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2013年度東京河上会 公開シンポジウム「今後の日本経済のゆくえ」より(2013/6/17開催)



田中秀臣さんのお話


このシンポジウムやるきっかけになっていますのが、いま、廊下の方で売ってると思うんですが、「経済再生は可能か」っていう藤原書店から出している総合誌で『環』という雑誌があるんですね。そこに書いているメンバーが今日目の前に来てもらったんですが。

大東文化大学の中村宗義先生が、面白い論文を書いているんですね。戦前の昭和恐慌、今よりも激しい、誰が見てもわかるような大幅な不況と、大規模なデフレに見舞われた時代なんですね。

それに対して当時の主要雑誌や新聞がどんな反応をしたのか。

特に彼がこの雑誌で書いた論文で、注目しているのは、一応、昭和恐慌を、猛烈なデフレと言うのを、世界各国も同じような状況に見舞われたんですが、日本は最も早くデフレから離脱したんです。世界の優等生です。今は逆ですね。デフレに唯一落ち込んでいる先進国ですが。

中村さんの論文で注目点は、デフレを脱却した後に、メディアは何を語ったのか。特に2.26事件というのが昭和恐慌から、7年後に控えているわけなんです。それに至るまで、メディアは何を伝えていたか。

非常にこれ興味深い論点で、今私たちも実はデフレ脱却をめざして、そのデフレが脱却した後、過程でいったいどんな、問題が噴出してくるのか、そういったことが中村さんの歴史的な論文の中でダイジェストで語られているんです。

大きく分けて、二つ論点があるんですね。一つは、生活者レベルの視点ですね。私たちの生活は、デフレ脱却して、本当に良くなっているんですか、と。たとえば、給料や雇用は、いつ改善するんですかと。一部の金持ちだけが儲かってるんじゃないですか、っていうのを当時の新聞やメディアはさんざんに喧伝したんです。

で、二番目。デフレを脱却して真っ先にやってきたのは、当時の昭和恐慌の前から、10年位、第一次世界大戦終わってから長い不況だったんですね、日本も。今ほどは長くないですが。そこで言われていたのは、絶えず、財政再建と、あとは、金本位制という固定為替制みたいなものに戻ろうと。これをやると経済がデフレになっちゃうんですね。

無駄な企業や、余っている労働者をリストラしようと。経済の筋肉を増強しようみたいな話があって、当時の主要紙は、不況を最極限まで推し進めようと、デフレは良いと、そういうことを言っていたんです。

そういった新聞や雑誌も、昭和恐慌が起こって、あまりにも猛烈なデフレと、失業率が猛烈に増加したんですね。当時東京大学の法学部、当時も今もエリート校ですが、データによると、100人ぐらい法学部の学生が卒業する段階で、修飾をまともにできた人は、せいぜい12~13人。あとは失業ですよ。

当時小津安二郎の幻の映画で、「大学は出たけれど」という映画がありますよね。あれなんかまさに大卒が、修飾できないと。自分の恋人がそのかわりカフェでアルバイトして、その元大学生を食わせているという話ですよね。そういった映画がブレークしたんですよ。

そういった猛烈な失業とか不景気が訪れれば、さすがの新聞や当時の総合月刊誌も、これはヤバいと、今までのデフレを推し進めようという社説をみんな取り下げるんですよ。

その代りなにをやったかと言うと今度は、今でいう、大胆な金融緩和叩き。いわゆる景気対策たたきを始めるんですね。景気対策をしたおかげで、日銀や政府の放漫財政が、日銀のサポートで続くと。こんなことやってったら、財政の信用がなくなって、特に当時、戦前の政府というのは、海外からお金を借りてましたんで、今は違いますけれどもね。

信用がなくなってしまうと。財政破綻になってしまうと。そういう財政破綻キャンペーン。さらに財政緊縮をして、ともかく一刻も早く元に戻そうと。元に戻すってどこに戻すつもりだったのかわかりませんが。

つまり、生活者の視点からの景気回復たたきと、財政均衡主義による景気回復たたき。この二種類が当時のメディアの主流だった。

それに対して、今、目の前にいるようなリフレ派というのは、実は戦前もいるんですよ。リフレっていうのは、デフレを脱却して、低めのインフレ率で、経済を運営した方が、景気が良くてよろしいんじゃないですか、というんですが、当時も今も、インフレにしますっていうと、もう生活が大変だなんていう風に、みんな思っちゃうわけですよ。

戦前の人たちもインフレというと拒否反応があるので、新しく、アメリカの経済学者がいったんですが、リフレーション、略してリフレ、インフレに戻すっていうのをそういった造語を作って、それを広めようと。

その戦前のリフレ派の代表選手が、石橋湛山。後に首相になりますよね。戦前に東洋経済新報。今はデフレの象徴みたいな雑誌ばっかり作っている出版社ですが、それと、高橋亀吉。戦後エコノミストとして名をはせた人ですね。そのほか数名おりますが、戦前のリフレ派はだいたい10人ぐらい。現在は、自称リフレ派は膨大に増えましたけど、昔からのリフレ派は20人ぐらいですが。

その石橋湛山が、当時のメディアに対して猛然と反論を展開するわけですね。

実は河上肇という方も、デフレ大好きなんです。
だから河上を記念する会合で、リフレ政策を推し進める講演をやるというのはなかなか微妙なものがありまして、石橋湛山は河上始めと昭和恐慌の真っ最中に論争するんですね。河上肇はどちらかというと、デフレを放置してもそんなに大きい問題にならないと。どちらかというと本質は資本主義経済の限界にあるんだと。だから別にデフレ脱却しても資本主義経済の宿命的な限界と言うのは解消されませんよ、という論陣です。

石橋湛山の方は全然違いますよね。私たちと同じように、金融緩和と財政政策を組み合わせれば、デフレから脱却すると。その限りでは市場経済は健全に機能するという主張です。

そういった観点で石橋湛山は当時のメディアにも対するんですね。その時に、ここで面白いんですけど、教科書見ると高橋是清が財政ふかして昭和恐慌を脱出という神話を、神話ですよ僕から言うと。神話に侵されているいると思うんですが。

確かに石橋湛山は最初の頃の高橋是清の積極財政を多少評価しました。だけれども、当時のリフレ派の中では、「今ごろやってどうすんだ」とか「遅すぎる」とか「中途半端である」とか、さんざんっぱら、初期の段階でも批判したんですが、特に、高橋是清批判を、実は、戦前のリフレ派は、昭和の10年ぐらいになると猛烈に始めるんですね。どうしてかというと高橋是清は財政再建路線、つまり当時のメディアが囃し立てていた財政再建路線に思いきり舵を降るんです。

それは教科書的には軍部との対抗でやりましたという、美談として言われているんですが、それは、当時でも論争になっていて、軍部の対立という隠れ蓑で、実はk高橋是清は、財政政策の本当の意味を知らないのではないかと、石橋湛山や高橋亀吉は批判するんです。

石橋湛山にとって財政政策の目的は何かと言うと、失業率を改善して、貧困を解消し、経済成長を安定化させると。これが達成されないうちに、今風に言うと早めの出口戦略をするということは、高橋是清は全然リフレ政策をわかってないと。

高橋是清財政の後半は、石橋湛山は猛烈に、非常に強い批判を開始しているわけです。

これは実は、私なんかも…アベノミクスは今は非常にリフレ政策に関しては好意的なんですが、安倍さんはわかっているのかと。毎日のように頭の中を、石橋湛山の発言なんかを思う所なんですが。

ちなみに当時の政府も、昭和恐慌を脱出した後の政府も、3本の矢、と同じことを言うんですよ。官僚とおんなじこと言うんですよいつも。3が好きなんですよね。当時は3本の矢じゃなくて、3大改革といったんですね。

一つは、財政・税制改革。これはどちらかというとリフレ政策、つまり景気対策をうって、積極財政をやりなさいという方向ですね。初期の方は。後半から先ほど言ったように、財政緊縮に振れちゃいます。

もう一個は思想教育改革。
3番目は、成長戦略なんですよ。農業を効率化して生産性を上げなさい、っていう政策ですよね。
これについても、当時のリフレ派は、3本の矢、とは言いませんが、積極的な金融・政策政策だけで残りの二つの改革は全くだめだなんて、おんなじようなことを言っている。変な形で歴史は繰り返します。

あともう一個重要なこと。先ほど話題になりましたが、長期利子率が下がらないじゃないかと。これも実は戦前問題になってるんですよ。当時は制度的にありました。長期公債を発行していましてそれは4%の固定金利の公債発行してるんですよ。

石橋湛山は、そんなものを発行すると、名目金利が下がらないじゃないかと、これは金融緩和を著しく阻害するといったんですね。ところが、それほど実際には、いち早く日本はデフレを脱却して、景気安定化に成功するんです。キーポイントが一個あって、先ほどから話題になっていますが、実質利子率と名目利子率を見なきゃいけないんですよね。

当時は、名目利子率が4%ぐらいで決まっちゃってんですよ。多少後に弾力化していくんですが。
実質利子率=名目利子率-マイナス期待インフレ率ですよね。

で、期待インフレ率が非常に高まったんですよ。名目利子率が4%ぐらいで、期待インフレ率がそれ以上に上回れば、実質利子率マイナスのエリアに突入しますよね。

実際、今の日本の経済は実質利子率でみるとおそらくマイナスの領域になっていると思うんです。

そういったことが戦前でも可能になってた、だからおそらく、デフレから脱却することが非常にスムーズにできたのではないかと思います。戦前の期待インフレ率の上昇と言うのは、今般の私たちの直面しているアベノミクスの比ではないぐらい、猛烈な勢いで上昇しました。それを最後に強調して終わりたいと思います。