呼び覚ませ、猿人時代の魂

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うっそうとした森の木々を縫うように、大きな黒い鳥が低空を飛行していた。
その鳥は枝葉に何度も翼と顔をぶつけながら、それでもそのスピードを緩めることはなかった。
ヒタヒタと追いすがる『足跡』から逃れるため、懐に抱きかかえる主を守るため、止まる事は許されなかった。

『逃飛行』は続く。

古明地さとりがお空の背中越しに後方を覗くと、『足跡』は相変わらずこちらの後をついてきている。
どうやらあの『足跡』、ある一定以上の速度は出せないらしい。
相変わらず油断のならない状況だが、現在目に見えている分だけマシというものだ。
何しろさっき木の中で奇襲を受けた時は、どこからどうやって現れたかもわからなかったのだ。
あれから目を離すのは、危険だ。
このまま一定の速度で逃げ回り続けている限りは、奇襲の心配はない。

とにかく今はこの禁止エリアとなってしまったこのB-4エリアを脱出しなくては。
あの足跡への対処は、その後だ。
先ほどまでの記憶を頼りに現在位置を推測する。
ここから最短距離でB-4エリアを脱出するなら、南へ進めばいい。


「お空、南へ進んで下さい。太陽を右手に見ながら進むのです。
 絶対スピードを落としちゃダメ。あ、無茶もいけませんよ!」

「……ッ! 了解しました! さとり様!」


さとりの指示に、お空は目いっぱいの声を絞り出して返す。
顔を見上げると頬に引っかき傷ができて、前髪には小枝がひっかかっていた。
八咫烏のエネルギーを宿したお空の飛翔は、出力と最高速度は凄まじい反面、小回りはまるで利かない。
速度を落とさずに、森の木々をかわしながら飛ぶのはさぞ大変だろう。
おまけに今はヒト一人抱えているというのに、不満の声をおくびにも出さない。心の中にも現れてこない。
聞こえてくるのは、主である私を守ること。今はそれで頭がいっぱいのようだ。
時々道を誤ることもあるけど、お空はどこまでも真っ直ぐな子だ。
彼女の真っ直ぐさが、歩くこともできない体たらくの自分の現状と比べて、眩しい。





“■■■■■■ ■■■■”



……幻聴?
お空?……必死の形相で前方を見ている。無駄口を叩いている余裕などなさそうだ。
辺りを見回すが、相変わらず足跡が追ってきているだけだ。
……先ほどの奇襲もあって不安だが、今は幻聴は無視。自分にできることをやらなければ。


「さとりさm……むぐう」

「いいから少しでもお腹に入れておきなさい。
 あの『足跡』に奪われたエネルギーを、少しでも取り戻さないといけないのですから」


空の口に、握り飯が押し込まれた。
さとりはお空にしがみつく両腕の袖の中から触手を伸ばし、デイパックの中から食料を取り出していたのだ。


「もぐ。口を、もぐ、開けて。もぐ、水です、もぐ」


咀嚼する間を与えず、今度は口元にボトルを突き出す。ついでに自分の口にもおにぎりを押し込む。
米粒を水で無理矢理流し込ませる。(ちょ、きついです、さとり様!)という心の声が聞こえたが、無視だ。
今は残念ながらゆっくり食事を楽しむ余裕はない。


「頭からかけます」


そう言って今度はペットボトルを持った触手をお空の頭上に伸ばし、ドボドボとひっくり返す。
お空の頭と背中から湯気が立ち上り、後ろの方へ流れていくのが見えた。
彼女の体温が異常に高いのは気のせいではないらしい。
やはり普段ならお空の右腕にあるはずの制御棒が無いせいなのか。





“mo■■re c■■s”



まただ。
周囲は……やはり足跡が追ってきているだけ。誰かが声をかけてきた様子はない。
耳元で話しかけられたように聞こえたのだが……。
さとりはおにぎりを押し込みながら周囲を見回し、気付く。
日の光が、後方から差している。日の出から間もない現在、西に進んでいるということだ。


「お空、そっちは『西』です! 禁止エリアの奥に進んでいます!」

「わかっています、さとり様……でもこの足跡が、邪魔して……!」


やはり……!
想定はしていたが、こちらを禁止エリアから脱出させまいと追い込んできている。
あの足跡から目を離すのは危険すぎる、だが、あの足跡をどうにかしなければ脱出は不可能。

お空には無理をさせてしまうが、上空を塞ぐ枝葉を焼き払って、樹木の届かないところまで高度を上げれば……。
飛行の障害物が減って、今のように足跡に追い込まれる事はないか……?
どうする……!
さとりが思考をめぐらそうとしたその時、『第三の目』が、別の声を捉えた。
今度は『外』からの声だ。


『喰■え■■■■■ェェ■■ーー■ッ!!』


右前方の木陰!
木陰に、先ほどの襲撃者の片割れ、赤い服の女がいる!

「お空! 右から!」

「!!」



その瞬間、さとりとお空の二人を、衝撃が襲った。
飛行する姿勢が崩れ、失速しかける。


「お空!!」


お空の口から聞くまでもなく、さとりの『第三の目』はお空の脚を何かがかすめたことを知る。


『これしき……!』


そして、それが大したダメージでなく、すぐに立て直せることも。

だが第三の目は、襲撃者のさらなる攻撃の予兆も捉えていた。


『く■■! ■う一発! 翼■狙え■、足■止ま■■ず!』


こちらが反撃する余裕もないのを良いことに、並走してさらなる攻撃を仕掛けようとする襲撃者。
女の手に持った植物は、さっきお空の焔を防いだ物体だ。
そこから、『丸い何か』が飛んできている。
『水中のガラス球』のように、透明だが、そこにあるとハッキリわかる何かが!


「お空、高度を下げて!」


さとりの指示にお空は地面スレスレまで高度を下げる。
さとりの背中が地面にこすれそうなほどの高度に。
『丸い何か』はお空の翼の上ギリギリをかすめ、左手、襲撃者と反対側の木にぶつかる。
……その瞬間、何かがぶつかり破裂した箇所から風が吹き出し、お空は突如バランスを崩す。

あの顔のついた植物が出す『丸い何か』とは、『空気の塊』だったのか?
……そうに違いない。
先ほどお空の焔を逸らしたのも、空気の塊で焔の燃焼をコントロールしたからなのだ。



と、呑気に謎解きをしている状況ではなくなってしまった。
思わぬ気流の乱れにバランスを崩したお空、僅かだが高度が低下した。
地面スレスレを飛行していた現在、それは致命的である。
胸元に抱きかかえていたさとりの背中が地面をこすり、ブレーキとなってしまう。


「さとり様! ……まずい、失速する! 追いつかれる、あの変な『足跡』に!」


必死に翼を羽ばたかせて高度を上げようとするお空だったが、


「終わりです」


襲撃者が無情なる一撃を放っていた。
再び植物から放たれる空気の塊、いや、『空気弾』とでも言うべきか。
今度は、かわせない。かわしようがない。
そして、余波だけであの威力の空気弾。直撃を受ければ、撃墜は免れない。
撃墜イコール、死だ。今度あの足跡に取り付かれたら、死ぬ。


(ああ、私、最期までお空の足手まといになっちゃった……ごめんね、お空)


そんな下らないことを思うさとりに、再び、あの幻聴が聞こえてくる。



“movere crus”



幻聴ではない。今度は、はっきり聞こえた。
さとりのお腹の中から、いや、お腹の中に入り込んだ何かから。
英語か、違う、どこの国で話されているのか、聞いたこともない言語。
だが、『第三の目』を介さずとも、その意味する所だけは何故かはっきりと伝わった。



“movere crus”

――『脚を、動かせ』と。



「お空! 私に、しっかりと捕まって!」


さとりは、ただしがみつくだけだった両の『前脚』をお空から離し、前方の上空へと向けた。
天を仰ぎ、祈るように。

さとりの両袖から、小さな風切り音が鳴る。
両袖から、鞭を振るうように鋭く、『第三の目』のコードが伸びる。
二本のコードは乾いた音とともに、上空に伸びていた太い枝を掴んだ。
そして枝に巻きついたコードは、二人の体を力強く引っ張り上げた。
襲撃者の放った空気弾も、『足跡』も追いつけない程の勢いで。

かくして二人は体勢を立て直す。
驚愕の表情を浮かべる顔面を地面に叩きつけた襲撃者を置き去りにして、足跡からの『逃飛行』はまだ、続く。


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目の前に伸びた枝に、片腕のコードを伸ばし、キャッチ。
コードを縮める勢いと振り子の原理を利用し、前進する。
枝を掴んだら、もう片方の腕のコードを伸ばし、更に遠くの枝にコードを伸ばして、再び前進。
基本はその繰り返しだ。

サードアイから伸びるコードを手足のように操ることのできる、さとり妖怪ならではの芸当である。
コツを掴めば、地面を走るよりずっと速く移動できる。

『脚を動かせ』という声をきっかけに窮地を脱した時、さとりは閃いたのだ。
足が動かなくとも、私にはこの両腕とコードがある、と。
もはや森の中を移動するのにお空の手を借りる必要はない。

実際、今もさとりは追ってくる『足跡』から一定の距離を保って逃げ続けることができていた。


「さとり様、すっげー! まるで……猿みたいです!」


さとりに並んで飛行するお空が感嘆の声を上げる。
うら若い少女を形容するのにいささか不適切な表現が含まれていたことは、ここでは指摘しないでおく。
二人が別行動できるようになったことで、ようやくこの状況を打開し、
襲い来る『足跡』を攻略する糸口がつかめるかも知れないのだ。


「お空、ここは二手に別れましょう。
 あの『足跡』は、おそらく一度に一つの目標しか追うことができません。
 挟み撃ちの際、足跡を分裂させずに別の者で襲わせたのがその証拠。
 現在足跡にマークされていない貴女は一旦、木々の上空に逃れてください
 私が森の中を移動して『足跡』を引きつけます」

「さとり様……それではまたあの女が!」

「ええ、あの『猫草』を持った襲撃者はまた私の行く手を阻んでくるでしょう。
 ……その時にこの『目』で何とか『足跡』の攻略法を探ってみます」


さとりは胸の『第3の目』をパチパチと瞬きさせて続けた。


「情報を聞き出したら、私が上空へ弾幕を放って合図します。
 お空は合図のあった場所へ向かい、襲撃者を攻撃して下さい。
 ですが、攻撃は一度だけ。貴女もかなり消耗しているのですから。
 攻撃の後は南で、B-5エリアで落ち合うこととしましょう。
 いいですか。深追いは禁物です。あくまで逃走の補助と考えて下さい」


良いですねお空、とさとりが口に出した時、既にお空は樹冠を突き破り、はるか上空へ飛び立っていた。


「ほんと、その行動力は頼りになる子なのだけど……話は最後まで聞いてたのかしら」


小さくなってゆく影を見上げながら、さとりは心配そうにつぶやいた。


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「くそっ……」


地面に突っ伏した静葉は、それだけ呟いて立ち上がる。

あと2分もしないうちに、後から追ってきている寅丸さんが
『ハイウェイ・スター』で再び私の位置まで二人を誘導してくれるはずだ。
脱出に必要な時間も考えれば、次が最後のチャンスだろう。
次で必ず二人とも仕留める。そうでなければ寅丸さんに無理を言った申し訳が立たない。

……そう、静葉がわざわざ手を下さずとも、
寅丸さんの『ハイウェイ・スター』のみで二人を仕留めることは可能だろう。
何しろ、静葉のいる位置まで二人を追い込むことができる程、
『ハイウェイ・スター』を上手く操作することができるのだから。肉食獣の本能とでも言うのだろうか。
わざわざ静葉を追撃に出すまでもない。
彼女なら二人をこのB-4エリアから脱出を許さずに10分間近く追い回し、
自爆に追い込むことなど容易いに違いない。

だが、静葉はこうしてここにいた。
『虎の威を借りて』いるだけでは、強くなれない。
いずれはその虎さえ打ち倒し、あの計り知れない主催者たちに挑まなければならないのだから……。

あの大怪我を追っていたさとり妖怪が先ほどの窮地で思わぬ力を見せたように、
自らを窮地に追い込まなければ、成長することはできない。
……思えば、不条理だ。滑稽だ。自分を成長させようとしたはずなのに、敵の方が成長してしまっている。
ならば、それさえも自分の糧にしてみせる。
……でなければ、私に待つのは惨めな結末だけだ。



静葉が気を取り直すと、枝葉のテンポよく揺れる物音が近づいてきた。
寅丸さんが、上手く誘導してくれた様だ。

……待て、様子がおかしい。
あの地獄鴉は、こんな音で飛ばない。
まるで、これは……。

静葉の視界に物音の正体が映る。


「何、アレ……猿!?」


静葉は思わず叫んだ……猿だ、猿がいる。古明地さとりが『足跡』を引き連れて向かってきている。
古明地さとりが両腕の袖から伸びるコードを交互に伸ばし、
空中に伸びる木々の枝を手繰りながら移動している。猿のように。
その速度は『ハイウェイ・スター』にも劣らない。
実際、彼女は追いすがるあの『足跡』から一定の距離を保ち続けている。

近づいてくるさとり。
猫草をさとりに向けて構える静葉。

そこで浮かぶ、疑問。
あの地獄鴉はどこへ行った?
……さとりを置いて一足先に脱出したか?
あれほど必死に守ろうとしていたご主人様を置いて?

そんな静葉に向かって、さとりが話しかけてくる。



「ごめんなさいねぇ、一人で来てしまって。
 お空には、途中で見つけた虎の妖獣を襲わせたわ。
 今頃、彼女は『トラ焼き』になっているんじゃないかしら」

「なっ……」


静葉は木の上を俊敏に渡るさとりに懸命に並走しながら、彼女の後ろを見る。
……さとりの後を追う『足跡』は、『ハイウェイ・スター』は未だ健在。
つまり、本体の寅丸さんは無事で、今も射程距離内に、つまり私達と同じB-4エリア内に居る。


「……なるほど、ね」


こちらを横目で見るさとりが、ニヤリと厭な笑みを浮かべた。
彼女の胸に付いた目玉も、間近からしっかりとこちらを見ていた。
心を、読まれた。


「……カマを掛けたのね!」


静葉は猫草から空気弾を乱射しさとりを狙うも、まるで当たらない。
こちらの狙いを読んでいる上、触手を使った巧みな身のこなしで狙いを絞ることができないのだ。


「攻撃の意思しか読めなくなったわね。残念。質問タイムはお開きかしら」


おもむろにさとりの『第三の目』が上空を向き、一筋の光を放った。

……狼煙だ。
誰に向けて? あの鴉しかいない。
足跡はひとつの目標しか追えない。さとりが足跡を引き連れているということは、あの鴉はフリー。
何を知らせた? この場所の、私だ。
狼煙の意味を察した瞬間、静葉の勘が最大音量で悲鳴を上げる!!



!!Caution!!  Caution!!  Caution!!  Caution!!


朝だというのに、太陽がいつの間にか『真上から』激しく照りつけている。
パチパチ、と、薪の燃えるような音が頭上で広がる。

見上げると、頭上の枝葉が綺麗に消えて無くなり、まばゆい光の球と円い青空が出現していた。
木々の間近に出現した『太陽』の放つ熱が、枝葉を一瞬の内に発火させ、焼きつくしたのだ。
円い青空はその跡だ。
青空の縁が火の輪を描き、その中央に映るは勿論、もちろん黒き凶つ鳥の影!


!!Caution!!  Caution!!  Caution!!  Caution!!


「核熱、『核反応制御不能』!! 消し飛ばせェェェーーーーーッ!!」


凶つ鳥は叫び、右手を静葉に向け振り下ろす。
光の球がいくつにも分裂し、静かに飛来する。
ギラギラとした球体は森の木々を飲み込み、瞬時に蒸発させながら大地へと吸い寄せられてゆく。
一つ一つの狙いは大雑把。だがそれ故に巻き込む範囲は広大で、静葉の足で逃げ切る事は不可能。
静葉があの攻撃から生き残る方法はただひとつ。


!!Caution!!  Caution!!  Caution!!  Caution!!


「ス、『ストレイ・キャット』!! 防御をー!!」



猫草を天にかざし、防御を試みる静葉。
だがさすがの猫草もあの巨大な熱量を前に恐怖し、暴れだしている。
両手から抜けだそうとする猫草を、静葉は何とか押さえつける。


「うっ!」


その時静葉の左手の甲に、鋭い痛みが走った。
静葉の頭上を超え、逃げ去ろうとしていたさとりが、コードに持った草刈り鎌で静葉の手を切りつけていたのだ。


「浅い……『空気の塊』に阻まれたか。いずれにせよ、私ができるのはここまでね」


静葉の手から、猫草がこぼれかける。
降り注ぐ無数の光球を尻目に、さとりは足跡を引き連れ、樹の枝を伝って静葉とお空の元を離れていった。


「い、いやあああああああああ!!」


響き渡るは静葉の悲鳴のみ。
幾つもの白熱する火球は不気味なほど静かに大地に着弾し、辺り一面を白く焼きつくしていった。



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「ハアッ、ハアッ……」


さとりはお空の攻撃の巻き添えを食わぬよう、全速力で樹上を渡っていた。

ほぼ作戦通りだ。襲撃者の片割れをおびき出し、
あの『足跡』……『ハイウェイ・スター』の情報を聞き出して攻撃を加えることに成功した。
しかし……。


「お空、逃げる手助けで良いと言ったはずだけど……」


アレはさすがにやり過ぎだ。
制御棒を失った空、やはりエネルギーを制御できていないのだろうか。
それとも私の話を最期まで聞いていなかったのだろうか。


「力を使い果たしていないかしら……って熱い!」


全速力で離れている途中のさとりだったが、攻撃の余波で背中が熱い。
振り向くと、お空の攻撃による巨大な熱量の余波は爆心から100m以上離れ、
今も逃げ続けているさとりの背後にも及び、木々を炎に包んでいた。
分厚い炎と煙に阻まれ、お空と襲撃者の様子はとても伺えそうにない。

そこでさとりは気付く。
さとりを追ってきているはずの、足跡の姿が見えない。

振り向くと、20mほど離れた場所で、置いてけぼりを食らっていた。
燃え盛る地面の上をいくつもの足跡がピクピクとうごめいている。



「追い掛けて来ない? こちらの姿が見えていないの?
 ……あの足跡は、どういう原理かは判らないけど、炎で撹乱できるのかしら?」


……じっくり様子を伺いたいところだったが、ここはまだ禁止エリアの中。
さらに、さとりの足がかりとなる樹木は爆心地から広がる炎で次々焼け落ちようとしている。
お空は心配だが、この場に長居はできない。
確か、命蓮寺の妖獣(寅丸星という名だったか)と
同じエリアに居なければ『足跡』が追ってくることはできないはずだ。
さとりは再び木々をコードで手繰り、B-4エリアからの脱出を目指した。

そこでさとりは、ふと、疑問を抱く。
我ながら、よくもこれほどまでに達者に木々を渡れるものだ。
生死の掛かった状況で必死だったとはいえ、あまりにも上手すぎる。

さとりは、今のように木々を渡った経験はない。少なくとも、記憶にはない。
いつも住んでいる地底にこの様な森は存在しないのだ。
おまけにこのさとり、自慢ではないが運動神経には全く自信がない。
こうして身体を動かすのは、苦手な方であると自覚している。

だというのに、今日初めて挑戦したはずの木々を渡る動きが、
歩いたり飛んだりするのと同じくらい、身体に染み付いた動作であると感じていた。
何故だろう?



……猿だ。
答えは、お空とあの襲撃者が教えてくれていた。
そうだ、私は、『覚(サトリ)』とは、猿だったのだ。
思い出した。『覚』は、元々は狒々(ヒヒ)……つまり猿の姿をとった妖であると言い伝えられていた。

太古の昔、まだ地上の森の中で暮らしていた『覚』は、
今の私のように、サードアイから延びるコードを『脚』として、木々を伝って移動していたのだろう。
人間達はそれを見て、『覚』が猿の妖怪だと言い伝えるようになったのだろう。

今考えついた私のこの説に根拠など、ない。
強いて言えば、木々の渡り方を覚えている、この私の身体が証拠だ。

……それにしても、不思議なものだ。
このお腹の中の『モノ』から響いてきた声がきっかけで、私は歩く術を思い出したのだ。
これが何なのか、相変わらず判らないままだが……
私にとって『吉』となってくれるモノであることは間違いなさそうだ。

僅かながら、光明が見えてきた。
それを実感すると、自然と『足取り』が軽くなる、古明地さとりだった。

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最終更新:2014年09月23日 22:39