「なんですって!?」
マネージャーから連絡を受けた埴井葦菜(はにい・あしな)はTV局の廊下で素っ頓狂な声を上げた。その声の大きさに通りすがりのスタッフが怪訝そうな顔を向けたが、彼女にそれを気にする余裕はない。
「急病、って…………じゃあ収録はどうするのよ!?」
彼女は現役女子高生でありながら芸能活動をしている、所謂アイドルである。今日はこのTV局で番組収録があり、あと一時間もしないうちに始まる予定なのだが、思わぬ事態が発生してしまったのだ。
それは、彼女の事務所の後輩であり今回一緒に出演する事になっていた少女、歌琴みらい(かこと・みらい)の身に起こった災難だった。
いや、災難というのは少し違うかもしれない。無理なスケジュールが祟って体調を崩してしまい、倒れてしまったという事なのだから。
本来、事務所の後輩が出演出来なくなったからといって、葦菜にその責任はない。事務所の人間は局から嫌味など言われるだろうが、それに対処するのが彼らの仕事であり、葦菜が気を揉むような事ではないのだ。
だが、今日の出演番組は折悪しく二人組が必要とされるバラエティ。葦菜と一緒に出る筈だったみらいが無理となれば、その代役は他の二人組が用意され、葦菜の出番はなくなってしまう。
バラエティとはいえ仮にも全国放送のゴールデンタイムである。今回は単発でのゲスト出演だが、受けが良ければレギュラー化も夢ではない。
そうした皮算用──────────もとい、野望を抱いていた葦菜にとって、今回のチャンスは絶対に逃せないものだった。だからこそ、思ってもみない不測の事態に葦菜の焦りは大きい。まさか、こんな事で躓くとは。
「あーっ、もう! 何とかならないの!?」
思わず天を仰ぐ葦菜。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。絶体絶命の危機に陥った彼女に救いの糸が垂らされた。
「あれ、葦菜ちゃんじゃない。どうしたの?」
投げ掛けられた怪訝そうな声。葦菜と同じく現役女子高生にして現在人気絶頂のアイドル、一九十(にのまえ・きゅーと)その人だった。
「なるほどね~」
かくかくしかじか、と事情を説明した葦菜を前に、収録を終えたばかりと見えるアイドル衣装姿のままで九十は頷く。
本当は相談するのも嫌なライバル(と、葦菜の方だけが勝手に思っている)だが、背に腹は変えられない。藁にも縋る思いで状況を話した葦菜だったが。
「いいよっ、他ならぬ葦菜ちゃんのピンチとあらば、この九十ちゃんが一肌脱いであげましょう♪」
「えっ、ホントに?」
その言葉に葦菜の表情は輝きを取り戻す。
ライバルに助けてもらうのは癪だが、この際贅沢は言っていられない。それに、ものは考えようとも言える。九十と共演しつつも彼女を食う程に目立てれば、それはすなわちライバルを超えた事になる。
「ぐふふ…………災い転じて福となす!」
だが、そんな浮かれた葦菜を一転叩き落とす現実の一言。
「あ、でも私はこれから次の収録だからそっちには出られないよ?」
「えっ!? どういうことよそれ!?」
「大丈夫、安心して。私は無理だけど、ちゃんと葦菜ちゃんの相方には心当たりがあるから。ちょうど今日、私の番組出演の見学に来てたのよね」
「ま、まさか…………?」
葦菜の表情が猫の瞳のように目まぐるしく変わる。そしてその視界に入ってきたのは──────────。
「九十姉さん、先に行かないで。迷子になっちゃ…………あれ?」
「じゃーん! これが勝利の鍵だー!」
きょとんとした表情で何が起こっているのか全く理解していない、一一(にのまえ・はじめ)がそこに居た。
葦菜の姿を目にした一は無邪気な顔に嬉しそうな微笑みを乗せ、子犬のように葦菜に問い掛ける。
「どうしたの葦菜ちゃん?」
「ちょ、ちょっと、他の人も居るんだから……!」
予想外の登場に加え、突然名前で呼ばれて思わずどぎまぎとしてしまう葦菜。それを望んだのは自分自身だが、やはりまだ慣れない所為か恥ずかしさが先に立つ。
「あっ、ご、ごめんね……」
一の方も真正直に謝る必要はないのだが、つい反射的に謝ってしまう。
「名前で呼ぶのは二人きりの時だけに……って、何言わせるのよ!?」
二人きりの時だけ呼び名を、しかもより親密度の高い呼称に変えるという行為の示す特別性と気恥ずかしさ。言い掛けた途中でそれに気付いた葦菜は慌てて撤回した。
「ええっ……!? ご、ごめん……」
そんな二人の間に流れる微妙な雰囲気を察したのか、九十が二人の顔を見比べながら茶化すように問う。
「おやおやー? なんからぶな雰囲気?」
「ばっ、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!? って、あんたもそんなしゅんとした顔しないの! 急だったから驚いただけで、別に、その……嫌、ってわけじゃないから……」
九十に反論した葦菜の勢いのある口調は一を対象に変えるとやがて尻すぼみに弱くなり、最後はごにょごにょと辛うじて聞き取れるかどうか、というレベルにまで低下する。
「……ありがとう、葦菜ちゃん!」
それでも一には十分聞こえたようで、再びその表情は花が咲いたように明るくなった。
他人の前で名前を呼ぶのを許すという事は、二人の親しい関係を周囲に知らしめる事にもなる。それをお互い無意識に感じ取り、是としたのかもしれない。
「はいはい、じゃあ落ち着いたところで説明するねっ」
ぱんぱん、と手を叩いて仕切る九十に一瞬対抗心を燃やしかけた葦菜だったが、話題の転換は彼女も望むところだったのでぐっと堪えて九十に任せる。
「そういえば、何の話なの……?」
疑問符を浮かべた一に、九十はにこーっ、と微笑んだ。
「ええええええ!? む、無理だよそんな、僕がTVに出るなんて!」
九十から事情を掻い摘んで説明された一は、両手をばたばたと目の前で振りながら目を白黒させた。
「えー、無理なの?」
「だ、だって僕なんか素人だし…………」
一は慌てて首を振った。返答に不満そうな九十だが、いくらなんでも自分にはハードルが高すぎる。
「そっかー、無理なら仕方ないかー。…………というわけでごめんね。力にはなれないみたい」
一の言葉に、九十はあっさりと引き下がって葦菜に謝罪する。
「…………いいの、あたしが無理言っちゃっただけだから」
怒り狂うかと思われたものの、意外にも葦菜は言葉を荒らげる事無く静かに息を吐き出した。
「ほら、何辛気臭い顔してんの。あたしの事は良いから、さっさとお姉さんの収録の見学でもしてきなさい」
しっしっ、と子犬を追い払うような仕草で手を振る葦菜。そこには希望を絶たれた悲壮感は全く感じられない。
「葦菜ちゃん…………」
「何よ、馬鹿」
いつも通りの悪態。
いつも通りの勝気な表情。
そんな彼女だったから。
「ごめん、男らしくないかもしれないけど、前言撤回する。僕で良ければ協力するよ」
一はきっぱりと、迷いを捨てて宣言した。
「ちょっ……いい、って言ったでしょ!」
「ううん、手伝わせて。僕に、葦菜ちゃんを助けさせて」
「…………っ!」
葦菜は何も言えなかった。口を開いてしまえば、照れ隠しの暴言が口をついて出てしまいそうだったから。
一もそれ以上は言わなかった。伝えたい事は、それで十分だったから。
僅かに流れた、静寂の時間。
その沈黙を破ったのは、一と葦菜のどちらでもなかった。
まるでこうなる事を見越していたかのようなタイミングで口を開いたのは、九十。
「じゃ、話も決まったところで時間もないし、早速準備しよっか♪」
「じ、準備って?」
「流石にそのままの格好じゃカメラの前には出られないでしょ? 大丈夫、九十姉さんに任せておきなさい♪」
見た目よりも随分と強引な力で、反論を許さぬままに九十は一を自分の楽屋へと引きずっていった。
「な、なんか凄く心配なんだけど…………」
不安そうな葦菜を一人残して。
「お待たせっ♪ 入っていーよぉ♪」
「あっ、ま、待ってっ……」
待つ時間は長い、というのが定説だが、思ったよりも短時間で控え室の扉が開くと中から九十が顔だけ出して葦菜へと手招きする。一の制止の声も聞こえたがそれは無視するとして。
振り回されてばかりの葦菜は内心面白くないが、不承不承中へ入ると──────────。
煌めく美少女がいた。
勿論、論理的に考えてそれが一なのは疑いようのない明白な事実の筈だ。だが、ひょっとして予め別の少女を用意していたのではないか──────────。そんなありもしない仮説さえ考えざるを得ない程だった。
一が普段から可愛らしい少女のような顔立ちをしているのは今更言うまでもないし、毎日顔を合わせている葦菜はそれを重々承知している。だがそれでもなお、目前の存在が信じられなかった。
束ねられていた髪はその拘束を逃れて緩やかに広がり、清楚な令嬢を思わせる自然なロングヘアに様変わりしていた。僅かに垂れ目がちの瞳は心なしか潤んでいるような光を湛え、長い睫毛がそれを控えめに飾る。唇はぷるりとした瑞々しいフルーツゼリーのような光沢を放っていて、頬に浮かんだ仄かな赤みはまるで恋する乙女のよう。それらは素材の味を殺さずに逆に最大限に生かしたナチュラルメイクだった。
変貌はそれだけではない。先程までは曲がりなりにも少年のものだった衣服は、今や明らかに別の服装へとその座を譲り渡していた。
それは、魔法少女とでも表現すべき衣装だった。
少女の永遠の夢を形にしたようなひらひらの可愛いフリルに包まれて。妖精のような魅力をこれでもか、と魅せつける白い太腿とマイクロミニのふわふわ水色ワンピーススカート。先程まで九十が身に着けていた衣装だと気付くまでに、葦菜は十数秒の時間を要した。
それ程までに、圧倒された。
葦菜はこのような存在を何と呼ぶか知っている。
ただそこに居るだけで、立っているだけで人の目を惹きつけるオーラを放つ存在を。
目前の少女を形容する為のその言葉を。
──────────人はそれを、アイドルと呼ぶ。
認めたくない事だが暫しその姿に見惚れて忘我の状態だった葦菜は、漸く夢から醒めたように頭を振ると絶叫した。
「ちょ、ちょっと!? どういうことなのっ!?」
色んな意味が篭った「どういうこと!?」だった。
「超新星銀河系男の娘アイドル、”にのちゃん”初お披露目~♪」
そんな二人を尻目に、九十は一に頬を寄せていちゃつく。
「はーきゅん……じゃなくてにのちゃんはやっぱり可愛いな~♪ このままお持ち帰りしたい……ぐへへ」
「や、やめてよ九十姉さん……」
頬ずりしながら可愛がり身を寄せ合う、禁断の百合姉妹。
そうとしか見えない構図に葦菜はますます憤慨する。
「だから、説明しなさいっての! なんで女装なのよ!?」
「え~? 仕方ないなぁ……」
普段よりも更に熱の入ったスキンシップを邪魔されて、もう少し楽しみたかった九十は渋々葦菜に説明する。
「葦菜ちゃんの話だと、今日の番組は『これからブレイク間違いなし! 期待の新人アイドル二人組!』ってことで呼ばれてるんでしょ? なら、はーきゅんが女の子にならないと」
「ば、馬鹿っ! 何考えてるのよ!?」
「え~? 名案っていうか、これしかないと思うけど~?」
いけしゃあしゃあ、とした表情の九十。
「それとも、今から別の子探す?」
残された時間で代役を見つける事など不可能だ。そもそも仮にも一という代役が見つかった事自体が奇跡に近い。
さりとて、諦める事などもってのほかだった。折角のチャンス、ここで逃してしまえば次はいつ巡ってくるか──────────いや、生き残りの厳しいこの業界、次があると考えるのは甘すぎる。
「…………分かったわ、これで行きましょう」
「え、ええーっ!? 僕の意見は…………」
「あんたは黙ってなさい!」
ぎろりっ、と睨まれてそれ以上の抗議は封殺されてしまう。
「葦菜ちゃんを助けてあげるんだよね~? さっきのはともかく、ここでまた前言撤回は男らしくないよぉ?」
九十にまで重ねて言われては、反論も出来ない。
「そ、それは確かにそうだけど……」
「ちなみにこの衣装は私が前の歌番組で使ったやつね。本当は猫耳とか猫尻尾もあるんだけど……」
「流石にそれは勘弁して……」
もじもじ、と恥ずかしそうに内股を擦り合わせて一は懇願した。その仕草が妙にセクシャルに感じられるのは、履き慣れないミニスカートのひらひらした頼りなさへの戸惑いと羞恥からだろうか。
「ま、まぁ、百歩譲ってメイクとかアイドル衣装は良しとしましょうか」
色々言いたい事は山ほどあるが、そこはぐっとこらえて流す事にした葦菜。
確かにこの姿形なら自分のパートナーとしても申し分無い。二人が並べば男どもの視線は釘付けに出来るだろう。
そこまではいい。だが──────────。
「もじもじし過ぎ、っていうかそんなに前を押さえてちゃおかしいでしょ」
葦菜の言う通り、恥ずかしさからかミニスカートの前を押さえっぱなしの一の姿はやや奇異に映る。平常ならともかく、テレビカメラの前に出るなら尚の事奇妙さが目立ってしまう。
「ほら、もう少ししゃっきりしなさい!」
焦れた葦菜はやや強引に一の手を取る。
だが、彼女は行動の前にまずは考えてみるべきだった。何故、一がそのような体勢を取っていたのかを。言い換えれば、取らざるをえなかったのかを。
「あっ!? だ、だめっ……!」
一の少女のような悲鳴と共に。
びぃぃぃんっ……!
可憐な乙女には最も似つかわしくない、凶暴な存在がミニスカートを突き破らんばかりに屹立していた。
「な、な、な、なんでおっきくしてんのよ、この変態っ!?」
「ご、ごめんっ! だ、だって……!」
「そうそう、言い忘れてたけど流石に下着の予備まではなかったから、にのちゃんにはのーぱんで行ってもらいます♪ 万一、パンチラして男物の下着なんて見えたら一発でバレちゃうしね♪」
「だからって、これじゃ一発で放送事故でしょ!!」
葦菜は頭を抱えた。
「あんた、そ、それ、何とか小さくしなさいよ」
「そ、そんな事言っても、このミニスカートのふわふわした裏地がちょうど先に当たっちゃって……」
「先とか言わないでよ、馬鹿っ!」
「ご、ごめんっ…………!」
だが、これは一を責めるのは酷というものだった。直接的な刺激に加え、一が着ているのは先程まで九十が飛んだり跳ねたりしながら歌っていた際の衣装である。当然そこには、思春期の少女特有の汗とフェロモンがたっぷりと染み込み、甘ったるい匂いを漂わせている。いくら姉のものとはいえ、意識するなという方が無理な話だ。
「とにかく、何とかしないと…………最悪、切除するしかないか……」
「最悪すぎるよっ!?」
このままではとんでもない事になってしまう。暴走しそうな葦菜を宥めながら、一は助けを求めるように九十へと眼差しを向けた。
「下手に抑えつけるよりも、思い切って解放しちゃった方が収まるんじゃないかなっ♪」
しかし一の願い虚しく、助けどころか笑顔で火に油を注ぐような事を口にする九十。
「解放、って…………」
「若い情熱ほとばしりっ?」
右手でしゅしゅっ、と棒状のものを上下に扱く素振り。その意味するところは。
「ええっ!?」
「…………っ!」
即座に一が、遅れて葦菜が反応する。どちらも顔を真っ赤にさせて。
「ほ、他に方法は……」
「なっしんぐ!」
とてもいい笑顔で、九十は親指を立てた。
「というわけで早速……♪」
何の躊躇いもなくいそいそと事に取り掛かろうとする九十だったが、葦菜が慌てて止めに入る。
「ちょ、ちょっと! そんなのダメよ!」
「えー? なんで?」
九十は怪訝な表情で問い直す。さも、当然の事に何故反対意見が出るのか、と言わんばかりに。
「な、なんでって…………そう! 姉弟同士でなんて、ダメに決まってるじゃない!」
本当は他にも止めてしまった理由はあるのだが、それをまだ葦菜自身は自覚できない。
「私は気にしないけどなー」
「そういう問題じゃないのっ! って、あんたも何か言いなさいよ!」
何を言っても暖簾に腕押しになる九十への説得は諦め、怒りの矛先を一へ向ける葦菜。
「えっ……あ、ぼ、僕も九十姉さんにしてもらうのはちょっと……」
「ちぇー、にのちゃんのいけずー」
ぷくっ、と不満そうにむくれる九十だったが、悪巧みを諦めた訳ではなく、即座に爆弾を投下する。破壊力絶大のトンデモ爆弾を。
「じゃあ、葦菜ちゃんに譲るかー」
「「…………えっ?」」
二人の声が重なる。
例えばこれが、業界関係者との肉体関係を交換条件に諸々の権益を得る──────────俗に言う”枕営業”と呼ばれるものだったとしたら、葦菜はきっぱりと断っていただろう。それどころかそれを求めた相手と大喧嘩し、叩きのめしていただろう。その後、自分が業界から干されるような事になったとしても。
彼女は確かに希に見る程の負けず嫌いであり目立ちたがり屋だったが、その根幹にあるものは誇り──────────誰にも阿らない、自分は自分であるというプライドだった。
だが今回はそれとは事情が異なる。一つはそれが彼女自身の選択に大きく委ねられている点と、もう一つ。
それは、負い目だった。
先日の衝撃的な事件は、今もなお鮮烈な出来事として葦菜の胸に焼き付いている。
自らの身を顧みず、苦境から救ってくれた一の姿を。
今回もまた、一は自分の為に身を投げ出そうとしてくれている。何の対価も求めずに。
それに対して自分が出来る事など、たかが知れている。素直に感謝の言葉を告げる事すら体面が邪魔して満足に出来ないだろう。自分でも厄介な性格だとは思うものの、こればかりはちょっとやそっとで変えられそうにない。
それならせめて、行動だけでも。
言葉にする事が出来なくても、自分の苦境を彼任せにしない事は出来る。
だから。
「…………やるわ」
「えっ?」
「やればいいんでしょ!? こんなのどうってことないわ!」
本当は心臓が爆発しそうなくらい恥ずかしくても。
いつものように強がりの一つも言えば、内心を悟られる事もない。
そう考えた葦菜は、きっぱりと言い放って一を指差す。
「勘違いしないでよね! これはあたしが自分の為にやるんであって、断じてあんたの為じゃないんだからね!」
「う、うん…………」
気圧されたように頷く一の様子に満足すると、葦菜は勢いに任せてもう一つ付け加える。
「それと、こういうこと誰にでもするような女じゃないんだから、あたしは! その点もしっかり忘れないように!」
「わ、分かったよ…………」
これでいい。間違ってもこいつにはビッチだなんて思われたくないし、こう言っておけば特別な相手にしかこういう事はしないと理解してもらえる筈──────────?
そこまで考えた葦菜は突如叫び出す。
「わーっ! わーっ! なし! 今のなし! 忘れなさいっ!」
「えっ……? 忘れない方がいいの……? 忘れた方がいいの……?」
「いいから! 記憶を消すのよ!! 忘れないとぶん殴ってでもっ!」
葦菜は一の襟元を掴むと、がくんがくんと揺さぶった。
墓穴を掘りそうになった葦菜と、言葉の意味を把握しそこねてぽかんとした表情の一。そしてそんな二人の様子を必死に笑いを堪えながら眺める九十の姿があった。
「じゃ、じゃあ行くわよ…………」
「う、うん…………」
やや内股気味の姿勢で立ったまま、一は両手でミニスカートの裾を摘むと躊躇いながらもゆっくりとたくし上げてゆく。つるりとした柔らかそうな下腹と、少女めいた容貌には似つかわしくない凶悪そうな剛棒が改めて晒され、一はあまりの羞恥に恥じ入り、顔を逸らす。その仕草はまるで、神話に登場する美妖精を思わせた。
だが、羞恥という点ではそれを眼前に見る事になった葦菜の方も同じだった。
(やだ…………こいつのって、こんなにおっきかったんだ…………)
葦菜自身、つい先日女性の身でありながら男根をその身に持つという稀有な体験をしたばかりであり、男性器そのものを目にするのは初めてではない。
しかしあれはあくまでも魔人能力による影響であり、今回のように他人のものを見るのとは訳が違う。
しかも、それが気になる相手のものだというのだから。
「やっぱり葦菜ちゃんには無理じゃないかな? ここは私に任せて…………」
固まってしまった葦菜を気遣うように、九十が助け舟を出す。
しかしそれは逆に葦菜の悪い癖──────────見栄っ張りな闘争心に火を点けてしまう。
「こ、こんなの楽勝よ! ちゃちゃっ、とやっちゃえば良いんでしょ!」
そう言い放つと葦菜は再び一へと向き直る。
改めて目に入った威容に息を呑みつつも、揃えた両膝で立つ。
「…………っ」
一瞬の逡巡の後、葦菜は恐る恐るその指先を一の肉身へと伸ばし、ぎゅっ、と握り締めた。ただ、初めての事ゆえに力の加減が掴めない。踏ん切りをつける為の勢いが悪い方に働いて。
「んぐっ……!」
呻き声と共に、一の眉間に少し皺が走った。
「えっ……?」
「だめだめ、力入り過ぎ。もう少し優しく握ってあげないと」
見かねた九十から教官のような指導が入る。
「わ、分かってるわよ」
指示に従うのは正直しゃくだったが、一に苦しそうな表情をさせてしまった事に葦菜は良心の呵責を感じ、握力を弱めると壊れ物を扱うかのようにさわさわと優しく撫で擦り始めた。
(なんか、すっごく熱い…………それに、脈打ってる…………)
指先から感じる体温と脈動。それはそのまま一の内心を表しているようで。葦菜は慌てて言い捨てる。
「は、早く出しなさいよ! あたしみたいな美少女が手でしてあげてるんだから!」
「そ、そんな事言っても…………」
乱暴さはそこそこに抑えられたとはいえ、葦菜の手淫奉仕は当然未熟であり、稚拙という他はない。見た目に反して経験豊富な一を満足させる事など到底出来なかった。
それでも憎からず想い合う者同士、時間を掛ければやがては良い結果に落ち着いたかもしれない。だが、今はその時間こそが問題だった。
「う~ん、このままだといつまで経っても終わらないから……」
二人を見守っていた九十だが、業を煮やしたのか葦菜の隣──────────すなわち一の下半身の前に膝立ちで潜り込んで。
「ちょっとだけ選手交代ね、葦菜ちゃん♪」
「えっ……?」
葦菜が問い返すよりも早く。
「いただきます♪」
ちゅっ、と音を立てて九十は一の肉筒の先端へと口付けた。
「ふぁっ!?」
予想外だったのは一も葦菜と同じだったようで、九十の突然の口撃に思わず目を丸くする。
「あは、はーきゅんかーわいい♪ あっ、今はにのちゃんだったよね?」
その反応に気を良くした九十は続けざまにキスの雨を降らせる。ハーモニカを吹くが如く、先端から根元へ向かって肉幹をなぞった。
「ち、違うよっ、僕は……っ!」
「だーめ♪ こういうのは役作りが大事なんだから、人前に出る前に徹底しておかないと。とゆーわけで、今からはーきゅんはふたなりちんぽ変態娘のにのちゃんってことで♪」
一の反論を塞ぎ、九十は暗示的に役割を言い聞かせてゆく。与えられる快感と九十の強引さは一から効果的な反論を奪って。
「ちょ、ちょっと何やってるのよ!?」
漸く我に返った葦菜が咎めるものの、九十に気にする様子はない。
「えー? だってこのままじゃ本番に間に合いそうにないし~?」
逆に悪びれる事もなく、瞳だけを向けて答える。その舌がねろぉ、と唾液を帯びたままで一の勃起を満遍なく舐めていくと、蛞蝓が這った跡のようにその軌跡がてらてらと淫靡に濡れ光った。
「きゅ、九十姉さんっ、だめだよっ……!」
一も制止しようとするが、立ち昇る快感の大きさに逆らえず実行が伴わない。それを良い事に九十の口淫奉仕はますます過激さを増してゆく。
「実はずっと狙ってたりして。こんな機会でもないと、にのちゃんのふたなりちんぽ味わえないしっ♪」
日頃の鬱憤と溜まった性欲を吐き出すように、躊躇いもなく重ねて淫語を口にすると、小さな口を精一杯大きく開いて。
「あむっ♪」
一の男性自身を咥え込み、口内へと迎え入れた。
「ふぁぅっ!?」
ミニスカートの裾を摘んだ指先がきゅうっ、と丸まる。快感に耐えようとする一に追い打ちを掛けるように、美姉は頭を前後に振ってストロークを開始した。
じゅぷっ、じゅぷっ、と擬似蜜壺に肉棒を突き立てる淫音が室内に響く。直接の快楽を得ていない葦菜にさえ、一がどのような刺激を受けているか容易に想像できる程の激しさだった。
(あ、あんなにねっとり激しくされたら、気持ちいいに決まってる……)
それは彼の表情を見ても明らかだったし、葦菜自身も以前に同じ体験をしているから間違いない。
そしてその意味するところは。
(あいつが、あたしの目の前で、他の女に……?)
絶頂に導かれ、性愛の象徴を吐き出す。その光景が脳裏に浮かぶと葦菜の頭にかっ、と血が上る。許せない、と思った時には既に行動に移っていた。
「か、勝手なことしないでよね! これからが本番なんだから!」
「にゃんっ?」
九十を押しやって居場所を奪還すると、葦菜は膝を曲げて再び一へと相対する。
九十の痕跡を消し去ろうというかのように。
目の前の少年を独占したくて、葦菜は肉身に舌を這わせて九十の唾液を舐め取る。上書きしてゆく。
先端から根元まで、その全てに自分だけを染み込ませたいと願って。
「んっ……ちゅ……」
余すところ無く丹念な舌奉仕に一の身体は震える。普段はけんもほろろに攻撃的な彼女が、今は一心不乱に舌を使い、快楽を与えてくるのだ。肉体的な快感は言うに及ばず、精神的にもこの上ない歓びがあった。
「くぅっ……あ、葦菜ちゃ……そこっ……!」
先端裏側の敏感な箇所に葦菜の舌が触れ、一は思わず吐息混じりの声を洩らす。続く言葉が制止か促進か、明確な言葉にはならなかったものの、ぴくりと震えたその反応に葦菜も気付いて顔を上げる。
「ここが……いいの?」
反応があった周辺を重点的に責めながら、葦菜は一の反応を確かめようと濡れた眼差しを向ける。一の方もそれは同じで、お互いの視線が熱く絡み合った。
今更目を背ける方がかえって恥ずかしく、二人は見つめ合ったままで行為に没頭してゆく。
「んっ……こんなに硬くしちゃって、この変態っ……!」
先走りの汁と葦菜の唾液が混ざり合い、くちゅくちゅと音を立てる。緩んだ口元から喉へと零れ伝っている事さえ気付かぬ程の熱中ぶりで、葦菜は何度も舌を行き来させる。
「だ、だって、葦菜ちゃんが口でしてくれてる、って思ったら…………」
隠し切れない本音を口にした一の言葉に、葦菜は過敏に反応する。
「そ、そんなこと言って! どうせ、誰にされてもこうなるんでしょ!?」
「それは、その……生理現象だから否定出来ない、けど……。でも、今、葦菜ちゃんにしてもらってすごく気持ちいいのは嘘じゃないから……!」
正直過ぎる告白だったが、それだけにそこに嘘偽りは感じられなくて。
自分の行為が彼を喜ばせている事に、葦菜は言葉にならないときめきを覚える。その身体が、甘鳴きに疼く。
もっともっと、してあげたい。
それは先日、自分が受けた奉仕のお返しという意味をとっくに越えていて。
貸し借りも、義理や利害の打算もなく。
ただ純粋に、相手の為にしてあげたい。
その気持ちを口には出せないけれど。
「ふ、ふーん……! しょうがないわね、この変態!」
代わりに出てきた言葉は、相変わらずの憎まれ口だったけれど。
「こんなことやるの、今日だけの特別だからねっ!」
自分を後押しする勇気を、つっけんどんな言葉の中に隠して。
薄紅の純潔の唇を、そっと一へと捧げた。
ちゅぷり、と触れ合った二人の粘膜はそのまま離していれば糸を引いていただろう。だが葦菜の決意は決して後には引かず、緩やかに唇を開いて一自身を迎え入れた。
「ぅぁっ……!?」
ねっとりとした温蜜とぷるぷるした柔肉。二つの異なる触感に包まれて一は危うく精を放ちそうになるが、既の所で踏み留まる。本来の目的を忘れ、堪える。
くちゅっ……くちゅっ……と耳をくすぐる水音は淫らな調べ。稚拙さと戸惑いから来る途切れ途切れの快感がもどかしい。
「ぁっ、そこっ……歯を立てないで、ゆっくり……」
「んっ……ほぉ?」
少しだけ大胆になって、一は自らの希望を伝えた。葦菜もそれに応じて咥えたまま、上目遣いで従順に指示に従う。協力して行われる二人の共同作業。
その甲斐あって一度は去った快感の高波が再び一を襲う。今度は一もそれを堪えたりはしない。葦菜の努力を無にしない為にも。何より、既に我慢の限度を超えていた。
「葦菜ちゃんっ、ごめんっ、もう我慢できないっ……!」
「んむっ……!?」
謝罪の宣言と共に、一は自身を引き抜いた。
直後、溜まりに溜まったダムが決壊するかのように、形となった情動が溢れ出す。
吐き出された大量の情欲とその勢いは葦菜の想像を遥かに超え、ねっとりと半ば固体に近い特濃の精液が彼女の顔面に降り注ぐ。
身体の芯から迸った証左を示す熱と、むっとする独特の性臭。しかし葦菜に嫌悪感は微塵も生まれなかった。自身が導き生み出したようなものであり、愛おしさすら感じた。
「はぁっ……すごい匂い……」
葦菜が頬を拭うと、ぬるりとした白濁が指先に纏わり付く。癖になりそうな触感と匂い。
「ったくもう、髪にも付いちゃったじゃない…………でもまぁ、これでなんとか収まっ……!?」
取り出したハンカチで拭った顔を上げた葦菜は絶句する。そこには未だ威容を誇り屹立したままの一の象徴があった。
「ちょ、ちょっと! なんでまだそんなにおっきくしてるままなのよ!?」
「ご、ごめんっ、葦菜ちゃんを見てたら一回だけじゃ……」
ミニスカートをたくし上げたまま、一は申し訳なさそうな困り顔を見せる。下半身の雄々しさとはアンバランスなその表情にほだされ、葦菜は怒りの矛を収めた。自分も経験がある事だけに強く言えないというのもあった。
何より、自分の存在が彼をそうさせていると思うと無性に自尊心がくすぐられた。
「し、仕方ないわね……ほんとに底無しの変態なんだからっ……!」
不満の言葉に喜びを滲ませながら、葦菜が再度の行為に耽ろうとしたその時。
「やっぱり私も混ぜてー♪」
葦菜に譲った後、暫くは大人しく二人を見守っていた九十だったが、此処に来て再度参戦を果たす。いつの間にか一の背後に回っていた彼女は剥き出しで無防備そのものの一のお尻に狙いを定めると、その谷間へと顔を埋めた。
「ひゃっ!?」
つんつん、と舌先が菊座をつつき、思いもよらない方向からの刺激に一はびくり、と背を反らせる。
「前は葦菜ちゃんに任せて、私は後ろを責めちゃおーっと♪」
悪戯っぽい声と共に、美姉は弟の尻たぶを左右に開きながら更に舌先を伸ばして恥穴へとこじ入れる。ぬるり、とした小さな蛇のように体内に侵入した舌はそのまま、その周辺を押し広げるかのように這い回り、時に前後して挿入を繰り返す。
「あっ、あぁっ……!?」
「あは、えっちな声出してる。気持ちいいんだー?」
自らの舌技に面白いように反応する一の様子に、九十は舌舐めずりしてはご満悦の笑みを浮かべる。
面白くないのは葦菜である。一が自分から意識を外した事にこの上なく不満を持つと、再度自らへ引き戻そうと一度は休めていた舌を再び動かし始めた。
「んちゅっ……何、変な声出してるのよっ……。あんたがそんな声出していいのは、あたしがしてあげてる時だけなんだからね!」
急激に上がる筈の無い技巧が、目に見えて上達する。それは何よりも相手を振り向かせたい、ライバルに負けたくないという気持ち──────────熱意のおかげだった。
しかし九十も今度は先程のように大人しく譲ったりはしない。後ろから抱きつくように腕を回すと、一の肉茎の根元に並んだ二つの胡桃を掌中に収めて転がし始める。くりくり、とデリケートな二つの珠を傷つけぬ絶妙の力加減で弄ぶと、直接的な快感とは異なる別のぞくぞくとした妖しい官能が一の背筋へと逆上る。その間も絶え間なく舌が後ろの穴をねっとりと責め続けているのだから、なおさらである。
「あっ……だめ、だよぉっ、九十姉さんっ……!」
実姉からの尻穴舐め奉仕に、一は淫惑の喘ぎを漏らす。そこに自分のものではない別の女の名が含まれれば、それを聞く葦菜の心中は穏やかである筈がない。
いや、はっきりと嫉妬の炎が燃えていた。
それは彼女を積極的に駆り立て、踏み留まっていた行為の最後の壁を飛び越えさせた。
(見てなさい……あ、あたしの本気、思い知らせてやるんだから!)
その決意は競争相手に向けたものか、それとも捧げる相手に向けたものか。恐らくは半々で、葦菜自身にも区別がつかないままに、衝動のままに。
「んっ……ぐっ……」
大きく口を開くと、剛健な一の肉棒を喉奥まで一息に迎え入れた。
「ふぁぁっ!?」
当然、葦菜の身体に掛かる負担は今まで以上である。顎の筋肉の酷使は言うに及ばず、口内に満ちた肉が圧迫し呼吸もままならない。喉奥にその先端が触れれば、生理的反応としてえずきそうになる。
だが、その全てを葦菜は強引に捻じ伏せる。
意志の力で。対抗心で。そして──────────愛情で。
「んふーっ、んふーっ……!」
口を塞がれ、鼻からのみの荒い呼吸が淫靡さをいや増す。息苦しさに目の前が暗くなる。
それでも委細構わず葦菜は水飲み鳥のように頭を前後に振り、只管に一の肉棒を抽送させる。自らの口を性器に見立てた行為は激しく、自慢の髪が何度も揺れる。
その髪を撫でるように、一の両手が触れた。
「んっ…………?」
見上げた拍子に、目が合う。
言葉はなくとも一の意図を察し、葦菜は更に加速してゆく。それに応じるかのように、九十も。
葦菜の猛然としたディープスロートと九十の粘着的なアニリングスが渾然一体となって一を責め立て、競い合いながら高めてゆく。
そして、その時は訪れて──────────。
「んぅぅぅぅっ…………!」
唇を引き絞り、重ねた我慢の限界の先。
一は葦菜の口内に突き入れたままで熱情を迸らせ、白で満たす。どぷどぷと注ぎ込まれた愛欲の象徴は本来、少女の小さな口の中に収まりきる量ではない。
「んくっ…………んっ……」
だが、葦菜はそれを成し得る。溢れ出そうな程の大量の白濁を苦心しながらごきゅり、と嚥下し、辛うじて吐き出さずに留める。
「あ、葦菜ちゃん……!?」
「うぇ、変な味…………何よ? 控え室を汚す訳にはいかないってだけよ」
口元をハンカチで拭い、つっけんどんに言う葦菜。そんな彼女に一は素直に感謝の言葉を告げた。
「あの、ありがとう……葦菜ちゃんの口の中、気持ち良かったよっ……」
その言葉に、我に返ったように葦菜の顔が染まる。
「ば、ばっかじゃないのっ……! そんなの当たり前でしょ!」
「いちゃいちゃのところ悪いけど、そんな暇はないんじゃないかなー?」
と、いいところで邪魔が入る。
九十の指し示した先には──────────未だ屹立したままの一の陽根があった。
「ええええええ!? ちょっとあんた、何回出せば気が済むのよ!?」
「あ、あと4~5回くらいあれば、なんとか……」
「し、4、5回……っ!?」
絶句した葦菜だが、考えてみれば自分の時でも落ち着くまでに三回は掛かっていた。華奢な身体つきではあるものの見た目に反して非常にタフな一の事、その言には真実味があった。
「にのちゃんの恋人になる子は大変だねー♪ っていうか、一人じゃとても性欲処理しきれないんじゃないかなー?」
他人事と思っている所為か、無責任な九十の発言。だがその発言は葦菜の胸に深く焼き付いてしまう。
(た、確かにこれじゃこっちの身体が保たないかも…………)
思わず自分の身に置き換え、想像してしまう。連日連夜に渡り、彼に愛されてその欲望を受け止める生活を。
「というわけで、私も本格的に参戦しよーっと♪ 葦菜ちゃんはお休みしてていーよっ」
「ちょ、ちょっと! あたしはまだギブアップした訳じゃないんだからねっ!」
「ちぇー。まぁいっか、時間も押してるし協力プレイってことで」
葦菜と九十、一の前に二人並んで。
「覚悟しなさいよねっ! それと、あたしの方に多く出さないと承知しないから!」
「どすけべにのちゃんの変態ちんぽみるく、たっぷり絞ってあげるからねー♪」
「ひゃぁっ……!?」
同時に両側から舌が這わされ、一本の肉棒を二人の美少女アイドルが奪い合う。その扇情的な光景と刺激に一自身はこの上なく反応し、両者に己の白濁をぶち撒け、或いは飲ませるビジョンが脳内に生まれると睾丸から新たな精がきゅんきゅんと充填されてくるのを感じて。二匹の牝を満足させる牡としての責務と歓喜に身を震わせて。
「う、うん…………がんばって出すから、お願いっ…………」
時間との戦いが始まった。
スタジオ内の照明が眩く輝き、がやがやと騒がしかった雑音も消える。軽快な音楽が開幕を知らせると、とってつけたようなわざとらしくも盛大な拍手と共にお笑い芸人上がりの司会者が喋り始める。
葦菜と、そして一が出演する番組が始まったのだ。
一にとって幸運な事に、それは生放送ではなく収録した映像を編集して後日放送するタイプの典型的なエンタメ番組だった。多少のミスやとちりがあってもいくらでも編集が効くという事だし、そうしたミスも軽いネタやハプニング程度で流される事もあるだろう。これがもし生放送のニュースや堅い討論番組のようなものであったならそうはいかない。
もっとも、葦菜(おまけで一)のような新人アイドルがそんな番組に呼ばれる事はまずなく、必然といえば必然だったのだが。
「はい、それでは今日の出演者を紹介しますねー」
軽薄ながらも慣れた口調の進行で、司会者は端から順々にタレントを紹介していく。この番組では性質上葦菜と一以外の出演者も二人組の体裁を取っているが、二人のような新人アイドルは他にはおらず、大物俳優と有名女優の組み合わせだったりお笑い芸人とスポーツ選手の組み合わせだったり、出演陣はバラエティに富んでいる。
番組開始前の挨拶の際、普段TVでしか見ない芸能人の姿を肉眼で目にした一は思わず、
(後でサインもらっておこうかな……)
などと若干ミーハーな考えを抱いてしまった程だ。
だが何よりも一の目を引いてしまうのは、名だたる有名人の中にあっても色褪せない──────────むしろ誰よりも輝きを放つ隣の少女だった。
TV用にうっすらとメイクしており、衣装も画面映えする彩り鮮やかなものの働きというのは確かにある。ただそれを差し引いたとしてもその眩しさは圧倒的だった。自信と気迫に満ちた表情は誇らしく、立っているだけで躍動感を感じさせる生命力。毎日のように学校で顔を合わせている筈なのに、言葉を交している筈なのに、一の目に映る葦菜の新鮮な姿は衝撃的で。
一はこの場にいる他の誰よりも、葦菜を美しいと思った。
勿論、そんなある種浮ついた考えをしていて良い筈もなく。
「…………ちゃん? にのちゃん?」
ぎゅうっ、とミニスカートの上からお尻を強く抓られ、自分が呼ばれている事に気付く。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
目を白黒させながら飛び上がりそうになり、甲高い声が出る。その様子に観客席や他の出演者からほのぼのとした生暖かい笑いが生まれた。
「あはは、TV初出演なのに余裕があるねー。流石あの九十ちゃんの妹さん」
「ご、ごめんなさい…………」
お尻を抓られた痛みに少し涙目になりながら一は頭を下げる。抓った葦菜の方は当然素知らぬ顔である。
「ほら、挨拶」
葦菜に小声で促され、一は慌てて用意された台詞で役柄を説明する。
「し、新人アイドルのにのです。九十姉さんの妹です。今日は事務所の先輩の葦菜ちゃんと一緒に頑張りますっ…………」
事務所云々は当然でっち上げだが、九十の血縁という部分は嘘ではない。番組のプロデューサーも飛び込みに近い一の出演を許可したのは一の可憐な容姿は勿論、現在人気ナンバーワンアイドルである九十のネームバリューによるところも大きい。
「あの九十の妹、ね…………なかなか面白そうな子じゃない」
葦菜をスカウトした人物でもある悪鬼悖屋Sucie(あきもとや・スージー)は、葦菜に紹介された一を一目見てある予感を感じていた。
(この子………普通のアイドルにはないものを持ってる。葦菜ちゃんと組ませればきっと凄い化学反応が起こるに違いないわ!)
実際は普通のアイドルどころか普通の女の子は持っていない立派なものを持ってしまっているのだが、それはさておいて。
「今日の挑戦者は以上の三組でーす。審査員はいつもの方々なので紹介しませーん」
くだらない話芸に対する乾いた笑いがあり、だらだらとした緩やかな空気が生まれる。おかげで一も少しは緊張が解れたので、軽薄に見えてなかなかどうして名司会者なのかもしれない。
「あ、今日は審査員にも一人ゲストがいましたね。えーっと…………美人すぎる高校生剣術家、白金七光(しろがね・ななみ)ちゃんでーす」
本当は忘れている筈もないのに、さも今思い出した、とばかりの演出で司会者は一人の女子高生を紹介する。柔らかなショートボブカットにきりりと整った容貌の眼鏡姿の女生徒。美貌には不釣り合いに思える腰に佩いた日本刀。だがそのアンバランスさは一本筋の通った鋭利な芯に貫かれ、全体を纏めていた。
「…………どうも」
やや無愛想に軽く頭を下げた七光の口元が僅かに動き、簡単な言葉を紡ぐ。
そしてその後にもう一つ、声にはならなかった唇の動き。余人の知らぬそれは。
(どうして僕がこんなくだらないことを…………)
それに気付き、問い質せるような者はなく。
番組は決められた段取りに従い、とんとん拍子に進んでゆく。
葦菜と一が出演するコーナーの内容を一言で説明するならば、「遠隔二人羽織クッキング」である。もう少し詳しく言うと、一人が決められた課題の料理の調理法を指示し、もう一人が実際に動いて料理を作るというものだ。
単純に料理そのものを成功させたいなら、調理者は腕前の確かな者が務めれば良い。だが番組的な事を考えるならば、むしろその逆──────────料理が苦手な者の方が調理者を務めれば、その突飛でトンチンカンな行動がお茶の間の笑いを生むだろう。
そうした仕組みはTV慣れしていない一にも十分理解できたのだが──────────。
「あの…………やっぱり僕が調理者をやろうか?」
葦菜の暗黒破滅的な料理の腕前を身をもって知っている一はそのように申し出たのだが、対する葦菜の答は明快だった。
「ばっかじゃないの!? 調理者の方が目立つんだから、あたしがやるに決まってるじゃない!」
鼻息荒く主張する葦菜が一の意見を聞き入れる事はない。ただでさえ、共演者の中に自分を脅かすような美少女(そのうちの一人は男の娘だが)が他に二人もいるのだ。花形ポジションを譲れる筈もない。
一もそうした葦菜の性格を今更変えられるとも思っていないので、それ以上の説得は諦めざるをえない。
(まぁ、僕がしっかり指示出ししてフォローすれば大丈夫だよね…………)
当然の如く、大丈夫ではなかった。
「ええええええ!? ちょっと待って、今どうなってるの葦菜ちゃん!?」
「どうもこうもないわ! 絶好調よ!」
走り回る葦菜と、ヘッドホンに手を添えながら指示を出す一。だが、ことごとくすれ違う二人。お互いの必死な空回りは滑稽そのもので、観客席の笑いは強いられたものとは違う本物だった。
課題料理はオムライスとシーフードパスタ。実家で家事全般をこなす一にとってはレシピを聞くまでもない、目を瞑っていてもできるような基本的なメニューである。いくら料理下手な葦菜とはいえ、一の指示通りに動けば失敗する事はない──────────筈だったのだが。
「遠隔二人羽織クッキング」の厄介さは、お互いの状況が分からない点にある。キッチンスタジオの葦菜と別室の一、二人は音声でのやりとりしか出来ず視覚情報は共有できない。つまり、一が葦菜に玉ねぎを使わせようと思っても「野菜置き場の左から三番目の籠の中にある」という伝え方は出来ず、玉ねぎと言っても分からなければ「丸っこくて皮が外せるやつ」というような指示方式になる。
それでも調理者が世間一般の料理知識を持っていれば、玉ねぎと言われて別のものを手にするような事はない。
世間一般の料理知識を持ってさえいれば。
「玉ねぎ、ってこれよね? これをどうするの?」
「皮を剥いてみじん切りに…………あ、ええっと、とにかく小さく切って。できる?」
「それくらい楽勝よ! …………って、くさっ!? 何これ、すごく臭い!?」
「ちょっと待って葦菜ちゃん!? それ絶対玉ねぎじゃないから! 別のものだから!」
ニンニクだった。
「えーい! 野菜は野菜だし食べられないことはない筈よ! 料理は勢いが大事!」
「えっ、まさか入れちゃったの!?」
「時間が押してるの! ぐずぐずしてる暇なんてないから次々行くわよ!」
「じゃ、じゃあ次は卵を……あっ、勿論鶏の卵だよ?」
「分かってるわよ! …………これかしら。…………あ、あれっ? 固い! この卵、固くて割れないじゃない!」
がんがん、と石を叩き付けるような音が一の耳に響く。
「ちょっと待って葦菜ちゃん!? それ絶対鶏卵じゃないから! 別のものだから!」
ダチョウの卵だった。
「卵は卵でしょ? 大丈夫、大は小を兼ねるって言うし! 当たって砕け、よ!」
「料理に使っていい格言じゃないし、そもそも間違ってるよぉ……」
暴走美少女に気弱な美少女が振り回される図式は混沌を生みながらも会場の笑いと熱気を呼び、全体を巻き込んでゆく。
ただ一人を除いて。
白金七光は男である。
より正確に言えば、男であった。
更に正確に言えば、その肉体は女性でありながら精神は男である。
彼は──────────今は彼女は、と言うべきか。
女性のように見える男性ではなく、所謂ニューハーフの男性でもない。さりとて性同一性障害を持って生まれた女性とも違う。
その実態は。
男性として生を受けながら故あって現在は女性の身体で過ごす、性転換者なのである。
彼女が──────────いや、やはりその精神性に敬意を表して。
彼が、この現状を進んで望んだのではない。
彼自身は至ってノーマルな精神にして性嗜好の持ち主であり、自ら外科的手術を受けて性転換を果たした訳ではない。
非常に端的に言ってしまえば、彼はある”組織”に属するエージェントであり、現在のこの姿は先だってのある任務の為に必要不可欠な措置として、ある魔人により女性化能力を受けたものである。
その任務は既に遂行済みの筈だったが──────────その身に施された女性化処置が解除される気配は一向にない。暫くは大人しく指示を待っていた七光だったが、やがて業を煮やして直接本部に掛け合ったりしたもののあれやこれやと理由をつけて引き延ばされ、結局は「別命あるまで現状を維持したまま待機」という命令を下される。
七光は若いながらもその戦闘力と冷静な判断力はエージェントの中でも群を抜いており、単独での危険な潜入調査を幾つも成功させてきた。その事は組織としても十分に評価している筈で、みすみす冷や飯喰らいをさせておくような人材ではない。
つまり、女性としての七光を投入すべき重要な作戦が既に存在し、今はその機を図っているに過ぎない。
──────────と、七光は考える。そう結論付けなければ、別の推測が頭を過ぎってしまうからだ。
すなわち。
(ひょっとして、ただ単にこのままの方が面白いからって理由じゃないだろうな……)
上司の人の悪いニヤけ顔が思い出され、七光はまた不機嫌になった。
そして今日、七光が不機嫌な理由はもう一つあった。漸く組織から新たな命令があったかと思えば、それは女子高生剣術家としてTV番組に出演せよ、という俄には理解し難いものだった。突飛ではあったが組織の真意が掴めぬのは言ってしまえばいつもの事であり、一兵卒である自分が詮索すべき事柄ではない。
百歩譲ってそれは良い。問題はそこではない。
(何だったんだ、あの眼鏡使いの女は……!)
七光は口元を抑えながら、収録が始まる前に起こった騒動と、その人物を思い出す。
七光の顔に浮かぶのは怒りであり、羞恥であり、そして困惑だった。
(それと…………テトラグラストン、と言ったな)
怪しげな戦闘技術を用いる正体不明の黒服の眼鏡男。少女と男、対立する二者の関係は杳として知れなかったが、彼らの戦闘に巻き込まれる形となった七光はたまったものではない。
だが、七光はすぐにそれを頭の片隅へと追いやる。今はさっさと気持ちを切り替えて、当初の任務を果たすだけだ。
その冷たい眼差しの先には、二人のアイドルが巻き起こす平和な狂騒があった。
「じゃ、じゃあ次はイカを切ろうか、葦菜ちゃん……」
キッチンスタジオに届く、別室からの一の指示。その声が何処と無く疲れて半泣きに聞こえるのは決して気のせいではないだろう。
「任せなさい!」
対する葦菜は元気そのもの。それもその筈、一の指示があるといっても葦菜はそれを大人しく聞くようなタマではない。好き勝手やりたい放題なのだから疲れる事はない。
それに加えて、良くも悪くもスタジオ一同の目は彼女に釘付けである。誰よりも目立ちたがり屋の葦菜が今の状況に心躍らぬ筈がない。
結果として彼女の暴走が止まる事はなく──────────。
「葦菜ちゃん、イカ、分かるよねっ? 大丈夫?」
「あったり前よ! 心配しすぎだっていうの!」
包丁片手に意気揚々と食材置き場へと歩を進める葦菜。
「えーっと、白くて足が沢山、と……」
その手が掴んだものは──────────触手!
それはタコやイカの足を比喩的に表現したものではない。文字通り、全くの過不足もなく。
何処に出しても恥ずかしくない──────────いや、何処に出しても恥ずかしい、触手そのものだった。
「えっ、これ、生きてるの?」
うねうね、とその身をのたくらせる触手に一瞬躊躇した葦菜だったが。
「新鮮な方が良いに決まってるわよね!」
えいやっ、と鷲掴みにすると、俎板へびたーん! と叩き付ける! 叩き付けられた触手は悶えるように身を捩らせる!
「往生際の悪いイカね! 観念しなさい!」
ずがん! と葦菜は出刃包丁を振り下ろす。ばつん、と古タイヤのような弾力を示しながら切り落とされた触手の切断面からは生臭い白濁が迸り、葦菜の顔へと浴びせ掛けられた。
「うぇっ!? 何この変なの……妙にどろどろしてる……」
「墨じゃないの!?」
「イカスミって白かったっけ? それになんだか、さっきのあんたのに似……」
「すとーっぷ!? それ絶対イカスミじゃないから! っていうか、何を切ってるの葦菜ちゃん!?」
と、その時。一との通信に気を取られていた葦菜へと、未だ蠢いていた残りの触手が絡み付く!
「きゃぁっ!? ちょ、ちょっとやめなさいってば! …………ひゃんっ!」
「葦菜ちゃん!?」
「…………まったく」
つい、と七光は音もなく審査員席から立ち上がった。腰に帯びた日本刀に手を添え、静かに囚われの葦菜へ歩み寄ると──────────。
一閃。
実際は数度の剣撃を、それでも一度として捉えられた者はこの場には居なかった。
七光に葦菜を助ける義理などなかったが、少女と触手の絡みを座して看過するのも憚られたし、何より──────────先程の欲求不満があった。
要は、八つ当たりである。
ちん、と鍔鳴りの音だけを残して背を向ける七光。
その澄んだ響きに呼応するかのように、葦菜に絡みついていた触手群は鮮やかな剣技の前に分断され、細断され、切断されていた。
まるで活劇のような一場面。
──────────あくまでも、そこで終わっていればの話だったが。
「葦菜ちゃんっ、大丈…………っ!?」
心配して別室から駆けつけて来た一が、リノリウムの床に撒き散らされた触手白濁につるりと足を滑らせる。ぐちょり、とぬめぬめした白濁の上に尻餅をつくと、裸の尻が勢いのまま摩擦のない床を滑る。
「ひゃぁぁぁっ!?」
「なっ……!?」
「ちょ、ちょっとあんた何やって……!?」
どしーん!
漫画のようなコミカルな擬音と共に、葦菜と七光まで巻き込んで。
三人の美少女(但し一人はトランス・セクシャル少女、もう一人は男の娘)がお互いの身体を絡ませ、白濁に濡れた痴態を晒す。
「は、早く離れなさいよ、どこ触って…………ふぁぁっ!?」
「くっ、何故僕がこんな…………ぁぁっ!?」
ぐっちょんぐっちょんのどろどろの白濁混じりの美少女の姿と、困惑したクール美少女の嗜虐心をそそる悲鳴のような声。否が応にも高まる観客席とスタジオのボルテージ。期待以上のハプニングと盛り上がりに番組スタッフの表情も熱を帯び、握り締めた拳が熱い。
「いいよいいよー!」
その隣で腕組みしながら事態を見守るSucieも鼻高々である。
「私の目に狂いはなかった。葦菜ちゃんとにのちゃん…………この二人なら天下を獲れるわ! そう、この番組がお茶の間に届いたその時から、二人のアイドル伝説は始まるのよ!」
なお、この後振舞われた葦菜の暗黒料理によって審査員(白金七光含む)と観客は全員悶絶昏倒入院し、前代未聞の不祥事として番組はお蔵入りとなった。
なんとか。辛うじて。どうにかこうにか。
とにもかくにも収録を終えてほっと一息。まさに嵐のような時間だった。
後始末に追われる番組スタッフを尻目に、ほとんど逃げ出すようにして一は収録スタジオを抜け出した。
葦菜の姿を探すものの、既に何処にも見当たらない。落ち着いた所で収録前の事を改めて謝りたかったのだが、今顔を合わせてもお互い気まずいだけかもしれない。葦菜の方もそう思ったからこそ、一を残してさっさといなくなってしまったに違いない。
「明日…………かな」
問題を先延ばしにするだけのような気もしないではないが、現状、他にどうしようもない。
大きく溜息をつくと、一は着替える為に九十の楽屋へと向かった。ねとねとの触手液だけは借りたタオルで拭ったものの、やはり気になる。
いや、そもそもあまり長い間女装のままでいて、慣れてしまうのが怖い。
そう思いつつ、やっとの思いで楽屋に辿り着いた一だったが。
「…………え?」
そこは既に別の出演者の控え室に変わっていた。
勿論、楽屋というものは番組出演が終わってしまえば次の人間が使うものである。それは言うまでもない自明の理。
元々一の為に用意されていたのならともかく九十の為に用意されていた其処は、九十が先に番組出演を終えた時点でその任を果たしたのだろう。
だが当の一は事態を把握できず、呆然と立ち尽くす。
「ぼ、僕の着替えは……?」
「あれ、ひょっとして九十ちゃんの妹さん? お姉さんならもう帰られましたよ」
通りがかったADらしき若い男性に声を掛けられなければ、もう少し長い間その場に立ち尽くしていたかもしれない。
「うう……罰ゲームすぎる……」
他に着る物もなく、一はアイドル衣装のままでTV局を出た。一刻も早く帰りたいが、タクシーに乗るお金など当然持ち合わせていない。幸い家までは近いので歩いて帰れない事もないが、この格好で人通りの多い道を歩くのは精神的な意味で自殺行為である。今だってちらほらと通行人から好奇の視線を集めているというのに。
その視線が奇異なものを見る目ではなく、可愛いらしいものを見る眼差しだと言う事は、一が知らない方が良い事実だった。
一刻も早く、かつ人目につかず。
その二つを同時に遂行するのは、やはり無理があったのだろう。繁華街を避け、普段は通らない裏道を抜けようとした一だったが、半ばを過ぎたところでぴたりとその足が止まる。
「そんなに急いで何処行くのかな、お嬢ちゃ~ん?」
これでもか、とばかりに頭の悪さを主張しているような、低俗な猫撫で声。にやにやと下卑た笑いを貼り付けたスキンヘッドの男が、灰色のコンクリート壁に寄り掛かっていた。
その傍らには、男の仲間と思しき革ジャンの男がだらしなくしゃがみ込み、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。
「この辺、俺らの陣地だからさー。勝手に通られると困る、ってわけ」
男は気怠そうな口調で言葉を垂れ流した。肌には生気がなく、目だけがギラギラと嫌な輝きを放っている。薬物かそれに類するものを常用している者にありがちな特徴である。
「あ、あの、ごめんなさい…………そんなつもりじゃなかったんです」
慌てて頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。魔人とはいえ一の腕っ節は同年代の平均と比較しても優れているとは言い難かったし、相手はいかにも荒事や喧嘩慣れしている。何より一自身が争い事を好まない心根の持ち主である為に相手の理不尽な物言いにも腹を立てる事なく、穏便にその場を離れようとしたのだった。
だが、その態度はこうした人種には裏目に出て、かえって相手をつけあがらせるだけだった。それも、最悪の形で。
「まぁ、そう怯えんなって。俺たちゃ別に怖いお兄さん、って訳じゃねえんだから」
「そうそう、近くにいい店があるからさー。一緒に楽しもうぜ、お嬢ちゃん」
何とも分かりやすい下心に、一は大きく溜息をついて。
「あの、僕はですね、こう見えても男なんです」
その言葉に、男二人はきょとんとした阿呆面を見合わせ──────────そして大爆笑した。
「そんな訳ねーだろ! つくならもうちょっとましな嘘にしとけって!」
「うう、何となく予想はついたけど、それはそれとしてやっぱり傷付く…………」
予想通りの展開に一は項垂れた。ただでさえ少女に間違われやすい容貌なのに、今の格好では尚更説得力がない。
(こうなったら、実物を見せて納得してもらうしか…………)
最終手段の行動に及ぼうとして、そこで一はふと気付く。男と証明する為とはいえ、街中で女装姿のままでミニスカートを捲り、男に向かって己の性器を露出させるのは幾ら何でも変態的すぎやしないだろうか?
いや、自問するまでもない。明らかに変態である。
「ど、どうしよう……?」
裾を摘んだままで固まってしまった一に、男たちはニヤつきながら近付く。
「気持ちよくなる薬もあるしさ、一緒にシャブ漬けセックス楽しもうぜ」
「ぎゃははは、お前ストレートすぎだっての!」
後ずさる一よりも早く、二人の男が手を伸ばした。
だが、絶体絶命と思われたその時。
「…………ったく、男って奴等はどいつもこいつも屑だな」
不機嫌そうな声。苦虫を噛み潰した、という表現がしっくりくる、不快さを全面に押し出した声だった。
男たちの背後から現れた声の主。日焼けした健康的な肌に加えて白いワイシャツを大きな胸が溢れんばかりに押し上げていて、くびれた腰回りとぱん、と張った見事なヒップは非の打ち所ないプロポーションは南米の情熱的な美女を思わせるスタイルだった。
しかし鼻頭にちょこんと乗せられた眼鏡越しの眼差しは、さながら害虫に向けるような敵意と嫌悪感に満ちていた。
「こいつぁ目に毒だ!」
ひゅーっ、と口笛を鳴らし、スキンヘッドは思わず喝采を口にする。即物的な欲望を隠そうともしない。
「いいねー、男好きするエロい身体。これで二体二、一緒に楽しもうねー」
革ジャン男にも低俗な情欲が宿る。
「お前どっちにする? 俺は折角だからロリっ娘快楽漬け奴隷コースかな」
「じゃあ俺は生意気おっぱいドM肉便器コースで」
「後で乱交するんだから、クスリ使いすぎて壊すなよ?」
「こっちの台詞だよ! まぁ、それはそれで…………ヘヘ」
そんな二人の様子に、褐色の少女は虫酸を走らせて舌打ちする。
「ケダモノどもが……!」
「あ、あの、何処の何方かは存じませんが、危ないから早く逃げて下さい……!」
自分はともかく、見ず知らずの人間まで巻き込む訳にはいかない。一は男たちを刺激しないよう、小声で彼女に呼び掛けた。
だが、棘と刃で出来ているような空気を纏った少女は意外にも柔らかな声で答える。
「怖かったか? 大丈夫、あんな奴等すぐに片付けてやるから、ちょっとだけ我慢してなよ」
不良じみた蓮っ葉な物言いだったが、そこには確かに優しい気遣いの響きがあった。
「え…………?」
一が怪訝な表情を浮かべるのと、調子に乗った男たちが掴みかかってくるのはほぼ同時だった。
そして、その直後。
「げぁーっ!?」
地面に倒れ伏し、雁首を揃えて白目を剥き無様に失神姿を晒す男たちの姿。
「な? すぐ終わっただろ?」
振り向き、少し得意そうな不敵な笑みを見せる少女。
「こ、これ…………」
一は見ていた。褐色の少女の周囲に突如として実体化した幾多の剣の数々を。そしてそれらが瞬きする間もなく猛然と飛来し、男たちをずたずたに切り裂くところを。
勿論、手品ではない。これは──────────。
「魔人能力…………!」
「そういうこと」
それ以上自慢する事も勝ち誇る事もなく、少女はだらしなくのびている男たちに目を戻す。そして。
大きく足を振り上げると、二人の男それぞれの股間目掛けて順番に踵を下ろした。
悶絶し、泡を吹きながらびくびくと痙攣する男たち。その地獄絵図に、思わず一も我が事のように前を押さえてしまう。
「ぁぅ……! あ、あの、流石にちょっとやりすぎなんじゃ…………」
「いいんだよ、こんな性犯罪者は去勢しちまった方が世の為人の為になる」
去勢はともかく、男として最大の弱点を痛打された彼らには、激痛と共に生涯忘れられぬ恐怖とトラウマが深く刻み込まれた事だろう。先程まで我が身に迫っていた危機を忘れ、一は同情してしまう。
「それより、怪我はないか?」
男たちに向けていたものとは打って変わって、彼女は一へと優しい声を掛けた。態度の豹変はむしろ、此方が素に近いのだろう。
「あ、は、はい…………危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」
我に返り、丁寧に頭を下げて感謝の言葉を述べる。
「この辺はガラの悪いのも多いしさ。あんまりふらふらしないように、な? 攫われちまっても知らないぞ」
男っぽい乱暴な、突き放したような口調だったが一を心配している事は明らかだった。何より、本当にどうでもいいならわざわざ助けに出てきたりはしなかった筈だ。
「あの、僕、一一って言います。お名前、お伺いしても……?」
「名乗るほどの者じゃないんだけどね。ま、いいか。あたしは鎧塚役乃(よろいづか・えきの)。役乃でいいよ、あたしも一って呼ばせてもらうから」
「あ、はい、役乃さん……ですね」
からりとした晴天のような役乃の口調に、一は神妙に頷く。
「さてと、こんなところに長居してても仕方がないね。なんなら家まで送って行ってやろうか?」
「い、いえ、大丈夫です」
「そうか? 遠慮しなくてもいいのに…………まぁ、気を付けて帰るんだよ。可愛いお嬢ちゃんにはこの辺は物騒だから」
「は、はい…………」
何となく訂正のタイミングを逃してしまったのは、役乃の男性に対する強い怒り──────────いや、憎悪を感じてしまったからかもしれない。
「それじゃ、な」
女番長のように颯爽と去る役乃の後ろ姿を、一は黙って見送る事しかできなかった。
その後、武士の情けで男たちの為に救急車を呼んでやった一だったが、真に心配すべきは女装姿で実家に帰った彼をおもちゃとして弄ぶ姉や妹の存在だという事にその時まで気付く事はなかった。
<了>