提督×電(非エロ)1-655

 艦娘たちの母港の空。
今日も早朝から快晴だった。
港湾のあちこちで金属がぶつかり合う甲高い音が響いている。
工廠では新造艦が建造され、ドックには修理中の艦娘の艤装が痛んだ箇所を切ったり貼ったりくっ付けたり。
それはそれは賑やかに音をたてていた。

沖合では数隻の駆逐艦が波を蹴立てて公試運転しており、防波堤では大勢の艦娘たちが歓声をあげている。
「雪風~」
「頑張れ響ちゃん! 追いつけぇ~」
白波を蹴立てて、細長い艦影が水平線に沿うように伸びていく。
「誰も私には追いつけないよ~」
「うら~」

深海棲艦が出現して約半年が経とうとしていた。
戦時中という非常時に置かれながらも、彼と彼女たちは精一杯の日常を過ごしている。 
彼:若くして聯合艦隊の指揮を任された将校は、艦娘から提督(司令官)と呼ばれ親しまれていた。
そして彼も、深海棲艦隊と戦う彼女たち艦娘を時には妹、時には恋人のように愛でながら戦いを重ねていった。
彼の的確な指示と彼女たちの献身的な奮闘により、戦いは連戦連勝。
彼は平和に向かって一歩また一歩と進んでいることを実感しつつ、今日も戦場に彼女たちを送り込む。

ただ、すこしずつ、すこしずつ……心が緩んでいる事には気付かずに――――


〇七三〇

母港待機中の艦娘たちは司令部横のグラウンドに集められ、作戦や任務が発令された。
まるで女学校の朝礼のように整然と並ぶ艦娘たち。
四角い壇上に彼と秘書の愛宕があがり、その下は並列して第一戦艦隊旗艦長門、第一航空戦隊旗艦赤城以下、各隊旗艦の艦娘が先生よろしく並んでいた。
彼は本日の作戦司令を次々に読み上げていき、愛宕が参加艦娘を発表していく。

「続いて…うん、指令部発令36号命令を伝える。『艦隊を編成し南方海域に哨戒用の水上機基地を建設せよ!』」
参加艦娘が発表される。
「旗艦は、電ちゃ~ん。以下ぁ、千歳~、千代田~、那珂ちゃんでぇす」
「以上4艦は直ちに補給を済ませ、南方海域に向かい出撃すること。出撃予定時刻〇九〇〇、帰還予定時刻一八〇〇、以上。これで本日の発令を終わる。みんな、頑張ってくれ」

その言葉が終わった時、びっくりするくらいの大声を出した娘がいた。
第一戦闘艦部隊旗艦、長門だった。
「提督っ! 南方海域は敵の拠点が近いうえに、偵察もまだ不十分だ。水上機母艦と小型艦だけでは危険すぎる。6隻編成で行くべきだと意見具申する」
彼女が提督に苦言を放つのはそうめずらしいことではない。
しかしいつにない語気の粗さに艦娘たちはざわめきだした。
「そんなこと、言われなくてもわかってるんだよ。でも燃料は節約しなければいけないし資材も不足気味なんだ。それに費用だってばかにならないしさ」
赤城の頭が少し横を向いた。
「上に立つ者として部下の安全よりも金の方が大切だとでも言うつもりかっ!」
「な~に、平気だよ。作戦出撃じゃないんだ。遠征だよ、遠征。失敗しても次があるさ」
「貴様の目は節穴か? 遠征隊が補給しているのは燃料だけじゃないんだぞ。弾薬が減っているのは射的をしているからだとでも思っているのか!」
「なんだい、いやに荒れてるね? そうか、大和を編成したことを怒ってるんだな。彼女を隠してたのは謝るよ、でも僕の立場も理解して……」
「そ、その様なこと……心の一辺にも止めておらぬっ! もうよいっ! 言うだけ無駄なようだ…… だが、ここまでの非礼の数々は詫びなければならない。罰はどのようなものでも受けよう」
長門はそう言い放つと深々と頭を下げたまま動かなくなった。
「もっと気楽にいこうよ長門」
壇上の提督はやれやれという仕草で溜息をつくと、横に居る愛宕に耳打ちしてから壇を降りて司令室のある建物に入っていった。

壇上に残った愛宕は張りつめている微妙な空気を全く無視するようにニコニコ笑いながら、パチンと手を打った。
「は~い! みなさ~ん、本日の発令は以上で~す。各自出撃準備及び持ち場へもどってねぇ」
頭を下げたままの長門はピクとも動いていない。
「長門ちゃ~ん、提督の言葉を伝えるわねぇ。えっとぉ、お咎めなしよ~。しばらく作戦予定も無いしぃ、ゆっくり休むようにって」
愛宕の言葉を聞き終えると、長門はゆっくりと頭をあげ、ギュッと唇を噛んだまま自室の方へと歩いていった。
回りでその様子を見ていた艦娘たちは、いつになく厳しい表情の長門の後ろ姿をみながらヒソヒソと囁き合いながら解散した。

港の工廠では遠征隊を命じられた千歳と千代田が急遽装備改修にとりかかっていた。
既に軽空母となっていた彼女たちから飛行甲板が取り外され、代わりに4本の大型カタパルトが取り付けられていく。
「はあ~、せっかく改二目前だったのに、今更水上機母艦に戻るなんて……何考えて作戦立ててるのよ司令部は!」
「千歳姉がぼやくのってめずらしいわね。いいじゃない、私カタパルト火薬の匂い結構好きよ」
「それにしても、長門さんの剣幕すごかったわね」
「心配性なのよね。私達水母に戻ってもレベル高いんだから、連戦連勝、遠征だって大成功させてみせるわ!」
やがてふたりの艤装は終わり、既に港外で待機している那珂と電に合流した。
「電ちゃん、お待たせ。旗艦指揮よろしくね」
「はい、なのです」
4隻の中では一番小柄で、振る舞いも子供っぽい駆逐艦電であるが、実は艦隊きっての歴戦の持ち主であった。
提督との付き合いも艦娘の中では一番長く、長門や愛宕が配属された今も時折秘書を任されることも多い。
密かに艦娘たちの信頼も厚い。
まあ、彼女の衝突癖はみんなの恐怖の的でもあるのだが――

電を先頭に千歳、千代田が続き、殿は那珂が務める単縦陣。
整列した艦隊に号令を下す前、電は当たりをキョロキョロと見回した。
そして、視線を港湾の先端に突き出している突堤に目をやった。
そこにはまるで丸い腰かけのような形の係船柱があった。
傍に人影はない。
電は寂しそうな眼になった。
だが、次の瞬間には艦隊に向かって高らかに号令をかける。
「では、行くのです」
「了解っ!」
煙突から黒煙を出しながら、4隻は電を先頭に出航していった。
「最近、提督ってば見送りに来てくれなくなったわね」
「艦隊のアイドルの出撃なんだから紙テープ投げてくれてもいいのに~」
「うわ、昭和のアイドルかよ!」
おしゃべりしている仲間の声を聞きながら、電は静かに進んでいった。



司令室では提督が何枚もの書類に目を通し、いくつもの印を押していた。
長門の事が引っ掛かり、いつもに比べてその表情は少し硬い。
彼の前でコトリと音がした。
愛宕がお茶の入った湯呑を彼の机に置いていた。
若い将校は彼女が真横に近付いた事すら気付かなかったことに少し身勝手な苛立ちを覚えた。
「はい、コーヒーがはいりましたよ~ 熱いから気をつけてねぇ」
「ああ、サンキュー愛宕。あちちっ」
全くの上の空である。
「あらあら…しょうがないですね。このハンカチお気に入りだったんですよ」
愛宕は自分のピンクのハンカチで濡れた机を拭くとそのままゴミ箱に入れた。
「気付いてましたか? 長門さん少し泣いてたんですよぉ」
「はははっ、それは見間違いだよ。長門があれくらいで泣くわけないじゃないか」
愛宕は2杯目のコーヒーを注ぎながら話題を変えた。
「電ちゃんたちのお見送り出来なくて残念でしたね」
「ああ、司令部も書類が多すぎるんだよな。最前線のことを少しは理解して欲しいよね」
「でもぉ、窓から手を振るくらいはできなんじゃないかしらぁ?」
少し意地の悪い言い方だったかなと愛宕が思った通り、若い将校は不機嫌さを隠すことなくコーヒーカップを机に叩き置いた。
「君まで… 煩いなぁ…… わるいけどさ、しばらく一人にしてくれないか? 近いうちにMF作戦が発令される。この作戦が成功すれば僕たちに希望が…」
「はいはーい、提督そこまでで~す。それ以上は口にしちゃいけませ~ん。わたしぃ敵のスパイかもしれませんよぉ」
「下らん事言ってる暇があったら、この海域の詳細な状況を調べて来てくれ?」
提督から渡された大きな海図をクルクルと丸め、愛宕は資料室へと向かって行った。
彼女は部屋を出る直前、扉の隙間から頭を出してこう言った。
「提督、慢心はダメダメですよぉ。慢心はぁ」
ぱたっと締まったドアを見ながら、彼は小さく呟いくのだった。
「慢心してるだって? この僕が? ははは、そんなもの あるはずがない。 僕はいつだって艦隊のことを、艦娘のことを最優先で考えている。だからこれまで大敗することなくこれたんじゃないか!
これからだって、僕は彼女たちを失うことなく戦いを終わらせてみせる……さ。
くそっ……長門といい愛宕といい……僕の苦労もしらないで……
腹が立ったら…眠く……


どれくらい時間が経ったのだろうか。
気がつくと椅子に深くもたれて眠りこんでいた。
窓から夕焼けの赤い光が差し込んでいる。
壁の時計はもうすぐ6時を指そうとしていた。
「う~ん、丸一日寝てたのか」
机の上には愛宕に渡した海図が置かれていて、所々に小さな文字がびっしりと書かれている
軽く目を通しただけだが、よく調べられていることはわかった。
「サンキュー愛宕。それにしても部屋に来たのなら起こしてくれればいいのに」
上司として椅子にもたれながら寝ている姿を見られたと思うと少し照れくさい。
と、今が電たちの寄港予定時間であることを思い出した。 
「そうだ、久しぶりに突堤で迎えてやろう。僕が手を振ると、あいつ照れるのが可愛いんだよな」
3階にある司令室を出て階段を下り、長い廊下を足早にあるいて外に出た。
建物の中は静まり返っており、夕日に照らされる港湾にも人影がない。
「なんだ? 誰もいないのか?」
出撃している艦娘も多いし、各地に遠征に出てもいる。
しかし、それでも数十人は基地内にいるはずである。
工作妖精たちも相当数いるにも関わらず、声一つ聞こえない。
見慣れたはずの建物が、異様な雰囲気に感じられた。

ドクンッ

彼の心臓が高鳴った。
嫌な予感しかしない。
さらに、愛宕が作ってくれた海図には、電たちが向かった海域は危険水域の印が着いていたのを思い出した。
電探妖精の報告に、未確定ではあるがFlagship戦艦タ級の目撃情報があった。
もし出会えば遠征隊ではひとたまりもない。
「まさか…まさか……」
彼は突堤の先端に向かって足早に駆けていった。
「違うよな。それに、既に敵は海域を離れているかもしれないし…。それに、電はすばしっこし、あれで賢いんだぞ。千歳だって千代田も…那珂も……」
言えば言う程不安が増大するばかり。
自分の読みが甘かったのは明白だった。
叶うのであれば時間を巻き戻したい。
だが、そんなこと起きるはずがない。
「ぶはっ、こ、この前の作戦の時は、ぜはっ…第六駆逐隊はル級相手にS勝利したんだぞ!電は…MVPを取って…ぜははぁ」
言い訳しながら必死で走る若い将校は、ようやく港の先端にたどり着いた。
「はあっ…はあ……ぜぇ…」
全速力で走ったにしては冷たい汗が流れた。
息を切らしながらたどり着いたコンクリートの突堤は、真正面の海に沈みかかる夕日に赤く染まっていた。
そこにある係船柱に一人の女の子が座って夕日を眺めていた。
その後ろ姿はまぎれも無く――

「電……」
「あ、提督。ただいま…なのです」
座りながらクルッと振り返った少女は、少し俯き加減で恥ずかしそうな声をだした。
「は…ははは……はああ~」
男は全身から力が抜けたかのようにその場にへたり込む。
「お帰り、やっぱり電は時間に正確だね」
「これ、おみやげなのです。海の底で拾ったのです」
少女は小さな尖った巻貝を彼に渡した。
「海の底? 浮いてたんだろ。でも綺麗な巻貝だな、ありがとう電」
電は照れると言うより、まるで顔を見られたくないかのように下を向いた。
大きな夕日が沈もうとしてた。
彼は電の傍に行き、その小柄な身体をひょいと持ち上げると係船柱に自分が座って膝の上に電を座らせた。
戦争が始まった頃、戦いの合間にここで夕日を見ながら早く平和になればいいねと語り合ったのを思い出していた。
「こうやって夕日を見るの…久しぶりだね。嬉しい?」
少女はコクリと頷いた。
彼は電の小さな頭を撫でてあげながら、しみじみと反省の言葉を出していく。
「今日さ、長門に怒られただろう。さっきまではアイツの事煩いって思ってたんだけど、僕が間違ってた。慢心してた。反省してる。あとで謝りにいくよ。それと、愛宕にも…」
若い将校は、今の幸運をしみじみと感じるのだった。
一歩間違えれば、この大切なものを失うところだったのだ。
「さあ、帰ろう電。千歳とかは先に入港してるんだろ?」
少女は答えなかった。
「電?」
少女は彼の問いかけには応えず、ただ、そっと彼の右手を掴んで、自分の胸の上に当てるようにした。
水兵服の上から、彼の手のひらに少女の膨らみの感触が伝わる。
決して大きくはないが、その柔らかさとその先にある小さな蕾は少女が女であることを証明していた。
「い……いいい、いなづま? あ、あのさ……」
艦隊でも一番の恥ずかしがり屋が、男の手を自分の胸に当ててゆっくりと上下に動かすと、小さな乳房が波打つように揺れた。
男は何も言えず、ただ息を荒くしながらされるがままにしていたが、やがて電はその手を止めた。
そして首を上に向けると、いつものおっかなびっくり眼で彼を見つめた。
頬は赤く染まり、瞳は潤んでいる。
男はその表情はいつもの電と変わりなく思ったのだが、どうしてこのようなことをしたのか聞こうとしたとき――

「提督……電は……最後に提督に……電を……感じてほしかったのです……」
「え? 何をいってるんだよ?」
少女は彼の膝からひょいと降りて、沈みゆく夕陽を背にして敬礼をした。
「報告! 第一水雷戦隊所属暁型駆逐艦四番艦電、一四五七 南方諸島沖で轟沈……なのです!」
彼は瞬間自分の中で時間が止まったような気がした。
「な、何を言ってるんだよ? ここ…にいるじゃな…い……か」
言葉がだんだん震えていく。
目の前の少女の身体が、薄れていく。
後ろの太陽の輪郭が、何故か少女越しにはっきりと見えていくのだ。
いつも恥ずかしがってばかりで、めったに笑い顔を見せることがな少女が、満面の笑顔を浮かべていた。
だが、その表情も霞のように――
「提督……電は…提督に大切にされて……幸せだったのです……今度…生まれ時は…もっと平和な世界がいいな……そして…提督と……みんなと…楽し…く……」
そこまで言って、少女の姿は消えた。
突堤には彼がひとりいるだけだった。 


「う、うわあああああああああああっ!」
座っていた係船柱から、コンクリートの上に尻から落ちて気がついた。
もう真っ暗で、空には満点の星が出ている。
懐中時計を見ると、もう夜の10時を回っていた。
「ゆ…夢か……」
遠征隊の帰りを待っているうちに、眠ってしまったようだった。
基地は明かりに照らされ、この時間も工廠からの工作音が聞こえてくる。
特に変わった様子のないいつもの光景である。
「は…ははは……」
彼は抜け殻のようになった身体で戻っていった。
だが、遠征隊はまだ戻ってはいなかった。

「提督! 貴様どこをほっつき歩いていたのだ!」
「長門ぉ~、それは後回しにして、早く捜索隊を編成するのよぉ」
長門と愛宕の言葉が彼の頭にガンガンと響いてくる。
彼の頭の中は全く整わない。
愛宕に説明されて彼はようやく状況を理解した。
電たちが帰還予定時刻を過ぎても戻らない為に、川内と天龍を中心に捜索隊を編成しようとしているところだという。

『そんな…… 電、何してるんだよ。早く帰ってきてくれよ』
疲れきった彼は、部下たちがてきぱきと行動する様子を、ただぼおっと見ているだけだった。
電の轟沈が夢だったと安心したのもつかの間、気を休めることができない。
『まさか…正夢ってことはないよな』
そう思った時、彼は自分の右手が何かを握っているのに気がついた。
何か小さくて固い感触。

唾を飲み込みながら手を広げると、それは小さな貝殻だった。

「提督? そんなに震えて…具合が悪いのですか? 提督?」
愛宕の声は全く彼の耳に届かない。
届いたのは天龍の甲高い声だった。
「遠征隊が帰って来たぞっ!」
大勢が港の入口まで駆けよっていった。
歓喜のざわめきが次第に小さくなっていく。
帰還したすべての艦娘の艤装は大破していた。
千歳は全てのカタパルトが?げ落ちていた。
千代田は後甲板まで浸水し、那珂も全ての砲塔が歪みふたりとも意識朦朧となっていた。
そして、電は――――
彼女の姿はなかった。

帰還したのは3艦だけだった。

千代田と那珂は急遽入渠し、辛うじて意識のある千歳は入渠に首を振った。
場所を司令室に移し、彼と愛宕、長門の3人が千歳からの報告を受けた。
「作戦海域には、Flagship戦艦タ級だけではなく、Elite空母ヌ級2隻を含めた大艦隊が待ち受けていました。
戦闘なんて呼べるものではなく、一方的な蹂躙でした。
巨大な砲弾が雨霰と降り注ぎ、その後には雲霞のごとく敵艦載機が襲いかかって来て……」

彼女の話の途中長門は提督のほうを睨みつけたが、言葉何も言わなかった。
彼にとって今は大声で怒鳴られたほうがどれほど救いになっただろうか。
その顔は既に蒼さという色を通り越していた。
千歳は蘇る悪夢の記憶を解きほぐすように語り続ける。

――――
――――

戦艦の砲弾が降り注ぎ、更に敵艦載機の爆撃と雷撃が艦隊を襲う。
避けるのも限界に近くなっていく。

―― 千歳お姉! 痛いっ…痛いよ。
―― 千代田っ、しっかり! ああっ…どうしたらいいの」

逃げまどうしかない艦隊。

一通りの攻撃を終えると、群がっていた敵大編隊は撤退していった。
だが、ホッとする間など無い。
戦艦の砲撃が再開され、巨大な水柱が何本も噴き上がる。
葬送の水墓標。
すぐに艦載機の第二波もやってくるに違いない。

―― わああああっ! 那珂ちゃん死にたくない。
―― 千歳姉っ! 
―― 泣かないで、みんな…あああああっ

―― 落ち着いて下さい皆さん。ほら、10時の方向にスコールがあるのです。
電の言う通り、それほど離れていない場所に黒雲と分厚い雨のカーテンが見えた。
その中に入ってしまえば、艦載機は追って来れず、戦艦の砲撃もメクラ撃ちになる。
艦隊は必死で方向を転換していくが、そうはさせまいと戦艦の砲弾が降り注いできた。

―― きゃあああああ!
前にも進めない、後ろには敵。
絶望しかなかった。

―― みなさん! 勇気を出して前進するのです。
―― 無理よ。砲弾に当って死んじゃうわ。
―― 大丈夫なのです。戦艦は、電が止めて見せるのです。

電は手短に勝算を説明した。
幸い機関には損傷がなく、得意の全速力で一撃離脱、魚雷を叩きこむというものだった。

―― 気でも狂ったの! そんな近くにまで行けるわけないし、魚雷が当ったくらいでは…
―― 電はあの戦艦のことは勉強しているのです。艦首が細くて、そこに魚雷をお見舞いすれば穴があくはずなのです」

千歳も千代田も那珂も、全員が無理だと思った。
でも、それ以外にこの事態を乗り切る術など無かった。
考えている時間も無い。

―― 電、絶対に沈んじゃだめよ。約束だからね
―― もちろんなのです。 電だって提督の膝の上で、もう一度夕日を眺めたいのです!

千歳が聞いた最後の言葉だった。

その後のことは千歳も知らない。
ただひとつ確実なことは、轟音が響いた後、敵艦隊の追い討ちが止まったことだった。


〇三三八

電は全速力でFlagship戦艦タ級に突っ込んでいった。
読み通り、距離が近すぎて主砲が狙えない。
油断していたのだろう、敵の小型艦も動きを直ぐには変えてはいない。

行けると思った。

「提督、電は本当は魚雷なんて撃ちたくないのです。みんな仲良く…平和に暮らしたいのです……」
彼女のすぐ横で水柱があがった。
「きゃわわわっ」
敵艦載機が数機発進していた。
いかに電が高速とはいえ、艦載機が相手ではいつまでも避けられるものではない。
爆弾が電の後甲板で爆発した。

―― 機関部炎上、速度落ちます。
電探妖精の報告。

「もうちょっと…なのです……頑張るのです。みんなで絶対に戻るのです。でないと…でないと……提督を悲しませてしまうのです。そんなの…電……嫌なのですっ!」
遂に魚雷の射程に入った。
爆音が響き、電の艦体が激しく揺れる。

―― 魚雷発射管、被弾! 発射不能!

戦艦の主砲が仰角を上げている。
目標は電でないのは明らかだった。

電は――敵の戦艦を真っ直ぐに見つめた――――

――――

――――

その先には――――――

なぜだか、暗い暗い水の中、泡が下からいくつも上っている。
ちいさな貝殻が見えた。

「敵艦隊は転身していきました。でも…… でも…… 私たち探しました…暗くなっても…でも……」
千歳もう何も言えなくなっていた。
ただ、泣きじゃくるばかりだった。 
愛宕は千歳を入渠させる為に一緒に部屋を出ていった。
入れ替わる様に、高雄が入って来て長門に数枚の紙を手渡して戻っていった。
長門はその紙に素早く目を通すと、彼に顔をそむけながら手渡した。
「千代田の電探妖精のデータだ。読んで下さい…」
「長門…すまないが、僕を殴ってくれないか?」
それは罪から逃れたいだけの欺瞞、そして夢なら覚めてほしいという懇願。
「貴様を殴って何かが変わるのなら、拳が潰れるまでいくらでも殴ってやる。だが、せんないことだ……」
そう言い残して、彼女も司令室を出ていった。

呆然と立ちすくむ提督は、死人のような瞳で紙に書かれた文字を読んでいく、


〇三四五
Flagship戦艦ル級、艦首炎上確認ス

〇三四八
本艦及び水母千歳、軽巡那珂スコールヘ退避

〇四〇三
敵旗艦戦線離脱
敵機動部隊同

〇五三〇
旗艦電、海上ニ認メズ


追記
敵戦艦の損傷は 魚雷による効果とは認められず。
第六駆逐隊所属 電 除名が妥当と認む。

「ぐううう……うう…」
男の手にする紙がみるみる濡れていき、くしゃくしゃになっていく。
「ごめんよ……ごめんよ……」
言葉など何の意味もない。


たかが遠征――――

失敗しても又、次があるさ――――


後悔。

「ごめん…ごめん……ごめんよ……」
彼は握りしめていた貝殻に謝り続けた。
意味がないことと知りながら。
床にへたり込んだ彼は、ゆっくりと手のひらを開いた。
そこに、貝殻は――なかった――――



「提督っ、提督ってばぁ~」
ゆさゆさと揺さぶっているのは愛宕。
指令室の椅子に座って寝ているところを起こされた。
「徹夜するのもいいですけど、机についたままでは体を壊しますよ~」
夜はすでにあけていた。
朝日が窓からさしている。
「え、遠征隊は! 水上基地建設隊はどうなった!」
「はい~? 提督っ、しっかりしてくださいね。これからその編成を決めるんでしょお。もう時間ないですよ」
日めくりカレンダーは、出撃予定日だった。
「提督、本当にどうしたんですか~ まるでゾンビみたいな顔ですよぉ。あら、右手から血が出てますよ?」
目ざとく見つけた愛宕が彼の手を取った。
「ペン先か何かが刺さったんですね。気を付けてくださいよぉ。あれぇ、ハンカチがないわ? ピンクのお気に入りちゃんどこ~」
窓の外は晴れていた。
彼は椅子にもたれかかり、視線はぼんやり天井をみていた。
なんだか時計の音がやけに耳障りに思えていた。


〇七三〇

艦娘たちは集合して今日の支持を受けていた。 

「続いて、指令部発令36号命令を伝える。『艦隊を編成し南方海域に哨戒用の水上機基地を建設せよ!』」
「旗艦はぁ……」
言葉を続けようとした愛宕をさえぎり、提督自らが編成を発表する。
「旗艦、電! 以下、千歳、千代田、那珂、そして一航戦赤城、加賀。
赤城は流星改ガン積み! 加賀は烈風×2・紫電改二の制空隊だ!
彩雲も忘れるな! そうだ、那珂ちゃん、カラオケセットちゃんと積んでるね? 愛をわすれるなよ!
さらに命ずる。支援艦隊として第一戦闘艦隊長門以下全艦出撃し遠征隊を側面から援護せよ。
大和! 今回は主砲の全斉射許可する。ガンガン行け! 各艦出撃は〇七三〇 以上」

「むちゃくちゃだああああ!」
「ガチ艦隊じゃねえか! どんな大海戦想定してんだよっ」
「や、夜戦なら私もいきたい……」
「提督!少しは予算のことも考えなよ」
「報告、工作妖精が資材が足りないと言ってます!」

「愛宕! 僕の預金通帳で大至急増資材購入せよっ!」
「らじゃー!」

ドタバタ劇。
ドタバタタ。

やがて遠征隊の準備が整い、電を先頭に艦隊が出撃していく。
「ぱんぱかぱーん!」
愛宕の掛け声が高らかに港に響き渡る。
提督は突堤の先で帽子りながら出航を見送った。

「戦艦大和、推して参ります」
「はわわわわ~」
巨艦の波飛沫をもろに受けた電が、高波に乗りながら浮き輪に必死で捕まっている。
そして、彼に気付くといつもの恥ずかしさ満点の表情で敬礼をした。
「でわ、行ってくるのですっ!」


天気晴朗 なれど波一時高し。

艦娘、今日もことなかれ。

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最終更新:2014年06月11日 22:33