『葦菜部(仮) ~希望崎学園部活動探訪記~』


 「却下された、ですってーっ!?」
 予想外もこの上なかったからこそ出た、素っ頓狂な大声。それに怒りの色が加わるまで、大した時間は必要とされなかった。
 「いったいどういうことなのよっ!?」
 埴井葦菜(はにい・あしな)は怒声と共にばんっ、と両手で机を叩き、ずいっ、と報告者に顔を近付ける。ぷんすかと怒る顔もそれはそれで魅力的なのだが、残念ながら迫られている方はそれを満喫できる状況ではない。
 葦菜の迫力ある詰問を受けてびくり、と首を竦めたのは月も恥じらう可憐な少女──────────ではなく、少年。
 一一(にのまえ・はじめ)は自らを怒鳴りつけた相手へ恐る恐る説明を試みた。
 「僕も聞いてみたんだけど、生徒会長が言うには…………」

 ──────────学生の自立的活動として、新しいクラブの設立を認める事自体はやぶさかではない。三人という少人数ではあるが部員を集めた事も評価しよう。
 ──────────だが、肝心の活動内容が今一つ明白ではない。昨今クラブの乱立も指摘されている現状、何をやるのか分からないクラブや、他に類似のクラブがあるものについては残念ながら認める事は出来ない。

 至極真っ当で、クラブ設立の申請書を持参した一も思わず納得してしまう当然の意見だった。
 そもそも葦菜がただ目立ちたいが為に(本当はもう一つ、一には秘密だったが葦菜が一と二人で過ごす時間と名目を作るという目的はあったのだが、第三者の加入により既に目論見としては破綻している)作ろうとしている部である。全国大会出場のような目標や目的どころか、名目すらも何を目指すものでもない事は指摘されるまでもなかったのだが──────────。
 当然、この程度で諦める葦菜ではない。逆にその瞳にはめらめらと炎が燃えていた。
 「それであんたは、何も言い返さずにのこのこ戻って来た、と…………」
 「は、埴井さん、顔が怖いよっ!?」
 般若の如く目を吊り上げて詰め寄ってくる葦菜をどうどう、と抑える一。
 「まぁ、薄々こうなるような気はしていたけれど」
 燃え上がった葦菜の心に水を差すように、静かな声が横合いから入る。
 「分かってたなら最初に言いなさいよっ! っていうか、なんであんたまで居るのよ?」
 噛み付きそうな猛犬の眼差しを向けられた眼鏡の少女──────────彼女は一と葦菜のクラスメイトであり、設立される新しいクラブ(予定)の一員、守口衛子(もりぐち・えいこ)だった。
 衛子は葦菜の剣幕にも一向に怯む様子も見せずに冷たく答える。
 「どうせ言っても聞かないでしょ、貴女は。あと、ここは教室なんだから所在に口を出される謂われはないわ」
 理路整然とした正論の口調はだからこそ、葦菜には気に食わない。
 そして逆に葦菜の飛躍した脈絡の無さが、衛子には気に食わない。
 炎と氷、水と油。まさしく二人は犬猿の仲だった。
 「まぁまぁ、二人とも…………これから同じ部活で一緒にやるんだし、仲良く…………」
 「あんたは黙ってなさいっ!」
 「一くんは黙ってて」
 仲裁に入ろうとした一だったが、こんな時だけ息の合った二人の叱責に小さくなるしかない。
 「ご、ごめんなさい…………」
 一としてはどちらも大切な友人なので二人には仲良くして欲しいのだが、なかなか思うようにはいかない。事ある毎に衝突する二人が仲良くなれば、と葦菜の提唱した新しいクラブに衛子を誘った一の目論見は今のところ功を奏しているとは言えず、むしろ逆効果だった。
 (う~ん、何か良いきっかけでもあれば良いんだけど……)
 その鍵を握っているのが、そして何より二人の対立の理由が自分にある事を幸か不幸か、一はまだ知らない。
 「…………ともかく、こうしてても仕方ないわ。行くわよ」
 衛子との不毛な舌戦に終止符を打ち、立ち上がる葦菜。争いが終わったのは喜ばしい事だが、次なる行動を示す宣言に一は一抹の不安を覚える。
 「行くって、何処に?」
 「決まってるでしょ? 他のクラブの敵情視察よ!」
 「別に敵じゃないと思うけれど」
 衛子が口を挟む。
 「えーい、うるさい! 他のクラブがどんな事をやっているかを調べてみれば、あたしたちも独自性のある活動ができるでしょ?」
 意外に説得力のある提案に、一も異論の余地はない。
 「確かにそれは一理あるかも…………」
 「ふっふーん♪ もっとあたしを褒めなさい!」 
 希望崎学園におけるクラブ数は膨大な数に上る。それは決して誇張された表現ではなく、大小、公認非公認合わせた総数を把握している者など誰もいない。
 非公認の小さなクラブなら、言ってしまえば設立者一人さえいれば名乗る事は可能である。それゆえにその数は際限なく膨れ上がり、重複や乱立が問題視されるまでになってしまっている。
 もっともそれは部費もなければ部室もない、同好会のような存在でしかなかったが。
 そして当然葦菜が目指すのはそんな小さなものではない。目的の一つが達成不可能となってしまった現在、残った方の目標は何処までも大きい。
 「目指すは学園生全員を部員に!」
 「それ、もう部活動じゃないんじゃ……?」
 「彼女に付き合っていたら時間が幾らあっても足りないわ。とりあえず見に行きましょうか」
 得意満面で胸を張る葦菜を尻目に衛子も立ち上がると、一を教室から連れ出す。
 「そ、そうだね……」
 「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! あたしが先頭で行くの!」
 ぎゃあぎゃあと賑やかに、三人は部室棟へと向かうのだった。

 前述の通り、全てのクラブを見て回っていては日が暮れるどころか下手をすると卒業してしまう──────────というのは流石に言い過ぎだとしても、ある程度絞る必要はあるだろう。
 そんな話をしながら一たち三人は教室を出ると校庭を横切り、部室棟の前へとやって来た。
 「うっわー…………随分ぼろっちいわね」
 「趣きのある、と言えば聞こえは良いけれど……」
 葦菜と衛子、発した言葉は異なるものの込められたニュアンスは同じで、一としてもそれには同感だった。
 「確かに古そうだね……」
 希望崎学園の敷地内に建つ部室棟──────────より正確に言えば、旧部室棟と生徒から呼ばれている建築物。それを三人は見上げる。
 旧があれば新もあるのが当然で、そちらは現代的な鉄筋コンクリート造の真新しい建物であり、クラブの中でも有名で力のあるクラブが入っている。
 対してこちらの旧部室棟は木造建築で、戦前から存在しているという噂が建つ程の大変な年代物──────────平たく言えばオンボロだった。
 そして中に入っているクラブは新部室棟に入れなかったマイナーなクラブ……歯に衣着せずに言えば、弱小クラブである。
 「でも、どうしてこっちから調べるの?」
 葦菜のメジャー志向からすればマイナーなクラブには目も向けそうにないものだが、意外にも旧部室棟からの調査を主張したのは葦菜だった。
 「まぁ、有名なところは態々調べなくても凡そ分かる、というのはあるわね」
 衛子の言はもっともで、活動内容の重複を避けるという事なら調べるまでもないクラブは多い。
 「その通り。でもそれだけじゃないのよ」
 と、衛子の意見を肯定しつつも含みを持たせる葦菜。その様子が気になって、一も口を挟まずにはいられない。
 「いったい何を考えてるの……?」
 「あんた分かんないの? 全く、鈍いんだから……」
 呆れたような口調だが、その表情には説明したくてうずうずしている得意そうな色が隠せない。
 「そんな事言わず、教えてよ……」
 こんな時、下手に無視したりすると途端にすねて不機嫌になるのは分かりきっているし、さりとて答を当ててしまうと余計に機嫌を悪くしてしまうのも葦菜の性格上火を見るよりも明らかである。無駄に爆弾を爆発させぬよう、一は辛抱強く尋ねた。
 「いい? この旧部室棟に入ってるクラブは部室こそあるけど部員が数人以下…………ひょっとしたら一人、ってこともあるようなクラブよ」
 「うん……それで?」
 「だから、実際調査してみれば実態のない幽霊部もあるんじゃないか、ってこと」
 「設立時は存在していても、退学やら何やらでいつの間にか部員が0になっている…………まぁ、あり得ない話じゃないわね」
 話を聞いていた衛子も腕組みしながら頷く。時として”ハルマゲドン”と呼ばれる激しい抗争の起こる希望崎学園においては、通常の退学に加えて死亡による除籍も決して珍しい話ではない。
 「つまり、その辺りを調べることでクラブ総数を圧縮出来れば、新しいクラブ設立も認められやすいと思うのよ」
 「なるほど……」
 葦菜にしては非常にまともで傾聴に足る意見である。一も思わず感心してしまった。
 「それに、うまく行けばそのまま部室を乗っ取ってあたしたちで使ったり、場合によっては弱小クラブを傘下に収めて一大勢力を築き上げたり…………そしてそのトップにはあたしが!」
 「埴井さん、悪い顔になってるから…………」
 ぐふふふふ、と美少女がしてはいけない悪どい含み笑いを漏らす葦菜を窘めつつ、やっぱり感心するんじゃなかった、と人知れず溜息をつく一だった。

 「えーっと、最初はアイスホッケー部か……」
 部室の扉に掲げられた看板を見上げるようにして、一は呟く。
 「鬼が出るか蛇が出るか……ね」
 魔人という存在は時として常識を超える。衛子の呟きはまさにそのものだったが──────────。
 「ふん! びびってんじゃないわよ。別に何が出たって取って食われる訳じゃあるまいし!」
 慎重な二人を尻目に、威勢良く扉をがらりと開けた葦菜の眼前に。
 虎が居た。
 「…………へ?」
 「…………がう?」
 それは比喩的な意味でも通称的な意味でもなく、掛け値なしに文字通りに。
 虎が居た。
 お見合いのように互いの顔をまじまじ、と見つめ合う葦菜と虎。その時間は長いようでいて一瞬で──────────。
 「ガオーッ!!」
 「きゃあぁぁぁぁぁ!?」
 ばたーん! と扉を閉める葦菜の反応はこの上なく速かった。
 暫く扉の向こう側で吠え声が上がっていたが、やがて静かになる。
 「な、なんだったのよ一体……?」
 「えっと…………虎、かな」
 「そんなことは分かってるわよ! あたしが聞きたいのはなんで虎なんかがいたのか、ってことよ!!」
 「く、苦し……僕に言われてもっ……」
 葦菜に襟元をぎゅうっ、と掴まれ、絞り出すような声で答える一。一にしたところで、部室の中に虎が居た理由など分かる筈もない。
 「…………まぁ、この学園で常識を期待する方が無理のある話ね」
 一人冷静な衛子。そもそも彼女たち自身が常人の観念から外れた存在──────────魔人であるのだ。今更虎の一匹や二匹、大騒ぎしても仕方のない事だった。
 ライバルの落ち着いた様子を目にした所為か、やがて葦菜も平常心を取り戻す。いつまでも取り乱しているところを見せる訳にはいかないのだ。
 「まぁいいわ、アイスホッケー部には虎がいる、と」
 調査結果を口にする葦菜と、慌ててそれを筆記する一。正気を疑われそうな内容ではあるが、事実なのだから仕方がない。
 「さぁ、ぐずぐずしてられないわ。どんどん行くわよ!」
 一発目で度肝を抜かれた所為か、半ばやけっぱち気味に葦菜は宣言する。もっとも、人間思い切りが肝心を地で行く彼女の事なのである意味これは開き直りとも言えた。
 「確かに慎重さも大切だけれど要領も大事ね」
 古びているものの大きさだけは立派な部室棟。衛子の言う通りのんびりペースではなかなか調査も進まない。
 「よし、じゃあ…………試しに一人一部屋で行ってみましょう!」
 先程の事を考えればなかなか二の足を踏んでしまうが、葦菜は手分けを宣言する。
 「大丈夫…………?」
 心配する一だったが、
 「まぁ、そうそうさっきみたいなことはないでしょう」
 と、衛子も賛意を示した為に自らの主張を引っ込めた。
 「じゃああたしはこっち、衛子はそっち。あんたはそこね!」
 てきぱき、と指図して分担を割り振る葦菜。この手のリーダーシップはお手のものである。
 「僕の方は……『ADVの会』? 何の略だろう…………」
 何らかの略称なのは間違いないが、全く見当もつかない。実際に見てみるしかないだろう。
 一方、他の二人の担当はもっと難解である。壁に掛かった薄汚れた看板は文字の部分の色褪せが酷く、どちらも「~~研究部」の表記だけが辛うじて読み取れるものの、肝心の活動内容を示すであろう名称部分は読み取れない。
 「気にしない気にしない、そんなの入ってみれば分かるわ!」
 「まぁ、部員に聞くのが一番ね」
 葦菜も衛子も、度胸は一よりも余程座っている。
 「じゃあ…………後で」
 三人、揃って扉をノックして──────────。

 「ふぅ、つい長話しちゃったな……」
 ADVの会から出てきた一は思わぬ時間の経過に大きく息をついた。
 軽く話を聞かせてもらうだけのつもりだったのだが、ADVの会会長である鈴木皇帝(すずき・こうてい)が一の友人である鈴木三流(すずき・みりゅう)の実兄であり、会員の渡辺千代子(わたなべ・ちよこ)共々一の姉である一四(にのまえ・あずま)と面識があるという意外な事実が判明し、予想以上に話が盛り上がってしまった所為で予定の時間を大幅にオーバーしてしまっていた。
 しかも日々数々の奇人に接しているお蔭でなかなかの聞き上手スキルを会得している一を皇帝が気に入ってしまい、自分語りを存分に聞いてくれたお礼としてお土産まで持たされてしまう始末。
 「お待たせ、埴井さん、衛子ちゃん…………あれ?」
 てっきり待ちぼうけさせてしまっていると思ったが、見回しても二人の姿は何処にも見えない。
 「先に帰っちゃった……とかはないと思うけど……」
 と、ちょうどその時一の両隣の部室の扉が開かれて葦菜と衛子の二人が出てきた。
 「あ、二人の方も時間が掛かったんだね…………どうしたの?」
 「…………」
 「…………」
 何故か押し黙ったままの二人に、一は怪訝な表情を浮かべる。
 二人の様子がどこかおかしい。
 よく見れば二人共入る時は持っていなかった紙袋を持っていた。一と同じようにお土産でも貰ったのだろうか。
 加えて、薄暗い廊下の古い蛍光灯の所為ですぐには気付かなかったものの、二人の顔を眺めてみればこの上なく赤面していた。
 「な、何であの子がここに…………っていうか、こんなクラブに所属してたのね……なんか納得しちゃった……」
 「ふ、不潔だわ、あそこにあんなものを…………で、でも、調査の為だからじっくり見る必要があった訳だし……」
 うわ言のように呟く二人。一の姿どころか声も届いていないようで。
 「えーっと、何のクラブだったの? それ、お土産か何か?」
 反応を求め、先程よりも少し大きな声を掛ける一。同時にそれぞれの肩を遠慮がちに突付く。
 「「ひゃっ!?」」
 予想以上の二人の反応に、一の方が驚いてしまう。
 「埴井さん? 衛子ちゃん……?」
 「な、何?」
 「どうだった?」
 先程の言葉が届いていなかったようなので、重ねて問い掛ける一。
 「えーっと、僕の方はクラブの人の今までの活動報告っていうか、体験談っていうか……色々な話を聞かせてもらったかな。あとは武勇伝を収めたDVDだとかも見せられたし、お土産にまでもらっちゃった。…………埴井さんと衛子ちゃんの方は?」
 「あ、あ、あたしの方も大体同じようなものね!」
 「そ、そうね…………大筋では同じ感じよ」
 二人揃ってややしどろもどろながらも、一と同様の体験をしたのだと分かる。お土産をもらったところまで一緒なのを見ると、やはり何処のクラブも自分たちの活動を他の人にも知って貰いたい──────────或いは自慢したい、同好の士を求めるのは同じなのだろう。
 「そうなんだ…………えーっと、じゃあ次に行く?」
 「きょ、今日はこのくらいにしておきましょうかっ!」
 「そ、そうね! 私も護身術部の方に顔を出さないといけないし!」
 二人揃って、唐突に本日の調査終了を切り出す葦菜と衛子。そんな二人の様子に、一は不審な表情を浮かべた。
 「えっ……まだ始めたばっかりだよ?」
 「いいのいいの! こういうのは焦っちゃ駄目なのよ!」
 「急がば回れ、とも言うし!」
 日頃は衝突してばかりの二人の意見が、何故か珍しく一致している。
 「まぁ、そこまで言うなら…………ところで、何ていうクラブだったの?」
 一はひょい、と壁に掛けられた看板をよく見ようとしたが──────────。
 ごきっ!
 「ぴぎゃっ!?」
 葦菜の手によって一の首は強引に捻じ曲げられ。
 ぐさっ!
 「のぉっ!?」
 衛子の手によって一の目は瞬く間もなく潰され。
 「さぁ、帰るわよ!」
 「ぐずぐずしてないで!」
 襟首を引っ掴まれてずるずると引き摺られてゆく。
 (あんなところ、こいつには絶対に見せられない……!)
 (絶対に悪影響が出るわ……!)
 葦菜と衛子、赤面しながら揃って全く同じ考えを抱き、三人は旧部室棟を後にした。


                                        <了>



最終更新:2013年06月22日 08:45