提督×赤城13-137

 (序)

――本当のことを伝えれば、助けてくれるとでも云うのだろうか。


瞬時の褪めた疑いの後、嘘を吐く意味など無い事に気付き――波蹟を刻んだ敷布、淫靡な濤に乱れた寝台の上に
長髪を纏せた汗ばむ裸身を横たえた女はやがて囁くような声で応えた。

「眠れないのです。提督にこうして戴いた後は、少しは――揺蕩えるのですけれど」

口調は丁寧。しかし全身を慄せる絶頂から解放された後、急速度に冷えゆく肉体と興心の齎す気怠さはその声色
から拭えようがない。
男の隣に転がったまま、俯臥せの視界を塞ぐ黒髪を無意識に片手で掻きあげると、その感が一層強くなった気が
して――赤城は自躯を笑った。
終わってしまえばその行為には甘美も夢酔も幻想も、まして清廉さなど絶対にない。まるで排泄と同等の無意味
で動物的なものにすら――そう。賢者の思考は、女にだって訪れる。
まるで十重も二十重も齢を重ねたかのような、どこか白鬱とした気分だった。最も、艦娘が歳を重ねられるのか
は自分にも分からない。

生温いような温度に包まれた春先の深夜、提督の部屋。
二人だけの情事が終わり、脱力した身体を男の寝台の上に丸めるように背を向けた赤城に対し、多分に気遣いを
含んで発せられた提督の問いには、彼女はそう答えるしかなかった。

「そうか。……といっても、僕も赤城くんと毎日一緒に寝てあげられるとは限らないからな。実際、明日の夜は
遠方へ一泊の予定になった」
「そう……ですか」

では一人でまた、震えながら長い夜を過ごさなければならないのか――思わず俯き、赤城は無意識に掌中の白い
敷布を握りしめた。

慣れぬ深酒に強かに酔った彼女が介抱される所から済し崩しに始まってしまった、本当に、身体だけの関係。
好意を囁かれたこともない。しかし仮令偽りであっても構わないと思う程に、彼女の精神は安寧に飢えていた。
相手はまるで将棋や花札の対戦をするかのように、淡々と、日を置かず寝所に来る女の相手を勤め上げる男。
雅な顔立ちと軽口好きの裏に、どこか乾いたところを持つこの上司は、そのような関係には適切と言えるのかも
知れなかった。

「少しお休みを取るかい?加賀くんも言っていたが」
「加賀さん…が?なんと?」
性格は天地ほど違えど同じ一航戦の同期、気が置けない親友。だからこそ、彼女が今の自分をどう見て、どんな
言葉を自分の評価として持っているのか、赤城の心は不安に沈む。

「それがいきなり珍しくも司令室に来て、『赤城さんを前線から下げてあげてください。危険です』。ってさ。
……今の似てた?」
戯けた言い方にしてくれてはいるが、つまりはやはり自分は戦力外である、と彼女が見做して居るということに
違いはない。
「『超えられない壁を心に残したまま戦っては、本人も僚艦をも危険に晒すことになります』と。……心配して
くれているんだと、僕は思うけれど」
「…そう…ですか…」
「一体、何が君の不安定の元であるのか。そろそろ聞かせてくれないかな。僕にも、何かできることがあるかも
しれないし」
提督が僅かに見せた心遣いに(それすらも上司と部下の延長線でしかない内容だが)、赤城は重い口を開く。
「………桜、が」
「桜。そういえば、そろそろ綻び始めて来たね。それが?」

「桜の花が、怖いんです」
そう呟いた彼女の瞳は絶望の淵を滲ませ、文字通り何も見てはいなかった。



 (二)

一体如何なる意志と力が自分を此処に蘇らせたのかは、分からない。
しかし心形ある艦娘として太平洋戦争の終わった後の時代に現れたいま、彼女はかつての戦闘や、戦争の流れに
ついて多くの資料に自ら触れた。
単に航空母艦・赤城亡き後の戦争の流れについて知りたかったこともあるし、敗戦に至る人々の思いも知りたく
資料室や街の書店・図書館までも許される限り訪れ、読み続けた。

そこに記されていたのは、悲惨そのものだった。
飢餓に苦しむ兵士たち。片道切符を手渡された飛行士たち。本土への度重なる爆撃、多くの民間人の犠牲。
戦争とは殺し合いではあるが、一流の軍人たち、最新の兵器たちによる力比べではなかったのか。
そして――その引き金を引いたのは、真珠湾攻撃部隊たる、自分たち。
その戦争の行方を決定付けたのも、あの悪夢のような南方の一戦に沈んだ、自分たち。


何故、始めた。何故、続けた。何故――負けた。


街中でふと見上げた、まだ蕾にもならないそれが桜の木であると悟った瞬間。
聞こえた気がした。頭の中に、声が。

それから、まるで自己犠牲精神の象徴とされたような薄血色のあの花が開くのを見るたびに、風に揺れる一片を
見つけるたびに、亡魂の声を感じ、怨嗟がそこに還ってきているのではと感じた。
ならば満開の桜には、かつての自分の搭乗員を含めたどれほどの犠牲者たちの、無残な死を強いられた者たちの
心が乗っているのか――それに責められる自分を想像すると、気が狂いそうだった。


何故、始めた。
何故、続けた。何故、負けた。


執務中。窓の外に目を向けるのが、怖くなった。
出撃時、帰還時。この花のある陸に、鎮守府に戻りたくないとすら最近は思う。

そんな自分を嘲り、嬲るように、徐々に桜は綻び始める。ただ蹲り、耳を塞いで盛りの時期を越えたとしても、
次の春も、その次の春も、無限にそれは訪れる。


「――こんな思いを、するのだったら」

敗戦も何も知らずに海底に沈んでいたほうが、よほど幸せだったのかも知れませんね。
そう抑揚のない声で赤城は呟いた。
提督はその重過ぎる問いに答える言葉を持たず、ただその細い肩を抱くことしか出来なかった。



 (三)

濃紺に濃紺をただ只管に重ねて作られたような、蒼黒の世界。
重い水圧が、鉄の総身を軋ませる。
気が付くと、赤城は仄暗い水底にいた。


加賀さんもきっと、私の事を嫌いになったに違いない。
いいえ――提督だって、戦えない空母に用は無い。といって愛人の立場でいるなど、自分にも彼にも似合わない
だろう。
でも。鎮守府を去ったとしても、何処へ行けば佳いというのか。ならばもっと頑張って――しかし一体、何を、
どうやって?


虚ろな心で仮初めの秘書艦として一日を過ごしたのち、提督不在の一人寝の夜。そんな堂々巡りの迷妄に鬱々と
嬲られながら、自室の暗闇の中、膝を抱えて寝台の上にいた――はず、なのに。
魚影以外に訪れる者もなく、多くの死を抱えたままの永遠の静寂――海底。何十年も見慣れたその世界に自分は
再び還っていた。

ここがやはり、愚かにも挑み、敗けて沈んだ、私の正しい居場所なのか。
冷たい海水と安らかな暗闇に身を任せた消失寸前の意識が、そう悟った途端――


――轟、と。
かつて沈降し着底して以来の、はるか遠くまで響く鐘のような一瞬の鈍く低い音が、暗い海中の静寂を破った。

聴き違えではない――その証に、やがて物言わぬ重たい鉄の塊であるそれ自身が静かに震え、軋み、水圧の牢獄
に泥を舞わせながら数十年ぶりに、海底に蠢いていた。
そして何か力強い意志に引かれるように、それは冷たい海の底から離れ――灯火の無い隧道のような暗黒の世界
の中、静かにその巨大な残骸は浮上を始めた。

見えぬほどに、ゆっくりと。しかし、確かに。

暗い海中を彷徨っていた、小さな小さな海蛍のような灯光が、其に次々と寄り添い、身に溶け込むように消えて
ゆく。そのたび、微かに暖かい何かが錆びた精神を照らした。

無限にも感じた時の果て、鏡のような水面が見えてきた。
両手。両脚。――黒髪。乳房。
近づくにつれ、そこへ映る自身はいつしか錆び尽くした醜い鉄塊から、瑞々しい斯良多麻の肌と射干玉の髪とを
持った娘の裸形の像を結んでゆく。
やがて世界の際、極限まで近づいたその鏡像とひとつになり――そして深海と同じく暗闇の支配する夜の海上へ
艦娘の姿をもって坐々と静かに浮かび上がる。

そう思った、次の瞬間。


赤城は、満開の夜桜の下にいた。

「……!」

見渡す限り。
はるか遠方までの視界を埋め尽くし、まるで大質量の雲霞のように咲き誇る、夜櫻華の群生。
雅な芳香を運ぶ、あたたかな春の柔らかい風。揺れる薄紅の花々を密やかに照らす、霞雲を薄衣のように纏った
朧月の光蔭。

風に揺れる枝。宙に比良比良と漂う、無数の花片。月の光。
衣髪をそっと撫でゆく風の他には落針すらも捉えない補陀落の静寂のなか、唐突に自身を包み込んだその光景に
圧倒された赤城は絶句して地に立ち尽くし、動くことさえ出来なかった。


――夢。なのか。


桜。
桜。

あれほどまでに恐れ慄いていた花々であったはずが、最早奇矯を超えて壮観の域に達したこの場ではそんなもの
微塵も感じ得ない。
目をめぐらした彼女は、やがて一際大きな盛櫻の樹元に、会いたくて堪らなかった白制服姿のその人影が立って
いるのを発見し、再び息を呑むこととなった。

「提……督……?」
「やあ。赤城くん」

住の江の、岸に寄る波よるさへや、という奴かな。いつもの動じない軽口は、紛れも無い本人のものと思えた。
しかし。私の夢ならば、何故私の知らない言葉がその口から出てくるのか。…赤城には、分からなかった。

「これは、夢、なのですか。私は」
「そうかもしれない。そうではないのかもしれない。僕は先刻、亡くなったはずの、写真でしか知らない祖父に
逢った。これから此処に赤城くんが来るから、いくつか伝えてくれと言われたよ」
ちなみに孫の僕に対しては一言も無しだ、と提督はにやりと笑った。
「まあそんなことはどうでもいいんだがね。君たちの存在がある以上、奇妙な事もあるものだ、としか言えない
だろう」
そう言った年若い提督は、軽く笑って制帽を脱ぎ、穏やかな口調で続けた。
「――まず、ひとつ。僕の隠し事を明かせと言われた」

僕の祖父は、航空母艦・赤城の乗組員だったんだ。提督が事も無げに言った言葉は、赤城に砲弾直撃以上の衝撃
を与えた。
提督は構わず――笑みさえ浮かべて――続ける。

「真珠湾にも参加して、ミッドウェーで被弾して死んだ。……だから僕がこの道を進んだのは、幼い頃から母に
聞かされた、まさに彼らと貴方の姿に憧れてのものだったんだ。憧憬れの『赤城』に会えた時の歓喜と刻眩き。
君に悟られないように苦労したよ」
「そんな……そんなこと、では、私は……」
貴方の祖父を戦争に巻き込み、この世界から永遠に奪った、呪われた――青褪めた赤城が己の存在に止めを刺す
ような、その絶望を口にする前に。
「ふたつめ。祖父その人から、愛する母艦への伝言だそうだ。…いいかい」
提督の静かな口振りが、その言葉が、取り乱す既の所で彼女を押し留めた。

「『貴女の世界を精一杯、生きて欲しい。我々に、堂々とした生を全うさせてくれたように』」
「……!」

ざぁっ、と静かなざわめきを立てて、吹き抜ける風が桜の花びらを舞わせた。
両手で口元を覆い、震える瞼を静かに閉じた赤城の眦から、一滴の涙が静かに零れ落ちた。

「……どうも羨ましいね。君も、爺さんも。妬けるよ、僕は」

――ああ。
私は、なんと愚かだったのだろう。
この桜を、亡くなった魂を、怖ろしいなどと。

かつての自分と仲間たちが精一杯、信じることのために為そうとしたこと。少なくとも自分には、そこに恥じる
べき偽りは無かったのだ。

「…分かったかい。航空母艦、赤城くん」
「はい……はい。上手に言葉には出来ませんが……受け取りました。――確と」

開いた眼差しは、滂沱と感謝とに濡れて――しかしそこに、最早迷いの蔭は寸も無かった。

「よろしい。ではここからようやく、僕の言葉だ。折角だから最後に、もう一つの隠し事を明かそうと思う」
「はい?…きゃっ」

急に右手を引かれよろめいた赤城が、桜の大樹にその背を受け止められた瞬間。
逃がさないと言わんばかりに片手を幹につき、提督は目を丸くして驚く赤城に顔を近づけ――

「好きだ。赤城。どうしようもなく、大好きだ。――僕のものになってくれ。今、ここで」

……この人はどうしてこう、真剣な心を格好良いのだか悪いのだか分からない戯けに包むのが好きなのだろう。
心中で苦笑しつつも、赤城は本当に久しぶりに軽くなった心持ちで頬を染め、提督の気持ちを静かな接吻と共に
受け入れた。
「私も。貴方が大好きです。…貴方のものにして下さい。今、ここで」

桜の樹だけが、再び唇を合わせる二人を観ていた。


 (四)

併せから進入した掌が、赤城の片方の乳房を揉みしだく。
合わせたままの唇、絡む舌から唾液と嗚咽が漏れる。

やがて緋の襦袢の奥、提督の指先が色付いた胸の尖端を摘み、鳥が啄むように軽く引くような愛撫を始めると、
樹に背を預けた赤城の身体は快感に揺れた。
「可愛いよ。赤城」
「…っ、ふぁ…っ、」
返事もままならない、熱く小刻みな甘い呼吸が、提督の牡を高める。
着崩れた併せに手を掛け、そっと左右に開くと、両肩に続いてふたつの白い乳房がまろびでた。それぞれの尖端
は硬く屹立し、谷間は汗に濡れている。
「汗かきだね。赤城は」
「…え…もう何度も、お相手を…」
「御免ね、今更気付いた。ちゃんと赤城のこと見てなかったみたいだ。…今日は見てるよ。赤城がこんなにも、
僕で感じてくれていること。一つも洩らさず、全部見る」
「はい…はい、私の凡てを…見てください…」
「勃ってる」
ぴん、と指先で感じる胸先を弾かれ、思わず声を上げて仰け反った裸の背を桜の幹が擦る。痛みもなく抱き止め
てくれたそれに、震える膝に力が入らなくなってきた赤城は完全に裸の上半身を預ける。

谷間の汗を舐め取られ。
尖端を口内で転がされ。
そして再びの接吻に朦朧としつつも、指先で首先や胸元の感じる処を幾重にもなぞられ。
その度に絶頂に達するのではとさえ思われる快楽が赤城の娘体を震わせ、雌声を上げさせた。

やがて淫らな熱を帯びてきた陰間の感覚が切なく、赤城は下帯のじっとりとした熱い湿りを感じながら、気づく
と無意識に自らの大腿を何度も擦り併せていた。
「感じてるね。本当、もう何度も抱いたはずなのに――今日は特別、君と君の身体が、愛しくて堪らない」
「はい――はい、わたし――も、きょ、今日は、もっと――ん、あっ…」
提督の指先が、手慣れた動きで赤城の袴を解く。
さらさらとそれを地に落とすと、布地の少ない純白の薄絹による下帯をも綻び、解き落とす。
赤城の、微かな茂みに飾られた女陰が、外気に露になった。
「あっ…」
乳房への愛撫に熟れ切った赤城の肉体は、直接触れられてもいない秘裂を欲望に熱くたぎらせ、肉感的な陰唇を
物欲し気にひくつかせていた。

「み…見ないで下さい…恥ずかしいです…」
「全部見ると言った。大丈夫。綺麗だよ、赤城」
しゃがみこんだ提督の右手が、女陰を更に開かせるように赤城の白く柔らかな左腿を軽く持ち上げる。

「は…はい…赤城は、提督に愛して戴きたく、こんなにも…はしたなく…」
慣れぬ羞恥と、それがもたらす快楽に震える赤城の多汗と多情の雫が、白い健康的な太股を伝い落ちる。
男の視線が堪らないのか、充血した肉襞がひくりと動くたび次々と新な雫を溢れさせる情景は、女の相手に慣れ
ているはずの提督の劣情をも著しく刺激した。
提督は華に誘われる獣のように淫らな性器の中心、真珠のような薄紅色の赤城の陰核に近付き――遠慮無く蜜を
味わうべく、秘肉に舌を這わせた。

「――――-っ!」

電流のような極上の快楽に激しく赤城が叫び、悶える。しかしその身は逃げる事はせず、更に快楽を求めるかの
ように、自らの秘所を愛する男に押し付ける。

幾度も啄み。
容赦無く舐め上げ。
音を立てて吸い。

髪を乱して指を噛み、思わず提督の頭を鷲掴みにして小刻みに震え始めた赤城が気を遣るかと思われた寸前――
提督は、舌での愛撫を止めた。

「赤城。…抱かせて貰うよ。僕ももう、我慢ならない。今日の君は、愛し過ぎる」
「はい。私も、なんだか嬉しすぎて、気持ち良すぎて、おかしくなりそう、です…」

もっと、乱れさせて下さい。
赤城はそう言いながら桜の幹を抱くように自ら後背を向けると、両脚を建たせたまま肉付きの良い臀と熱い秘所
とを愛する男に差し出した。
期待に息を荒げ、汗の雫を背の窪みに、揺れる両乳の先に滴らせ、軽く開いた内股をも淫らに光らせたその姿は
堪らなく扇情的で。

提督は劣情に完全に飲み込まれ、言葉を掛けることも忘れて取り出した自らの屹立したそれを、赤城の柔らかな
女陰にあわせ――
一気に飲み込ませ、突き入れた。

互いの呻きが、薄紅の森に染み入ってゆく。

めくるめく夢のような、悦楽と、至福の時。
突き入れ、引き出し、その度に接合部から伝わる熱く滑る感覚が、脳天から脚先までもを、幾度も幾度も、甘く
痺れさせ。
子宮の口を先端に突かれ、恐ろしいほどの快楽に赤城が悶えると。
膣肉にきつく締め付けられ、全身で吐精を要求された提督が呻く。
幹を揺らされた桜の木から、花びらが幾重にも赤城の乱れ姿を飾った。

叫ぶように互いの名を呼び、愛を伝え合う。
更なる快楽と頂点を求め、本能のままに腰が、脚が、誘い犯すため妖しく揺れる。

――やがて。
絶頂の嬌声が夜桜の杜に高く高く響き、尾を引いて消えていった。


 (五)

翌朝。
何らの奇異もない、至っていつも通りの鎮守府の朝。調理場の匂いが、一日の始まりを告げていた。

「あ、いたいた。加賀さーん」

鎮守府食事処の長脚台の隅、他の艦娘から若干の距離を置いての朝食中に背後からいきなり抱きつかれた結果、
加賀は左手に持った白飯盛りの茶碗に不可抗力で思い切り顔を突っ込むこととなった。

「…赤城さん。今朝は随分と元気な様子ね」
赤城とは対照的に感情表現の苦手なはずの彼女は茶碗から憮然とした表情を持ち上げ、非難を込めて彼女を軽く
睨みつける――が、赤城はそれを至近距離で平然と受け止め、隣いい?などと聞いてくる。
「どうぞ」
「ありがと。間宮さん、いつもの大盛りね~」
赤城の軽やかな声が、食事処に響き渡る。以前と全く同じ、気軽さと優しさの奥に凛とした強さを感じる、加賀
の好きだった彼女の声。

「どうやら完全復活したみたいね」
「うん。心配かけてごめんね、もう大丈夫」
心配なんかしていないわ、と右隣りの椅子に着席した赤城のほうも見ず、抑揚のない地声で加賀は続ける。
「二航戦や五航戦の娘の前で、無様な姿は見せないで欲しい。それだけよ」
済ました顔で味噌汁など啜る。何故だろう、今日のは久々にとても美味しい。

「ええ。私たちは栄誉ある一航戦だものね。提督とは、ちょっと恥ずかしいことになっちゃっていたけれど…」
「関係を精算する気になったのなら、手伝うから言って頂戴」
「いいえ。私が元気になれたのは結局、提督のお陰なの。提督ともっとずっと一緒にいたい。今は心の底から、
本気でそう思ってる」

折角、気を効かせて小声で訊いたというのに。食堂にいた何人かの好奇の視線を瞬時に集めたことを本人以上に
感じつつ、加賀は思わず溜め息をつく。

「あの男は天性の浮気性よ。にも関わらず金剛さんに雷さんにと好敵手も多いわ」
「知ってる。――諦めさせたい?加賀さんは」
私の答は変わらない、と加賀は言った。
「貴女の選んだ航路を援護するわ。出来ることがあったら何でも言って頂戴」

かがさーん、と戯けて感極まった風に再び抱きついてきた親友を今度は右手で的確に阻止しつつ、加賀は僅かに
――本当に微かな――安堵と満足の笑みを浮かべていた。


 (結)

幾許かの薄紅の片を乗せた晴天の春風が、爽やかに頬を撫でる。
折しも前庭に植樹された見事な数本の桜が、今にも見頃を迎えようとしていた。
蒼穹の柔らかな日差しが、木々と舗装道路と自分とを照らしている。

春の朝、大好きな人を迎え待つ時間ほどに、心を浮き立たせるものがあるだろうか。

やがて黒塗りの高級車が、正門から鎮守府正面玄関へと音もなく滑り込んできて――後部席から降車した提督を
秘書艦である赤城は笑顔で迎えた。

「戻ったよ。――桜は平気になったようだね、赤城」
「お帰りなさい。――はい、お陰様で」

互いの顔に何かを確かめるかのように、僅かな距離で立ち尽くして見つめ合う二人。
憧憬を伝達し在った記憶、そして想いを交わした記憶の幸せな共有は、そこに疑い様は無かった。

「これからも宜しく。頼りにしてるよ、赤城」
「はい、提督。全て私にお任せくださいませ」

交す微笑に情愛を伝えあうは、言下の囁き。



廻る新たな時代を祝福するは、桜花の寿ぎ。



 (完)

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最終更新:2020年07月26日 21:17