんて。


直後に、ガチャンと空にヒビが入った。


世界から急速に色が失われ始めていく。
夜空の光も。眼下の喧騒も。目の前の蓮子からも。
世界がモノクロに混ざり、『ねずみ色』の境目へと吸い込まれていく。
カランカランと、握っていた白楼剣が音を立てて落ちてしまった。

「ねぇメリーどうしたの? 顔色悪いわよ、あなたも二日酔い?」

気付けば私の体は汗でグッショリ濡れていた。
俯く私を、蓮子が心配そうに覗き込んでいる。


私は…私はこの場所を知っている!
このねずみ色の世界を知っている!


「…メリー。具合が優れないようなら少し眠る? 私の膝を貸しても良いよ、返すなら」

冗談じゃないわ。この寒空の下で眠ったらそれこそ二度と起きられない。何言ってるの蓮子。

「それもそうね。じゃあそろそろ『起きる』? こんな世界、つまんないでしょう?」

……? 『起きる』ですって? 本当に何を言い出すのよ蓮子。

……あぁそうよね。やっぱりここは夢の世界なんだ。
でも、やっぱり私はこの場所を知っているわ。
白黒テレビ色の竹林。表情が真っ黒いシルエットに覆われたポルナレフさん。彼の額に潜むドス黒い『芽』。
私は、またしてもこの世界に放り込まれている。このままだと…

「そうね。このままだとメリーが目覚めなくなっちゃうわね。
 だったらさ……『こっち』に来なよ、メリー。抗うことなんてないわよ。
 『なるようにしかならない』という力には無理に逆らっちゃ駄目なんだから」


口に微笑を掲げた蓮子が、蹲る私を見下しながら手を差し伸べている。
思わずその手を取りそうになった。
どこかで除夜の鐘が鳴り響いている。
視界の端に映った腕時計の針は、零時を回っていた。


「Happy New year! おめでとうメリー! そして
 Happy New world! 『新たな世界』よ! こっちへおいでよメリー!」


いつかどこかで聞いたことがある、そんな言葉だった。
どこだろう……? どこで聞いたんだっけ……
視界がグルングルンと揺れる。
虚無の星空が私をジッと見つめていた。
あまりの居心地の悪さに、私は蓮子の手を取ろうと腕を伸ばし――


カタン


右手が地面に転がっていた白楼剣に触れた。


「さぁ、目を覚ますのよ
 夢は現実に変わるもの
 夢の世界を現実に変えるのよ。 ……そうでしょう、メリー?」


私の友達―――宇佐見蓮子の言葉が、脳内を駆け巡る。
軋む頭で、私は無意識に白楼剣を拾い上げた。


「なんなら、試しにその剣で私の『芽』を貫いてみる…?

 私、メリーになら何されてもいい か も 」


そう言って蓮子は帽子を脱ぎ捨て、その綺麗な髪を私の前にさらけ出した。
蓮子の瞳は、いまやなんの光も映さない真っ黒な虚無に纏われている。
彼女の両手が私の肩を掴んで離さない。私は生まれて初めて、蓮子の事を『怖い』と感じてしまった。


蓮子の瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。
ダメだ。私は彼女に抗えない。彼女の世界を、壊せない。
いつの間にか私の頬には雫が伝わっていた。
なんで…? 蓮子の事が怖いから?


ううん、違うわ。私はきっと―――


「嬉しいわメリー。私のために泣いてくれてるの?
 私だって…泣きたいぐらい嬉しいんだよ? だって貴方とまた生きて出会うことが出来たんだもの!」

え…? 本当、に…?
貴方も、私のために涙を流してくれるの?

「あ…あぁ…! 蓮子…っ! 蓮子ぉ…! 私…っ、わたしも…嬉しいの!
 蓮子に、ずっと会いたかった…! 生きて……また貴方と話したかったの……っ!」

「うん……メリー。私もだよ。私もずっとメリーとこうして話したかったんだよ?

 もう離さないわ。メリー。貴方だけは……二度と誰にも 渡 さ な い 」


カラン カラン   カランカラン  カラン


指からすり落ちていくように、白楼剣が石段の下まで転げ落ちていく。
でも、そんなことはもうどうだっていいの。
だって、こうしてまた蓮子と再会出来たんだもの!

あぁ…ありがとう……! 神様がいるのなら、本当にありがとう!



ひどく涙を流しながら私たちは、互いに抱擁し合った。

さっきは蓮子の事を怖いなんて思ったはずなのに、今ではむしろ何よりも愛おしく感じた。

蓮子の髪の匂いがスゥ…と鼻腔をくすぐる。蓮子の腕が私の背中を強く抱きしめる。

そして私の意識は

黒く、深い深淵の底に堕ちていった。

幻想なんかじゃない。これこそが、幸福という名の現なんだ。


―――最後にそんなことを思いながら、私の意識はそこで暗転した。




男のけたたましい雄叫びがほんの僅かに聴こえた、気がした。




★ ★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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 Chapter.1 『銀屑のはぐれ星』


『ジャン・ピエール・ポルナレフ』
【早朝】D-6 迷いの竹林


「本当に、君たちには申し訳ないことをしてしまった。
 頭を下げて赦されるものではないとは分かっているが、この罪を償えるものならなんだってしよう」


白銀の戦士、ジャン・ピエール・ポルナレフは物堅い謝罪と共に、この場の全員に向けて深く頭を下げた。
彼の目の前にはつい先刻、激しい争闘を繰り広げた相手らが様々な胸中を抱えながら黙して見据える。

西行寺幽々子は似合わぬ厳格の表情で、彼の下げた頭頂を凝視しており、
稗田阿求は幽々子の後ろに隠れるようにして、多少不安かつ怯えの色を見せており、
豊聡耳神子は瞳を閉じ、腕を組んだまま動かず、
ジャイロ・ツェペリは彼らとは少し距離を置いた位置の木の幹に身体を預け、
マエリベリー・ハーンは地面に膝を落とし、何やら形容し難い表情で彼を見つめており、
その傍らの地面の下にはツェペリの亡骸が既に埋まっていた。


―――沈思黙考。


深い深い静寂の中、ポルナレフはただジッと頭を下げ続けた。
その場にいる誰もが言葉を発することを淀ませる。
無理もない話だ。ポルナレフはついさっきまで彼らを追い詰めていた敵。
幽々子の全身を刻み付け、瀕死状態にまで至らせ。
その凶刃は結果的にツェペリの命までをも奪い。
様々な修羅と偶然を突き抜け、尊い犠牲を出しながらの苦しい勝利。
そんな死闘を演じ合った相手が昏睡から醒めた途端、のうのうと謝っているのだ。

無論、それは本来のポルナレフの意するところではなく、彼の額に巣食っていた邪悪の根源『肉の芽』による支配だという事などは全員理解もしていた。
真の悪は背後で糸を操っていた『DIO』であり、ポルナレフこそ被害者であったことに些かの間違いも無い。
そんなことはわかっている。わかっているが、誰しもがその事実を割り切れない。
ポルナレフは確かに、ツェペリという一粒の光明を潰してしまったのだ。その事実に善心も悪意も関係ない。

特に…ツェペリを心の拠り所として大きく信頼していたメリーの喪失の痛みたるや、計り知れないものであった。
今でこそ気持ちは落ち着いているものの、彼を喪った直後は消沈して塞ぎこみ、心が安定するのに幾分の時間を必要としたほど。

この数時間で起こった悲劇は、只の少女であるメリーには重すぎた。




(……当然の帰結だ。これも全ては俺の心が未熟だったせい。DIOの恐怖に屈服した俺という『負け犬』が起こした惨劇……)


―――赦される、筈もない。


頭を垂らしたままグッと唇を噛み締めて、ポルナレフは心の奥底から悔いた。
先刻の戦いから暫くの時が経ち、昏睡から目を覚ましたポルナレフは彼ら5人と真の意味で対峙する。
意識を覚醒させた時には既に、偽りの剣と正しき拳を交えた相手はこの世から去っていた。
亡骸は土に埋められ、愛用していたハットをそっと置き伏せただけの、簡素な墓。
目の前にある其れを、ポルナレフは直視できなかった。

支配されていた間の記憶は、存在していた。間違いなく、己が手をかけたのだ。
状況を全て理解した途端、頭を鈍器で殴られたような重い衝撃が走った。

自分は何ということをしてしまったのだ。

悔しさと罪悪感で心が濁っていく。唯一の救いは、幽々子と呼ばれた淑女の命があったことだろう。
彼女にも大変なことをしてしまった。自分の信じてきた『騎士道精神』が、音をたてて崩れ去っていくようだった。
弱き心が引き起こした惨事に、こうしてただひたすらと頭を下げるのみの自分に腹を立て、情けなく、無様だと感じた。


それでも、もしそんな愚かな自分が赦されたのならば。
あわよくば、せめて彼ら彼女らをこの先、護ってあげたい。
自分の信じてきた『騎士道精神』を、もう一度だけ自分自身に信じさせてほしいと、心から願う。


実に都合の良い、希望的観測。
ありえない。ふざけてる。手前勝手甚だしい。
なんだ、俺は結局自分のことしか考えてないじゃないか。
何が騎士道精神。何が護ってあげたい、だ。
つまるところ俺はこれまで培ってきた騎士道を裏切りたくないから、正当化したいがために彼らを護りたいだのと宣っているんだ。
そんな独り善がりな気持ちで彼らに……ツェペリさんに赦してもらおうなどとは、エゴが過ぎるぜ…。


―――やはりこのポルナレフ……彼らとは共に居られない。このまま潔く去り、せめてあのDIOを討って自決するとしよう。
   それが俺なりのケジメ。せめてもの『贖罪』って奴、だな……。


ガサリと、草の根を踏む音が耳に聞こえた。
足取りは重く、小鹿のように朦朧とした間隔でこちらに迫る。
顔を伏せたままのポルナレフに小さな影が落ちた。


「顔を上げてください、ポルナレフさん」


メリーの果敢無げな声が、ポルナレフの脳を僅かに揺らす。
怒り、非難……そんな咎のような感情などではなく。
ほんの些々たる励の意が、その言葉には確かに混じっていた。

「……『勇気を持ち、自分の可能性を信じてほしい』。これはツェペリさんが亡くなる間際に遺してくれた言葉です。
 あなたは今、己の罪に苛まれ、苦しんでいるのでしょう。DIOに利用され、ただ言われるがままに私達を襲ってしまった。
 きっと本来のポルナレフさんはとても気高く、誇り持った男の人なんだと伺えます。
 それだけに、今の自分が許せない。赦されてはいけない。だから悔やんでいる。
 もしかしたら……ツェペリさんの死をこの場の誰よりも悲しんでいるのは、ポルナレフさんなのかもしれません」

ツェペリの死を、ポルナレフが悲しんでいる。
それはいかにも的を射た発言で、それ故にポルナレフは困惑した。
さっき会ったばかりの、ろくすっぽ会話もしたこと無いような少女に内心を見抜かれていることに。
ポルナレフは思わず面食らったような表情でメリーを見上げる。

「すごく…わかったような事を言っているのだと思います。私にはあなたの気持ちが理解出来る、なんてとても言えません。
 ですが私はあなたが、ここに居る誰よりも『正しいことの白』の中に居るということが、よくわかるんです。
 ……どうか、『立ち上がる勇気』を持ってください。あなたにはまだ、たくさんの『可能性』があると思います」


メリーが無意識の内に侵入したポルナレフの肉の芽の『境目』の世界。
そこで彼女が見たものはモノクロの竹林の、『白』のポルナレフ。そして『黒』のDIO。
あまりにもドス黒く邪悪に彩られたDIOの黒は、正しき白のポルナレフを喰らい尽くすように覆ってしまった。
その直前に見たポルナレフの顔はシルエットのように黒く塗りつぶされていて表情がわからなかったが、
今になって思えばメリーには彼が泣いているかのようにも見えたのだ。

「ああ。この人の心は本当に優しい精神をしていて、きっと正しい人間なんだわ」などと一瞬のうちに思いもしたが、それ以上の思考は直後に現われたDIOが許さなかった。
その一瞬の狭間に感じたメリーの予感は、『境目を観測できる力』を持つ彼女にとって真にリアルな感情で彼女に痛感させた。
ポルナレフの意識下に精神を置いたメリーだったが故に、彼が持つ本来の心…いわば『黄金の精神』がメリーの心にも直接伝わったのだ。

そんなメリーがこれ以上、ポルナレフを咎める筈もなく。

「ポルナレフさん。あなたは幽々子さんの胡蝶の弾幕を、恐れることなく飛び越えてきました。それは『勇気』です。
 そしてあなたはまだ生きているじゃないですか。生きるということは、それだけで大きな『可能性』…なんだと私は思います」

ツェペリの掲げた『勇気』と『可能性』は確かにポルナレフの精神にも燻ることなく存在していた。
「まぁ、そのどちらも私には欠けているんですけどね」とメリーは一言付け加える。

そんなことはない。そんなわけが、なかった。
幽々子が倒れたあの時、メリーは白楼剣を握り締め全力で立ち向かったではないか。
それが勇気と言わずして何だ。彼女は、恐怖しながらもなお自分の信じられる可能性を突き進んだのではないのか。

メリーの足が一歩近づき、その手がポルナレフの目の前に差し向けられる。



「一緒に『立ち向かい』ましょう。私もポルナレフさんも、きっとまだまだ『途中』なのだと思います。
 ツェペリさんの生き方を受け継いで、これがその最初の一歩。私達には、あなたの力が必要です」


メリーから差し出された右手を目にし、静かに果てていくだけだったポルナレフの心の奥から何かが込み上げる。
彼女は笑っていた。
拠り所を失ったばかりなのに、彼女はポルナレフを必要だと言ってくれたのだ。
内心に宿っていた動揺がスゥ…と氷解していく。

自分がこの10年間で積み上げてきた剣は、精神は、今確かに必要とされていた。
思えば妹を殺されたあの日から、ポルナレフは常に孤独であった。
妹の無念を晴らすべく、ただそのためのみに己の精神を磨き上げてきた。
辛いと感じたことは、ある。
その度に孤独に磨り減らされた心が、復讐心を糧に燃え上がった。
怨毒の鎖に絡まれた心の行き着く先に、平穏など無いと理解もしていた。
仇敵に然るべき報復を与えた後に、自分を受け入れてくれる居場所など最早ありはしないと、覚悟もしていた。
ポルナレフには、真の意味での友も仲間も持ち得ることが出来なかったのだ。

「俺…は……、必要とされている、のか…? こんな俺にも、居場所があって…いいのか…?」

その呟きはすぐに霧散しそうなほどにか細く口から漏れた。
メリーの手を取るものか、未だ迷いはある。
だが、彼の眼には仄かな『光』が灯り始めているようだった。


その時、それまでは黙して語ることは無かった西行寺幽々子がすくりと立ち上がった。
まるで重力など存在しないようなフワフワした足取りで彼女はメリーの横に立ち、ポンとその手をメリーの肩に添える。
「Mr. ポルナレフ? 貴方にとっても二度目の講演になるのだけど」と前置きし、彼女はいつものようにあっけらかんとした口ぶりで語り始めた。

「人間って困難に衝突した時、二つの選択肢があると思うの。『立ち向かう』か『立ち止まる』かの二択ね」

幽々子が語り始めた内容は、かつてツェペリがポルナレフに向けて放った主張。
DIOの支配を受けていたポルナレフの記憶にも、彼の勇猛たる弁はしっかり張り付いている。

「で、貴方って確か妹さん?の仇を討つ為に今までを生きてきたって言ってたわね。
 これから言うことは決して貴方の生き方を侮辱するわけでも否定するわけでも無い」

彼女が今から何を言おうとしているのか、ポルナレフには何となくわかってしまった。
何も初めてではない。こんな理屈は今までに何度も人から諭されてきたのだから。
それを予感してなお、ポルナレフは幽々子の語りを聞き入れる。
彼女が纏う不思議な空気はなんというか、人を穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。



「妹さんの無念を晴らすためにひたすら剣を磨いてきた。おそらく1年や2年なんてものではない日々、それのみに没頭したのでしょう。
 でも復讐の心に駆られたところで、貴方の魂は永遠に休まることは無い。確実に地獄行きね」

亡霊の姫である私が言うと説得力あるでしょ?などと彼女はおちゃらけて付け加える。
そんな冗句を無視し、ポルナレフは視線を鋭く変えて言い放った。

「……俺に復讐をやめろって言うんなら、残念だがお姫様。そんな台詞は耳にタコが出来るぐれーに聞いたぜ」

「いえいえまさか。復讐上等。仇討上等よ。心に怨み辛みを遺したまま死なれても厄介な悪霊と化すだけ。
 それならばいっそスカッと無念を晴らし、心の蟠りも柵もぜーんぶ斎戒させた方が後世のためにもなるわ。
 ―――でも、それは果たしてツェペリの言ったような『人間賛歌』を謳歌することになるのかしらね?」

「……煙に巻くような言い回しはやめて、そろそろハッキリ言って貰いたい」

「ええ言うわ。そんなんじゃあ貴方、永遠に『立ち止まった』まんまよ。DIOと一緒。
 宝の持ち腐れとはこのことね。剣が泣いてるわ」

幽々子の言い草はどこか飄々としていたが、その言葉は確かにポルナレフの心を強く揺さぶった。
まるで死んだツェペリが彼女の口を借りて叱っているようだった。
これにはポルナレフも怒気を強めて反論する。

「俺に、どうしろと言うのだ…!
 唯一の肉親である妹は辱めを受けて殺された! この無念を…俺は誰に向ければいいッ!?
 俺は何処に向かって『立ち向かえ』ばいいッ!? 俺の剣は何のためにあるのだッ!!」


「貴方の剣は弱き者たちを護る為にあるのよ、ポルナレフ」


実に簡単な事のように幽々子は答を出した。
あまりにも自然に、緩やかな口調で返されたのでポルナレフも一瞬言葉に詰まる。

「貴方はきっと、これまでの人生を孤独と共に過ごしてきたのでしょう。
 多分、その剣で誰かを護るなんて考えもしなかったんじゃないかしら?
 だったら私が貴方の剣に意義を…『生命』を与えてやるわ。もう一度言うわね」


―――貴方の剣、私たちの為に使って貰います。貴方の居場所は、今日からここよ。


その亡霊姫の言葉は、これまで孤独に生きてきたポルナレフにとっては大きく意味のある言葉となった。
思えば、姿すら知らない仇を仮想の敵と見定め、何年も何年もひたすらに剣を振ってきた。
その年月の中で、意思の在る相手とも剣を交わした経験は当然ある。
だがその剣先は結局、何処とも向けられることなく虚空に浮くのみであったのだ。
自分の振るう剣に意義があるとすれば、それは憎しみの相手を斬り刻んだその瞬間だけ。
それはつまり、自身の写し身である『銀の戦車』に意義など在って無いようなものなのだ。
ポルナレフは時々、そんなことを思うようになっていた。

今日まで。今のこの瞬間まで。

だがそんな孤独を、メリーと幽々子は言葉一つでいとも容易く振り払ってくれた。

内側から錆びかけていた剣に、矜持と居場所を与えてくれた。

ポルナレフの胸中は号泣していた。絶叫していた。感動していた。

自尊心からか、その感情を面に出すことはどうにか抑えた。女の前で泣くなどという事は、彼は恥だと思っているからだ。

感動のあまり顔を俯けるポルナレフに対して、幽々子は更に語る。

「貴方…自分の『プライド』を護る為には痛みを避けないタイプでしょう?
 誇り高い殿方は好きだけど、でも躍起になっちゃダメ。貴方はきっと、さっきまでこう考えていた。
 『自分の犯した罪の贖罪、それはDIOを討ち取ることで初めて達成される』……ひょっとして相討ちにでもなるつもりだったんじゃない?」

そうだ。それは確かに幽々子の指摘通りだった。
もしもポルナレフがこの場の誰からも拒絶され赦しを得ることが出来なかったのなら、せめて諸悪の根源DIOをひとりででも倒し、その後は自決するつもりだったのだ。
しかしその図星を気取られる訳にもいかなかった。男として、これ以上情けないところを剥がされたくないという思いもあった。


だがポルナレフのその最終防壁は意外な角度から攻撃された。
これまで目を瞑って押し黙っていた豊聡耳神子が、突拍子なく腕を解いて沈黙を破ってきたのだ。

「君の無機質的な欲は最初から聴こえていたわ、ポルナレフ。
 『こんな自分が赦される筈も無い』『この無念はDIOを倒して初めて浄化される』……とね」

「……アンタは?」

「豊聡耳神子。西洋人には馴染みの無い名前だろうけど、ただの高名な宗教家よ」

「……成るほど。それで、アンタは俺に一体何を説いてくれるんだ?」

「君の自己犠牲溢れる心には道徳家としても一理無くは無いけど、一言だけ言わせて貰う。
 今の君がひとりだと考えるのは間違いよ。君の事を思っている人がこの世に誰もいないと考えるのは違う。
 君は既に私の仲間。マエリベリーや幽々子の仲間なんだから。勿論、阿求とかもね」

「えっ! ……あ、そ、そうですよ、ポルナレフさん! あなたの剣はとても頼りになります、から……?」

いきなり笑顔で話を振られた阿求は、しどろもどろになりながらも何とか言葉を捻り出した。
阿求の本音としては、ツェペリに手を下したポルナレフについては、やはりまだ多少の恐怖心は残っていた。
だが、それすらもこの太子様には見抜かれている上で理解を求められているのだと、阿求は抵抗を諦める。
阿求自身の選択は今なお『感情』よりも『理性』を取らざるを得なかったのだ。
そんな彼女の内なる葛藤に気付いてか気付かずか、神子は意味深な笑みを作りながら話を戻す。

「―――まっ! そーいう事よ、ポルナレフ。
 『得る』ために、人は競う。君がこれから先、『何か』を得たいと言うのなら、その磨き上げた剣術で私たちを護って欲しい。
 これは君が眠っている間に決めた、私たち全員の総意よ」

「ていうか、オレには何も話振らねーのかよ…」

ジャイロが端でひっそりと不満を漏らす。
神子はそれを華麗に無視すると、壇上から退場していく演説家のように成し遂げた表情でトコトコと元の位置に戻った。

ポルナレフはまた、押し黙った。
もはや虚勢も意地も張れぬ。DIOと相討ちしてでも、という自己満足な逃げ道も塞がれた。
ボロボロと剥がれ落ちていく驕りと見栄で塗り固められた、錆び付いていくだけだった精神の殻が浮き出る。
殻の中から現われたモノは白銀のように煌びやかで、矜持を見出すことが出来た新たな精神世界。


ポルナレフは笑った。
妹が殺されたあの日から、心の底から笑える日が来たのは初めてのように感じる。
メリーがもう一度前に進み出て、その手が彼の前に再び差し出された。
その新たな希望を、今度は迷うことなく手に取る。

「よろしくお願いします、ポルナレフさん」

メリーが微笑む。

「あんた達の命、俺に預からせてくれ」

つられてポルナレフも屈託無く笑う。


誰かを護る為の剣など、考えもしなかった。
ポルナレフにはそれがこの世の何よりも素晴らしいことのように思え、また笑みが零れる。
彼の怨恨に満ちていた人生が、心が、一瞬の内に晴れ渡るようだった。
勿論、妹の件は未だに心のしこりとなって拭い切れない。元よりそれほど凄まじい執念と覚悟を固めた決意だ。


だが、それでも。
恐らくこれなんだ。俺が求めていたのは。
ああ……俺が憧れて、恋焦がれて、でも心のどこかでは無理だと諦めた。
俺は『復讐者』だ。俺の剣はまさしく不倶戴天の敵を串刺しにしてやる事のみに磨きをかけてきた。
そんな俺が、自分のことしか考えられなかった俺が、誰かの為に剣を振るうってのも―――


―――案外、悪くねーかもしれねぇなァ……



邪悪の人形にまで堕とされていた心は、光を取り戻し始めた。
その小さな光明は、男が本来持っていた『黄金の精神』へと成長し、尊い正義の心を滾らせた。
ウィル・A・ツェペリの掲げた『勇気』は、『可能性』は、確かにこの男にも受け継がれたに違いない。

ジャン・ピエール・ポルナレフはその日、幼き頃に憧れたコミック・ヒーローの世界へと踏み込むことが出来た。





Chapter.1 『銀屑のはぐれ星』 END

TO BE CONTINUED…


☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ ★ ★ ☆ ☆


 Chapter.2 『記憶する幻想郷』


おはようございます、稗田阿求です。
この手記を御覧になっている貴方のお時間帯がいつなのかは計り様がないのですが、私の感覚では朝なのでとりあえずは“おはよう”なのです。
とは言っても貴方からすればさっきぶりなのかもしれません。まあそこはあしからず。

さて、この数時間で色々な事が起こりました。
肉の芽の支配から解かれたポルナレフさんを仲間に迎え入れたり、最初の放送が始まったり、幽々子さんが大変な状態になったり……
あっ、この項を貴方が読んでいる時点ではまだ放送の事は書き記しておりませんでしたね。そこは追々。
私も暇を見つけては筆を走らせたりもしていますが、正直怖いんです。
これを書いている今にも、何かが襲ってきそうな気がして、手記が途中で終わっちゃうなんて事になったら……
そんなことを考えるようになってきました。

……ごめんなさい。前置きがくどいと読みたくもなくなりますよね。
モタモタすることもありませんし、早速書き記していきましょう。
それでは、素敵な貴方に安全なバトロワライ……もういいか。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


『稗田阿求』
【早朝】D-6 迷いの竹林


「それでは……行ってきます、ツェペリさん。どうか安らかに眠ってください」


手を合わせ幾秒かの祈りを捧げた私とメリーさんは、そっとツェペリさんのお墓の前から立ち上がる。
竹の大群から漏れ出した斑の朝光が、彼の象徴たるハットに注ぎ込まれ反射を繰り返しています。
もうすぐ放送の時間。おそらく、ツェペリさんの名前が呼ばれることでしょう。
それを聴いた私やメリーさんは果たして平静でいられるのでしょうか。
……いえ、私はともかくメリーさんは強い娘です。きっと彼の死を受け入れていることでしょう。

危惧していることはそれだけではありません。
考えたくもない事ですけど、放送で呼ばれる名前はもっと……もっと多いと思います。
そこに私たちの友人、知り合いや仲間の名が呼ばれない保障などあるのでしょうか。
私たちの誰かが取り乱さない保障などあるのでしょうか。

少なくとも、私自身は誰の名前が呼ばれようとも取り乱すことはないと思っています。
薄情な女……と、つくづく自分でも痛感します。
だって私はあの時、幽々子さんを一度『捨てた』。
あの方がそう願ったとはいえ、私の理性は冷たい選択を選んでしまったのだ。
しかもあんな危険な場にメリーさんを置いて、醜く浅ましくそのまま馬を走らせて逃げた。

結果的にはその選択が在ったからこそ、こうして私たちは生きてこの場にいる。
でも結局メリーさんとはあれ以来、会話らしい会話をしていません。
仲直り、と言うとケンカしたみたいですけど、それは私の思い違いかもしれませんね。
私ばかりが空回りして、生き方を見出せずに、彼女との距離を自ら遠ざかっている。

そんな気がしてなりません。


「あの、阿求さん」


って、は…ハイッ! ななななんでしょうかメリーさん!

横に並んでいたメリーさんが急にこちらの顔を覗きこんで話しかけて来た。
突然だったのでつい情けない反応をしちゃったけど、ここは咳払いをして落ち着かせる。
彼女はひと呼吸置いて、どこかソワソワしながらもゆっくり語りだした。

「あの……貴方が今思い悩んでいる事はわかります。大体の事は、神子さんから聞いたから」

向こうで神子さんがチラチラと(意地の悪い笑みで)こちらを気にしている。
あの方は恩人でもあるけど、今だけはちょっぴりイラッとしました。
結局、最後まで彼女の世話になってしまうのですねと、せめてもの抵抗に私は溜息を吐いた。




「あの、阿求さん! ありがとうございますッ!!」


…………え?
メリーさんがいきなり深いお辞儀をしながら私にお礼を言ってきた。
わけのわからない私は間抜けな反応をしたのかもしれない。

「あの時、幽々子さんが倒れた時……私は自棄になってたわ。
 貴方が神子さんやジャイロさんを連れてきてくれなければ、私も幽々子さんも肉の芽に支配されたポルナレフさんに殺されてたと思う。
 それなのに私……今までお礼すらせずに泣いてばかりで……ごめんなさいッ!」

もう一度深い礼と共にメリーさんは頭を下げた。

……なんだ、やっぱり私が空回ってただけなんだ。
メリーさんに恨まれていてもおかしくないと、勝手に思い込んでいた。
彼女を死地に一人残して逃げ出した私は、彼女に責められて当然なんだと思い込んでいた。
でも、違った。彼女はこんなにも草原のように広々とした心を持っていたんだ。

瞬間、私の心に溜まり積もっていた不安、歯痒さが幾分か溶けた。
鉛を付けられたみたいに気だるかった気持ちがスッと軽くなった。

「メリーさん、どうか頭を上げて? 私の方こそ……ごめんなさいっ! 私、貴方を見捨てるような真似を……」

「い、いえいえ! だけど結果的には阿求さんのおかげで私たちは……!」

「いえいえいえ! そんなのはただの結果論ですし、メリーさんの勇気があったからこそ……」


互いに顔を紅く染めるほどの、敬虔の応酬。
少しの間の後、私たちは同時に噴きだしました。
なんか、さっきまで悩んでたことが馬鹿らしいです。



「ふふ……ねぇ、阿求さん?」

「はい」

「私たち、もうお友達よね?」

「はい。 ………ええッ!?」

あまりに自然に飛び出たその単語。思わず変な声が出ちゃいました。
妖怪も月までブッ飛ぶ衝撃、って奴でしょうか。
あわあわと動揺する私を見ながらメリーさんはなんだか意地悪な笑みを漏らしています。あ、この人たぶんSの素質ある。

「私ね、子供の頃から友達とか殆ど居なくて……多分、こんな能力を持ってるせいでしょうね。クラスでもずっと浮いてたわ。
 でも、大学に入って…あ、大学ってのはおっきな寺子屋みたいな施設のことね。で、そこで蓮子と初めて出会ったの」

蓮子……さっき言ってた御友人、宇佐見蓮子さんのこと、ですね。

「蓮子と友達になって、秘封倶楽部を作って、それから私たちは色んな場所へ行ったわ。
 一緒にいるのが、すっごく楽しくて…あの娘と一緒なら、どこでも最高に楽しい。
 あの娘ほど気の置けない親友はいないの。 ……貴方には、そんな人がいるかしら?」

頭の中を一番に過ぎったのは親しき友人、本居小鈴の笑顔。
歳も近く、親友と言ってもいいのかもしれない。
でも……私は何となく、その名前を出すのを一瞬躊躇してしまった。
その無言をどう受け取ったか、メリーさんはちょっぴり大人っぽい微笑を湛えながら話し続ける。

「蓮子のおかげで私にも少しずつ友達が増えてきて、性格も随分明るくなった、と思う。
 ねえ阿求さん。友達ってとっても素敵なのね。そのことに気付くのに、私は少し遅くなっちゃった。
 でも、だからこそ、私は貴方と友達になりたい。心からそう思うわ」

私より年上で背も高いメリーさんは、少しだけ目を落としながら互いに体を向け合いました。
その言葉にまたしても頬の熱を感じてきた私とは違って、今度の彼女は大人の雰囲気、というやつでしょうか。なんだか余裕ある佇まいを感じます。
その姿を見てほんのちょっぴり対抗心、みたいなものを燃やした私は子供っぽいと思いつつ、少しだけ意地悪な言い方をしてしまいました。



「私と友達になりたいのなら条件がありますよ、メリーさん?」

「あら?」

この台詞を聞いても不快な表情も驚くような仕草も特にしないメリーさん。
やっぱりなんだか大人だなぁ。 ……むぅ、ちょっと憧れちゃいます。

「私のことは『阿求』と、呼び捨てで呼んでください。さん付けなんて余所余所しいですからね」

「あらら、じゃあ私からも条件があるわね」

これは私にも予想が付きます。
きっとメリーさん……いや、メリーは次にこんな条件を出すでしょう。


「私のことは『メリー』と呼んで。友達をさん付けなんて水臭いもの」

「あはは。それじゃあ、よろしくお願いします。メリー」

「ええ。よろしくね、阿求」


私たちはお互い、心から笑いあいました。
この地獄のような世界でも、友達が出来た。
それってなんて素晴らしいことなのでしょう。
ツェペリさんも空の上から私たちに向けて微笑んでくれてるような気がします。


「今度、阿求にも蓮子を紹介するわね♪ 貴方もきっと彼女を好きになると思うわ」


それは……とっても素敵ですね。
もしここから生きて帰れたら、私もメリーに小鈴を紹介しよう、かな。
なんとなくですけど、小鈴と蓮子さんは気が合うのだと思います。 ……ふふ♪


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さて、いかがでしたでしょうか?

……いかがでしたでしょうか、なんて聞かれても困りますよね。
なんだか私の独り善がりというか、自叙伝みたいな物になってきました。
メリーと本当の友人となれたこと。実は結構(というかかなり?)嬉しいんですよ?
最初にこの会場で目を覚ました時、私の心は恐怖と絶望に飲み込まれていました。
孤独の恐怖。泣きたくなるほどの絶望。
そんな中で幽々子さんと出会い、メリーやツェペリさんと共にポルナレフさんと戦って(私は大したことしてないけど)、
神子さんジャイロさんが助けに来てくれて……そして、友達が出来た。
皮肉なことにこの非道なるゲームのおかげで私は『絆』を作ることが出来たんだと思います。
そしてそんな『絆』を綴っていくのがきっとこの手記、なのでしょうね。

今はただの紙ですけど、その内この手記にも何か『名前』を付けた方が格好も付くかもしれません。
鈴奈庵で借りた外の世界で最も売れた(らしい)ベストセラー本によると、こう記されてありました。

ヨハネによる福音書 第一章2‐3節『言は初めに神様と ともにあり 全てのものは これによってできた』

いわゆる『言霊』みたいなものでもあり、なんにでも『名前』はあるものです。
だから私はこの手記にも名を付けてあげるべき、なのだと思います。

……まぁ、今はちょっと思い付かないので、とりあえず手記の続きでも綴っていこうかな。
そうですねぇ……、そういえば私、ずっと気になってる方がいたんですよ。
あの人は一体何者なんだろう…って。



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「え? 神子さんが何者か、ですか?」

「あぁ、そうだぜ。他人の欲の声を聴くだとか、ついでにあの底意地ワリー性格が天性から来る性格なのかとかな」

私たち一行はポルナレフさんを迎え入れ、とりあえずこの迷いの竹林を出るために道なき道を歩いていました。
先頭はポルナレフさんと幽々子さんが警戒しながら歩き、私やメリーみたいに力の弱い人は真ん中。
最も警戒が難しいことを理由に、最後尾の警戒は神子さんとジャイロさん自らが買って出てくれたというわけです。
で、そんな大切な任を放棄してジャイロさんはいきなり私に近寄って神子さんのことを聞いてきました。

「……私からすればジャイロさんの方が何者なのかがずっと気になってるんですが」

「オレはただの医師だ(副業ではな)。それよりあの妙チクリン女だぜ。
 さっきからあの野郎、オレの事を上から目線でやれチクチクといびってきやがる。
 そろそろあのセンス悪い髪型ごと上から踏みつけてやりたいね。馬で」

毅然な態度でジャイロさんは言いたいこと言ってます。正直、気持ちは少―しわかりますが。

「陰口は陰で話すものよジャイロォ?」

「ウッセ! どこで話したって聴こえてるんだろ地獄耳」

後方から神子さんがジト目でジャイロさんと、ついでに私も睨まれました。
心の声がしっかり届いてしまったようです。本当にメンドクサ…おっとっと。

しかしなんというか……神子さんから2人のお話を聞いた時にも思いましたが、水と油といいますか、
犬猿の仲、というよりはジャイロさんが一方的に馬鹿にされてる印象を受けます。
とばっちりを喰らうのは嫌なので、形式だけでもフォローしときますか。

「あの方は基本篤実なお人ですけど、一度舐められたら一生からかわれますよ。お気の毒でしたね」

「いやいやそんなことないわよ阿求。私はジャイロという人間をひとりの対等な存在として……」

「テメっ! さっきからそればっかじゃねーかよ! ったく、うさんくせー宗教家がいたもんだぜ」

「宗教を悪く言うものじゃないし、私のことを悪く言うのはもっとNGよジャイロ。『敬意を払う』って言ってくれたのはありゃ嘘かしら?」

「あっ出た! それだよそれッ! 困った時はその台詞ッ! 仕舞いにゃ蹴飛ばすぞこのヤロー!」


やんややんやとジャイロさんが意地になり、それを神子さんが更に焚きつける。
水と油、というよりは火と油ですね。この漫才にもそろそろ見飽きました。



「ふふ。ジャイロさんと神子さんって仲が良いんですね」

横に並んで歩くメリーが、檻の中のお猿さんのケンカを眺めるような目で上品に笑ってます。他人事だと思って…

「でも、そういえば私もジャイロさんや神子さんのことよく知らないんですよね。ねぇ阿求?」

え、何でそこで私に振るの。本人が居るんだから直接聞けば良いのに。
でもまあ、そうですね。私から言える事といえば……

「神子さんは『厩』から生まれたという逸話もある、結構すごい聖人らしいですよ」

「へぇ? なんか意外ですね。私は人を出生で判断したりはしないですけど、なんか…………意外ですね?」

あっ、メリーが一瞬顔を歪ませたのを私は見逃しませんでしたよ。
珍しい私の攻撃が意外にも効いたのか、神子さんがほんの少し動揺しながら否定してきた。

「ちょちょ…! ま、待ちなさい阿求? 高貴な私がそんな臭うところで生まれたわけがないでしょう。
 いいですか? 新人さんの教育には節度と慥かさを以って教授するべきです。しかも稗田の立場なら尚更であり―――」

「―――その『聖人』ってとこなんだがな……」

捲くし立てるように反論する神子さんの言葉を遮ったのは、ジャイロさんの低い呟き。
今までの彼が纏っていた空気、とでも言うのでしょうか。それが一段重くなった気がしました。

「あら……? 最初に言いませんでしたっけ、私が豊聡耳皇子――かの『聖徳太子』なる聖人だって」

えーそれ言ってないんですか。いの一番に言うべき肩書きのような。
ほら、メリーも口元を手で押さえて驚いてますよ。

「いや、聞いたには聞いたんだがよ……悪いが未だ信じられねーんだよなァー」

ジャイロさん、言っちゃいました。どうやら御二人が信頼しあってるというのは嘘だったようですね。
でもそんなこと言ったらまた神子さんが……

「…………ジャ・イ・ロォ~~~? 君はまたしても鉄球を放り投げられたいようね? ……そのダサい帽子の上に」

あーあー言わんこっちゃないですよ。
神子さんの背後に『 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ 』みたいな擬音が見えるようです。

「大体神子が何百年も前の人間だったってンなら何で今も生きてんだよ? 神や妖怪じゃあるまいしよォー」

「ですから私は『聖人』だと言いましたでしょう。それにずっと生きてたわけではなく、ついこの間長い眠りから醒めたところです。
 『聖人』とは死後、2度の奇跡を起こした人物を言うみたいですが、私が蘇った時点で充分奇跡なのよ。
 第一、その規定は外界の人間が勝手に創立した形式のようなもので、主観的見解に基づく判断です。要するに聖人は聖人です」

蘇ったのなら死後も何もないじゃないですか、って突っ込むのは野暮なんですかね。最後もなんか強引だったし。



「いや……まぁ、悪いな神子。お前を疑っちまった。どうもオレは『聖人』って言葉に敏感になってるらしい」

「……君のそーいう素直に謝るところは私も好きだけど、どうやら『ワケあり』のようね。
 まさかとは思うけど、聖人の知り合いが私以外にも居たりとか?」

「……これは部外者が軽々しく踏み込んでいい問題じゃねえ。オレらには計り知れない……巨大な闇の真実だ」

「聖人の存在はいつの世も闇に隠れたりはしない。絶対にね。それに私だって正真正銘の聖人仲間よ」

「…………駄目だ、言えるわけがねぇ。 ……つっても、お前には隠し事は出来ねぇみてーだがな」


「――――――ッ!!! なん、という……ッ! これは……また、『超大物』が出てきたわね……!」


……驚いた。あの豊聡耳神子が、見たことないような蒼白な顔で冷や汗を流してます。
彼女、一体ジャイロさんの心の中の『何を』聴いてしまったのでしょうか?
ジャイロさんの知る聖人とは一体どなたの事なんでしょう。
私としても俄然興味はありますが、知るのが少し怖くもなってきました。
ジャイロさんを巻き込む『闇』……、彼は自分をただの医師だと言っていましたが、あの鉄球の技術といい、不思議な人物です。
確かにこれは部外者が軽々に触れられる話ではないのかもしれません。

「オレはスティール・ボール・ラン・レースに出場し、友人ジョニィと共に聖人の遺体を集めていた。言えるのはそれだけだ」

「―――なるほど、ね……、その遺体が全て揃えば恐らく、それはあらゆる人間から『尊敬される遺体』となるでしょう。
 『尊敬』は『繁栄』だもの。遺体を揃えた人間は間違いなく真の『力』と『永遠の王国』を手にすることが出来る。
 全く……私の最終目標である『不老不死』すら程度の低い、ちっぽけな話に聞こえるわね」

神子さんが立ち止まり、竹林の群を見上げます。
一風に揺られザワザワと自然の音色を奏でる彼らの姿がまるで己の生命力を誇示してるように見えて、神子さんも思わずその音楽に耳を傾けているのでしょうか。
その情景に見惚れてか、私も彼女に倣って竹林の新緑を仰ぎ、そのままの時間が過ぎ去ろうとした頃。

虫の鳴くような呟きが、メリーの口から漏れたのです。


「すてぃーるぼーるらんレース……? どこかで聞いたような……」



あれ? 知ってるんですかメリーさん。

「んーー確か昔、世界史の授業で習った気がするわ」

昔……? ジャイロさんの口ぶりからすれば、SBRレースはつい最近の催しみたいですけど。

「あ……そうだったわね、言うのを忘れてた。
 これは私の推察なんだけど、どうも私たちはお互い違う時間軸からこの会場へ呼び出されてるみたいなの。
 ツェペリさんとの会話で偶然気付けたのだけど、私の生まれた時代はかつてレースが行われた時代の遥か後だもん」

ええ! 初耳ですよそれ!?

「違う時間軸、ねぇ。充分あり得る現象だとは思ってたわ。
 ジャイロの言っていたヴァレンタインの『平行世界移動能力』然り、名簿に死者の名が記載されていた事実然り。
 つまりジャイロとマエリベリーが住んでいた世界は時代こそ違うけど、同一線上……のモノだと考えても良さそうね」

神子さんが顎に手をやり、なにやら納得したように顔を頷かせていた。
こんな時、思考が柔らかい人は尊敬できる。

「なぁなぁメリー。SBRレースで優勝した奴の名前って覚えてるのか?」

えぇ? そーいうのって聞いちゃってもいいんですかジャイロさん。
なんかズルイ気が……

「ごめんなさいジャイロさん、そこまではちょっと……思い出せそうにないです」

申し訳なさそうな顔でメリーもやんわりと謝った。
ジャイロさんもちょっとした興味で聞いただけらしく、大して言及せずに会話も終了した。

丁度その時、前方を歩いていた幽々子さんがこちらを振り向いて呼びかけてくれました。


「みんなー、ようやく竹林を抜けたみたいよー」


その声で私たち4人が同時に前を見やる。
鬱蒼と生い茂った竹群の世界から解放され、東から昇ってくる朝光が視界を塗りつぶす。
目の前には一本の川があり、そのせせらぎだけがこの静寂なる空間を絶えず流れている。

思えば、随分長くこの竹林に閉じ込められていた気がします。
この開けた視界に広がる清清しい自然も、幻想郷の住人にとっては当たり前の景色だったはずなのに。
空に浮き上がりゆく太陽が、私たちを出迎えるみたいに荘厳たる煌きを放ち続けていました。

私はそれを見て一言だけ、
「あぁ、この場所に帰ってきたんですね」なんて見当違いの郷愁を口にしそうになりました。
でも、帰ってきたのではありません。私たちはきっと……これから立ち向かっていくのでしょう。

地獄の使者が迎えに現われたかのように、『ソレ』は突如響いてきたのですから。



『マイクテスト、マイクテスト……』



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



これで、ひとまず筆を置いておきます。
私はこの後に起こったことを恐らくずっと忘れないでしょう。
あの主催の凍り付くような声が、今でも頭の中を離れません。
まだたったの6時間ですが、間違いなく自分の人生の中で最も恐ろしい6時間だったと思います。

……でも、私には友が、仲間が居てくれています。
みなさん本当に優しくて、私には過ぎた人たちです。
私が決める運命。私の道というのは何なのか。
答えは、まだ分かりません。
でも、今この瞬間にある『絆』を、私は守りたい。
絆を紡いでいきたい。
これはきっと、そのための手記。

叶うことなら、私の大切な友達がずっと笑顔でいられますように。

それでは、また。




Chapter.2 『記憶する幻想郷』 END

TO BE CONTINUED…


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆ ☆


 Chapter.3 『墨染の桜、不修多羅に舞いて』


『西行寺幽々子』
【朝】E-6 迷いの竹林前





『―――――― 魂 魄 妖 夢 』





―――ぇ……っ…………


不明瞭な、呟きとも取れぬ僅かばかりの音が幽々子のイチゴの様に鮮やかな唇からそっと吐き出された。
軽快なトーンとは裏腹に、男の読み上げる内容はまさしくこの世のあらゆる不吉を象徴したモノ。
点鬼簿を読み上げる死神の如く、主催者荒木の声が続々と死者の名を連ねていくその中に。


天衣無縫の亡霊、西行寺幽々子の最も愛する従者の名はあった。


「……? 幽々子さん……?」

放送を聞き逃さぬよう、荒々しくもしっかりとメモ書きを綴っていたポルナレフの心配する声が彼女にかかる。
続いて阿求がハッとしたように幽々子へと振り向いた。
彼女のその様は名簿へと目を落としたまま、焦点は一向に動かずに震えていた。

「……ぁ…ぅ、…う、そ……よね……? ねぇ……今の、名前……ようむ、って……聞き間違い、よね……っ?」

瞬間、この場の全員が理解する。
彼女に、彼女の愛する者の身に、何があったのか。

「……ねぇ! ポルナレフ! 今のッ! 私の聞き間違いよねッ!? 何かの間違いなのよねッ!?
 妖夢は……ッ! 妖夢が私を残して逝っちゃうなんて、有り得ないものッ!! そうでしょうッ!? ねぇ阿求!!」

段々と荒くなる口調に、普段の物腰柔らかな彼女の面影は失われていった。
いきり立ち、ポルナレフの胸倉を掴み、かつてなく取り乱す亡霊の姫君の姿に、誰一人声をかけられなかった。


予測していなかったわけではない。
起こり得た事態だと、いずれ至る現実だと、誰しもが心の底に予想していた悲劇だった。
親しき者の死。そんな悲しい出来事が、必ず近く訪れる。
だが、だからこそ人は禍を見ぬフリをする。来たる未来から顔を背けようとする。
都合の良い物事の側面だけを見ようとし、幸せのみを追求する。
不幸な事故にあった他人の記事を、『自分でなくて良かった』と安堵し、気楽に考え、すぐに脳裏から消去する。

故にこの場の6人も、心のどこかでは親しい者に対して『きっと大丈夫だ』と根拠のない平穏を望んでいたのだろう。
『アイツなら大丈夫だ』『彼女ならきっと生きている』『死んでいるはずがない』
そこに至る要因は信頼か、不安の裏返しか、それは各々で違ってくる。


だが現実は非情であった。


「ねぇ! どうして誰も何も言わないのよ! それともやっぱり今のは聞き間違い!?
 そうよ、きっとそうに決まってる! だって私ここに来てまだ一度もあの子と話してないし、それに妖夢だってきっと私を探して―――」
「―――気の毒だが幽々子。 ……放送で呼ばれたのは確かに『魂魄妖夢』の名よ。彼女は死んだ」


狼狽する幽々子の言葉を遮ったのは、豊聡耳神子の冷静な声。
滲む瞳を閉じ、いや、いや…と耳を塞ぐ幽々子。
だがどんなに声を拒絶したところで、頭の中では今なお主催の忌まわしげな演説が脳を揺らしている。

「魂魄妖夢では力が至らなかった。序のふるいに掛けられ、落とされてしまった。そういう事になるんだ」

神子の語りかけは温情でも憐憫でもなく、決定された事実を淡々と述べただけだった。

「おい、神子…!」

これにはジャイロも声を荒げる。
ここに来ての『亀裂』……メリーも阿求も、そんな不安を心に抱く。
だが神子はそんな彼女らの憂慮を払拭させるかのように、凱旋将軍を思わせる立ち振る舞いで幽々子の傍まで歩を進め、蹲る彼女へ向けて言い放った。



「西行寺幽々子。君は誰だ?」

顔を伏せる幽々子の後頭部に、天資英邁の仙人が言の葉をぶつける。
幽々子は、答えない。

「……ならば私が代わりに答えよう。
 貴様は白玉楼の、幽冥楼閣の佳麗なる姫君ではなかったのか?
 蒼天の幽玄剣士、魂魄妖夢の敬慕する唯一無二の存在ではなかったのか!」

幽々子の肩が僅かに揺らいだ。

「私は妖夢をよくは知らない。だが君は彼女を誰よりも知っているはずだ。
 ならば彼女がこの舞台に立たされた時、何よりも優先し、誰よりも護ることを考えた人物が居たことぐらいは容易く察せるだろう」

幽々子の嗚咽は、止まっていた。

「そんな彼女が今の君を見たら、彼女は呆れるか? 失望するか?」

―――しない、わね。きっと……

「声に出しなさい! 西行寺幽々子ッ!」


「……あの娘なら、私に対して落胆の念を持つよりも……きっと何より最初に自分を恥じる、でしょう。
 『幽々子様を悲しませたのは己の未熟のせいだ』って……、愚直なあの娘のことだもの、きっと最期まで使命に殉じようとした……
 それすら全う出来ずに逝っちゃって……哀しかったでしょうね…っ……悔しかったでしょうね……っ!」

「ならば妖夢の魂が安らかに眠れる方法とは何だ? 妖夢の望みとは何だ!
 主である貴様が為すべき事とは何だッ!」

「私が……為すべき、こと…………」

「そうだ。そして今ッ! この死合の世界には『2種類』の存在しか居ないッ!
 『立ち上がった者』と『立ち止まる者』だッ! 貴様はどちらだッ!?」

「…………ゎ、たし……は…………っ……」


苦悩し、儚げを絵に描いたように弱弱しくなる幽々子に、ポルナレフと渡り合った時のような覇気は無い。
それほどまでに幽々子の心の比重では妖夢の存在が占めていた。本人も気付かぬうちに。
神子は膝を折り、そんな幽々子の震える両肩に手を掛ける。

「……泣くなとは言わないわ。精神を落ち着かせる時間も大切だもの。でもこれだけは言わせて貰うわね。
 君は既に一度“死んだ身”。亡霊として、と言う意味でなくこのバトルロワイヤルの悪意に、DIOの邪悪に殺されたばかり。
 そんな君の魂をもう一度だけ反魂させてくれたのがツェペリさんなのよ。
 彼は再び『可能性』の火を君の命に灯した。その意味を、よく考えなさい」


最後にそれだけを言うと、神子は立ち上がって何事も無かったかのように元の位置に座り、名簿を手に取った。

伏し目がかった幽々子の瞳に、未だ光は戻らない。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「アンタ、意外とイイとこあんだな。 ……悪ィな、さっきはアンタを『冷たい女だ』と思っちまった」

放送も終わり、暫しの休憩を取っていた神子の下にジャイロが寄る。
彼の顔は穏やかであり、またどこか申し訳なさそうな表情も交えていた。

「いえいえ。仏教の目指すところとは一切の苦しみからの解放。
 私は幽々子の苦しみを根本から取り除くことは出来ません。言葉で人を導くというのは……本当に難しいことです」

「そうだな……オレにも導いていかなきゃいけねえ友がいたよ」

「ジョニィ・ジョースターですね」

「ああ……。もっともそいつは自分の力で立ち上がり、そしていつの間にかオレと肩並べて走るようになってた。
 きっとアイツはすぐにオレを追い越すだろう。その成長を見届けるのが……オレの最後の役目ってワケさ」

最後とは何の意味だろう。
神子がそう思うよりも早く、ジャイロの心の声が素早く耳に雪崩れ込む。
ジャイロ・ツェペリという男がこのゲームに参加させられる前、親友とひとつの『約束』を交わし、最終決戦に挑もうとした気持ちが。
彼はもしかしてその『敵』と死ぬ覚悟を持ってぶつかるつもりだったのでは……、そこまで理解し、すぐに頭を揺らし耳当てを押さえた。

(これは……私如きが軽々と触れていい気持ちではないわね……。彼を侮辱する行為になってしまう)

この時ばかりは自らの能力を恨み、聴かなかった事にした。
侘びとして本心からの気持ちを、神子は送った。


「会えるといいですね。友人に」

「ああ。……会えるさ」


二人は小さく笑い合い、また絆を深めることが出来た。
少なくとも、神子はそう感じた。

「もしよォ、ジョニィの奴に会えたらお前のことを紹介してやらねーとな」

「おや。おやおやおや。これは随分と気が早いわねぇ。ジャイロは私をなんて紹介するつもりかしら?」

「アホかッ! 友人としてに決まってんだろーがッ! 話に流れで分かんだろォーがそれくらいッ!」

「おやァ~~? 私は『そんなこと』一言も言ってないのだけど、ジャイロは一体『何を』考えてたのかしらね? ん?」

「お~ま~え~なァァアア~~~~! やっぱ紹介してやらねーーッ!!」

「クク……! いやぁ、ほんっと…おも、しろい……わねぇ、ジャイロは……! クスクス……!」


朝焼けの草原に聖徳道士の忍び笑いと、鉄球使いの拗ねた叫びが響き渡った。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「大丈夫かしら、幽々子さん……」

ちょこんと石に座り、神子から借りた名簿を自身の名簿に写し書きながらメリーはそんなことを呟く。
さきほどの幽々子の一件から放送のメモどころではなかった一行は、こうしてひとりずつ神子の名簿を回しながら死亡者のメモを書き写していた。
十人の人間の話を同時に聞くことができる神子の耳だけが、揉め事の中でもしっかりと放送内容を記憶していたのだ。

「大丈夫ですよ、きっと。あの方はとっても強くて凄いですから、立ち直れる人だと私は信じています」

阿求はそんなメリーの不安を杞憂だと聞かせるように、精一杯の笑顔を作って見せる。
そんな彼女の優しさにメリーはまた、薄く微笑んだ。
やがて全てのメモを取り終えたメリーはペンを置き、ポツポツと語り始める。

「……ねえ、阿求。私って多分ひどい女だと思うわ」

「……どうしてそう思うのですか」

「幽々子さんがあんな事になっているというのに、今の私の心の中は安堵の気持ちで一杯なのよ。
 親友の蓮子の名前は放送で呼ばれることは無かった。そのことに私は今、心の底から安心してしまっているの。
 確かにツェペリさんの名前が名簿にあることは……凄く悲しいと感じてる。でもそれ以上にメリーの無事を喜ぶ自分もいる。
 幽々子さんは大切な人を亡くしたばかりだというのに……これが自分本位でなくて何だというの?」

その告白に阿求はどんな返答をするべきか一瞬悩んだが、同時に納得出来た気持ちでもあった。
人里に住居を構える阿求は九代目稗田家の当主という立場を担ってはいたが、神々や妖怪と親交がそれほど深くはない。
並居る屈指の妖怪共々ですら6時間の間にこうも脱落していく様に恐怖こそ覚えれ、死別に嘆くほど親しい存在がいたわけではない。
精々が友人、上白沢慧音の名が呼ばれなかったことに安堵したぐらいだ。
それはつまるところ、

「メリー、その感情は人間なら…ううん、良心を持つ者なら妖怪だって誰だって持ち得て当然の感情だと思います。
 友人や身内、愛する人が無事で良かった。そう思うのは当たり前なのです。私だってそうです。
 だからメリーが気に病む必要は無いはずですよ」

今の自分に言えることの精一杯だった。
阿求は当たり前の事を当たり前に述べただけ。なけなしの勇気付けだ。
それでもメリーが少しだって元気になれるなら。
あの豊聡耳神子の求心力ほどとはいかずとも、少しだってメリーの顔を前に向けられるのなら。
微力ながら、メリーの力になってあげたい。
そして勿論、幽々子の力にもなってあげたい。

阿求は本心からそう願う。



「……うん。そうよね、貴方の言う通りよね。
 ありがとう、阿求。私、ここに来て随分弱気になってたみたい」

「私なんかで宜しければいつでもご相談に乗りますよ?」


二人は小さく笑い合い、また絆を深めることが出来た。
少なくとも、阿求はそう感じた。





『―――ズキュウウゥン♪』





不意に阿求の荷物から響く、この世界に似つかわしくない陽気で奇妙な電子音。
思わずビクリと反応した阿求は何事かと、おそるおそる自分のデイパックへと手を入れた。

スマートフォンだ。音の発信源は確かにこの機械からだった。

一応の操作は何とか覚えた阿求だったが、未だ用途の掴めぬ現代機器の取り扱いには苦戦するばかり。
だがそこで、このメンバー唯一の現代人であるメリーは彼女の持つ支給品に興味を示した。

「あら? それ、古い型だけど『スマホ』じゃない。それが阿求の支給品?」

「『すまほ』…? メリーはこの機械を知っているのですか?」

「知ってるも何も、私達の世界でスマホを知らない原始人は居ないわよ。それは結構古いタイプみたいだけど」

もしかして遠回しに馬鹿にされたのだろうか。
ちょっぴり不満を抱えながら阿求は専門家に機器を手渡すことにした。
メリーは手馴れた手つきでスイスイと画面を弄り、ものの数秒かからずに音の正体をあっさりと突き止める。

「……どうやらメールが届いたみたい。差出人は……『姫海棠はたて』? これは……メールマガジンね」

スマホだのメールだのと、次々に知らない単語が飛び出してくる。
だが阿求はたった一つ、『姫海棠はたて』の名は知っていた。
そういえばあの鴉天狗も『花果子念報』なる低級新聞を発刊していた気がする。
よくわからないが、そのスマホなる機器の画面で彼女の新聞が見れるということだろうか。
だとすればビバ・人類の進化。外の世界では思った以上に技術進歩の発達が著しいらしい。


「――――――っ!! ぇ……こ、れ……、この…ひとって……っ!」


画面を見たメリーの顔が一瞬にして蒼白となる。
只事ではない事態を感じた阿求は反射的に画面を覗き込んだ。


「え……っ! この人、メリー……いや、………八雲紫、さま……!?」


その画面に写っていた人物は、スマホを持つ人物と瓜二つの―――



―――八雲紫が、魂魄妖夢を射殺するその瞬間だった。




▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「私ねぇ、妖夢と会えたら貴方をあの娘の師匠にさせようかな、なんて思ってたわ……。
 貴方の剣術って凄かったじゃない? きっと妖夢の良い訓練相手になると思ってたのよ……」

「いや俺なんて……精々が炎なんかを斬れるぐらいで、ケーキのロウソクに火を灯す時ぐらいしか役立ちませんよ」

「……炎を? 凄いじゃない、人間が雨を斬るのにも三十年かかると言われてるわ。益々妖夢の師匠にはピッタリね……」

「……俺もその妖夢さんと剣を交えてみたかったですよ」

「ふふ……そうね。 ……『世の中を思えばなべて散る花の わが身をさてもいづちかもせむ』、か」


―――それはどんな意味なのですか。

異国の詩に興味を示したポルナレフは、けれどもそんな疑問の言葉を投げ掛けることすら憚られた。
謳う幽々子の横顔があまりにも儚げで、それは吹けば消え去るほどに、または蜻蛉のように繊細な表情だったからだ。

この世に存在する限りは人とは儚いもの。
きっと、どこへ行くことも出来ない。

華麗なる蝶が如く、幽々子はそんな詩を口ずさんだ。


三角座りのまま消沈の解けぬ幽々子は、愚痴を零すように細々と隣のポルナレフへ語りを続ける。
ポルナレフはそれを真剣に聞き入れ、幽々子の気が済むまで優しく傍で見守っていた。
狂った己の凶行を止め、『矜持』と『居場所』を与えてくれた華胥なる亡霊、西行寺幽々子には恩がある。
それを省いても、彼女にはつい護ってあげたくなるような空気を醸し出していた。

―――きっと彼女を慕っていたという従者も、彼女を真摯に尊敬していたのだ。


「その妖夢って子は、貴女の大切な人だったんですね」

「……家族、かしら。娘といっても良いのかもしれないわね……」

その容姿すら知らぬ半人半霊の気持ちに同調し、ポルナレフは心から想う。


俺は妖夢ではない。彼女の代わりに幽々子さんの支えになる事など、出来よう筈が無い。
だが俺は戦士だ。幽々子さんを護る『盾』ではなく、敵を斬り裂く『剣』として彼女を護る。
家族を失った幽々子さんへの恩を返す唯一の使命こそがそれなのだ。
魂魄妖夢の無念を晴らすべく、彼女の『魂の剣』は俺こそが受け継がなくてはならないッ!
おこがましい気持ちだと思われようが、そいつが俺の『騎士道』なんだッ!
俺がこれから振る剣は、妖夢の剣だと思えッ!

俺に斬れねぇーモノなんぞ、あんまりねぇぜッ!!



「―――ふふっ」

幽々子が聊かに笑った。

「ふ…っ、ふふふ……。貴方、面白いわねぇ。今の、声に出てたわよ……? ホント、そーいう愚直なとこ、あの娘にそっくり」

「え……えぇ! で、出てました、か……? いや、恥ずかしいな……あはは……」


二人は小さく笑い合い、ほんの少しだけ幽々子の気持ちを救うことが出来た。
少なくとも、ポルナレフはそう感じた。





「メリー!? どうしたんですかッ!?」





背中から聞こえてきた阿求の驚く声に、ポルナレフと幽々子が同時に振り向く。
メリーが何事か蹲っていた。阿求が彼女の背中を揺すっている。

「どうした!? メリーに何かあったのか阿求ちゃん!!」

ポルナレフが慌てて駆け寄ろうとするが、メリーはよろよろと立ち上がりながらそれを制する。

「大丈夫、です……ただの、立ち眩みですから……!」

「ほ、ほんとに……? でもスマホの画面を見た瞬間、急に……―――っ!」

そこまで言いかけて阿求は思い出した。
先刻、ポルナレフを支配していた肉の芽をメリーが覗き見た瞬間。
阿求が何の気無しに『八雲紫』の名を口にした瞬間。
メリーの意識は混濁し、境界の世界へと旅立ったことに。


(わわ……! しまった私としたことが!
 メリーには『八雲紫』様に通ずる語句や光景はNGだと幽々子さんに言われたというのに!)

まさかスマートフォンの画面にかの大妖怪、八雲紫の姿が写し出されていたとは露にも思わない阿求は自らの失態を恥じた。
それを見てしまったことをきっかけとし、メリーはまたしても深く昏睡してしまうところだった。
しかしさっきの画面に写されていたのは確かに……紫だった。しかも見るもおぞましい光景として。

(紫様がまさかあんなことを……? ううん、きっと……きっと何かの間違いに決まってる!)

あの方は『あのようなこと』を仕出かす御方じゃない。
首を振り、先ほどの画面の光景を即座に否定する阿求。
それよりもまずは、メリーの体調の心配をせねば。

「本当に大丈夫ですか? 少し横になった方が良いかもしれません」

「……うん。でも、本当に大したことないのよ。だから心配しなくても良いわ」

「きっと疲れが溜まってたんだろう。もう少し落ち着ける場所を探して、ゆっくり休もう」

ポルナレフもメリーを心配して肩を貸す。
阿求はその様子に少しだけ安心し、さきほどのスマートフォンの『記事内容』をこれからどうみんなに説明するかを悩み始め、








「――――――ゆ、かり…………?」






幽々子が地面に落ちたスマートフォンを拾い上げている姿を目撃し―――絶句した。

画面には幽々子の無二の親友が、幽々子の誰よりも愛しい従者を撃ち殺す残虐な記事が眩く写し出されていた。





Chapter.3 『墨染の桜、不修多羅に舞いて』 END

TO BE CONTINUED…

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最終更新:2014年11月24日 17:29