提督×大井5-324

前回の話

 

自分は鎮守府の長とかいう重役についているが、そんなに歳は行っていない。
むしろ他の鎮守府の長と比べれば若いほうだろう。
だから自分以上に歳若き少女にあのようなことをされては鮮明に脳裏に焼きついてしまう。
そしてそれをネタに自分のそれを慰めてしまうのも仕方のないことなのだと弁明したい。
人間の三大欲求の一つを抑えろというのは酷な理屈だと思う。
今日もそのことをネタに処理をしてから寝ようと思っていたら
狙ったかのようなタイミングで大井が乱入して今に至る。

「っ……はあ……」

女の事情は知らないが、男が達した直後は誰しも悟りを開いたような気分になる。
大井の口内で達した直後、心の中で一体誰に向けているのか自分でも分からない弁明を並べていたが、
自分のそれが冷たい外気に触れたとき現実に引き戻された気がした。
大井の口と自分のそれとの間に透明だか白だか分からない色をした糸が一瞬だけかかった。

「ん……んぐ……んぐ……」

秘書のときでもプライベートのときでも何かと自分より上に立ちたがる大井は、男の精を懸命に嚥下しようとする。
目を瞑り眉をひそめる表情から、経験豊富なわけでもなくその精が味覚に優しいものではないのも分かる。
一体何が大井をそこまで駆り立てるのか分からない。
その姿は口内に放出した精を吐き出させようとちり紙を差し出すのもまた無駄だと思わせた。

「はあっ……」

嚥下し終わったらしく、ぴったり閉じていた口を半開きにさせて熱い吐息を漏らした。
口の端から零れた精液がねっとりと滴り落ちる。
とても扇情的な空気が漂うもこれより先へは理性をもって押し留まった。
中途半端であることは自分も分かっている。

前回と全く状況に相違はなかった。
もしも自分が日記帳を所持していたら、
数日前のページをコピーしてそのまま今日のページに貼り付けることになるのだろうか。

そんなことがあろうとも朝日は何も知らないかのように昇った。
軍服に身を固め、いざ寝室から直結した執務室へ出陣すると――

「あら、おはようございます。提督」

いつもの調子で既に起床済みの大井の笑顔に出迎えられた。
自分の寝起きの半覚醒状態もまたいつものことだが、最近の近況の変化を思い出しどもる。

「……あ、あぁ。おはよう」

「私はもう朝食を済ませましたから、先に執務に入りますね」

何日も聞いたその台詞を残して、増設した席につき執務を始めた。
自分がこうも腑抜けていても大井がこうでは、調子が狂う。
普段は互いに軽口を叩き合う仲だったはずなのに。
洗面所で顔に水を浴びて意識が覚醒しきった頃には、
理性があるなら最初から押し留めておけだの向こうの気持ちも汲み取ってやれだの若干の自己嫌悪に包まれた。
しかし軍隊に土曜日曜はない。月月火水木金金あるのみ。軍人として恥ない姿で出なければならない。

食堂はまだ艦娘はまばらにしかいなかった。
と言っても、全ての艦娘が提督やその秘書艦よりも早く起きられても特に任せる任務はないので不満はない。
艤装開発の担当艦など、前日夜に、明朝の何時にどこどこへ来いという通達を送った以外の者は
昼まで起きないようなことでもなければそこら辺は好きにしていい。
というより艦娘の生活ぶりなどそれほど関心がないというのが本音だ。
こちらの存在に気づいた食事中の者から飛んでくる挨拶に応える。
カウンター席につき厨房を切り盛りする補給艦間宮に声をかける。

「提督さん。おはようございます」

「おはよう。今日はあ号定食を頼むよ」

「かしこまりました」



「御待遠様です」

「うむ。ところでちょっと聞きたいことが」

「なにかありましたか?」

「最近大井に変わった様子はないか」

「大井さんですか。先ほどもこちらで一人で食事していらしたんですが……。
そうですね、普段よりもどこか物憂げそうな、眠そうな顔をしているような気がしました」

「なるほど」

「何か……ありました?」

「ちょっとね。ただ喧嘩とかではないから大丈夫だと思う。……頂きます」

「はい、召し上がれ」

軽く一礼をしてから間宮は厨房に引っ込んでいった。
では早速と納豆を掻き回すところから取り掛かった。

定食一膳を米一粒豆一粒残さず平らげたので執務室に戻る。
扉を開けると依然として大井が執務に励んでいたが、よく見ると筆を持った手が動いていない。
顔もいつもと変わらぬ澄まし顔のはずだが、なるほど言葉には本当に言霊が宿っているというのか
自分に挨拶してきたときと違い物憂げそうにも見える気がする。

「大井?」

「……あ、提督、なんですか?」

ほんの少しの間を持ってやっと返答が来たところを見るに、声をかけるまで気づかなかった?
大井は別に索敵能力が秀でているわけでもあるいはその逆を行くというわけでもないが、
それにしてもこれは異常だ。

「……大丈夫か? 執務なら私に任せて休んでもいいぞ?」

「い、いえ、問題ありません」

オホホ、とごまかされても自分の中に芽生えた疑心は消えない。
まさか昨晩に自分の精液を飲み込んだのが悪かったのでは、と的外れな推論に行きつきそうになった。
酔狂な理論略して酔論は捨て置くとしていくつかの書類を抜き取り、
大井に対する心配は消えないまま自分は工廠へ向かった。



「提督、いいものは開発できました?」

「今日もイマイチの出来だったよ。結構やってきたと思ったがうまくいかないもんでな」

「まあ。今までぼんやりとやってきて経験になってないんじゃないですかあ?」

「ンなわけあるか。私はいつも真面目にやっているぞ」

結局目ぼしい成果は出ず開発担当艦とともにしょんぼりした面持ちで工廠を後にしてきた。
執務室に戻ってきてみれば大井は黙々と執務を片付けている。
先の物憂げな様子は特には見受けられない。
軽口は叩き合いつつ自分も執務を片付けに入る。

「そうでしたね。提督は艤装開発だけは真面目にやっていましたね」

「執務や指揮も真面目にやっとるわ。沈まない程度に休みなく出撃させるぞコラ」

「脅す気ないでしょう」

「よく分かったな」

「提督は優しいですから」

不意打ちだった。
突然の好意的な言葉に何と返せばいいか分からず、
筆を走らせていた手を止めて隣の机に目をやったが、大井は書類に目を伏せている。

「……そうかね」

「そうです。何ヶ月秘書をやっていると思ってるんですか」

「かれこれ何十年になるんかのう婆さんや」

「魚雷、打ちますよ?」

「コストが高いから無駄遣いはよしなさい」

「開発なら練度の高い私と組めばうまく行くかもしれません」

「大口径主砲が作れるというならお願いしたいね」

「……」

「睨まれても困る」

……………………
…………
……

午前の演習や幾度かの出撃も一通り終わらせ、昼食もまた食堂で済ませた。
しかし紙の山はそこそこ削れただけで未だ堂々たる面持ちで私と大井の執務机に鎮座している。
夜のプライベートの時間を少しでも多く作るべく私語もそこそこに執務一掃を進める。
たまに大井の方が気になってこっそり目をやるのだが――

「……」

筆が動いていないだけでなく瞼も開いていなかった。
執務中に船を漕ぐなんて大井らしくない。一応艦娘は船にも分類されると思うけど。
しかし毎日秘書をさせるのは『こき使っている』と言えてしまうだろうか。
それが原因なら少し考えなくてはいけないかもしれない。
ああ、"物憂げそう"ではなく正しくは"眠そう"だったんだろう。

「大井」

「……」

「大井」

「……はっ、北上さん?」

「……違うよ」

夢に出るほど仲がいいのは分かった。

「……休憩入れようか」

「す、すみません。でも――」

「ああ疲れた」

本当はそれほど疲れはないが休憩を遠慮しようとする大井の言葉を遮る。
そして懸念事項の確認に出る。

「大井。お前、寝不足なのか」

「いえ、そんなことは――」

「何ヶ月お前の辛口に付き合ってきたと思ってるんだ。寝不足の原因が私なら遠慮なく言ってくれていい」

「……眠気があるのは確かですが、提督のせいではありませんから」

「……そうか。まあ眠いなら仮眠を取るといい」

私が大井に過剰な負担をかけているのではないようで一安心だ。
嘘をついている可能性も否めないが、思いついたことをすぐ口にする大井に限っては考えにくい。
冬とはいえ軍帽の中の熱気が篭って鬱陶しいので軍帽を脱ぎ、席を立つ。
ストーリー性などなく毎日読んでいて面白くない幾多の書類を一時放棄し、自分は文庫本を手に寝室へ向かった。
夜のプライベートの時間を増やすとは言ったが結局これもプライベートの時間だった。

ベッドに横になり栞を挟んだところから読み進めていると扉が叩かれた。

「入れ」

扉が開かれ、扉を叩いた者が姿を見せる。
この寝室に自分以外が入るのも珍しいが、訪れた客が大井とは更に珍しい。
ひとまず文庫本に栞を挟み上体を起こす。

「……提督、仮眠を取りたいのですが」

「……それで?」

「生憎と私の部屋の布団は今干していて使えないんです」

「北上にでも借りれば――」

「ここで寝かせてください」

「……私は出たほうが――」

「ここにいてください」

「……ああ」

どうしたのだろう。
言葉を遮られた挙句、目を直視しているとよく分からない何かに気圧される。
ベッドに座ったままでいると大井がベッドに上がってきた。
本来この部屋で寝るのは提督1人なので寝るならこのベッドしかない。
真ん中のスペースを開け、ベッドの端に腰掛けて文庫本を開こうと――

「あ、提督、動かないで横向いてください」

「うん?」

意味の分からない願いの意図が読めないが、
ひとまず言うとおりにしようと横を向き壁に背を預ける。
後ろの窓からは午後の西日が差し込んでいる。

「……ふう。提督の膝、硬いですね」

「……お前それで眠れるの?」

「多分眠れません」

「ならそっちに枕――」

「提督が頭を撫でてくれれば眠れます」

おかしい。
大井はこんなに甘えてくるキャラだったか。
今日のぽかぽかとした暖かい日差しにやられてしまったのか。

「撫でればいいんだな?」

「はい」

おそるおそる大井の長い茶髪に手を置き動かす。
特に文句はないようでそっと目を閉じた。沈黙に包まれ、工廠の喧しそうな作業音が聞こえるようになる。

「……提督は他の子にも、こういうことしてますか?」

「している」

「……そうですか」

「……」

「……」

「……他の子にもしていたら、嫌か?」

「嫌です」

「でも私にとってはこれくらいのことは、他の子にも平等にしてやりたいと思う。
……ただ、この間の夜や夕べみたいなことはあまり色んな子にやられたくはないな」

自分は何を言っているのだろう。
白昼から聞かれてもいないことを口から零してしまっている。
自分もまたこの暖かい日差しにやられてしまったのかもしれない。

「そうですか。……ふふ、ちょっと嬉しい」

嫉妬していたらしい先ほどと違い晴れた声で微笑んでくれた。機嫌を損ねずに済んだらしい。
いつも自分に向かって辛辣に物を言う大井もこうして優しい笑顔を見せ、優しい声を聞かせてくれるのだ。
もちろんいつもの掛け合いも楽しいものではあるが、こうして心を開いてきてくれるのはこちらとしても嬉しい。
あまり疲れてはいないがこの大井といると癒される。



今日の午後は西日を受けながら大井を寝かしつけるためにサラサラした髪を撫でることに没頭した。
執務? また今度やります。

 

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最終更新:2013年12月10日 18:10