朝銀問題

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 在日朝鮮人のために設立された朝銀東京信用組合の前身である同和信用組合を皮切りに、日本各地に同様の信用組合が都道府県単位で設立された。
 呼称はそれぞれ、朝銀+(地名)+信用組合としており、一例として大阪府に設立されたものは「朝銀大阪信用組合」と呼称した。なお、呼称にある「銀」は「銀行」の略称ではない(銀行法第6条)。地域信用組合ではあるが主な顧客として在日朝鮮・韓国人を対象としていたため「民族系信用組合」とも呼ばれた。
バブル崩壊後は経営破綻が相次ぎ、かつて38組合あった朝銀も、16組合が破綻し全国7組合に再編された。

1967年、国税当局(関東国税局)の査察を実力で拒否した結果、同局の職員が機動隊に守られて職務を遂行するという前代未聞の事件(同和信用組合事件)を起し、後に国税庁との五項目の合意事項の締結に発展した。

また、バブル崩壊後に破綻が相次いだ際は、その原因の不明瞭さとそれに関連した朝鮮総連中央本部への強制捜査に伴う一部の在日朝鮮人による組織的な反発活動、および破綻処理に伴う1兆円以上の公的資金導入などから朝銀事件とも呼ばれた。

1952年6月20日 - 朝銀東京信用組合、同和信用組合として設立する。
1953年8月10日 - 朝銀福岡信用組合を設立する。1953年10月10日 - 朝銀愛知信用組合、大栄信用組合として設立する。1954年10月25日 - 朝銀岐阜信用組合、大成信用組合として設立する。1960年12月15日 - 朝銀千葉信用組合を設立する。1961年10月23日 - 朝銀山口信用組合を設立する。1961年10月26日 - 朝銀広島信用組合を設立する。1962年7月20日 - 朝銀岡山信用組合、岡山中央信用組合として設立する。1963年5月2日 - 朝銀長野信用組合を設立する。1963年8月2日 - 朝銀福井信用組合を設立する。1964年10月 - 朝銀新潟信用組合を設立する。1966年5月22日 - 朝銀宮城信用組合を設立する。1968年12月20日 - 朝銀青森信用組合を設立する。1977年4月 - 朝銀長崎信用組合を設立する。
1997年5月14日 - 朝銀大阪信用組合が破綻する。
1997年11月27日 - 朝銀兵庫信用組合を存続組合とし、朝銀京都信用組合、朝銀滋賀信用組合、朝銀奈良信用組合、朝銀和歌山信用組合が対等合併し、朝銀近畿信用組合が発足する。
1998年5月11日 - 朝銀大阪信用組合の事業を朝銀近畿信用組合に譲渡する。
1999年5月12日 - 朝銀長野信用組合が破綻する。
1999年5月13日 - 朝銀千葉信用組合、朝銀東京信用組合、朝銀新潟信用組合が破綻する。
1999年5月14日 - 朝銀青森信用組合、朝銀宮城信用組合、朝銀広島信用組合、朝銀山口信用組合、朝銀福岡信用組合、朝銀長崎信用組合、朝銀福井信用組合、朝銀愛知信用組合が破綻する。
1999年10月12日 - 朝銀岡山信用組合を存続組合とし、朝銀香川信用組合、朝銀愛媛信用組合、朝銀佐賀信用組合及び朝銀大分信用組合と合併し、朝銀西信用組合が発足する。
2000年12月29日 - 朝銀近畿信用組合破綻(二次破綻)する。
2001年8月24日 - 朝銀関東信用組合が破綻する。
2001年9月13日 - 朝銀北海信用組合、朝銀岩手信用組合、朝銀秋田信用組合、朝銀福島信用組合が合併し朝銀北東信用組合が発足する。
2001年9月27日 - 朝銀岐阜信用組合を存続組合とし、朝銀富山信用組合、朝銀石川信用組合、朝銀静岡信用組合、朝銀三重信用組合が合併し、朝銀中部信用組合が発足する。
2001年11月26日 - 朝銀青森信用組合、朝銀宮城信用組合の事業を朝銀北東信用組合に譲渡を完了する。
2001年11月26日 - 朝銀福井信用組合、朝銀愛知信用組合の事業を朝銀中部信用組合に譲渡を完了する。
2001年11月26日 - 朝銀島根信用組合、朝銀広島信用組合、朝銀山口信用組合、朝銀福岡信用組合、朝銀長崎信用組合の事業を朝銀西信用組合に譲渡を完了する。
2002年3月 - 「在日本朝鮮信用組合協会」が解散する。
2002年8月12日 - 朝銀近畿信用組合の事業をミレ信用組合、京滋信用組合、兵庫ひまわり信用組合および整理回収機構へ譲渡を完了する。
2002年12月29日 - 朝銀千葉信用組合、朝銀東京信用組合、朝銀新潟信用組合、朝銀長野信用組合、朝銀関東信用組合の事業をハナ信用組合及び整理回収機構へ譲渡を完了する。
2004年2月9日 - 朝銀北東信用組合が、ウリ信用組合に名称を変更する。
2004年2月23日 - 朝銀中部信用組合が、イオ信用組合に名称を変更する。
朝銀の破綻に関連して2004年3月までに朝鮮総連中央の元財政局長を含む25人以上の朝銀役職員が逮捕され、150人以上が取調べを受けた
2007年6月18日 - 朝鮮総連、16の破綻した朝銀信用組合の628億円の債務を譲渡された整理回収機構に対して仮執行付きの返済命令を受ける。これに伴い、整理回収機構は中央本部の土地建物の差し押さえを申請。
なお、この処理をめぐり公安調査庁元長官の弁護士、緒方重威らが詐欺容疑で逮捕された。→朝鮮総連本部ビル売却問題
2007年8月10日 - 不動産取得税7,500万円未納により東京都が地方税法によって総連中央本部の土地、建物の差押手続に入った事が9日に判明、10日には完了する。
破綻は金融再生法61条1項に基づく申し立て日を基準とし、譲渡完了は金融整理管財人による業務及び財産の管理の処分の取消日を基準にしている。
朝銀信用組合の再編により、奈良県・愛媛県では本店を置く信用組合が消滅している。
2009年 - 一審の東京地方裁判所林正彦裁判長は、両被告に資金と不動産を詐取する意思があったとし、緒方被告に懲役2年10月執行猶予5年、満井被告に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した[2]。この判決を不服として被告、検察側ともに控訴した。
2010年6月29日 - 朝鮮総連中央本部の土地と建物は朝鮮総連とは別の会社である朝鮮中央会館管理会の名義となっており、整理回収機構は差し押さえに必要な手続きの認定を求める裁判を起こしたが、最高裁は貸付金を回収する目的での差し押さえは現時点では不可能と棄却し整理回収機構の敗訴が確定した。一方、最高裁は「名義は違っても施設が実質的に朝鮮総連の資産であることを認める裁判所の判決があれば、差し押さえも可能」との意見も示した。整理回収機構は、朝鮮総連中央本部の土地と建物が実質的に朝鮮総連の資産であることの認定を求める裁判も起こしており、一審・東京地裁では勝訴している。勝訴が確定すれば、朝鮮総連中央本部の土地と建物の差し押さえが可能となる。
2012年6月28日 最高裁 朝鮮総連中央本部が実質的に朝鮮総連の資産であることを認めた裁判に対する朝鮮総連の上訴を棄却。整理回収機構、差し押えの手続きを開始。その後も競売回避のために返済交渉を続けていたが、安倍政権への政権交代を受け決裂し、2013年3月12日から入札を開始すると東京地裁から公示された。
関連ノンバンク
 バブル経済当時、各地の朝銀から「債権回収に責任をもつ」「場合によっては債務を引き受ける」「連帯して債務保証する」との書面の元、不動産会社などに融資したが、多くは不良債権化した。100億円分の不良債権について、保証の履行を求めて2002年に朝銀関東と朝銀近畿を提訴したが2007年に敗訴が確定した。
共同開発 - 1988年6月設立。2010年2月18日から破産手続き開始
朝銀総合ファイナンス - 1987年9月設立。2006年12月解散決議。2009年6月、債権者から破産手続開始を申し立てられ、9月2日には東京地裁より手続開始決定を受けた

破綻問題

破綻原因
破綻の主な原因としては、
預金の北朝鮮への送金
同じく朝鮮総連の政治工作資金としての流用
バブル崩壊
の三点が指摘されている。
まず、民族系金融機関として指摘されてきた不明朗な融資姿勢がある。
例えば、2001年12月に経営破綻した朝銀近畿信用組合(本店は神戸市)の場合、後に金融整理管財人により破綻原因の調査結果が金融庁に報告された。
管財人は破綻要因を「合併前の一部組合が不動産関連を中心に与信限度額を大幅に超えた融資をしていたため」と述べた。
 また、朝鮮総連との関係も破綻原因のひとつとされる。例えば、1999年5月に経営破綻した朝銀東京信用組合では、資金流用疑惑が発覚したさいに朝鮮総連中央本部に強制捜査が入り、同・元財政局長(中央常任委員)の逮捕へと発展するなど、2004年3月までに各朝銀信用組合で25人以上の朝銀役職員が逮捕され、150人以上が取調べを受けた。
 朝鮮総連は朝銀に対して、
企業や個人への融資の一部を寄付させたり、
仮名口座や架空口座への無担保融資や追い貸しを繰り返して資金調達するケース
が増えていたとされる。この背景には、これまで法人格のない任意団体の朝鮮総連は在日朝鮮人らの寄付金などで運営費を賄ってきたものの、バブル崩壊や若年層を中心とした組織離れもあり寄付額が激減したため、朝鮮総連はその影響下にある全国の朝銀信組に資金のねん出を要請したとされる。重村智計拓殖大学教授(当時)は、「朝銀信組は朝鮮総連の財政基盤を支える資金調達機関へと変質した」と指摘している。
さらに、こうした朝鮮総連の指揮による不正融資は北朝鮮へ不正送金され、核開発や200基に及ぶノドン対日弾道弾調達の資金源に流用され、一部は政治献金として日本の政治家にばら撒かれたとの主張もあった。
さらに、後に発生する朝鮮総連本部ビル売却問題では、朝銀の乱脈経営と朝鮮総連との関わりの一部が司法にて認定されている。
 こうした朝銀の不明朗な経営姿勢に対して、金融当局の民族系金融機関に対するタブー視や、「2000年まで信用組合の監督・検査を都道府県にゆだね、朝銀のような機関の経営に目配りできずにいたことも、破綻の影響を拡大させた要因」とされている。
公的資金反対論
 破綻した朝銀では、保守派ジャーナリストの櫻井よしこや小池百合子衆議院議員、前原誠司衆議院議員(民主党)らから、朝鮮総連を隠れ蓑にする朝鮮労働党統一戦線部直属の在日組織「学習組」を通じた北朝鮮との関係が指摘され、金融庁は受け皿信組の認可に際して朝鮮総連の関係者を経営陣から排除するよう指導・確約を取り、実際に一部の朝銀では日本人役員が登用された。しかし2002年4月には、受け皿の信組と北朝鮮の結びつきを疑う声が広がり、公的資金が北朝鮮へ不正に送金される懸念が生じた。2002年4月23日、五十嵐文彦衆議院議員(民主党)は衆議院財務金融委員会の席上、受け皿信組を「北朝鮮の金づるではないか」と指摘し、受け皿信組に朝鮮総連の役員、幹部が入ることは排除されなければならないと述べた。また、2002年4月21日、安倍晋三官房副長官は「経営陣の入れ替えを促し、実現するまで公的資金を入れるわけにはいかない」と語った。
公的資金投入
しかし、野中広務の鶴の一声できまったとの証言も出るなど、かねてから親北朝鮮議員が、公的資金投入に影響力を行使したとする見方があった。
 また、先述の朝鮮総連中央本部へ強制捜査に際しては、2001年11月8日、

社民党の金子哲夫衆議院議員と渕上貞雄参議院議員の2人が同中央本部副議長ら総連側6人と共に警察庁を訪問し、「総連に対する強制捜査は不当な政治弾圧」という決議文を手渡す

などを行っていた。
また、そもそも朝銀信用組合の預金は付保預金として預金保険に加入しており、預金保護を目的とした公的資金の投入をしない選択肢は難しかった。当時の金融庁は「朝銀信組も預金保険法上の金融機関であり、預金者の保護は必要」(村田吉隆内閣府副大臣)との立場をとり、仮に認可を取り消せば公的資金を入れる対象が宙に浮き、初のペイオフ(預金保険金直接支払)の可能性すらあったとされる。

結局、破綻処理のため、投入された公的資金の総額は1兆4千億円に上ったが、公的資金が投入されながら、受け皿となった組合がさらに破綻する二次破綻を起こした例もあり、公的資金投入の杜撰さが問題視された。

また、投入された時期に海外送金の財務省への報告義務が500万から3,000万に緩和されており、不正送金へ協力の一部政治勢力と行政の結託が疑われている。

投入時期と同時に、金融整理管財人が置かれない期間が1年存在し、不正送金の疑惑の的となっている。

これらの疑惑に対し、金融庁は捜査権限がないので限界があると回答している。
 なお、破綻処理に関しては金融再生委員会が金融整理管財人による業務及び財産の管理を命ずる処分を行った。金融整理管財人としては弁護士、公認会計士、金融実務家が預金保険機構の命令(会社謄本の記載から)にて各信用組合毎に2、3名が振り分けられた。ただし、朝銀東京に限り弁護士1名と法人としての預金保険機構の両名の構成となった。
破綻処理のその後
破綻処理の過程では架空口座の疑いのある預金者不明口座が多数見つかり、これらは事業譲渡の際に整理回収機構に引き継がれ、厳正な本人確認のうえで支払うこととなった。
このうち未払いだった架空名義預金34億円の支払いを求められた裁判で、整理回収機構は全面敗訴。訴訟には支払い資金を援助する預金保険機構も参加、時効にはなったものの預金者に脱税行為があったとして「脱税資金を公的資金で払い戻すのは正義に反する」と主張したが認められず、この他の主張も悉く斥けられ、2006年9月、判決が確定した。
 一方、整理回収機構は破綻した16の朝銀信用組合の628億円の債務を譲渡されており、2007年、朝鮮総連に対し返済命令が確定、債権の回収を進めている

別冊宝島 朝鮮総聯の研究」 1995年 日名子暁他 宝島社

私が「商工連合会」と付き合うこれだけの理由

 谷川宏夫さん(仮名、31歳)は、祖父が始めたパチンコ店グループを引き継ぐ在日3世である。その谷川さんにパチンコ業と朝鮮総聯ならびに北朝鮮との係わりを語ってもらった。
 いま日本全国に約1万8000軒のパチンコ店があります。推定ですが、いわゆる"北"のパチンコ店は5000軒程度あるとみていいと思います。これだけのパチンコ店が、総聯と親しいわけです。正確に言いますと、
各地方にある商工会(在日本朝鮮人商工連合会(朝鮮総聯の傘下団体))に加入していて、定期刊行物代を含めて月々2万円の会費を払っています。
私のところも祖父の代からそうですが、だからといって、私自身には商工会に加入することで北朝鮮を支持するというような政治的意図はまったくありませんね。むしろ、いまでは政治的意図を持つ人は少ないんじゃないでしょうか。
ではなぜ総聯系の朝鮮商工会に加入するのかといえぱ、理由はいたって簡単です。私どものビジネスにとって、商工会が税務処理上できわめて強力な味方になってくれるからです。
 現状は、個々のパチンコ店が、それぞれに税務対策をしているわけです。そのなかで、私なんかは実績からみて商工会がいちばん頼りになると判断しているわけですよ。日本の税埋士さんではこんなことはできない。仮にですよ、私がざっと計算してこの年は3億円の税金を持っていかれると思い、商工会に相談しますね。商工会の税務担当は、長年、税金を扱っているプロ中のプロですので、表も裏も知りつくしている。帳簿を見ると、これはどのくらいの税金を払えばいいかという「落としどころ」が分かるわけですよ。私が3億円と計算したところを、彼らは8000万円で済むと読む。そうであれぱ、私は2億2000万円の節税になるわけですよね。この3億円と8000万円は、机上の数字ではありませんよ。商工会に依頼すれば、事実、このぐらいの比率で節税ができます。
商工会への謝礼ですか? 決算月に月々の会費の1年分の24万円を別に払います。ですから、毎年、商工会へは48万円を払っている計算になります。それに加えて、さっき言った「落としどころ」の3%、これがいわば暗黙の交渉手数料です。まあ最低でもこれだけはお願いしますという額ですね。
 つまり、「落としどころ」が8000万円だったら240万円ですね。"3億円"の例で言いますと、年会費の48万円に、この240万円で、合計288万円でしょう。それを払ったとしても、2億2000万円の節税ができるなら誰でも商工会に加入しますよね。あなたが商売人だったら、やはりそうするでしょう。
 その上、ここに支払った金は裏金でもなんでもない。商工会がちゃんと領収証を発行してくれる、何の問題もないお金ですからね。その見返りがきついだろうって? そんなもん、何もありませんよ。会費を払えば、新聞と雑誌を送ってきます。もっとも私はほとんど読みませんがね。あとは年に2回くらい、ハチミツとか金剛山の石とかの特産品を購入してくれませんかといった依頼があります。現地価格に比べれば高いかもしれませんが、日本国内の価格だと割安です。つきあいで買うこともありますよ。
商工会とのつきあいは、そんなものですよ。あくまでも税務対策上のもの。
なぜ、商工会にそんなカがあるのかって? これは朝鮮商工会の歴史と実績としかいいようがないでしょうね。

だって、国税庁との覚え書きがあるという噂があるのば朝鮮商工会ぐらいのものでしょう。そうなったのは、76年頃からだったとも聞いていますよ。ですから、私のところの税金申告書の担当税理士欄には、朝鮮商工会の印が捺してあります。

で、窓口での交渉は、税務署と商工会ということになりますね。私は、いっさい関係なしでね。その結果が、さっき話したとおりですよ。商工会も、いろいろ裏技を使っているようですね。
たとえば、退官した税務署員は、ほとんどが税埋士になるわけですよね。彼らに仕事をまわすとか…。パチンコ店というのは、彼らにとっても将来的にありがたいクライアントでしょう。
実際に税務署との交渉に当たるのは、ベテランの商工会の理事長とか副理事長といった幹部クラスです。
私たちは、再三言いますように、商工会に力があるのでつきあっているわけです。政治信条でつきあっているわけじやないんです。これは商工会だけでなく、朝信協(在日本朝鮮信用組合協会(朝鮮総聯の傘下団体))でも同じことですね。
たとえば商売をしていると、なんらかの理由でウチに査察が入ったとする。そうすればメインバンク、銀行にも査察が入るでしょう。そういう場合、日本の銀行だと国のいうがままに協力し、私たちの取引内容を教えてしまう。担当者だって、守ったところでメリットはない。何かあれば彼の首が飛ぶわけです。彼だって、つまらないところで失点を増やしたくないでしょうからね。
ところが、朝信協は違います。頑として抵抗する。身体を張ってでも、私たちの取引内容を公開しない。
これば、身内意識というか、情というんでしょうね。商工会も朝信協も、いったん懐に飛び込むと徹底して守ってくれますね。それを政治的にどうこう、と考える人もいるのでしょうが、昔はともかく今は政治とは関係ないと考える人間が多いんじやないですか。

「わが朝鮮総連の罪と罰」 韓光煕著 野村旗守取材構成 2002年 文藝春秋
パチンコとおなじくらい総連が力を注いだのが、地上げビジネスである。
 どうしても売りたくはないというなら諦めるしかないが、やっかいなのは、売りたい地主と売りたくない地主が混在している場合である。そして、駅前などの一等地というのは、大抵がこのケースなのだ。ここにやくざやブローカーが介在する余地が生まれる。彼らは地上げ屋と呼ばれた。
地上げ屋は「売りたくない」と頑固に拒み続ける地主を説得し、ときには暴力的に脅しつけて売買契約書に捺印させる。
他人様から恨まれる商売だから、やはり堅気の人間はやりたがらない。そして、他人がやりたがらない商売というのは、おうおうにして利益が大きいのである。総連がここに眼をつけたのは、自然の理だった。
さらに、地上げというビジネスは巨額の裏金を必要とする。地権者に対して領取書のいらない現金を渡せる者だけが、土地を取得できる仕組みになっている。土地をいくらで売ったかということがわかれば、地権者は応分の税金を払わなければならないからだ。
これは大企業には絶対に真似のできない芸当である。大企業がそんな出所不明のカネをひそかに動かそうとすれば、かならず税務署に眼をつけられる。それに、彼らの取引先である大手銀行の出納にも常に国税の眼が光っている。
朝銀という小規模な信用組合のなかに大量の裏金を貯えていた朝鮮総連にとってはまさにうってつけのビジネスであった。
 総連の手がけた地上げには、私が知っている範囲だけでも、大きなものが3件あった。
名古屋の新幹線駅周辺、大阪・吹田市の江坂駅近くの高層ビルの建て直し、それから北九州市小倉区のある旧市街を街ごとすべて買い上げる計画である。
いずれも80年代の後半にはじまった。名古屋に関しては200億円くらいの投資をつぎ込んで駅周辺一体のごちやごちゃした土地を買い上げ、それを大手建設会社数社を含む業者に転売した。これの利益がおよそ20億円あったのだが、この転売で当然生ずるはずの譲渡税を朝鮮総連はほとんど払っていない。この当時、土地を転がせば簡単に億単位の利益が転がり込んできたが、それがそのまま取入になるわけではない。5年以内の短期で転売しようとすれば、最大約9割ものべらばうな税金をとられる。しかし税務対策は総連にとってお手の物だから、なんとか誤魔化せるだろうと高をくくっていたようだしかし、このときはさすがに額が大きかったから、税務署の眼も厳しかった。
名古屋の国税が中央本部に乗り込む直前までいき、総連は大騒ぎになったのである。我々は慌てふためいて身構えていたのだが、結局、査察が入ることはなかった。
陰で強力な政治の力が働いたのであろうことは想像に難くない。
 次に手をつけたのが、大阪だった… おそらくこれがいちばん儲かったケースではないか。このときには、約60億の投資で利益が40億もあった。さらに、広島や浦和でも大規模な地上げがおこなわれていたというし、他にも全国各地で総連の名を隠して強引な土地買取が進められていたはずである。山梨や滋賀では大規模なゴルフ場開発もはじまっていた。
これらの投資につぎ込まれた資金がどこから出ていたかといえば、そのほとんどは朝鮮総連が全国に保有していた民族学校などの民族共有資産を担保に入れて融資を引き出したものであった。
後に、財政局長の康永官が作成した資料によると、総連関係資産で担保に入っているものは、2000億円から3000億円という。私はおそらくその倍以上が担保に入っていると思う。そして、そのうち、かなりの部分がこれらの地上げの資金につぎ込まれたはずだ。つまり、表舞台にこそ顔を出さなかったものの、

その当時の朝鮮総連とは日本有数の地上げ屋集団であったということなのだ。


最終更新:1970年01月01日 09:00