提督と吹雪、摩耶、長門3-46

 ちょっと修羅場系なので、苦手な人は注意をお願いします。


『出口がない』

真っ赤な夕日が、ラバウルの海原を鮮烈な赤に染めていた。
「中世のポーランドでは、貴婦人に貴族はこう挨拶した」
暮色に染まった執務室で、若い士官は、駆逐艦・吹雪の前に跪き、彼女の手を取った。吹雪が彼
の行動に驚き戸惑っていると、目を閉じた彼は艦娘の手に顔を近づけ、柔らかい手の甲へ唇を落と
した。雪のような白い頬を赤くした吹雪を見上げ、彼女の司令官――提督は言った。
「私の礼節をすべて貴女に捧げる、という意味だ。……これからも一緒に戦ってくれ」
吹雪と提督が初めて、鎮守府周辺の敵艦隊を初めて殲滅した後のことだった。あの時、確か吹雪
は、提督が新しく建艦した駆逐艦とともに初めての任務を終えたのだった。
あの時建艦されたのは誰だったか、もう思い出せない。

「司令官。戦果のご報告に参りました」
「吹雪か。入れ」
提督の執務室に入ると、吹雪は柳眉を曇らせた。
机の上の書類に目を向けている司令官の傍らには、吹雪と同じように秘書艦を務める艦娘たちが
いた。歴戦の実力者である彼女たちは、入れ替わり立ち代わり旗艦を交替し、提督の艦隊の先頭で
戦っている。
「うざい。うざい。マジうざい」
何やら抗議の声を上げているのは、重巡洋艦・摩耶。戦況が激化してきたころ、吹雪に代わって旗
艦の任に就き、吹雪よりも早く改造を受けた艦娘だった。彼女は、提督の艦隊で最初に戦艦や空母
を打ち沈めた主力艦だった。
摩耶は提督がペンを握っていない方の肩に縋り付き、提督が彼女の足の間に差し入れた手を動か
すたび、上気した顔で提督を罵っていた。とはいえ、物欲しげに緩んだ唇や、提督の服をつかむ指
先は、彼女の科白とは不釣り合いだった。
ペンを置いた提督は、侍従のごとく傍らに侍る長身の美女に目を向けた。
「金剛が改造を完了し、空母や戦艦もだいぶ数が揃ってきた。長門、沖ノ島海域の突破を試してみよ
うと思うが、どう思う?」
戦艦・長門は、怜悧な美貌を提督に向けると、提督のペンを置いた右手を取り、艶めかしく自分の
腰や胸元へ誘った。彼の手に愛撫を受けながら、彼女は熱のこもった目で提督に囁いた。
「同意する、造物主殿。あなたの命を受ければ、私はいかなる海域にも赴き、いかなる敵艦も沈めて
みせよう」
長門は“造物主”と提督を呼んだ。
平然と。“青い空”とでも言うかのように。
この艦隊の、提督自ら資源を割いて建艦した、“建艦組”の艦娘たちにままあることだった。“建艦
組”のうち、第一線で戦い続けている艦娘たちは、自ら挙げた武勲と、司令官と戦いの中で築いた
絆、そして提督の手によって作り出されたという自負を同一視し、提督を唯一無二の指導者と仰いで
いた。
「頼もしい。アレクサンドル・ネフスキー勲章ものだ」
長門に、提督は肉付きの薄い頬に皮肉な笑みを浮かべて応えた。提督は長門から手を戻すと、硬
直した吹雪が両手で持ったままの報告書へ差しのべた。慌てて吹雪が差し出した報告書を受け取る
と、若い士官は静かな笑顔で言った。
「ありがとう、吹雪」
その笑顔が、吹雪がはじめて彼に出会ったころとまったく同じで、吹雪は見るに堪えなかった。
「いえ、提督、私は」
彼の顔から眼をそらし、口の中で声にならない声をつぶやく吹雪の前で、提督は書面に目を落とし
ながら平然と言った。
「とはいえ、弾薬が枯渇してきた。もう少し資源を確保してからだな」
「長門の言った通りだぞ、提督」
いつの間にか床に腰を下ろした摩耶が、提督の膝にそろそろと手を這わせながら言った。
「お前が指令を下してくれれば、あたしは……」
摩耶は言いながら提督のベルトを緩めた。白いズボンの中から、充血した陰茎がはね出ると、摩耶
はそれを見つめて陶然とため息をついた。吹雪が見ている前で、摩耶は醜悪な肉の塊にためらうこ
となく口づけ、雄の体臭を吸い込み、黒々とした怒張に舌を這わせた。
吹雪はしばらく、この異様な肉の宴の前で立ち尽くしていた。
「どうした?」
提督は茫然と立つ吹雪に目を向けた。
摩耶の奉仕を受けていた提督は、摩耶の柔らかい髪を撫で、彼女の白い耳朶に何事か囁いた。摩
耶は不満そうに提督を見上げたが、喉まで飲み込んでいた男根から唇を離すと、静かに体をひい
た。提督は濡れた男根をしまうと、立ち上がって吹雪の前に歩いてきた。
「吹雪?」
提督は膝を折ると、頭一つ背が低い吹雪の顔を覗き込んだ。吹雪は、摩耶の憎悪に満ちた瞳から
床へ目をそらしていた。吹雪の顔を見て、眉をひそめた提督は白い手袋を彼女の頬へやった。
「具合が悪そうだ」
「な、何でもないんです!」
吹雪は反射的に彼の手を払いのけた。目を見開く提督の顔を見て、吹雪はまるで自分が平手打ち
されたかのように愕然とした。茫然と彼女を見ている提督に、吹雪は慌てて弁解した。
「あっ……こ、これは違うんです、提督、私は……」
提督が口を開く前に吹雪は踵を返し、執務室の入口へ駆け出した。
後ろから、摩耶の怒りに満ちた声と、いつも冷静な長門の声が聞こえてきた。
「なんだ! 最初の秘書艦だか何だか知らねえけど、バカにしやがって! 提督、なんであんな駆逐
艦をいつまでも置いておくんだ? あたしや隼鷹の近代化材料にしちまえばいいんだ!」
「やめろ、摩耶。吹雪は造物主殿を最も長く支えた、最古参の戦士だ。造物主殿には造物主殿のお
考えがある」

鎮守府の海岸で、提督は砂の上に座って夜の真っ黒な海を眺めていた。その背後に何者かが立
つ気配を感じると、彼は振り返りもせずに言った。
「吹雪」
こちらに顔も向けないまま声をかけてきた提督に、吹雪は自嘲するように言った。
「司令官……私も、あなたを神と呼んだ方がいいですか?」
「次にそんなことを言えば、君を解体する」
提督は間髪入れずに吐き捨てた。吹雪は微笑して、司令官の横に座った。吹雪は、彼女に目もく
れずに夜の海を見ている提督の横顔を見た。
「構いませんよ。普通の女の子になって、本当の秘書になりましょうか」
「君は秘書艦だ。初めて就任した時からの戦友だ。対等な存在だ」
嘆息すると、提督は軍帽の庇で顔の半分を隠した。
「摩耶を許してやってくれ」
「提督に、近代化を重ねていただきましたけど、もう私は沖ノ島海域では戦力になれませんから」
苦々しげに言う提督に、吹雪は悪びれずに言った。提督の顔を見つめたまま、膝を抱いた吹雪は
彼に問いかけた。
「なぜ建艦した艦娘たちを特別扱いするのです?」
「別に、入渠や補給の順に差をつけたことはない」
「なぜ抱くのです?」
静かに答えた提督に、吹雪は質問を重ねた。
「あなたの閨に行ったことがあるのは、赤城ではなく加賀です。羽黒や愛宕ではなく、摩耶や高雄。
龍驤ではなく、飛鷹と隼鷹。比叡や金剛は一度もないのに、長門だけ。私や島風ではなく、響。な
ぜ、彼女たちにだけお情けを?」
吹雪は膝を抱いた腕に力を込めた。
「それに、あんな呼び方は、本来あなたなら許さないはずです」
提督は黙っていた。
南海の星空の下で、吹雪はただ彼の答えを待っていた。無理矢理に聞き出す話題ではないと思っ
たからだ。吹雪は潮騒と、夜風と、提督の息遣いだけを耳にしながら、彼が口を開くのをずっと待って
いた。
彼女の司令官は、やがて軍帽を脱いで、帽子の内側に目を落としながら言った。
「俺は二度も建艦した船を沈めた。千代田が轟沈した時、俺は二度と同じ愚を踏まんと誓った。しか
し木曾までも沈めた。千代田の時も、木曾の時も、君たちは俺のせいじゃないと言ってくれた。だが、
俺のせいだ。一生忘れられない、おぞましい記憶だ」
提督は吹雪に初めて顔を向けた。若い士官は、目だけが不釣り合いな真っ黒な目をしていた。
「俺は、一緒に戦ってくれと君に頼んだ。なのに、俺は君たちを使い潰した。俺は、せめて彼女たち
には、轟沈した二人にしてやれなかったことをしてやりたい。して欲しいことは何でもするし、呼び方
ぐらいで目くじらを立てたりはしない。……任務中でなければ」
彼は吹雪の顎に手をやった。
「提督、私は」
吹雪が何かを言おうとする前に、提督は吹雪の顎から手を離した。彼は吹雪に背を向け、砂の上を
歩いていった。やがて、鎮守府の砂浜の上には、吹雪だけが取り残されていた。彼女は暗い海を背
にしながら、姿を消した司令官のことを思った。
塩気の混じった風が、吹雪の黒髪を揺らした。
彼女は呟いた。
「愛しています」

Das Ende/конец/おわり

最終更新:2013年10月23日 23:23