電話の歴史

 電話の始まり

電話は1876年、アレクサンダー・グラハム・ベルが開発した歴史的発明品である。
日本に渡って来たのは翌年の1877年、アメリカから初めての輸入品として2つの電話機が贈られた。
翌年にはアメリカで148社の電話会社が開業、各社が挙って電話の研究を開始した。
日本もその中で初の日本製の電話を開発したが、長距離伝送に不向きな性能であったために41台製造しただけで打ち切られることになった。
その後、日本の技術で作られた2号目の電話機は30年以上たった1909年に生まれる。
逓信省の管轄のもと、制式化・提供開始がなされた。
この時期に使われていた電話は以下の種類に分けられる
  • 卓上型
  • 壁掛け型
  • 共電式
  • 自動式
  • イ-660形自動式壁掛け電話機
この当時電話加入権を持っていたのは法人/商家に限られていた。
 

黒電話の登場

黒電話の元祖と言われる3号電話機は1933年に逓信省によって制式化され、提供が開始された。
その後、様々な問題を解決すべく3号電話機の改定機が数多く登場することになる。
そして1950年、ついに4号電話機が登場、1952年から提供が開始された。
総生産台数は400万台にのぼり、木製以外では初めてとなるブラック以外の配色のものが発売された。
それまで公衆電話はすべて家庭用と同じものを逓信省が設置していただけだが、このころから色をレッドに統一した赤電話が登場した。
このように、4号機が様々な場所で幅を利かせてきたことで、1つの問題点が浮上した。
それ以前に広く普及していた2号壁掛け式は4号機に比べて伝送性が低く、4号機の性能を前提とした工事を行うと途端に支障をきたしてしまった。
当時は20万台が使用されていたが、4号機の新規加入者が多く、2号機は更新する事が出来なかった。
 
1963年、600形電話機が制式化され、提供が開始された。
アナログ回線による単機能電話機として「完成された電話機」と呼ばれるほどの性能を有した。
この登場により20パルス/秒のパルスダイヤルが必要となった。そのため従来の10パルス/秒のダイヤルモデルを600-A1、20パルス/秒を600-A2と呼称するようになった。
ちなみに、なぜこの名称が5号機ではないかというと、アメリカの黒電話『Western Electric 500型』に対抗したため。
アメリカでは黒電話の事を『black rotary-dial telephone』(ブラック ロータリーダイヤル テレフォン)と呼んでいた。
 

黒電話の衰退

黒電話が衰退していったのは1985年、日本電信電話公社が民営化されNTTになり、また、現KDDIをはじめとする電気通信事業者の登場が関係している。
これにより、自由に端末を選ぶ事が出来るようになり、従来のレンタルしていた形式から家電店で買う事が出来るようになったためである。
その後コードレス電話の販売が許可されるなど、様々な種類の電話が登場し、黒電話は姿を消した。
 

携帯電話の登場

携帯電話は1960年代ごろから少しずつ軽量化がなされ、1985年に肩掛けタイプの電話が発売された。
従量は3kgと重く、携帯電話として呼称されたのは1987年にNTTから発売された750gのものであった。
改良かされ始めると、続々と企業が使うようになり、それと同時に携帯電話での営業なども始まるようになった。
現在の企業の発展は携帯電派の葉ってのんの歴史ともいえよう。
現在の主流であるスマートフォンは2007年に姿を現し、現在ではiPhoneなど最新機種が次々と発売されている。
 

 

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最終更新:2013年07月19日 14:24