抜粋します。リンク対策です。
【尖閣危機】中 「極秘訪中」の裏側で… 2010.10.16 01:20
ニュースは民主党前幹事長代理、細野豪志が訪中していることを伝えていた。細野は沖縄・尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件の打開策を探るための「密使」だった。
先の議員が絶句したのには理由があった。北京市内のホテルで記者団に囲まれる細野の傍らに見覚えのある男が映っていたからだ。
男は日本企業の中国進出を支援するコンサルタント。自民党政権時代から日中のパイプ役を果たしてきた。この人物の話題は瞬く間に永田町に広まった。官房長官、仙谷由人とは学生時代からの友人だとも伝わってきた。
話を聞きつけたあるベテラン議員は
「民間人に頼るとは首相官邸も相当焦ってたんだな」と語った。
(中略)
細野訪中は10月4日の首相、菅直人と中国首相、温家宝の会談につながった。首脳会談に向けての一連の動きのなかで、外務省は「蚊帳の外」に置かれた。
「官邸は外務省ルートを信じず、素人が危ない対中折衝を繰り返している」
外務省幹部は指摘する。コンサルタント氏の“活躍”はその一端だ。
(引用ここまで)
仙谷の全共闘仲間のコンサルタントとは・・・
戴秉国の友をえらばば篠原令、
これは篠原令のこと。
細野訪中にも同行していた篠原もまた
全共闘の夢を追い、流れついた地は中国とソウルという人物。
仙谷主導の全共闘外交で外務省は蚊帳の外。その結果、廊下で行なわれた日中首脳会議では中国語通訳不在という前代未聞の事態を招くことに。」
篠原令
1950年生まれ。早稲田大学中国文学科卒業。
シンガポール南洋大学、韓国ソウル大学留学。澁澤栄一翁の孫、澁澤正一氏の秘書を経て米国の生命保険会社のアジア担当。その後、米国シリコンバレーでハイテクベンチャー企業の設立に複数参加。
八十年代末に拠点を中国に移し、アスキー、セコムなどの中国進出を手がけ、大手企業の中国進出のコンサルタントを続けて今日に至る。
その間、中国緑化のための100億円小渕基金の設立、日中緑化議員連盟の設立などにも関与。
全共闘世代の華僑青年同盟のカリスマ、僕の「兄&師匠」の李さんに紹介していただいた方です。
中国、安徽省の巣湖の環境プロジェクトを実現しようと、中国の共青連と一緒に一年半ほど仕事をさせてもらいました。
僕を知る人は、僕が中国に背を向けていると思っているようです。別に大した意味はなく、生来のへそ曲がり、今皆が中国に向かっていくので僕はやる気が出ないというだけです。
そんな僕と中国の付き合いでしたが、篠原さんと共青連の金融・日本との関係の大家、カ先生(漢字がでない)を見てしみじみと学んだことがあります。
篠原さんは、日中国交回復のはるか前に、共産党経由で、香港から深釧に入国し、中国に留学していました。今から40年前のことです。そのときのホストファミリーが、実はカ先生だったのです。
日中国交回復のはるか前に、共産党経由で、香港から深釧に入国し、中国に留学していました。今から40年前のことです。
なるほどね、そりゃ中国共産党に顔が利くコンサルタントでしょうよ!
レンホー大臣の仲人までした中国共産党御用達の革命家ジャーナリスト・高野孟と同じくらい中国共産党御用達のコンサルタントだこと!
仙谷官房長官の全共闘仲間
高木健一(慰安婦・サハリン残留朝鮮人賠償問題でマイク・ホンダと活躍中の弁護士)
高野孟(民主党結党時に基本政策を作った中国御用達ジャーナリスト。レンホーの仲人)
篠原令(中国国交回復前に中国共産党のおかげで中国留学・妻は韓国人!)
段躍中
現在地 池袋
Web
http://jp.duan.jp/
自己紹介 日本僑報社編集長、日本湖南人会会長。
日中関係と華僑華人のニュースを日々日中二カ国語で発信しています。
ブログ「段躍中日報」
なるほど~~、また出た中国華僑団体の【日本湖南人会】!
村山富一元首相が特別顧問を務める【日本湖南人会】と篠原令が繋がっている!
- 日本共産党 日本共産党中央委員会 善隣学生会館事件の一方の当事者。
- 社会民主党 善隣学生会館事件では、社会党は華僑青年側を支持しました。
- 日本労働党 日本労働党は、1966年に日本共産党から分裂した親中国派の日本共産党(左派)や善隣学生会館事件で華僑青年を支援
したML派の人たちなどがつくった政党。
民主統一同盟は、善隣学生会館事件で華僑青年を支援したML派(社学同ML派→日本ML同盟)の壊滅後、残った人たちなど(レーニン研という組織からも参加したということです)が結成したマルクス主義青年同盟が、さらに名称変更した政治組織です。
いまでは左翼を卒業(?)して、民主党や自由党の選挙などの応援もしているということです。
1968年~69年の東京大学における全共闘運動において、学生側(当時は私もその一人であった)
仙谷 由人(せんごく よしと、1946年1月15日 - )東京大学法学部
村田 忠禧(むらた ただよし、1946年7月6日 - ) 東京大学文学部
仙谷と、華僑団体と仲良しの村田忠禧は、東大時代に闘った全共闘の同志!
今の日本の状況のシナリオを書いているのは、
仙谷ら全共闘仲間と、【日本湖南人会】在日華僑団体と、中国共産党ではないだろうか・・・
最終更新:2013年07月09日 02:05