一体どれほどの戦争の傷跡を海の底に刻めば、民間人が呑気にヨットを出して日光浴に励む風景が蘇るのか。
この根本的な議題は、頭の柔らかい提督を百人選抜して集合しようが結論は出ないだろう。
深海棲艦を沈めても同じ場所にまた現れる謎のメカニズムは、どのような手段を経て止めることができるか。
その真相は、直々に彼らに自白剤でも飲んでもらわない限りは藪の中……ではなく、珊瑚礁の中だろう。
まず彼らの殆どが人の言葉を発するのかすら怪しい。
先に述べたこれらの事は、全て確かめようのないことなので、自分一人の勝手な予想にすぎない。
未来を見据える事は大切である。
が、現在を見据える事は輪をかけて大切だ。
そこで自分は一旦、その遠い未来について考えるのをやめ、今を見つめ直そうと考えた。
その結果が、この夢なのかもしれない。
……
…………
……………………
『北上さん? あ、提督、なんですか?』
なあ。
『はい』
お前とは、もうかなりの付き合いだよな。
『……そうですね』
お前の隣にいるのは北上だということはよく分かっている。
『…………』
空いているもう片方の隣に、私を置かせてほしいんだ。
『……提督』
うん?
『提督は、女心が分からないようで困ります』
え?
『提督は、北上さんと私の間にいなきゃダメです』
……いいのか?
『北上さんも、そう望んでいます』
……私は、北上にはお前と同じように接することはできないぞ。
『それでも、せめて、傍にいてあげて?』
……分かった。
それで、だ。
『はい』
私とケッコンしてほしいんだ。
『……ごめんなさい』
…………。
『この戦争が終わるまで、待ってほしいの』
…………!!
『あっ……! やだ、提督、離し――』
いやだ!!
『提督……?』
いつ終わるか分からない戦争が終わるまでなんて待てない!
『…………』
すぐにでもケッコンしたいんだ! 頼むよ、大井。私と――
……………………
…………
……
「結婚、してくれ……」
「……!」
どんっ。
「ぐあっ!」
この日は、胸を強い圧迫感で押されてベッドに背中を叩きつけられ、
少しの間呼吸が止まり、息苦しさに耐えられず目覚めるという最悪の朝から始まった。
一生懸命に酸素を取り込もうと動く肋骨の中の暴れ馬を鎮めようと、思わず伸ばしていた手を胸に当てた。
……はて。自分は何故両手を伸ばしていたんだ?
「……て、提督! 着任時刻を過ぎてます! 早く起きてください!」
……嗚呼、この声を聞いて思い出した。
その瞬間、つい先程まで見ていた夢を覚えておかなければ、という謎の使命感によって、
自分の意識は急速に覚醒状態まで引き揚げられた。
その甲斐あって断片的ではあるが、夢の中盤と終盤辺りの映像を脳味噌に新たな皺として刻むことに成功した。
それから、浅いレム睡眠の中、何とか言葉を発し、腕を伸ばして何かを捕まえるよう脳が無理をして命令していた記憶もある。
そこに大井がいたという事はもしや……。
夢の中にしてはあの大井の抱き心地はやけにリアルだと思ったが、合点がいった。
寝ながらにして体を動かす体験をしたのは初めてかもしれないな、としんみりするのも束の間、
ベッドサイドテーブルの目覚まし時計を見てみると、確かに普段起きる時間よりも数十分過ぎていた。
起床時刻どころか着任時刻さえ過ぎるとは全く。
「……ああ、おはよう」
「おはようじゃないですよ、もう」
昼まで寝過ごしたような言い方をするな。まだ八時も過ぎていないんだから。
上体を起こして我に返り、一つ気になったことを投げかける。
「……さっき、私は何か言っていたか?」
「プロポーズの言葉を聞きました」
やってしまったのか。
そういうものは実行する時まで取っておきたかったのに。
いい夢かと思ったらそうとも言えない夢を見て、うっかり寝過ごし、あまつさえまだ秘密にしておきたかったことを漏らす。
今日は厄日か。開発任務も碌な報告にならないかもしれない。
朝から早々、気分が大破した。今の自分はとても迷走している。わざわざ重い頭を上げて大井の顔を伺う余裕もない。
それが原因で、無意識に追い出すような言葉が零れた。
自分が驚くほど声量も小さい。
「……起こしてもらってすまんな。少し一人にさせてくれるか」
「……はい。急いでくださいね」
……良くない事ばかりだ。
それからこの部屋には、分かりやすく落ち込んだ男がベッドに腰掛けて頭を抱えるという、とてもつまらない静止画が数分程映った。
いつまでもうじうじしていないで、寝巻から軍服に着替えて軍帽を被り、
さて洗面所に行くかと寝室から執務室へ出たが、執務室に大井や紙の束の姿はなかった。
畳に置かれた炬燵は電源が入っておらず、寂しさを演出させる。
提督が寝坊していては秘書もやる気をなくすという意思表示か。
大井がそう思っても仕方あるまい。
どこへ行ったのやら。
洗面所にて排泄と歯の掃除を行い、栄養を取るべく真っ先に食堂へ向かった。
この時間の食堂は席の半分ほどが埋まっている。
真面目な物からフランクな物まで、幾つか飛んでくる挨拶に一つ一つ返していきながら、カウンターの間宮に一膳頼んだ。
間宮はやはりにこにこしていた。
そこまでは普通だった。
「あ、提督さん。大井さんはあちらのテーブルにいますよ」
ここ最近発動させる間宮のこのようなお世話には、喜んでいいのか困るところなのか、とても判断に困る。
結局困ってるじゃないか、とのツッコミは、空母がボーキサイト消費を躊躇って艦載機を飛ばさなくなる気遣いよりいらない。
どこへ行ったかと思えば、まさか食堂だったとはな。
少し遠い、食堂の真ん中に近い辺りに大井はいた。よく見れば北上も同席している様子。
頼んだ料理が出来上がるまで奴らの様子でも見ていようかと近づいて行った。
北上はこちらに気づいたが、向かい合う大井は背中を向けていてこちらに気づかない。
「あ、提督」
「……ふふ、北上さん。もう騙されないわよ」
大井は料理に向かって何を言っているんだ?
声をかけようとしたが、北上のしーっという手振りでそれは躊躇われた。
それに従うように、周りの席の艦も黙り、熱心にこの席を見ているのが異様だ。
大井は周りが見えていないのか、箸で料理を突つくだけ。
北上は話を続ける。
「もう引っかからないかあ。あ、そうだ大井っちさ。提督のどういうところに惚れたのか聞かせてよ」
「ええ!?」
おい朝からこの大衆の中何という話題を振るんだ北上よ。
面白そうだから続けろ。聞いてみたい。
それから声を上擦らせて顔を上げた大井よ。何故周りの異変に気づかない……。
その注意力の散漫が戦場では命取りになるんだぞ。
ほら、食事の手まで止まっている。
「ど、どういうところって言われても……私……」
「えー言っちゃいなよ。誰にも言わないからさ、ね」
確かにこの状況ならお前がわざわざ言いふらす必要もないな。
壁に耳あり障子に目ありと言うが、ここには壁や障子さえもない。
「……その、きつく当たっても態度を変えないでくれるところ、とか」
「ほう」
ほう。
「大事にしてくれるところ……かな」
「へえー」
うむ。私は大井だけでなく皆を大事にしているつもりだ。それが伝わっているなら提督として本望である。
大井のこれらのコメントには胸にじーんと来るものがあるな。
しかし、大井の科白はこれだけでは終わらなかった。
「それからね……さっき起こしに行ったら、抱きしめられて寝言で『結婚してくれ』って言われたの」
「えっ?」
これには流石の北上も唖然。
突然求婚について言及されるとは誰も予想できなかっただろう。自分もできなかった。
正直言ってあれはノーカンとしてほしい。
おい。お前ら私を好奇の目で見るな。見るならこいつらを見ろ。
夢というのはテレビを見ているようなもので、その中の自分は自分の意思で動かす事はできないんだよ。
この状況の手前、それを声に出す訳にもいかず、公開処刑は続けられる。
自分はどのタイミングで出ればいいんだ。誰か教えてくれ。
但し矢文等の危ない方法は使ってくれるなよ。特に一部の空母共。
「あと、夜の提督は――」
「おい」
それ以上いけない。
大井は割って入った私の声に大層驚いたようで、体をビクつかせて箸を盆に落とした。
箸が転んでも笑うと言う諺とはまるで無縁に、盆を転がる箸に構わずこちらへ素早く振り向いた。
それと同時か、あるいは一瞬早く、周りの艦は皆一斉に見るのをやめ、知らぬ振りを決め込む。
「って、提督!? いつからいたんですか!」
「……"もう騙されない"から」
「……! い、いるなら言ってください!」
「いやあ、でも――」
北上が、という責任逃れは、北上のニヤけたしーっという手振りによって憚られた。
最後のところはともかく、いい事を聞き出してもらったし、呑んでやるとしよう。
「――私も聞いてみたくて」
「…………!!」
おお、今補給している最中のはずなのに激務時のように顔が真っ赤だ。
面白い矛盾だな。
「う、海のもずくとなりなさいな!!」
落ち着け。お前今艤装つけてないだろ。
もずくじゃなくて藻屑じゃないのか。
宥めたところで、厨房から飛んできた誰のとも分からない彩雲に乗っかった妖精に、料理が出来上がった事を知らされた。
なんとも便利なものだ。
定食の盆を持ち、着座するのは一悶着起こしたあの四人用テーブルの席。
この二人もまた定食だったが、来るのが遅かった自分より既に半分ほど減らしていた。
早速自分も栄養補給を開始し、適当な話を振る。
大井。お前、ストライキを起こしたんじゃなかったんだな。
「……なんですか? 突然」
執務室に紙一枚見当たらなかったから、てっきり放り出したものかと思ったんだよ。
「私もまだ朝を済ませていなかっただけですから」
それなら、私が起きるのを待たないで食べてくればよかったじゃないか。
こう言うと、大井はぴくっと眉を顰める。
「はあー……」
……北上。何やら言いたげだな、その溜め息。幸せが逃げるぞ。
「逃げたら裁判起こして提督に訴えるよ。あのさ、提督が起きるのを待っていた理由が分かんないの?」
大井が朝食を我慢して自分が起きるのを待った理由。
簡潔にこうまとめると、一つの答えが浮かび上がってくる。
半信半疑ながら、それを口に出してみる。
「私と朝食を摂りたかったから、かな」
「……気づくのが遅いのよ……」
大井は、そう言って箸で摘まんだ少しの米飯を口に運ぶ。
思い出したように不機嫌そうな顔をして文句を吐く声は小さなものだったが、自分にはよく響き、自分を悲しませた。
嗚呼、今日は朝から良くない事ばかりだ。全て自業自得と言えてしまうのがまた悲しい。
先は自分があんな事を言ってしまったから、大井は私と朝食を摂る事を諦めたのだ。
自分はテーブルに両手を付き、頭を下げて詫びを入れる。
やれやれ。自分は大井に謝ってばかりだ。
「さっきは変な事言ってすまなかった。機嫌を直して、昼も付き合ってくれないか」
「……昼だけですか」
「……良ければ夜も」
昼だけでは不満らしい。勿論こちらとしては夜も万々歳だ。
大の男が少女に頭を下げる事の何と情けない事。
非は自分にあるのだから、尚更機嫌を損ねる事のないよう、低い姿勢で許しを得る他ない。
「……ふふ」
少しだけ気分を良くしたようなこの声で、自分は頭を上げてみた。
そこにあるは馴染みの微笑。
「まあ、いいかな」
許してくれたのか。
しかし、以前から散々聞いてきた大井の説法は、今回も連撃の如く続く。
「提督は、そういうところ鈍臭くて困るんですよ。ほら、髭も剃ってないし。……時計も忘れてるじゃないですか」
「あ……、申し訳ない」
上から下までを眺める大井に、律儀に指でピッピッと指摘されて初めて気づく。
顎に手を当ててみれば髭は剃り忘れていて、左手首には錘となるものがなかった。
先程、大井の注意力は散漫だと大言を語ったが、こちらも提督の不養生だったようだ。
ふとそこまで考え、自分は懲りず先程の話を蒸し返す。
「って、鈍臭いのはお前も大概だろう。"夜の提督は"とか、お前は人の多い所で何を喋ろうとしたんだ」
「そ、それは……!」
「あー二人とも。今は、食べよう?」
いよいよ話の方向性が狂った羅針盤に導かれようとしたその時、苦笑いする英雄艦北上によって軌道修正された。
我に返ってみると、自分ら三人のうち北上だけが目の前の朝食の処理を進めていた。
足の引っ張り合いは後で幾らでもできるので、共々冷めかけている飯を先に掻き込むことにする。
「結婚してなくても充分夫婦だよ」
英雄艦という肩書きの進呈は撤回だ。やはりお前はハリケーン北上でいい。
むせ始め、言われなくとも自分で味噌汁を飲む大井は少しだけ成長したな。まだまだ練度は上がるようだ。
……………………
…………
……
「提督、新しい仲間が艦隊に加わりました」
今日の演習の内訳と艦の名簿を並べて演習編成について熟考していると、大井が扉を開けてすぐそのような知らせを告げる。
毎日とまでは言わずともそれなりに耳にするこの報告だが、
少し嬉しそうにしていた以前と比べると、最近は義務的な部分が強調された調子に聞こえてならない。
大井にどのような心境の変化があったか、こちらが知る術はない。
「分かった。すぐ向かう」
まだ今日は建造の指示を行っていないので、内心では何時建造させた時のものか疑問だったが、
なるほど、秘書と共に工廠を訪れてみると確かに、艦娘用の大型建造ドックの傍に一人、見たことのない者が佇んでいた。
そういえば昨夜遅くに建造の指示を出してから音沙汰なく、自分も忘れて眠りについてしまったのだが、その時のものか。
とても用心深そうな表情で揺らぎなく直立不動する凛としたその姿は、
華奢であっても見る者全てに頼もしそうな印象を与えるだろう。
「あ……!」
印象通りの注意力を持っているらしいその者は、
まだこちらが充分に歩み寄っていないにも関わらず、こちらに気づいてぱたぱたと近寄ってきた。
上が寄越した必要資材と艦船の資料が正しければ、恐らく。
「君が新造艦だな」
「そう……私が大鳳」
この子がかつての海軍最後の正規空母の生まれ変わりという訳だ。
不沈空母という名に反した史実の不運さには目も当てられないものがあるが、打撃力はとても強いとのこと。
その声は、他を圧倒するようなものではなく、とても優しい色をしていた。
意識していないと顔から力が抜けそうだ。
「私が提督である」
「はい。出迎え、ありがとうございます。提督……貴方と機動部隊に勝利を!」
大鳳はそう言って、気を付けで敬礼の姿勢を見せた。
ううむ。この言動の何と勇ましいことか。
それに反して癒されるような声もあり、とても印象に残るだろう。
「良い心構えだ。今日これから何度か演習を行うが、やる気はあるか」
「はい! 充分に」
「良し。ではまず艦載機についてだが、……」
……………………
…………
……
「まだ増やすつもりなんですか?」
大鳳に使わせる艦載機を指定してから、
大鳳建造の報告書作成や部屋の割当等の仕事のため執務室に戻っていると、大井は突然そう尋ねてくる。
これだけの問いかけから意味を汲み取る事はできず、聞き返すしかない。
「何を?」
「艦です」
艦娘の事か。
一日に何度も出撃を繰り返す事などざらなので、疲労という問題を解消するには艦娘は多くいる方が良いと考える。
そして今のところ、この鎮守府、もとい艦娘寮に空きはあるので……。
「ぼちぼち、な」
「…………」
黙ってしまった大井の顔を振り向いて伺ってみると、それは考え事をしているようで、あまり嬉しそうには見えない。
どの感情に属するのか迷っているような、複雑な表情、といったところか?
魚雷が失速して海底に落ちていくような状況を明るくできないかと考え、
試しに明後日の方向を向いて茶化してみる事にした。
「それにしても、あの子は随分と可愛らしい胸を――」
「提督」
ほんの戯言は、超弩級戦艦も威圧できそうな声によって、喉から出ききる前に殺され、足の動きを拘束された。
敵戦艦も怯えかねない迫力は、ただの人間である自分ならば失禁しても何らおかしくはないと言える。
軍人と言えども結局は人なのだ。
それでも自分は、起床後に膀胱の中身を排出していたのが功を成したかは分からないが、
みっともなく漏らす事なく、錆びた砲塔のようにぎこちないながらもぎぎぎと頭を回す事ができた。
そこにいたのは、艤装があれば本気で自分を討っていたのではないかと思える、雷巡改二フラグシップ級だった。
怒りの表現に笑顔を用いる事があると本でしばしば見るが、一理あると感心している場合ではない。
「裏切ったら海に沈めるって……言ったわよね?」
自分としてはそういうつもりで言ったのではないのだが、これはきちんと口に出して否定しておかないと後で殺される……!
「でも、提督のことはまだ信じていたいからやめておきます」
しかし、否定する前に大井の殺気はどこかへ引っ込んだ。
いつもの微笑を瞬時に取り戻したので、先程見た光景は幻覚だったのではないかとも逃避したくなる。
幻覚でも見たくないが。
自分は学んだ。冗談でもそういう事を話に出してはいけないと。
「……冗談だよ」
自分はそう締めて足を再び踏み出した。大井もついてくる。
"信じていたい"……、か。
割と本気で自分が目移りしないか不安がっているようなので、これからは控えよう。
不安にさせたくて茶化したわけではないのだから。
朝あんな事があったにも関わらず、まだ納得が行かないのか。
「もう、さっきまであんな調子だったのに」
第一印象は重要だからな。
初めて顔を合わせる時にへらへらしていては、その後はきっと侮られ続ける。
単に舐められていい気なんかしないというのも勿論だが、
いざ作戦遂行の際に指揮を聞いてもらえないような事があっては、
その艦だけでなく艦隊全体に危険が及ばないとも言えない。
それでもあの調子を保つのは息が詰まるので、大井や北上のように本性を曝け出せる存在もまた必要だ。
「……困りますね」
なに?
「それじゃ、私達がいなくなったら、提督は窒息しちゃうじゃないですか」
自分は立ち止まって大井の方に振り返った。
大井は少し俯いていて、こちらに合わせて立ち止まりつつ科白を続ける。
「提督が提督を続けられなくなったら、他の提督が着任するでしょうけど、
提督のように艦を大事にしてくれる保証はないでしょう?」
直接口にする事を避ける代わりに、淡く薄い笑みが縁起でもない事を物語っていた。
自分は見ていることができなくなり、怖いものから守るようその体を包んだ。
「あ……」
「口は災いの元、と言うだろう? 仮定でもそんな事を考えて良い事なんかないぞ」
本当は戦闘なんぞやめさせて匿いたい気持ちもあるが、それでは艦娘としては死を表す。
子供で欲張りな自分は、どうしても生命の存続と誇りの両方を取る事しか頭にない。
全くこいつは、臆病な本質をしている。
頭を撫でて、優しく言葉をかけてやるくらいじゃ安心してくれないかもしれないが。それでも。
「絶対に沈めてやらないから。そんな事言うのは、もうやめにしよう」
「……私が至らなくて、ごめんなさい」
それを言うなら、そういう事を考えさせてしまう自分の甲斐性のなさについて謝罪したいところだが、
それをやると堂々巡りになりそうだった。
一先ずは執務室へ向かう必要がある。まだ昼も回っていない。
少しは元気を取り戻してくれるといいんだが。
大井の肩を抱いて促し、自分らはゆっくりと歩き出す。
この際大井の気分が下がって執務ができなくても、一緒にいてやりたかった。
大鳳の事を放ってきてしまったが、大丈夫だろうか。
切りが良くなったら迎えに行くから、それまでどうか時間を潰して待ってほしい。
本来なら新たに鎮守府に配属した艦は上に報告しなければならないのだが、執務室はとても静かだ。
書類や筆記具は目前に置いただけで、それに手を付けようとも口を開こうともしないからだ。
電源を入れた炬燵に並んで浸かり、密着したこの状態が二十分は続いている。
寝ているんじゃないかと思い頭を横に回すと、偶に目が合うのでその心配はいらないようだ。
目が会うと、自分の事は気にしないで、と言うように表情を柔らかくするだけで、何も口にしない。
じっとこうしている間にも熟考を重ね、頭の中で演習編成を構成できたので、その旗艦に問う。
「……今日の演習、行けそうか?」
「もう大丈夫よ」
「良し、ならばもう少ししたら行くぞ」
「……うふふ。魚雷を撃てるのね」
戦闘狂の片鱗を今から現す大井に自分もにんまりしてから、
炬燵の上のマイクを引き寄せて呼び出し音を流し、内線を入れる。
「三十分後に出港し、演習を行う。以下の艦は、それまでに補給所に集まるよう。
旗艦、大井。随伴艦、北上、木曽、大鳳……」
頭の中の六隻の艦名を読み上げ、最後に内線を切って邪魔なマイクを遠ざける。
「……さて。それまで、こうしていようか……」
「……そうね……」
結局呼び出しておいた自分は、戦闘狂の血も一旦は鎮まった大井とぎりぎりまで肌を温め合う事に徹した。
自分らが最後に集まったのは言うまでもない。
木曽が苦笑している様子は眼帯をつけていても充分に分かるし、
北上がにやけ始めるのもまた見慣れてきたものだった。
……………………
…………
……
勝利、戦術的勝利が続き、午前の最後の演習を済ませて帰投した時は、もう時針が真上を過ぎていた。
朝の約束通り、昼食も大井と頂く事になった。
北上も誘おうとしたが、北上は大鳳らと共に頂くからと遠慮され、少し離れたところで他の艦と着席していた。
自分も大井も北上を邪魔に思ったりはしないのに。
いや、これは北上以外なら邪魔だという意味ではない。大井はどう思うか分からないが。
醤油や生姜等の調味料で柔らかく焼かれた豚の切身を飲み込んでから、大井に話しかける。
「今日のお前は砲の不発が多かったな」
「む……」
大井は小さく唸って口を止め、しかしすぐに動かし始めた。
大井の御膳の鰻もうまそうだな。少しくれないか。
そう言うと、大井はちゃんと飲み込んでから返事を投擲する。
「交換ならいいですけど、提督の方には釣り合う物がないから嫌です」
お前、金銭の事なんか気にするのか。
その国産鰻が見えなくなるくらい高価な魚雷を脇目も振らず乱射するくせに。
「武器を出し惜しみして怪我はしたくないです」
きっぱりと言い切って鰻を一口含んだ。
勿論こちらとしても被弾しないのが一番なので、
敵を押し退けるのに弾をケチれというような、本末転倒な指揮をするつもりもなく箸を動かす。
正直な所、海域の制圧は命令されれば赴く程度の気持ちしかないので、戦闘に拘りはない。
……話が逸れた。
えーと、大井の鰻を貰う話だったな。
「違います。鰻はあげませんから」
一切れでいいから、な。
不満なら豚の生姜焼きを半分やるぞ。食いかけだがな。
「要りません。……一口だけよ」
大井は結局手に持って遠ざけていた重箱を盆に置き直した。
鰻を箸で少しだけ切り分けているところを見て、我、妙案思い付くせり。
「……提督、口を開けてどうしたんですか。まさかとは思うけど……」
「あーん、だ」
「周りに他の艦もいるんですよっ」
少し声量を控えめにして早口でそんな事をのたまわれてもな。
大井は恥ずかしいのかもしれないが、私は大井に食べさせてもらいたいんだ、気にしないぞ。
さあ一思いにやるんだ。
「もう……っ」
大井は頭を動かさずに目だけで周りの状況を伺ってから、さっとこちらの口に箸を差し込んだ。
即座に口を閉じたが、伝わるのは温かい鰻の柔らかさとタレの甘辛さだけ。
畜生、箸引っ込めるの速いぞ。
「何考えてるんですかっ。変態ですか」
世間のアベックが普段やっていることだぞ。
これくらいで変態呼ばわりされるなら、自分らは不純異性交遊で揃って仲良くとっくに憲兵沙汰だ。
ついでに言うと、自分はちゃんと責任能力があるので不純にも当てはまらない。
「あの、今食事中なんですが」
おっとすまん。鰻は美味しかったぞ。
えーと、そう。お前の砲撃が不調の話だったな。
「……チッ」
おい。
……………………
…………
……
流石に執務においては喋り始めると筆が止まるので、黙々と処理していく。
本日中に行った演習や建造完了の報告書の作成をまず済ませてから、
上から課せられた任務をどうにかしてこなそうと頭を使う。
が、流石に疲れてきた。
「……休憩を入れさせてくれ」
「あ、はい。お疲れ様ね」
しかし大井は自分の作業をやめようとしなかった。
戦闘も執務もこなして、お疲れなのはそっちじゃないのかと問いたい。
しかし、今は一人で何も考えず頭を休ませたい気分なので、声はかけないでおく。
席を立ち、壁にかかった上着を羽織る。
「どこか行かれるんですか」
「敷地内を歩くだけだ」
「あまりサボらないで下さいね」
「……ああ」
そして部屋を出た。
部屋を出て、すぐ建物を出たのではない。
間宮に断りを入れてから厨房に寄り道し、冷蔵庫に潜ませておいた刺身のパックをビニールごと持ち出す。
外に出ると潮風が吹いている。少し寒いが、頭の中を空にすればいい。
本棟の横っ面を覗きに行ってみれば、数匹の猫が軒下で丸くなっていた。
自分は手に持っている物を取り出し、何も考えず、何の表情も作らず、
群がる野良猫に切身に加工された鮪を与える。
ここは民家ではないし危険な場所も多い。
こんなところに住み着いていないで、民間人に媚び売って拾ってもらった方が幸せだと思うんだがな。
一枚一枚刺身を猫の口に持っていき、食う様をぼーっと眺めていると、珍しく足音が近づいてきた。
それもよく聞いてみると、二人だろうか。
「提督」
「……大鳳か」
しかし一つの声の発信源へ首を回すと、大鳳だけでなく大井も同伴していた。
「猫がお好きなんですね」
「猫くらいしか動物に興味がないだけだ」
そそくさとごみをビニールにしまい込み、改めて向き直る。
大井もそうだが、艤装を外すと華奢さが強調されて見える。
そのようなどうでもいい感想はさておき。
「どうだ、他の艦とは。上手くやっていけそうか?」
「はい。みんな仲良くしてくれています」
なら良かったの一言に尽きる。
大鳳は優しそうな雰囲気が見て取れるし、心配はいらないか。
大鳳の事は済んで大井に目をやると、片手を差し出された。
その手には何の装飾も素っ気もない手紙が一つ。
「提督に、お知らせみたいです」
なるほど。寒い中ご苦労だった。
艦娘という特性を持ったこの二人は、格好の割にちっとも寒そうには見えないが。
二人とも半袖スカートに加えて、
脇が露出している大鳳はともかく、臍を出す大井ほか多数の艦は、もしも普通の人間だったら風邪を引きかねないだろう。
肉体は耐寒仕様と聞いても病気に罹らないとは聞いていないので、風邪を引かないともまた言えない。
受け取った封を開けて印刷された手紙を見ると、充ては上からだった。
知らせ文が一枚入っているだけで書かれている事も長くないが、要約すれば以下のような内容である。
『艦娘の性能向上を図る為、最大まで練度を高めた艦に限り、
装着することで練度を更に高める事のできる"結婚指輪"の購入を、二月一四日より許可する』
これを最後まで読んで、一分程前まで動かしていなかった顔の筋肉は気持ち悪いくらいに歪んだ。
新入りの艦が目の前にいるのに早速悪印象を与えるのはよくないのだが、顔の筋肉は笑う事をやめさせてくれない。
大鳳は首を傾げ、大井は訝しげな目を向ける。
「……ラブレターじゃないわよね?」
ははあ。そういう考えに至るのか。
分からなくもないが、斜め上の反応だ。可愛い奴め。
上官に向けるべきとは言えないだろう言葉遣いに大鳳が少し慌てても、大井は構わず不審げにこちらを見定める。
大鳳の心配も虚しく、自分は色んな意味で笑いを堪える事ができなくなるだけだった。
艦隊が全くの無傷で戦闘海域から帰還した時よりも気分がいいのは確かだ。
「あっはは! 馬鹿言うな。そんな物貰ったこともない」
笑い飛ばしてから手紙の内容は自分の胸だけにしまいつつ、二人を促して共に本棟に戻る事にした。
……………………
…………
……
「チッ、なんて指揮……。あっいえ! なんでもありません。うふふっ」
聞こえているんだがな。
しかも今日初めて聞いたわけでもない。
にも関わらず、普通の人間なら十中八九どころか百発百中で怒るかしょげるに違いないこの場面で、
自分の頬の筋肉は持ち上がり、腹の中でこっそり笑うという的外れな反応を下すだけだった。
かくいう自分も以前はこの悪態を耳にすれば少し不愉快になったのに、毒されてきたのかもしれない。
今となっては、偶には聞いておかないと少し心配になる。
朝から晩まで所々に命中率の低下が見られた、不調続きの旗艦の肩を軽く叩いて声をかける。
「次、頑張ろう。な?」
「…………」
すると、長い付き合いでなお取り繕って浮かべる笑顔を流石に崩していった。
先はあのような悪態を偶には、などとのたまったが、
この元気をなくした姿を見ると、本気で作戦指揮を考え直さなければならんのではという気にもさせられる。
真っ暗な空の下で潮風吹く中、人の手で整形された岬に艦娘が並ぶのを確認してから顔を一旦引き締める。
「これにて、本日の演習は締めとする。艦隊解散」
破損した艦に入渠させる指示を出してから、自分は一人執務室へ向かった。
演習の報告書を作成しなければならない。
……………………
…………
……
あまり時間もかからず全ての執務を終え、
艦娘修復ドックとは別に備え付けられている、いくつか並ぶ個室の風呂場の一つにて疲れを流す。
実際のところ艦娘の修復ドックの内訳は大きな風呂場だけではないが、ここでは割愛する。
まず頭を適当に洗い、次に体を――
がらっ。
「!?」
洗おうとすると、背後で突然引戸が開かれる音に驚く羽目になった。
ここの風呂場は恐らく自分しか使わないはずなので霊かとさえ思ったが、
流石に身に覚えのない罪は背負っていなかったようだ。
深海棲艦が霊になって出てくる可能性があるなら心当たりは山ほどあるが、
かの小松兵曹長も絶賛してくれるのではないかと言える素早い首振りで、それは妄想の一つに過ぎなくなった。
「お邪魔しますね」
何故なら、入ってきたのはクリーチャーじみた霊なんかではなく、バスタオル一枚巻いただけの大井だったからだ。
いや、確かに呪われたり後ろから刺されたりする心配はないと言えるが、これはこれで安心できない。
自分は大井みたいにタオルなんか装備していない。
体はこれから洗うところなので、股間がうまい具合に石鹸で隠れているという事も、ない。
回り込まれればたちまち見られてしまう。
「なっ、何しに来たんだ」
「お背中流しに、です」
自分の記憶が正しければ大井には入渠の指示を出したはずだが。
小破だから長時間かからないとはいえ、短時間で二度も風呂に入るという奇行の真意を読めない。
首だけ後ろに向けると、タオルに覆われた二つの山が気になるが、
なるべくそこではなく顔を見て、立ったままの大井に問う。
「入渠はしたのか?」
「シャワーだけ。だから提督と入るんです」
「待て、それなら私にタオルを一枚――」
「必要ありません」
「…………」
出口は大井の後ろ。
タオルは脱衣所。
分かった。投降しよう。
「……好きにしろ」
「! ……はい」
心なしか嬉しそうだな。
すぐに背後で腰を下ろすのが分かった。
背中を流してくれると言うのでそれに任せようと待っていると、
横から手が伸びてきて前に置いてあるボトル石鹸を持って行った。
手拭いでがさがさと石鹸を泡立てる音を聞いて落ち着こうと、俯き目を瞑る。
やがて硬い手拭いが背中に押し当てられた。ゆっくりと上下に全体に石鹸が広がる。
一人では落とし辛い背中の垢がどんどん浮かべられていくも、落ち着いて安らぐ事ができない。
猫背で緊張を隠していたが、少しだけ経って不意に手拭いが背中から離れて今度は困惑する。
どうかしたかと振り向こうとしたがそれは叶わなかった。
むにゅ。
「んっ……」
泡立てやすいよう少し硬めに作られている手拭いから一転、
とても柔らかい何かが二つ背中に押し当てられた。
それにはそれぞれ小さいながらも硬く自己主張する何かが付いていて、
もしや、という予想は、両肩に両手を置かれて背中の何かで上下に擦られ始めたところで確信に変わった。
大井は小さく喘ぐ。
「ん……、あ、あ……」
「……! 何やって――」
「背中、流してる、んっ、ですよ」
いつの間にかタオルも取っ払ったらしい。
せわしなく頭を左右に回すと、湯船のふちにタオルがかかっているのが見えた。
このやり方では風俗嬢だ。
これもまた演習後の相手の艦隊から聞いたのか。
せっかくの情報交換で妙な事ばかりを吹き込むのはやめて欲しい。
もう今後は演習が終わったらさっさと帰投するべきか?
「ん、ふ、ん、んっ」
一言で言えばはしたないと大井に非難する自分と、大井に奉仕されて馬鹿正直に喜ぶ自分がいる。
自分はどちらの姿勢を取ればいいんだ。
脳内で急遽開かれた軍法会議は、大井が起こす独特の快楽の荒波のおかげで一向に進まない。
大井の息遣いがずいっと左の耳元に近づく。
「あっ、てい、とく。気持ち、いい、です、か? ふ、う」
柔らかくて大きいタンクが背中でずりずり擦られる。
決して激しくはないが、リズムを取って断続的に息を耳に吹きかけてこう囁くので、
冷めた自分が少し小さくなり、喜ぶ自分が少し大きくなる。
どことは言わないが、文字通りの意味でも少し大きくなる。
ただ、冷めた自分はまだ死んではいないので、その問いには何も答えない姿勢を取る。
「何も、ん、言わない、なら、続けちゃい、ますよ、はあ……」
しかし、大井の奉仕に懸命に抗って突っぱねようという考えはない。
何も言わないのは、まだその気になれていないからだ。
それでも、あと少しもすれば素直になるだろう。
柔らかい中にある突起物がとても気になって仕方が無い。
「ふう、っ、っ、あっ」
正直こんなすべすべなもので擦られても垢がちゃんと落ちるとは思えないが、垢の事なんか今更どうでもいい。
大体毎日入っているんだからそこまで気にする必要もない。
「……前も洗っちゃいますよ」
待て。
いつの間に肩から離したのか、見えるは横から伸びる手拭いを持った白い腕。
「おいっ、前は自分で――」
「嫌ですか?」
「…………」
そう言いながら手拭いを持った手を動かす。
好きにしろと言ってしまったし、仮に嫌だと言ったところでやめる気はなさそうだ。
「……嫌じゃない」
止まっていた背中流しも再開され、前後を同時に効率的に洗われる。
こんな状況で世間話をする雰囲気なわけもなく、かと言って他に何を言えばいいかも分からず、
体の垢だけでなく、自分も状況にただ流される。
やがて体の前後が満遍なく石鹸で満たされた時、自分の魚雷にはもう充分に血液が装填されていた。
「ん……、あらあ?」
きゅ。
「いっ……」
何かに気づいた声を発してから、前を洗う手拭いを持った左手が引っ込んだかと思えば、
何も持たずにまた伸びてきた左手が自分の魚雷を掴んだ。
「……うふふ」
妖艶に小さく笑ってからそれを扱き始める。
先まで体を洗っていて石鹸でまみれた手は、摩擦係数を著しく落としていた。
大井がずっと主導権を握るこの一連の流れは、どう考えても風俗を模倣しているとしか思えないが、
こいつは分かってやっているんじゃないだろうな。
魚雷の根元から先までをぬるぬるした手で扱き、カリの部分を程よい力加減を持って通過するところもまた粋らしい。
「はあ……んむ」
「ッ!」
背筋を震わせられた。
大井が耳元でこちらが気の遠くなるような吐息を零してから、突然耳たぶを口に含んだからだ。
口内で舌をちろちろ動かし、弄ぶ。
「ちゅっ、……ちる」
「じゅ、ちゅる、じゅる、はあ……」
くちゃ、くちゃ。
ゆっくり扱きつつ、上も耳たぶだけでなく耳全体に唾液をねっとり絡めていっている。
温度が低めの耳は、大井の口に包まれ熱い舌で巻かれる事でやっと温められて、というより、熱くされていく。
「ふっ、んん……、れろ、はあ、ぺろ」
「っ、はあ……、はあ……、あぁ、むっ」
大井は、息を荒げて性感帯の一つである耳を丸ごと喰らう。
耳の中にまで舌を差し込み、精一杯演出しようと派手に唾液の音を立てる。
その間も魚雷の扱きは決してやめない。
愛撫もまた単純なものでなく、耳にせよ魚雷にせよ弄る位置を微妙に変えたり緩急をつけている。
耳は中を舐めたり外を甘噛みして、魚雷はただ扱くだけでなく先端を撫でたり玉を揉んだりする。
なんとも器用なものだ。
別に夜戦について指導したわけでもないのに、この上達ぶりは不思議だ。
「くちゅ、はあ……、ちゅう、んん、じゅる」
不言実行と言うのか、全ての意識を行動に注いでいるようで、口数はめっきり無くなっている。
この場では水の音が反響し、耳の傍から荒い息と粘液の音をしつこくぶつけられるだけだ。
自分の足はだらしなく開き、
体は押し当てられているタンクに拘束されたように振りほどく気になれず、耳も無抵抗のままに喰われる。
多分魚雷もだらだらと何かを垂らしていると思うが、段階的に速めくなっていった大井の激しい手付きでよく分からない。
やがては魚雷はただ扱くことだけに愛撫を絞られる。
大井は体の表面積をなるたけ広く密着させ、右手も私の右肩に置くのではなく、抱く状態に変えた。
これではまるで縋り付かれているような体勢だ。
ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃ!
「じゅっ、じゅるっ、んん、ちゅる、ああ、ちゅっ」
「んむ、ちろ、ちゅっ、ちゅぷっ、はあ、はあ、提督……」
なんだ。こんなときに。
こっちはもう達するところなんだが。
「えう、ちゅ、ん、ふ、はあ、ちゅうううっ、ああ、提督……」
「はあ、提督、ていとく……」
びゅっ! びゅくっ! びゅくっ!
「――――……」
もみくちゃにされた玉が、とうとう穴の開いた風船のように中身を一点の出口目掛けて魚雷の中を走らせた。
耳元で熱く呼称を発せられながら、自分は石鹸水より明らかに白く粘り気のあるもので床に汚い花火を描く。
熱気が充満する風呂場の中、一歩間違えれば逆上せかねない程に頭がくらくらした状態で背筋を震わせても、
達した直後に大井が漏らした、声帯をまともに使っているとは思えない微かな呟きを、
自分は何とか聞き取ることができた。
その意味が気になって考え始めてしまい、
その後は互いに言葉を発しないまま体を流してから共に湯船に浸かるという、
前戯がまるでなかったような空気に変わっていた。
二人で入るにはやや狭い湯船に並んで無言で浸かる光景は、端から見れば異様だろう。
例えば、対面して入って互いの恥部が見えたり、抱くように入って密着、という事も考えなかったわけではない。
が、大井はタオルを巻き直し、自分も腰に巻くためにわざわざ脱衣所まで取りに出た時点でその可能性は潰えた。
情事の誘いかと思っていたのに、前戯の続きをする気さえ起きないのだ。
そうさせた根源である大井の一声について、勇気を出して話を切り出してみる。
「……"見捨てないで"って、どういう意味なんだ?」
「……聞こえてたの?」
音が反響する風呂場では、小さな声でも充分会話ができた。
それにあれだけ耳に近ければ、蚊が鳴くより小さい声でも聞こえる。
冷静に考えてみれば当然の事なのに、大井は目を合わせてそんな事を聞き返す。
覇気のない調子はまだ長引いていたらしい。
「……最近また、失敗が多くなって、今日なんかも……」
再びお湯に向かってから、心の内を吐露し始める大井を黙って見つめる。
「提督に興味を持つ艦は増えるし、後になって考えてみれば、朝の提督の寝言も、私の名前なんて出てないし……」
名前までは口に出さなかったのか。
なんと中途半端な寝言だ。
全く口に出さないか名前ごと口に出していれば、ここまで悪い結果にはならなかったのかもしれないのに。
それと、自分に興味を持つ子が大井と北上以外にいるというのも思わぬ話だ。
「私より可愛い艦もいっぱいいるし、提督は私に興味なくしちゃうかなって……」
最後に自身に対して小さく嘲笑してから、それきり黙ってしまった。昼にも見たそれと同じだった。
やめてくれ。そんな笑顔は見ていて悲しくなってくるんだよ。
いつもの優しい微笑を浮かべてくれよ。
裏切ったら沈めるって自分で打った釘にも自信を持てないのか。
……嗚呼、朝から晩まで全て自分が原因だったな。
あまりこんな事ばかりやってるとこちらが興味を尽かされかねない。
それでもこういう時、こうして寄り添うか腕で包む以上の事が考えつかないのだ。
「夢に出た相手もお前だったよ。戦争が終わるまで待てと断られたけど」
こんな男でも許してくれるのなら。
「でも、お前の調子が良くとも悪くとも、戦争が終わろうとも終わらんとも」
山と積まれた失敗を前にしても望みを捨てられず、自分は痛くしない程度に抱く力を強めた。
大井がしたように、自分も恥なく自分の内を曝け出す。
できれば失敗ばかりの自分を受け入れて貰いたい。
「私は、すぐにでも大井と一緒になりたいと思う」
「……本当? 他の艦に興味はないの?」
北上には悪いが、北上でも大井と同じように見る事はできないんだ。
大井だけだよ。
「……まだ足りないわ」
……今晩、一緒に寝ようか。
「それは、どっちの意味で?」
両方のつもりだが、嫌かな。
「いえ……。そう聞くと私、燃えちゃいます」
大井は静かに覇気を取り戻していた。
振り返るその横顔は、気のせいかきらきらしているようにも見える。
胸のわだかまりを解消した頃には体も充分温まったので、一言添えてから先に風呂を上がった。
畳に敷いた布団に枕を二つ並べながら声に出さず一人笑う。
明かりを電気スタンド一つに任せて布団に潜り、文庫本を片手に考える事は本の内容ではない。
手持ち無沙汰の為に何となく読み流しているだけで、
実際は隣の枕の主とさて何を話してやろうかと頭の引き出しを漁っている。
小学生の遠足前日の気分に共通するところがあって、やはり自分は子供だなと少し嘆息する。
きい。
……かちゃん。
大井は扉の開け閉めをなるべく控えめにして入室し、靴を脱ぐ。
掛け布団を上げると、もう一つの枕にもそもそと潜り込んできた。
ところで、睡眠時に見る夢とは、自分の知識、記憶、想像を元にして作られるらしい。
だから、例えば博識だと知っている人に夢の中で何か質問をしても、
自分がその答えを全く知らないとその人も答える事はできないし、
その人が何と答えそうか自分が想像できていても、それは自分の独断と偏見の塊でしかないため、
結局は自問自答となんら変わらないと言える。
だから、夕べの夢について気になった事を天井を見ながら、隣で横になる本物に尋ねてみた。
「……私は、北上をお前と全く同じように見る事はできないんだが、北上の傍にいてやるべきなのかな」
こんな事を聞いたら、大井は激昂するだろうか。
解釈の仕方によっては、下手な同情と取られても仕方がない。
愛にも色々あるが、それでも自分が北上に向けるのは『親愛』なのだ。
大井は、少しも待たず答えを出す。
「別に、北上さんから離れなきゃいけない理由はないでしょう?」
しかし大井の反応は、自分の予想していたものとは毛先程も合わない、平静したものだった。
大井の答え、というより考えている事は、自分が想像していたものとは、もしかすると根本から違っていたのかもしれない。
「まずこの戦争が終わったとして、提督は、北上さんや他の皆から離れるつもりなんですか?」
「……いや、そんな事はないけど」
「なら、何も気にする事はないでしょう?」
この疑問を一人で考えても悩んでも分からなかったのに、人に聞いただけで、呆気なく打ち破られた。
別の視点からも物事を見るのはとても大事だ。大井はそれに気づかせてくれた。
全く。大井はどの面においても私より優秀だ。
私なんかより大井が艦隊の指揮を取るべきじゃないのか。
「戦いながら他の艦に命令しろっていうんですか? それじゃ存分に戦えませんよ」
そうなるな。
海戦の時は眼前の敵を討つ事のみ考える大井らしい回答だ。
にしては、今日は不思議と著しい命中率の低下が見受けられたが、それについてはどうお考えで?
「それは……」
責めている訳ではないが、こんな事を言われて大井が黙ってしまうのを責める事もまたできない。
真っ正面に敵を捉えて命のやり取りをする艦娘の視点がどのようなものか、
自分には知る由もないからだ。
その艦娘を利用して海や陸を守ろうとする自分ら指揮官のその想いと期待を、
どれほどなら艦娘に背負わせて良いのか、非常に難しい問題だ。
大井は仰向けで天井を見る頭を少しだけ向こうに回したので、
横顔を伺う事ができなくなってしまった。
「……よく、分からないの。もう睡眠時間は削っていないし」
「…………」
「もしかしたら、提督に見捨てられたくないとか、褒められたいとか、焦ってるのかもしれません。
前は、『重雷装艦にまでなれたんだから、沈んでも悪くないかな』って考えていたのに……」
所謂深夜の気分なのか、あるいは部屋の明かりが少ない事によるものか、
そんな事を大井は抑揚なく、まるで他人の話のように明かす。
「提督は、こんな私でも艦娘を続けてほしいって、思いますか?」
大井はやっと頭をこちらに回してくれたので、大井とは十五サンチ程の距離で見つめ合う状態になる。
壁際に寄せた炬燵の上の大きくない明かりが布団一つを照らす中、
影のかかった今にも暗闇へ消えてしまいそうなその顔に、誰が無理強いをできようか。
最高戦力が艦隊から抜ける事でもたらされる影響はあるだろうが、
その穴をカバーできなくはない筈だし、何より大井の意思を尊重したかった。
「私としては、傍にいてくれればいいんだ。
続けるかやめるかは自由だが、大井がどっちを選んでも見捨てる事はあり得ない」
大井の、艦娘を続けて欲しいか否かの問いにはこのように曖昧な事しか言えないが、これが自分の答えなのだ。
これを時間をかけて意味を咀嚼したらしい大井は、泣くのを堪えるように顔を歪ませた。
瞼は瞳が何とか見える程度まで下ろされていて、唇もぴったりと力が入ったように閉ざされている。
この回答だけではやはり不充分だったのか。
「す、すまん!」
しかし弁解やら慰めやらは何と言っていいか分からず、謝罪の言葉しか出なかった。
行動で表す慰めとして、慌てて仰向けの体を九十度回して寄り添い、
片腕を大井の体の上から背中に回す。
顔はさらに近づく。
開かれたその目が潤んでいる事は、光が少ししか当たっていなくてもこの距離で分かってしまう。
それを直視できなくて、思わずこちらが瞼を下ろしてしまった。
大井をこうしたのは自分なのに。
「ん……」
これは大井の息遣いだ。
それを聞いたと同時、自分の瞼は開かれた。
何故自分は目を瞑った大井に脈絡なく唇を押し当てられているのだろう。
押し当てられていると言っても大井が顔を何とか前に動かして触れさせている程度だが、
自分には唇の柔らかさと熱が充分に伝わる。
「は……」
たった一秒程で離れた。
これではいつもなら名残惜しさが残るだろうが、今は戸惑いが残る。
「……私の回答がショックだったんじゃないのか?」
「ショック? 安心してるんです。すごく」
枕に頭を預けたまま首を振るような動作を小さく行って、大井は涙を一滴流す。
つー、とそれは重力に倣って枕へ流れたが、大井は気にせず、潤んだ目を隠そうともせず続ける。
「あの時の人達はみんな、お国の為だなんて言って、国の物を好き勝手に使い潰して」
「でも提督は、私達を大事に使ってくれるから、私は、『この人を好きになってよかった』って……」
捻りのない直接的な告白は、何度聞いても全く飽きない。
自分も大井に大事にされていることが、すぐ、よく分かる。
自分もまた、大井を更に大事にしたくなる。
横になりながらなので片腕で申し訳ないが、この拙い抱擁にあらん限りの想いを込める。
「あ……、提督、何ですか?」
なんだ。
ドラマのような空気はもう終わりか。
突然飛び出る場違いなまでに惚けた科白が、自分らの性格を短く表しているようで、笑わせてくれる。
密やかに笑う様が、大井をほんの少しだけむっとさせたらしい。
「……笑ってないでちゃんとやってください」
「ふっ、くく……ちゃんと、とは何を?」
笑いを堪えて抽象的な部分を問い返す。
実のところこういう事ではないか、と半分程は分かっているのだが、
男の子というのは好きな娘を困らせるのが性分だからな。
烈風をどれだけ積もうが、付いて回る性分というものは撃墜できまい。
思惑通り、大井は多少恥ずかしげに視線を枕にやって言い淀む。
嗚呼、面白い。可愛い。
「だから、その、両手で――」
「はいはい。体、浮かせて」
「……ん……」
敷布団側の片手も大井の体をくぐらせ、大井の背中で掛布団側の片手と邂逅を果たす。
掛布団側の足も大井の両足に被さるようにして、
目を閉じて触覚を研ぎ澄まし、最後に心ゆくまで腕に力を込めれば、柔らかい立派な抱き枕の完成だ。
抱き枕が漏らす鼻息が口元に当たってこそばゆい。
「んっ、力、入れすぎなので、提督に二十発、撃っていいですか……っ」
「……なら、撃てないようにもっときつくしないとな……」
「あぁっ……もう……」
そうそう。
抱き枕は持ち主に逆らっていないで大人しく抱かれていればいいんだよ。
こうして目を瞑っていれば、そのうち深い眠りにもつけるのではとの考えが過ったが、そうは問屋が卸さないらしい。
「ん……」
生意気な事に抱き枕が再び口をつけてきた。
もう二度目なので驚かず、ただ受け入れてやる。
かと思えば、またすぐに離れてしまった。
目を開けてみれば、互いの顔の距離にして僅か五サンチくらいか。
とても近い。
「さっき自分で言った事、忘れてませんよね?」
「……そうだな……」
危うく寝るところだったがな。
早速動かしやすい上の片腕を、大井の装甲の裾から差し入れて弾薬庫をまさぐる。
「……お腹なんて触っても……」
気持ち良くさせたいとかではなく自分が触りたいだけだ。
気持ち良くなくても我慢してくれ。
ここは中々に引き締まっていて、見なくても触っただけで無駄がない美しい艦体をしている事が分かる。
側面が緩やかな曲線を描いていて、何度でも撫でてみたい。が、先へ進む。
大井はどこを触っても本当にすべすべだなあ、とぼんやりした考えでタンクに辿り着く。
手の中で一番長い中指の指先がタンクに、ふに、と無遠慮に当たった。
「っ……、乱暴にしないでください、燃料が漏れちゃいます」
小突いたくらいで穴が空く訳ないだろう。
しかし痛くする理由はないので、陶器製の高級お椀よりも大切に優しく扱う。
その事を念頭に置いて撫でる程度にまさぐっている途中、ピーン、と頭の中で閃きの音が響く。
「ここを大きくすれば、航海時間が伸びるのかな?」
「知らな、ぁ」
むにゅ。もみもみもみ。
「んう……っや」
「嫌?」
「いや……っ、じゃない、です……」
改修も並行して行えるとは、何とも効率的な夜戦があったものだ。
自分は顔が気持ち悪く歪まないよう精一杯堪える事で忙しかった。
口の端に力が入っているのを、多分大井は気づいているだろう。
何せこの距離だ。
そして私が大井に触れる事ができるという事はつまり、大井もまた私に触れる事ができる訳で。
大井より背がある私のズボンまで手を伸ばすのに長さが足りないのか、
少し身を下にずらし、それに倣って顔もやや掛け布団に隠れるのが微笑ましい。
言ったら拗ねるかもしれんな。
大井は器用に片手だけでベルトを解除し、ズボンを緩めてから探索の手を入れていく。
「ぁ……提督のも、こんなになってるじゃないですか」
「魚雷、好きだろう?」
「私の知ってる魚雷はこんなに熱くないですよ」
「提督の魚雷って?」
「熱くって、素敵、って何言わせるんですか」
今自分らがやっているのはテレビで見る漫才かコントの類か。
二人でくすくすと一頻り笑いあってから、事は再開する。
先程一回出したので自分の感度は幾らか落ちているが、まだ行ける。
下から上に向かって捻りながら引っ張るような、変わった扱き方だ。
体勢的にこのやり方が合っているのだろう。
風呂場では大井に一方的に攻撃されるだけだったが、いつまでもそれでは格好が付かない。
身長一五二サンチの大井の下部装甲まで腕を伸ばすのは、難しいものではなかった。
手探りするまでもなくまず外側の装甲を捲り、秘所をカバーの上から柔く擦るが、大井は拒まない。
「直接じゃ、ないんですね、っ」
「っく、直接か。今は、我慢してくれ」
「そういう、んっ、の、自意識過剰、って言うんですよ、あっ……ぁ」
ならばそんな口が叩けなくなるまで、ずっとカバーの上から擦るだけだ。
ある程度まではやや強めに擦ってやるが、そのうち擦るだけでは満足できなくしてやろう。
それぞれ手一つだけを使って相手を攻める防御なしの一騎打ちは、練習航海が一度できる程度の時間を使った筈だ。
「あぁっ! はぁ……はぁ……」
ぐっしょりと濡れたカバーの上からでも分かる突起物を指で弾くと、
大井は甲高く啼いてから、口呼吸する。
そこは結構な性感帯だと聞いている。
それに手をつけてからは、またあまり刺激にならないような部分を柔く擦る。
「ていとく……まだ、足りないわ……」
「だから?」
「う……、ちょく、せつ……」
大井はいつの間にか扱く手が止まっていたので、主導権はこちらに移っていた。
ただ大井も長く耐えたので、こちらもいい加減触りたい欲のままに余裕なく、最後まで聞く前にカバーの中に手を入れる。
もし素面なら、自分はきっと手を突っ込む事に躊躇いを覚えるだろう。
何せそこは源泉と化してしまっているのだ。
もはやこのびちょびちょのカバーは使い物になるまい。
バケツでぶちまけたかのように潤滑油が溢れた状態では、
遠慮する必要はサーモン海域まで探しても見つからないと踏み、すぐに穴に中指を差し込む。
くちゅ。
「あ! むうっ!」
恥を知るらしい大井は、口元の布団を噛み締めて嬌声を抑えようとした。
この執務室が防音加工されているから、そんな事をしなくても表に漏れる事はないのに。
そして、布団を噛もうが下から発する水音ばかりはどうにもできないだろう。
「うわあ……」
すっかりほぐれているそこは中指をそのままに、薬指も付け根まで抵抗なく受け入れた。
女ってのはここまで濡れる事ができるのか、と、新たな発見を前にこれまた場違いな声が小さく漏れた。
経験の浅い男の分かりやすい反応だな、と情けなく思ったが、もう遅い。
これが大井には別の意味にでも聞こえたのか、眉を潜めてこちらを睨む。
それでも布団は口にしっかり咥えたまま。
その噛まれるものが布団から自分の鼻っ面に変わらぬうちに二本の指を動かす。
「っ! ……っ!」
粘っこい音がする。
どろどろの重油とも違う、独特の水質を表現するその音が、指をくいと曲げて中を抉る度に耳にへばり付く。
指だけでなく手全体を動かすようにエスカレートさせてみれば、
大井はピクピクと痙攣しながら口の端から声のない息を漏らす。
軍艦ではなく音楽の指揮者になった気分だと面白がるのもほんの一瞬に、
布団の中から自分の手をゆっくり取り出して、無色透明の潤滑油にコーティングされた中指と薬指を口に含む。
「ん……」
「!?」
すると、大井は敵艦を照らす探照灯のように目を見開いた。
と言っても、明かりの少ない部屋を輝かせる程の光に自分の目が潰された、とか厄介な事にはならず、
口に大井の味が広がって自分の性欲にぐんと拍車がかかっただけだ。
「……少し、しょっぱいな」
「~~っ! 変態ですかっ」
「お前もやった事だぞ」
「あ……」
最初に大井が夜這いに来て私のを飲んだ事、忘れたんじゃないだろうな。
あれは自分にとっては衝撃的な出来事だったんだが。
しかしそんな事を追及している場合ではない。
「……この体勢、好きだな。お前」
「提督はお嫌いですか?」
「いや、好きだよ」
行為の後寝てしまう事を考えて、ストーブに火は起こしていない。
寒さを凌ぐ為に、布団を被ったまま服も碌に脱がず私に跨って上体を低くし、
私の頭を挟んで布団に両手を置く大井の発射管に、自分の魚雷を収めるべく手を添えて場所を探る。
見えないと場所が分かり辛く、度々周囲に当たる。
「ぁ、もう少し、手前……」
多少曲げたりして融通の聞く魚雷を言われた通り動かすと、大井はほんの僅か腰を下ろした。
すると、先端がめり込む感触がしたので……。
「ん……ふわあああ!」
すとんとすんなり行った。
にしては、大井は軽巡時代の悲鳴に色気が添付されたような大きな嬌声を上げた。
感度良好だな。こちらとしても張り合いが出てくる。動くのは大井だが。
「……ぁ、ふぁ、あ、ん、んん……!」
割とすぐに加速していくようだ。
先程の焦らしを意識した前戯が効いたのかもしれない。
「あ! やだ、止まらな、ふぁあ!」
こちらも最大限に快楽に溺れ、抗う。
大井の発射管も練度が上がっているのか、
自分の魚雷にちょうどいい大きさに形が変わっていて、以前よりスムーズに大きく動かせるようだ。
もちろんどう動かすかは大井にかかっているのだが、こちらが注文を付けるまでもなかった。
「あうっ! はあ、ああ!」
自分らは見つめ合って互いを求める。
自分が大井をここまで喜ばせているのだと、大井の色気に満ちた、寒さの欠片もない顔を見て実感できる。
愛しい感情がこみ上げてくる。
嗚呼、大井。私の大井。
「キス……」
「ぁ、え? ……ふふっ」
小さく漏れた私の声も拾う大井は上下運動をやめ、
軍服に包まれた私の胸板に両腕を置いて顔を近づける。
自分が瞼を閉じると同時、閉じかけの視界の中、大井も瞼を閉じるのが見えた。
直後口に来る感触あり。
「ん、ん、ぅ」
「ちゅ、ん、ふぅ」
「あぁ、ちゅく……、ん、うぅ……」
体を重ね、舌まで連結しても、触れ合いたいという欲は止まらないまま深まるばかりで、
左手は背中に添え、右手は頭頂から後ろ髪までを何度も梳かす。
左手には傍まで寄ってほしいという想いが、右手には精一杯の愛でたい想いがある。
温かい。
やはり艦娘と言っても、一緒にいてくれたら人肌恋しさを満たす事もできる、普通とは少し違うだけの人間なのだ。
口を離し、体を完全に預けてきた大井は頭を私の右肩に埋める。
髪が右頬をくすぐる。
「はぁ、……温かい、ですね」
「ああ……」
ストレートの髪を撫でる手が震える。
知ってしまったこの温もりを喪った時の事を考えてしまい、怖くなったのだ。
不安にさせたくなくて大井には大口を叩いたが、本音としては、
幾ら自分の指揮に自信があっても、運命を見る事ができない限りは、絶対に喪わないようにできるとは言えない。
「提督? 手が震えてますよ……」
それを大井が気づかない筈がない。
私の肩に埋めていた顔をあげて、私の顔を覗き込もうとする。
いよいよ本当に風邪に罹ったように、少しの汗をかいて上気した顔が、眉尻を下げて心配そうに見下ろす。
軍人とはその役職柄、冷徹な人間が向いているだろうが、自分含めそうでない軍人等珍しくない。
かく言う自分はお世辞にも軍人に向いているとは言えない。
配属されている艦娘の殆どの前では自分の考える『軍人らしさ』を演じているが、
せめて大井には、自分の弱さを受け入れて認めてほしく、顔を逸らせという脳の命令を撤回する。
大井はとても優しい顔を見せてくれた。
「怖いんですか?」
今の自分は弱々しい声をしているに違いないので、声に出す代わりに頭を小さく縦に動かした。
大井は再び私の右肩に顔を埋めて、右手で頭を包むように撫でてくれる。
「……大丈夫ですよ、大丈夫……」
こうは言ってくれるが、自分が何に対して慄いているのか、大井はきっと分かっていないだろう。
必死の思いで口元の大井の耳に、殆ど喉を使わない小声で伝える。
「大井は沈まないよな……?」
ここにきて、艦娘として活躍してほしい、使命を帯びた艦娘を縛り付けてはいけない、等の考えと、
艦娘をやめさせれば喪う事はなくなる、という考えの、盛大な葛藤を直視してしまった。
依存しているとも言えるまでに大井の不調を気にかけている事に気づいた。
自分の体に大井の体を押し付けようとする両手に尚、力が入る。
「……それは提督次第ですけど」
なるほど、現実的な答えだ。
客観的に考えればこれこそが模範解答である筈なのに、
自分の中ではこっそりと諦めムードが流れようとしていた。
しかし大井の科白はまだ終わってはおらず、私の耳元で囁きかける。
「十年以上も練習艦をやってきた私が、沈むなんてありませんよ。何なら、提督にも教えてあげます」
「……それは心強いね……」
これが、幾人もの軍人見習いを指導してきた練習艦ならではの余裕というものか。
大井が持つ珍しい経緯もあって、自信と余裕に満ちたその科白は非常に説得力があり、
大井に問いかけた自分の疑心は、基盤が豆腐でできていたかのように脆く崩れた。
練習艦にだって調子のいい時と悪い時はある。
こうして脱力して両手からも力がなくなった隙に、大井は上体を起こした。
「あ……」
「……うふふ」
温もりが離れてしまい、切ない声が漏れる。
電気スタンドに照らされるようになったおかげで、大井が私の顔を見下ろして小さく笑っているのが分かった。
私が漏らした声が面白かったのか、それとも力の抜けた顔が面白かったのかは、分からない。
大井は襟首に装飾されている白いスカーフを解いてするりと抜き取り、装甲を緩めて肩を肌蹴させる。
最後に頭に被さっていた布団を鬱陶しげに手で退かした。
もしかすると、暑かったのかもしれない。
「手、つなぎましょう……?」
呆然としていて言葉の意味を理解するのに少し遅れた。
掌印のように差し出された両手に自分のをそれぞれ合わせる。
大井の指と指の間に自分の指を挟み込み、全ての指が互い違いに合わさってから、
自分らは初めて手を握る事を覚えた赤子のように、一本一本確かめつつ手をやっと握り合った。
「あは」
久しぶりとも思えるくらいだった。
大井は、さながら錆びてくっついてしまった魚雷発射管から魚雷を抜くようにゆっくり腰を持ち上げた。
ずるりと引き抜かれて、今までじっとしていた反動か急に刺激が来る。
かと思えば、糸が切れたように体を落とした。
「んあっ!」
一度だけで滑りが回復したのか、規則的に上下運動を始める。
くちくちと、ぐちゅぐちゅと、音も変化していく。
自然と両手にも力が入ったり抜けたりし、それに反応して大井も握り返してくる。
「ぁ、あ! あん! 提督っ、どうですかぁ……? どうなんですかっ?」
「はぁっ……」
「気持ちいいですかっ、あ!」
「うっ、気持ち、良くないわけ……」
「そうですよ、ねえ、んっ、こんなに、硬くっ、してるんですから……」
自分のはとっくに限界まで硬くなっている。
やはり一回出したとは言え、それを感じさせない程、大井とは相性が良くなっていたようだ。
練習艦とは夜伽のいろはまで知っているものなのか。やはり敵わないな。
いや、そういう事は最近になって自分で予習していたのだった。
私より上であろうとする姿勢へ尊敬し、その裏に垣間見る慎ましい努力に微笑ましく思うのもつかの間、
指を絡め合う両手と形の合った性器で強く結ばれる事で、精神的にも昇り詰めるのは難しい事ではなかった。
ここで、大井の嬌声の中に、今度は大井の心の弱みを具現化した科白が混ざる。
「あっ! 提督っ、提督は、裏切りませんよねっ?」
正直、何を言っているんだろう、と思う。
裏切ったら沈めるだの、絶対に見捨てないだの、散々言い合ったのに。
自分らが互いに存在を必要としあっているのは、今分かった事ではないのに。
それでも、大井に蔓延る不安を打ち消す為ならきっちり応えてやる。
「裏切らない。っ……、私はここにいる、ずっと大井の傍にいる」
こうして言葉に出すと、自分の気持ちも更に骨組みを補強するように熱くなった。
それでも大井はまだ納得しないらしい。
「本当っ? っ、ずっと……?」
「ずっとだ」
「んっ、ふふっ、……ちょっと、嬉しい」
"ちょっと"だけなのか。
しかし、大井の口の端が持ち上がったり、締まりが強くなったりと、変化は"ちょっと"ではなかった。
嗚呼、やはり、二人とも、目に映っただけでは安心できないのだ。
目に映して、声を聞いて、体と心を絡めて、やっと心の震えは鎮まるのだ。
互いの存在を確認しあうようなこの応酬は、このひととき、"ちょっと"ばかりでなく。
「……ッ!!」
「ふああ……!!」
これからも、幾度となく繰り返すのだろう。
繋がった手と性器、腰に乗る大井の体重等の感覚を強く感じ、
目を瞑り、眉間に力を入れて達しながら、自分はそんな事を考えていた。
……………………
…………
……
ぱち、と目を開けるとまず飛び込んでくるのは、少しだけ茶色がかった綺麗な髪だった。
私の背中で両腕を固め、私の胸に顔を埋める大井は、目を覚ましているのか確認できない。
窓の外を見れば、夕方とも間違えそうな微妙な明るさの空と大きめの雲が広がっている。
今日は天気があまり良くないかもしれない。
億劫に思いながら右手で優しく目の前の頭を撫でる。
「提督? 起きてるの?」
腕の中から、普段よりゆっくりとした声がした。起きていたらしい。
大井が寝ている自分に何らかの行動を起こす事を期待して、
返事をせず、寝ぼけている体(てい)で頭をゆっくり撫で続ける。
「……愛してます」
軽い気持ちで藪を突くのは、確かに危険だった。
静寂にぽつとこの科白だけが残る。
温もりを抱いて眠りから覚め、安らいだ精神状態でこんな言葉を聞ければ、今日は普段より頑張れる。
「提督、やっぱり起きてますよね」
「……おはよう」
予想できず愛を囁かれて、反応するように頭を撫でる手が止まれば、ばれても仕方がない。
窓を見ながら空と大井に挨拶する。
「今日は夢を見なかったよ」
「……だからなんですか?」
「夢でもまた大井に会いたかったな、とね」
「虚像ですよ、夢なんて」
「……夢がないな」
起きたと分かった途端大井は素っ気なくなった。
かと思えば、私の背中に回す腕の力を強めてこんな事を囁く。
「それに、夢の私は断ったんでしょう?」
「戦時中だから、なんて理由で私は断ったりしませんよ」
自分の頭の中の書類に『指輪と書類一式の購入』と書いて重要の印を押しておこう。
大井がやったように、自分も抱きしめる力を強めて、ただこう呟いた。
「……私も愛してるよ」
胸に顔を埋めたまま、起床時間まで何分あるかと何度も問う大井を微笑ましく撫でつつ、
起床時間を過ぎればまた怒られると分かっていながら、自分は実際の残り時間より長い時間を大井に伝え続ける事にした。
最終更新:2014年03月24日 20:45