雨宿り(前編)

73 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 00:46:48.62 ID:6D4+coj9o

憧「――で、そこでリーチする場合は何を切ればいいと思う?」

京太郎「えーっと……これか?」カチッ

\リーチ/

憧「ちょ、どうしてそうなるのよ!」

京太郎「ダメェ?」

憧「切る前に訊いて欲しいんだけど……ちょっと貸して」スッ

ギチギチ...カチャカチャ...カチッ カチカチッ

憧「ほら、こっちを切った方が待ちが広くなるでしょ?」カチッ \リーチ/

京太郎「……」

憧「須賀くん?」

京太郎「お、ぉお? お、おう……おう」

憧「……分かってないなら分かってないって素直に言って」

京太郎「スミマセン」

76 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 01:14:05.04 ID:6D4+coj9o

憧「まったく……もう一度巻き戻すわね」スッ

京太郎「あー、俺がやろうか?」

憧「? あたしがやるからいいわよ」

京太郎「いや……大変じゃね? マジックハンドでPC操作するの」

憧「別に平気だけど」

京太郎「あ、そうですか……」

憧「ほら、少し避けて」

京太郎「はい」サッ

 説得を諦めて上半身を横に倒す。

 そこに出来た空間をマジックハンドがギチギチと音を立てて通過していく。

 玩具の手は驚くほど精密な動きでキーボードを叩き、マウスを動かす。

 テーブルから遠く離れた位置にいる新子さんは、しかし決して操作を誤らない。

 片手で構えた双眼鏡でマジックハンドの手元を完全に把握しているからだ。

 最後に数度クリックをして、モニタの中の雀卓は数十秒前と同じ状態に巻き戻された。

84 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 01:44:00.43 ID:6D4+coj9o

憧「じゃあまた説明するから、今度はちゃんと聞いててよね」

京太郎「へーい」

 生返事をしながら居住まいを正す。

 目の前には部費で購入されたノートパソコンが鎮座している。

 俺が今プレイしているのは、ネット麻雀ではなくオフラインの麻雀ソフトの、更に練習モードだった。

 これならCPU相手に何度でも対局を巻き戻すことが出来るので、初心者の指導にはうってつけという訳だ。

憧「だから、リーチする時はまずフリテンにならないように自分の捨て牌をよく見ること」

京太郎「ふんふむ」

 メガホンにマジックハンドと双眼鏡を加えた三種の神器。

 これらを装備したことにより、新子さんの俺への態度は若干ながら軟化したように思える。

 しかし、物理的な距離は縮まるどころか遠ざかってしまった。

 喜ぶべきか、悲しむべきか。

 俺は答えを出しかねていた。

90 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 02:38:01.19 ID:6D4+coj9o

 主観で語らせてもらうなら、現在の俺と新子さんの関係は良好だ。

 出会った当初の悪印象からよくぞここまで、と言いたい。

 ただ、それはこの距離を保っている場合に限られた話で。

 少しでも近付けば、また拒まれる。

 それが分かりきっていて、だから俺も今の立ち位置に甘んじている。

 触れず、交わらず。しかし突き放さず。

 この曖昧な距離感が、新子さんの打ち出した俺への態度だった。

 やっぱり、喜ばしくはない、よな。

憧「――賀くん? 須賀くん!!」

京太郎「っうぇ!?」

 その時、メガホンで拡大された声が俺の思考を現実に引っ張り上げた。

 振り返った先には、非難がましい表情の新子さん。

憧「……ねえ。ちゃんと聴いてた?」ジトッ

91 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 03:01:16.93 ID:6D4+coj9o

京太郎「あ……悪い、考え事してた」

憧「どうせ頭使うんなら麻雀に使ってよ。覚える気がなくちゃいつまで経っても身につかないんだから」

京太郎「すまん。本当に悪かった。反省してる」

 平謝りに謝りながら改めてPCにかじりつく。

 今度こそ一打一打に集中して対局を進める――が、

京太郎「これは通るか……?」カチッ

\ロン/

京太郎「あ゛」

 見事に振り込み最下位確定。

 これで何連続だろうか。うなだれる俺。

 背後で新子さんも嘆息しているようだった。

憧「少し休憩しましょうか。集中出来ないなら無理に続けても仕方ないし」

京太郎「だな……お茶淹れるわ」

 立ち上がり、素早く給湯スペースに向かう。

 人数分のお茶を用意しながら窓の外を見ると、今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。

92 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 03:42:05.01 ID:6D4+coj9o

憧「ていうか玄と宥姉どうしたんだろ……」

 携帯をいじりながら新子さんがぼやく。

 確かに普段ならもう部室に全員集まっている時間だった。

憧「今日はしずがいないんだから、二人が来てくれないと練習出来ないのに」ハァ

 また溜め息。

 ちなみに穏乃は家の手伝いとやらで部活を休んでいる。

 阿知賀学院麻雀部の女子部員は五名。

 その内の一人が欠席となると、残り全員が揃わなくては麻雀は打てない。

 俺が混ざっても勝負にならないし。

 もっとも、だからこそ暇を持て余した新子さんに麻雀の指導をしてもらえていたのだが。

京太郎「ほいお茶」

憧「ありがとう」

 新子さんの目の前に湯呑みを置いて、俺はまたPCのあるテーブルへ。

 マインスイーパーなんぞ起動させながら、自分で淹れたお茶を啜った。

93 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 04:27:14.72 ID:6D4+coj9o

『♪~』

憧「あ、ハルエからメールだ」

京太郎「監督から?」

 部室に顔も出さずにどうしたんだろう。

 なんとなく黙って様子を見る。

憧「ふんふむ……。………………はあ!?」

京太郎「!?」ビクッ

 カチカチと携帯を操作していた新子さんが突然大声を上げた。

 危うく湯呑みを落としそうになる。

京太郎「ちょ、どうした?」

憧「……」ワナワナ

京太郎「新子さん?」



憧「……玄と宥姉、家の都合で急に帰らなくちゃいけなくなった……って」

94 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/24(水) 05:05:01.52 ID:6D4+coj9o

京太郎「え、てことは部活は……?」

憧「今日はナシ。雨が降る前に帰りなさい、だって」

京太郎「えぇー……」

 待ちに待ってこのオチか。

 拍子抜けだ。

京太郎「どうする?」

憧「どうもこうも……帰るしかないでしょ」

 傘持ってきてないし、と続く。

 そういえば俺も持ってない。

憧「まったくハルエったら、こういう大事な連絡はもっと早く……」ブツブツ

 この場にいない者への不満を呟きながら、あっという間に帰り支度を済ませる新子さん。

 俺も鞄を肩から担ぐだけで準備完了だ。

 という訳で、



京太郎「それじゃあ鷺森部長、お疲れ様でした」ペコッ

憧「お先でーす」ペコリ

灼「ん」モキュモキュ



 おにぎりを頬張る鷺森部長を残し、俺達は部室を後にした。

142 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/26(金) 00:51:53.51 ID:RvujjKUSo

~帰路~

 見上げれば、いつ降り出してもおかしくない空模様。

 厚ぼったい雨雲の下を俺達は歩いていた。

京太郎「……」テクテク

憧「……」テクテク

 こうして二人きりになるのは珍しいことじゃない。

 なにせ帰る方角が一緒だ。

 同じ学校に通って、同じクラスで勉強して。

 そして同じ部活を終えれば、必然的に下校のタイミングも一緒になる。

 違うのはその日その日の会話量くらいか。

 とりとめのない世間話をする日。

 明日の提出物について確認する日。

 部活で覚えたことをおさらいする日。

 何も話さない日もある。

 さて、今日は……

145 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/26(金) 01:00:02.59 ID:RvujjKUSo

京太郎「新子さん」

憧「なに?」

京太郎「今日もありがとな。麻雀教えてくれて」

憧「ん……別に、暇だったしいいわよ」

京太郎「暇なら暇で自分のことだって出来たろ? わざわざ時間割いてくれてサンキュー」

憧「ど、どういたしまして」プイッ

京太郎「飲み込み悪い生徒でゴメンな」

憧「……自覚があるならもっと真剣に取り組んで欲しいんだけど」ジロリ

京太郎「う゛」

憧「真面目にやってれば怒ったりしないから、部活中に関係ないこと考えるのはやめてよね」

京太郎「うっす、気をつけます……」

 一概に無関係ではない、なんて言い訳の出来る空気ではなかった。

147 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/26(金) 01:31:01.06 ID:RvujjKUSo

京太郎「あ、それとさ」

憧「?」

京太郎「次の指令についてなんだけど」

憧「ふきゅ」

 変な声漏れた。

憧「っ………………急にどうしたの」

京太郎「いや、この分だとまた土曜にあるんだなと思って。明日で一週間だろ」

憧「……そうね……」

京太郎「次はどんなことやらされるんだろうなぁ」

憧「……。あの、須賀くん」

京太郎「どした?」

憧「その話は、あんまりして欲しくない、かも」

京太郎「え?」

憧「えっと、当日までは忘れていたいって言うか、心の準備は一人でしたいし……だから……」

京太郎「……あー……分かった、もうしない」

憧「うん。ごめん……」

京太郎「気にしなくていいって」

 最後の言葉は、俯く新子さんに届いただろうか。

152 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/26(金) 02:45:43.07 ID:RvujjKUSo

 そして沈黙が訪れる。

 聞こえるのは足音と、ここよりずっと遠くで響く雷の音。

 いよいよ降り始めるのかもしれない。

 そうなる前に家に着かなければならない。

 だから、今日の会話がここで途切れても仕方ない。

 今日もまた、二人の間に引かれた線を越えられなくても、仕方ない。



 ――本当に、仕方ないことなのか?



 俺達は今、お互いにとって最も面倒の少ない距離に留まっている。

 新子さんの抱える事情を思えば、やはり「仕方ない」ことだと言える。

 けれど青春は短い。

 同じ学校の、同じクラスの、同じ部活の仲間なのに――どうしても、そんな風に考えてしまう。

 こうして足踏みし続けることは、俺にとって正しい選択なのだろうか。

 今この時間は、貴重な青春を浪費しているに過ぎないのではないか。

 歩み寄れば何かが変わるかもしれないのに。

 しかしそれは俺の欲目に過ぎない。

 相手は変化を望んでいるかもしれないし、望んでいないかもしれない。

 俺も人間なら新子さんも人間だ。

 生身の人間関係の難しさを痛感しながら、重い足取りで帰路を辿った。

155 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/26(金) 03:50:19.00 ID:RvujjKUSo

京太郎「――ん?」

 その時、その道中で、あることに気付いた。

憧「どうかした?」

京太郎「……なんか聞こえないか?」

 最初は声に。

 まくし立てるような調子で、しかし呂律が回っていない。

京太郎「ほら、向こうの方から」

憧「向こう……?」

 次は姿に。

 曇天が作る暗がりの先、大きな影がひとつ、小さな影がふたつ。

憧「け、ケンカ?」

京太郎「にしては様子が変だけど……くそ、よく見えねえな」

228 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 00:31:13.84 ID:NXc2CIjco

 立ち止まり、二人して目を凝らす。

 まだ夕方というにも早い時間なのに、太陽が隠れているだけでこんなにも見難いなんて。

 それでも注視していると、まず大柄な方の影が男であるというのが分かった。

京太郎「あれって……」

憧「……酔っ払い?」

 男は足元が覚束ない様子でフラフラと揺れていた。

 呆れたことに昼間から酩酊しているようだ。

 そして残る二人は、揃いの制服を着た女の子だった。

 怯えたように身を縮こまらせているのが窺える。

京太郎「なあ、あの制服ってどこの学校だ?」

憧「あれは近くの中学の――って、」

京太郎「新子さん?」

229 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 00:34:37.73 ID:NXc2CIjco

 途切れた言葉が気になって隣を見る。

憧「なんで……」

 かすかに呟く声。

 驚きと戸惑いの入り交じった表情。

 呆然と立つ新子さんは、しかし次の瞬間、



憧「――綾! 凛!」ダッ



 三人の人影に向かって猛然と走り出していた。

京太郎「新子さん!?」

 咄嗟の出来事に、何より新子さんの言動に面食らう。

 彼女は誰かの名前を叫んだ。

 それはつまり、

京太郎「知り合いかよ――!?」

 ようやくおおよその状況を察した俺は、どんどん遠ざかる新子さんの背中を追った。

247 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 01:07:20.92 ID:NXc2CIjco

憧「何してるのアンタ達!」

凛「あ、憧先輩!?」

綾「憧ちゃん!」

「おっ? また可愛い子が増えたねぇ~」

憧「ひ……っ」

綾「が、学校から帰ってたら急にこのおじさんが話しかけてきて……」

「いやぁ、おじさん迷子になっちゃってさぁ。お嬢ちゃん達におじさんの家まで連れて行ってもらおうと思って」ヒック

凛「だから知りませんってば……!」

憧「……二人とも、あたしの後ろに来て」

綾「憧ちゃん……」

凛「でも先輩も……」

憧「大丈夫だから。ほら早く」

綾「う、うん」スッ

凛「ありがとうございますっ」スッ

252 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 02:13:12.84 ID:NXc2CIjco

憧「っ……」キッ

「ん~? なにかなお嬢ちゃん、おじさんに用事?」

憧「ぁ、の……こういうの、やめてください」

「へぇ?」

憧「こ、この子達、怖がってるから……だから、その、」

「いやだなぁ」ズイッ

憧「っ!?」

綾「ひっ」ギュッ

「おじさんは道を訊いてるだけだよ? 怖がらせるつもりなんてないんだよ? なのにそんな……悲しいなぁ、怒っちゃうなぁ」ヒクッ

凛「せ、先輩……!」ギュッ

憧「大丈夫……大丈夫だから……」

「ああもう、お嬢ちゃんでもいいから早く案内してくれないかなぁ。ねえ。ほら」ズイッ

憧「――!」

253 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 02:16:03.09 ID:NXc2CIjco





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261 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 02:59:09.30 ID:NXc2CIjco

 伸びる手を、すんでのところで遮った。

 そのまま体ごと男と新子さんの間に割り込む。

憧「す、須賀くん!?」

 背中には新子さんの驚きに満ちた声。視線も感じる。

「んん、今度は男かぁ……誰だいボク?」

京太郎「後ろの子達の知り合いっす。なんか揉めてたみたいだったんで」

「別に揉めちゃいないよ? ただそっちの子がちょーっと失礼なことを言うもんだからね」

京太郎「ありゃ、そうだったんですか……それは失礼しました」ペコ

 あくまで愛想は良く、軽く会釈をしてから振り返る。

京太郎「今の内に走って逃げろ」ボソッ

凛「えっ?」

京太郎「俺が注意を引いておくから、ほら早く」

264 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 03:47:13.73 ID:NXc2CIjco

綾「でもそれじゃあ……」

京太郎「いーから任せとけって。怖かったろ? 転ばないように気を付けるんだぞ」

凛「……はい。綾、行こう」

綾「う、うん……あの、ありがとうございましたっ」ペコッ

ダッ!

 半ば強引な説得に応じてくれた二人が踵を返し、脇目も振らず走り出す。

「あ」

 と男が声を漏らす間に、小道に飛び込んで姿を消してしまった。

 この分なら無事に安全な所まで行けるはずだ。

 後は――

「ちょっとお、どうしてあの子達行っちゃったの?」

京太郎「いやぁどうしてでしょうね? 塾の時間かな?」

 ――こっちをなんとかするだけだ。

265 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 04:36:31.25 ID:NXc2CIjco

 と言っても、やることはもう決めている。

「なんだよそれぇ、まだおじさんと話してる途中だったろ?」

 男から視線を逸らさず、タイミングを見計らう。

憧「ねぇ、一体どうするつもりなの?」ボソッ

 と、俺の思惑を知らない新子さんが声を掛けてきた。

 「どうする」なんて、そんなの決まってるのに。

京太郎「逃げる」

 端的に答えた。

憧「………………は?」

京太郎「俺達も逃げる。合図したら走るぞ」

憧「ちょ、なにそれ、そんなのアリ!?」

京太郎「アリも何も、あの子達を助けたらもうここにいる理由もないだろ」

憧「それはそうだけど……!」

271 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 06:25:00.09 ID:NXc2CIjco

 小声での口論。

 それが男の怒りを誘ってくれた。

「おぉい、人の話を聞いて――」



京太郎「――いいから走れ!!」グイッ



憧「きゃ、ちょっと!?」

「っこら待て!!」

 誰の制止にも耳を貸さず、新子さんの手を取って駆け出した。

憧「す、須賀くん! 手っ、手!」

京太郎「少し静かにしてろ!!」

 この期に及んで言わせはしない。そんな気持ちで手に力を込めた。

 ちらりと窺った表情が痛みに歪んだが、敢えて無視した。

 無視して、強く握り続けた。

 強く握って、ただただ走り続けた。

274 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 09:49:44.89 ID:NXc2CIjco

~アパート~

京太郎「ここまで来れば大丈夫か……」

 走り続けた末に転がり込んだのは俺の部屋だった。

 もし男が追ってきていても、流石に屋内までは探せないだろう。

バタン

京太郎「……はあぁ……」

 閉じたドアに背中を預けてへたり込む。

 疲れた。

 怖かった。

 心臓が痛いくらいにバクバク鳴っている。

 でも、

憧「はあ……はあ……」

 これから、もっと痛くなる。

275 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 09:50:44.77 ID:NXc2CIjco

憧「はあ……もぉ、きっつ……」

京太郎「新子さん」

 同じように玄関に座り込む新子さんに声を掛ける。

憧「なに……?」

 息を整えながら応える彼女を、俺はじっと見ていた。

 ともすれば、睨むように。

憧「……な、なに?」

 視線に気付いたらしい。声に警戒の色が濃くなる。

 俺は――

京太郎「なんであんなことしたんだ?」

 問い掛けた。

憧「あんなこと……?」

京太郎「さっきのことだよ。なんであの酔っ払いの前に飛び出したりしたんだ」

憧「あ……」

276 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 09:51:58.96 ID:NXc2CIjco

京太郎「聞かせてくれ。なんでだ?」

憧「なんで、って……そんなの、あの子達を助ける為に決まってるでしょ」

京太郎「知り合いなのか?」

憧「小学校が一緒だったの。しずも玄も、よく一緒に遊んでた」

京太郎「その子達を助ける為に飛び出したんだな」

憧「そうよ」

京太郎「男が苦手なのに、知らない大人の前に」

憧「っ……そ、そうよ」

 やっぱり。

 気丈に振る舞う新子さんは――何も分かっていない。

 何も、何も。

 だから、



京太郎「……この馬鹿野郎が」



 気が付くと、吐き捨てるようにそう言っていた。

278 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 10:18:24.05 ID:NXc2CIjco

憧「ぇ……今、なんて、」

京太郎「馬鹿野郎って言ったんだ」

 今度はよりハッキリと。新子さんの目を見据えて。

 その目が大きく見開かれる。

 動揺、していた。

京太郎「新子さん」

 そんな彼女を、俺はもう一度呼んだ。

京太郎「男が嫌いなら嫌いでいい。治す気が無いなら無いでも、この際いい」

 けどな、と繋ぐ。

京太郎「だったらそれ相応の行動をしろよ。男が嫌いで、力も弱い女の子に出来ることの限界を考えろよ」

 新子さんにはそれが欠けていた。

 正義感ばかりが先に立って、肝心な場面で自分を顧みることが出来ていない。

279 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 10:19:30.34 ID:NXc2CIjco

京太郎「無茶するなよ。相手は男で大人で、しかも酒まで飲んでたんだぞ? 常識なんて通じないんだ」

憧「でも、」

京太郎「でもじゃねえ。一歩間違えたら怪我しててもおかしくなかったんだぞ馬鹿」

憧「ッ……さっきから馬鹿馬鹿って……!」

 キッと睨み返される。

 けれど俺は退かない。

 決して、一歩たりとも。

憧「だったらどうすれば良かったのよ!? 目の前で知り合いが困ってて、なのに知らんぷりしろっていうの!? そんなの――」



京太郎「――俺がいるだろうが!!」



 叫ぶ。

 ずっと感じていた、心の底にあった淀みの正体を。

284 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 10:40:36.31 ID:NXc2CIjco

憧「、え……?」

京太郎「……ッ」

 ぽかんとする新子さんから顔を背けたくなって、それでも踏み止まる。

 そして深呼吸をするように、ゆっくりと感情を言葉に置き換える。

京太郎「……あの時、言ってくれれば俺は先に走ったよ。言ってくれれば、もっと早く動けた」

京太郎「そりゃあ今まで散々バカなとこばっか見せてきたし、新子さんが嫌がることもしちまったけど……」

京太郎「……けど、こんな時に選択肢にすら挙がらないなんて、いくらなんでも情けねえよ」

 分かってる。

 これは八つ当たりだ。

 新子さんと出会って一ヶ月が経とうとしていて。

 なのに未だに信用を得られない自分が不甲斐なくて。

 それが嫌なんだって腐る自分がいた。

京太郎「だから」

 ずっと言いたかった。

 ずっと言いたくなかった。

京太郎「だから……もう少しだけでいいから、俺を頼ってくれよ……」

 ずっと抱えたままでは、いられなかった。

286 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 11:06:21.68 ID:NXc2CIjco

憧「あ、の……えっと……」

 新子さんは明らかに困惑していた。

 無理もないな。

 俺は新子さんにとって取るに足らない、ただのクラスメイト。ただの部活仲間。

 そんな俺が長々と喚き散らしたところで、何がどれだけ伝わるだろう。

憧「………………その、ごめんなさい……」

京太郎「いや……俺こそ悪い。急に大声出して」

 だから、曖昧な謝罪の応酬。

 だから、今までに体験した中で一番息苦しい沈黙。

 そして、



 ぽつ、という水音。



憧「あ……」

京太郎「雨か?」

287 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 11:23:46.50 ID:NXc2CIjco

 ぽつ、ぽつ、屋根に雨が当たる音が立て続けに聞こえる。

 とうとう降り始めたようだ。

 その時、新子さんがすっと立ち上がった。

憧「あ、あたし帰る」

京太郎「え?」

憧「帰る」

京太郎「でも雨……」

憧「今ならそんなに濡れないと思うし」

京太郎「じゃあ傘貸そうか」

憧「いい。いらない。それじゃ、お邪魔しました」

 取り付く島もなくドアが開かれ、すり抜けるように新子さんは外へ出てしまった。

 追いかける気力もなくて、俺はそれを見ているだけしか出来なかった。

 ばたんと閉まるドアの内側で、激しい後悔の念に苛まれるだけしか出来なかった。

288 名前:4月26日(金)[saga] 投稿日:2013/07/28(日) 11:28:04.62 ID:NXc2CIjco

 その直後。





 どかーーーん!!!

 雷の落ちた音。





 どざーーーーー!!!

 バケツをひっくり返したような雨音。





憧「み゛ゃーーーーーーーーーーっ!!?」

 新子さんの悲鳴。





 ドダダダダダダダダッッッ!!!

 階段を駆け上がる足音。





 バタンッ!!!

 俺の部屋のドアが開け放たれる音。





憧「」

 濡れ鼠の新子さん。





憧「………………ゴメン、やっぱ雨宿りさせて」

京太郎「………………おう、入って、どうぞ」





【TO BE CONTINUED...】
最終更新:2013年11月06日 09:44