非エロ:提督×大井15-853


「入渠しろ」

何を考えているのか。
どのような采配を取るつもりでいるのか。
気に食わない。
持っている紙の束ばかりに意識を奪われながらそう命令する提督に、
私は艦体を動かすのも多大な労力を持って詰め寄った。

「進軍すれば勝てたのよ! 仮に私が沈んでもっ、設計図がある以上もう一度建造できる!」

「…………」

「こんな指揮ばかりやっていては、燃料弾薬が!! ぐっ……、資材には、限りがあるんですよ!」

悲鳴を上げる艦体を抑え、一方で昂る激情は抑えずにできる限りの最大出力で声を張り上げる。
しかし提督の装甲は紙ではないのか怯んでいなくて、それがまた気に食わない。
紙の束から私へ視線を移した提督は、口だけを動かした。

「馬鹿だな」

「は?」

私は呆然とした。
開口一番で返ってきたのは買い言葉ではなかった。
顔を合わせた当初からずっと維持している冷静沈着な姿勢だが、
包み隠そうともしない悪態を聞いたのはこれが初めてだったと思う。

「またここまで育てなければならん手間を考えろ。その方が非効率的だ。
それに、大井が大打撃を受けた状態では進軍しても敵主力殲滅は不可能だ」

私は少し頭が冷えた。
提督の言う通り、私が沈んでから再度建造したところで一から訓練を重ねる必要がある。
だからそれはいい。
だが後者には異論を唱えたい。
戦艦や空母といった大型艦に対してその理屈を当てはめることは納得できるが、
私はどちらでもない軽巡から派生した重雷装艦なのだ。
形式的に持った小さな主砲の火力が大きいわけがなく、
唯一の武器である四問五基の計二十問の魚雷も当たればいいものの命中率は見るに堪えない。

「そんな事も分からんとは、練習艦の経歴十年なんてのはビッグマウスだったのかね」

嘆息しながらそう呟いて紙の束にまた視線を落とす。
言い争いをしようとか貶そうという目論見も見えず私に失望するだけの提督の態度で、私はまた頭に血が昇るのを感じた。

――練習艦時代は軽巡であって雷巡じゃないのよ!――

私の煮えた頭は、そんな反論くらいしか言語化できない。
しかし口に出すことはしなかった。
中途半端にそう的外れな反論だけをしては更に道化になるだけだからだ。
話にならない。
そう思う事にしておいて私は踵を返した。

「入渠はしろよ」

――うるさい!――

……………………
…………
……

「大井っちも入渠?」

いた。
北上さんは私が出撃する前に艦隊に召集され中破したので、壁際の湯船に浸かっている。
上部に掲げられた近代的な時計はもうあまり長い時間を示していなかった。
あの男との雲を掴むような対話を切り上げてきて正解だった。
入渠時間があまり長くないことを知っているから私は足早にここに来たのであって、一番の目的は入渠ではない。
ないったらないのよ。
北上さんの姿だけを確認した私は早速不満を打ち明ける。

「聞いてよ北上さん!! あの男ときたら!!」

「ひ、響く……」

しまった。北上さんが耳を抑えている。
音が反響するドックである事も忘れて声を荒げればそうなるのも当然だ。
私は北上さんが顔を歪ませたのを見て頭の血が引いた。

「ごっ、ごめんなさい!! お耳壊れちゃった!? 私が直す!?」

「あーもうなんともないから!」

北上さんに両手で拒絶されて我に帰ったとき、私はお湯の海域に進入して北上さんに詰め寄っていたのだった。
大破しているはずなのに俊敏に動くことに私自身驚いた。
北上さんの指摘で理性を幾分か取り戻したので、ひとまず忘れていた湯かけに取り掛かる。
凝り固まった艦体が、四肢が、適温のお湯で解されてゆくのが分かる。
石鹸を泡立てたタオルで、こびり付いた煤を落としていく。

「で、なんだっけ?」

「そう! 提督ときたら、敵の主力手前の海域で帰投命令なんか出してきたのよ!」

「あー……」

湯に浸かっていっそう気だるげになった声がドックに響いたので、
即座に首を反転させて事のあらましを告げると北上さんは思い当たる点があるように嘆息した。
ドックの換気能力を超える濃霧の中でも呆れているような顔が視認できる。
北上さんのことならこれくらい分かって当然よ。

「私たちを人間と勘違いしてるんじゃないのかしらね!」

艦娘は兵器であって人間ではない。
それは艦娘の共通認識であり常識である。私はそう思っている。
人間みたいに扱って敵を海で遊ばせておくなんてのは言語道断だ。
"前"のときにそんな軍人の存在を耳にしたことはない。耳という器官なんか持ってはいなかったけど。
だからあの男の存在は顔を合わせて間もない頃からとても不自然に見え、違和感を覚えたのだ。
やがてそれが大きくなった今では、軍にそぐわないので排除すべき存在としか見えない。
消極的な命令ばかりを出し、今日になってやっと少しは進軍を覚えたと思ったらこれだ。
そして渋々帰ってきてみれば反省のないあの態度。
腹立たしい。
あの男の存在を頭から振り払うように髪をがしがしと洗浄する。

「別にいいんじゃないの、好きにやらせておけば」

「もう! またそんなこと言う……」

北上さんらしい適当な感想だ。
それでも私は釈然としないのだ。
がむしゃらに敵を沈めてなんぼではなかったのか。
そそくさと煤を落とし、次にもやもやした気持ちを流すために私は湯船に浸かった。
無論北上さんの隣だ。
煙った天井を眺めて煮え滾った艦橋を整備する事に努める。
一つ溜息を漏らすと、それとも、と隣から声がかかる。

「大井っちは提督がクビにならないか心配なのかな?」

「やめてよ。冗談じゃない」

笑い話にもならない。
私があの男の行く末を心配する妄想なんて、身の毛がよだつ。
私と北上さんが気に入らない、
今のように怯えてまともな指揮ができない人間でなければ、提督なんて誰だっていいのだ。
軍艦とは敵の船を沈めるために生み出されたのだ。近海で遊ばせていては艦底が錆びる。
それを分かろうとしないあの役立たずは無用だ。
岸壁で呑気に黄昏ていようものなら後ろから突き落とすのもいいのだけど、
その怯えっぷりからかそのような隙を見せない。

「ま、提督がどうなろうと、こっちは関係ないからさ」

要するに、北上さんはただ無頓着なだけなのだ。
北上さんのその心の持ちようが羨ましいが、北上さんは北上さんで、私は私。
私の個性の短所に悶々とするうち、修復を終えた北上さんはドックを出て行った。

北上さんは私より先に建造されたらしい。
私が建造されて艦隊の一角に三つ編みを垂らしたその姿を確認したときは喜んだものだが、
それよりも提督の在り方の方が気に入らなかった。
既にその艦隊の旗艦に戦艦がいたのだが、聞けば鎮守府近海を彷徨いているだけだというのだ。
その次の海域への進軍を果たしたのも記憶に新しく、思えばそれは私たちが軽巡でなくなったばかりのはずだ。
"南西海域を制圧せよ"とかいう任務に駆り出されたのも最近で、
演習で相手になる別鎮守府の艦隊から聞く近況と比べれば遅い。
しかしあの男は口で言ったところで聞く気がないようなので、不満を心の中で燃焼させる。
それでもその燃焼は不完全で、この修復ドックに立ち込める白い湯気とは違い煤塗れだ。




「はあ、不幸だわ……」

温かなお湯に身を委ねて提督への不満を紛らわせていると、ドックの引き戸が開けられた。
いつもの口癖を呟きながら入ってきたのは艦隊旗艦の山城さんだった。
濃霧の中でも科白だけで誰か分かってしまうのはこの鎮守府に馴染んできた証拠なのかもしれないが、
その頂点にいるのがあの男では素直に喜べない。
山城さんはドックに足を踏み入れたところで私の存在に気づいたようで、互いに会釈した。
提督の指定か、山城さんは私の隣の湯船に浸かる。
"前"のときも、そして今も、扶桑型とは特に縁はない。
ないが、今この山城さんは主力艦隊の旗艦なのだ。
だから私は声をかけた。

「あの提督、また撤退命令を出したんですか?」

山城さんは私の質問に肯定した。
今度は旗艦が中破したから進軍はやめろと言ったらしい。
タフな装甲の戦艦が大きな損害を被るほどの海域でもないから、あの男の指揮が間違っていたのだろう。
それにだ。
この旗艦の考え方は分からないけど、"もう"中破ではなく"まだ"中破なのだ。
それに、戦艦の中破ならまだそれなりの攻撃はできる。
敵艦隊が徘徊している地点も多くはないから進めばいいのに。

「あの男、少し腰抜けが過ぎませんか?」

「え? ……ああ、確かに、提督は駆逐艦一隻犠牲にしようとしたことはないわね」

「ですよね。やっぱり私達を人間と勘違いしてるんじゃないかしらね……」

「秘書なんかやったって、あの提督の考えていることは分からないわよ」

やろうとも思わない。
作戦指揮に口を挟めるかもしれないけど、それ以上に精神不衛生だ。
山城さんに向ける義理は特にないが、それでもあの男の秘書として拘束されたことは少しだけ同情する。
それにしても、補佐をしても考えていることが分からないとはますます食えない男のよう。
これ以上秘書艦に訪ねても湧いた好奇心――ほんの少しだ――を満たすことはできないようなので、
会話を終わらせ黙って湯船に背を預ける。
直後どこからか機械音が響いた。
上を見れば、天井の梯子染みたレールに沿って吊るされた緑色のバケツが運ばれてくる。
それが逆さにされると、私の隣の湯船に中身が投入される。
艦隊旗艦である以上仕方がないとはいえ、入渠する暇さえ与えられないなんて殊更同情するわ。
即座に修復を終えドックを出ていく山城さんを私はそれを横目で追い、耳に意識を集中させる。
やがて向こうの脱衣所さえも物音がしなくなったことを確認してから、私はこっそりドックを抜け出した。



聞いた話によるとこの執務室の壁には防音加工が施されているらしいが、
扉は少々凝った作りになっているだけのただの木製だ。
多くある他の扉とは木の材質も違うようだけど、結局は音を遮断する能力はない。
用心しているのかそうでないのだか。
私は扉に耳を当て、内部を盗聴する。
まだ出撃はしていなかったようで、内部からは提督と山城さんの声が伺える。
脱衣所で装甲を纏う時間を圧縮してきたことが功を成した。
淡々と遂行中の任務消化について提督が山城さんに一方的に伝えている。
その最中"遂行の仕方がおかしいでしょう"などと異論を唱えたい衝動に何度も駆られるが飛び込むわけにもいかない。
なんとか黙って聞いているうち一通り云いたいことが済んだようで沈黙が訪れたが、直後。

『ある艦が"提督は艦娘を人間と勘違いしてるんじゃないか"と言っているのを聞きました』

『……それで?』

『"替えは利くんだからもっと進軍しろ"ということだと思いますけど……。
提督は少し撤退命令が多いんじゃないですか?』

思わぬ展開だが、いい機会だ。
指揮官の根幹を確かめるべく、私は提督の回答を待つ。
やや長い沈黙が流れ、やがて扉越しに声が伝わる。

『人間でなく機械ならぞんざいに扱うべきなのか』

『…………』

『仮に私が先の戦争の時代にいたとしても、犠牲を出さない事に尽力するだろうね』

『いずれにせよ私は私のやり方で行く。考えを改める気はない』

その声はしっかりとした芯があるように聞こえた。
それを聞いて何故か私は悪いことをしているような気分に陥ったので、扉から耳を離してその場をあとにした。

――ドック、戻らなきゃ――

……………………
…………
……

時は流れる。
あれからも結局のところ私は海に呑み込まれることなく、二度目の大規模改装を迎えてしまった。
提督の階級や戦果は緩やかにしか上がっておらず、この鎮守府に上から表彰状が贈られたこともない。
工廠を出てみれば装甲と艤装が一変した私と違って質素なままの制服を纏う提督が待ち受けていたので、
私は早速口を開く。

「私が建造されてから随分経つのに、練度向上は牛歩のようですね」

「……ん?」

「提督は腰抜けが過ぎるんですよ」

あら提督。何故首を傾げているんですか? とは聞かなかった。
自分も内心では首を傾いでいるから。
提督と顔を合わせても不思議と精神に乱れの波がない。
それに私、提督に対してここまで本音を包み隠さず言えたかしら……。

「……改装不備でもあったか口が悪くなったな? もう一度工廠に行った方がいいんじゃないか?」

「今までの提督のど素人な指揮に苛々してきた結果です。
こんなことを艦に言わせる提督の方こそ改装してもらったほうがいいんですよ。
二回の改装で直ります? 直りませんよね」

しかし私の方は直った。
実のところタービンの設計が特殊なため扱い辛く不調を多発させたから、私は練習艦にされたのだ。
だがそれも過去に捨てた。
"前"からの、そして再び建造されてからの、扱い辛かったあのタービンはもうない。
これで私は北上さんの足を引っ張ることもないし、心置き無く提督に横槍を入れられる。
一方の提督はと言えば、そんな私の横槍を避けることなく珍しいことに真っ向から受けた。
私がこのとき初めて見た提督の笑みは、挑戦的な含み笑いだった。

「……面白い。早速だが、大井は暫くの間秘書に任命しよう」

「へえ……」



「覚悟してくださいね。私が秘書になったからには撤退三昧のクソみたいな指揮、もうさせませんよ。提督?」

――この魚雷火力、うまく使ってほしいな――


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提督 大井
最終更新:2015年08月24日 04:10