『ファミリー・コンプレックス』


 「はぁ~…………」
 昼下がりの縁側。一壱九四(にのまえ・いくよ)は彼女に似合わぬ大きな溜息をついた。
 難しい事を考えるのが苦手な猪突猛進型の彼女が物思いに耽る姿など、そうそう見られるものでもない。そんな暇があるなら悩み事全てを680mmカノン砲でぶち抜く──────────それが一壱九四である。
 それをしないという事は、ひとえに彼女の悩みがそれでは解決しない事を、流石のあほのこの彼女でも理解せざるを得なかったからだ。
 壱九四がこの日何度目かの──────────今週何度目かの嘆息を洩らすのと、彼女が声を掛けられたのは同じタイミングだった。
 「難しい顔してるね、壱九四ちゃん」
 振り向くとそこには彼女の兄である少年、一一(にのまえ・はじめ)が優しげな眼差しを向けていた。
 兄と言っても一と壱九四の間に血の繋がりはない。ある日押しかけ同然に一家にやってきた彼女は一家の養子として半ば強引に転がり込み、そのまま居着いているのだ。一家の人々もそんな彼女を邪険に扱う事なく、温かく迎え入れていたのだが──────────。
 「悩み事、あるのかな?」
 「別に…………」
 心配して話しかけてくる一に、壱九四はややつっけんどんに返した。
 「他の家族とうまくいかないとか、ない?」
 「別に、そんなんじゃねーよ」
 確かに一家の人々はそれぞれに個性的で、我の強い壱九四もそのエキセントリックさに初めは圧倒されたりもした。毒舌で気の強い四(あずま)とはよく口喧嘩もするし、油断しているとすぐ眼鏡を掛けさせようとしてくる∞(むげん)は非常に厄介だ。バイタリティに溢れる刹那(せつな)と模糊(もこ)の双子は体力にそれなりに自信のある壱九四でも手を焼く元気さだったし、日々目まぐるしい生活この上ない。
 だが、それは決して嫌な煩わしさではなかった。逆に温かみすら感じた。勿論そんな事を口に出したり態度に表したりはしないものの、自分の浅はかな内心など簡単に見透かされているのかもしれない。
 何人かあまり近寄りたくない相手というのは確かに存在したが、それを差し引いても──────────壱九四の一家での生活は総じて恵まれている、楽しい日々だ。
 「隣、座るね」
 一は縁側に腰掛けていた壱九四の隣に腰を下ろす。
 苦手といえば、壱九四にとっては一も少し対応に困る相手だった。
 何しろ、評価が定まらない。
 噂に聞いていたところでは、何人もの女の子を泣かせたりえっちなことをするひどいプレイボーイという話もあり、壱九四も警戒していたのだが自分には手出しをしてくる様子はない。ひょっとして単なる心ない噂なのかと思い直していたら、恋人の少女に「この浮気者!!」と箒でぶっ叩かれながら追い回されているのを目撃してしまったり。日によって違う女の子と一緒に居ると思えば、道に迷った幼女やおばあさんを親身になって助けていたり。金髪美少女と親しげにしていたかと思えば、眼鏡の風紀委員に正座させられてがみがみとお説教を受けていたりする。
 かと思えば家では家族の為に献身的に家事を行なっていたりして、何というか──────────はっきりと悪い人間と断定は出来ないのだが、さりとて清廉潔白というには周囲の女性関係が派手すぎて、壱九四としては態度と距離感を決めかねていた。
 「…………何か用かよ」
 そうした事情から素っ気ない態度を取る壱九四だったが、一は気分を害した様子もなく続けた。
 「用、って程じゃないんだけど…………気になって」
 「…………?」
 怪訝な表情を浮かべた壱九四に、一は語りかける。
 「やっぱり、お母さんに会いたい?」
 「てめっ……!?」
 壱九四は思わず逆上し、立ち上がる。だがそれは図星を突かれた何よりの証拠。巨大なカノン砲を易易と扱う豪腕で一の襟首を掴みかけたが、自分よりも余程か弱い少女に見える顔立ちにも関わらず物怖じしない瞳で見つめ返され、その拳を収めた。
 「…………なんでだよ」
 暴力を振るう代わりに逆に問い返す。
 「うーん、それはまぁ…………壱九四ちゃん、分かりやすいから。ここ最近、TV見てても『母をたずねて三千里』で涙ぐんでたし。あと、『家なき子』でも」
 「ち、ちげーよ! あれはちょっと目にマルコが入って!」
 「いや、意味分からないし」
 壱九四は嘘が苦手だ。下手に取り繕う事はさっさと諦め、代わりに口を噤む。
 「…………」
 「無理、しなくてもいいんじゃないかな。壱九四ちゃんのほんとのお母さんも心配してると思うよ?」
 詳しい事情を話した覚えはないが、大体の想像はついていたのだろう。そしてそれを分かっていて、今まで壱九四の我儘に付き合ってくれていた。
 「今更、帰れねーよ…………」
 ぽつり、と呟く。意地っ張りな自分が生んだ、自業自得。
 「どうして?」
 「だって、アタシはもう養子になった一家の子だし…………」
 膝を抱えて俯く壱九四。一家の人々は好きだ。今の生活は決して悪いものではない。けれど──────────。
 「…………あのね、壱九四ちゃん」
 ふぅ、と吐息を零す一。そしてぴらり、と紙片を取り出す。
 「今まで黙ってたんだけど、これじゃ養子手続き出来てないから」
 広告のチラシ裏には汚い文字でこう殴り書きされていた。
 <銃々ゐくよは今日から一壱九四になります。夜露死苦!>
 「えっ!? 駄目なのか!?」
 愕然とした表情で顔を上げる壱九四(あほのこ)。
 「というか、むしろこれでいけると思ってた心の強さを尊敬したい…………」
 呆れ半分、微笑ましさ半分。とはいえ一も日常的にあほのこの相手をしているので慣れたものではある。
 「だからね、壱九四ちゃん。我慢しなくていいんだよ。お母さんに…………会いたいよね」
 「………………」
 再び無言で俯く。彼女の背中に葛藤を見て取った一は、最後にもう一言だけ。
 「家っていうのはね…………何処にいても、帰る場所なんだ。そして、家族がいる場所…………そこが、家なんだよ」
 「帰る…………場所」
 鸚鵡返しに呟く壱九四。
 「いいのかな、アタシ…………帰っても」
 「勿論。それに、こっちの事も気にしなくていいよ。こんな紙切れがなくたって、壱九四ちゃんは一家の子でもあるんだから。…………いつでもまたおいで」
 冷たく合理的な書類手続きなどなくとも。
 温かく迎え入れ、受け入れてくれる。
 血の繋がりも、法による繋がりがなくとも。
 それは確かに──────────家族だった。
 本当の家族に決して劣らない、もう一つの家族。
 「………………ありがとな」
 ──────────兄貴。
 初めての言葉は、声にならなくて。もごもご、と口篭っただけで、喉の奥に再び消えてしまったけれど。
 形にならない想いは、いつまでも消えてしまう事はなかった。



                                               <了>



最終更新:2013年06月22日 08:43