5月5日深夜(というか、6日早朝)に発生した稲葉先生と小倉先生のやりとりが興味深かったので、編集人のわかる範囲で整理してみました。
@iwashiryo1さんによるtogetterまとめはこちら


まずは小倉弁護士のご心配を分類して一覧化してみました。

【トリクルダウン関係】
  • 生産が増えたって、貧乏人に分配される保障なんてどこにもないでしょ?
  • 土地長者、株長者をもっと豊かにすれば、多少は浪費もするから、そのおこぼれに預かる人も出てくるはずだという話は聞きましたが、新自由主義系のトリクルダウン理論と何が違うのですか?
  • 労働者の賃金を実質的に目減りさせて土地長者、株長者に集中させ、そのごく一部を「土地長者、株長者による浪費」という形で還元するのは非効率ではないか

【過去の金融緩和は効果がなかった】
  • 金融緩和なんてずっとやり続けたじゃないですか。

【需要曲線と供給曲線】
  • 需要曲線が上昇しないのに、人為的な政策で供給曲線だけ上昇させれば、むしろ生産は減少するんじゃないんですか?
  • 人工的なインフレ政策の元では、概ねほとんどの商品について生産コストが上昇し、需要曲線が上昇するのではないのですか?
  • ものの価格が上昇すると需要が増えるなんて、どこの本に書いてあるのですか?

【最低賃金を上げるべきだ関係】
  • 収入増の見込みが立たなければ、貸しますよと言われても、住宅ローンなんて組めないんじゃないですか?
  • 労働者を痛めつけた結果としての需要不足が、労働者を痛めつけたままで、お金を借りやすくした程度で回復するわけないと思うんですけどね。借りたお金は返さないといけないので。
  • 労働者の地位が貶められ、労働者の収入が増加する見込みがない場合に、お金が市中に大量の供給され、借りやすくなったと言うだけで、労働者は支出を増やすんですか?
  • リフレ政策で増える雇用って、基本的には、現状の最低賃金よりも実質的に低い賃金しか得られない職ですよね。
  • リフレ派の皆様は最低賃金の引き上げには反対ですよね。
  • リフレ派は低所得者層の賃金水準をさらに低下させようとしている


次に、飛び入りのsabisigariakumaさんのご質問が参考になりそうですので、簡単にまとめました。

  • そもそもデフレは生産が過剰だから起きる

  • 需要自体はあるのに金銭的理由であきらめることを無くしたとすれば現在の需給ギャップは余裕で埋まる
(編集人解釈→したがって、最低賃金を上げれば良いというご主張)

  • 政治としての富の配分的正義を論じるべき(編集人感想:まったく同感です)

  • そもそも有る一定以上の所得は貯蓄と投資にしか行かず、投資が弱かったのが問題の一つです。投資が強くなったし、どうやって富裕層から巻き上げるか考える段階です。
(編集人感想:これは、リフレFAQに挙げた、どうせ企業が内部留保を貯め込むだけでしょう。戦後最長の好景気と言われた2006年頃だって、そうだったんだから と同じ質問です。編集人は一応、「投資すれば先行き儲かるという状態になれば、内部留保は吐き出される、という仮説を持っていますが、まだ十分にそれを補強する情報を集められていません)

  • リフレと通常のケインズ政策ってなんか違うんですか?
(稲葉先生)あえて乱暴に言えば、オールドケインジアンに対して今日のリフレ志向のケインジアンは、財政政策のコストとしての財政赤字の累積より、金融政策のコストとしての貨幣価値の下落の方を軽く見て、金融政策の方を好む、という感じです。


以下に、重要と思われる質問についてまとめてみました。

●失業の理由―ケインズ派の見方
(稲葉先生)リフレ派にもいろいろといますが、その少なからずは広い意味でのケインズ派ですので、失業の理由を流動性不足からくる有効需要不足とみなし、必ずしも実質賃金を最低賃金が下回っているからとは考えません。

ケインズ的失業に対しては、実質賃金の切り下げは必ずしも有効ではなく、それこそデフレスパイラルを強化するだけである、という理解はそれなりに有力です。

クルーグマンの『一般理論』解説を読まれると、何となくお分かりになると思います。古いケインジアンに比べると、現在のケインジアンは、失業という問題を『資本主義の構造的限界」というより「ちょっとした機能不全」とみる傾向が強まっています。

ケインズ的失業の可能性を(小倉弁護士が)認識しておられるなら、どうして金融緩和による有効需要喚起の可能性を無視されるのか

クルーグマン『一般理論』解説は山形浩生さんが訳されています。ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説
要約: 「一般理論」のすごさは、それが有効需要の問題をきちんとうちだして、セイの法則(供給は需要を作る)と古典金利理論を打倒したことだ。それは経済の見方を完全に変え、ケインズ批判者も含めていまや万人がケインズの枠組みで経済を考えている。今見ると冗長に思える部分も、ケインズが当時の古典経済学の常識を破壊した結果としてそう見えるだけだ。そして金融理論の過小評価というありがちな批判は、当時の(いまの日本と同じく)超低金利環境の反映であり、理論の中では重要性も指摘されている。真に画期的な名著。必読。
大変興味深そうです。編集人も読んでみます。

●リフレ効果は新自由主義者の言うトリクルダウンと同じではないか?(そしてそのトリクルダウンは、機能不全ではないか)
(稲葉先生)たとえトリクルダウン(この言い方はミスリーディングで、むしろプーリングアップというべきですが)でもないよりはましです。生活水準がそれで上がるのであれば。

労働者にとっても借りやすくはなるなら、住宅ローンを組んだり、子弟の学資に投じたりはするでしょう。ないよりずっとましです。

(編集人感想:稲葉先生はここでは十分に安心できるようなお答えをされていないと思います。「ないよりまし」というところがもしかすると、表現として引っかかるのかも知れません。また、この質問は、リフレFAQに挙げたトリクルダウンと言ったって、現実に庶民にまで恩恵が回って来ないではないですかと同じです(確かに素人目には、リフレ効果はトリクルダウンと同じものに見えます)。FAQでは衆院予算委員会での上念さんらの公述を取り上げしましたが、やはり素人にとってあまりピンと来るものではありません。この辺は、経済学の基礎知識どころか、それなりに踏み込んだ知識を持たないと、どうしても理解できないところなのか、それとも、もうちょっと素人にもわかりやすい説明が可能なものなのか、当面考えてみたいと思うところです)
(togetterまとめコメ欄のWARE_bluefieldさんより、トリクルダウンについて教えていただきました。トリクルダウンはもともと、新自由主義政策の一つで、富裕層に減税することによって消費させ、その他へ波及させるというものです。「反再分配政策→経済成長」という、イデオロギー色が強い上、効果としては甚だしい怪しいトンデモ政策と言えます。一方リフレの場合は、資産価格が上昇するもので、売却益が出れば税収になります。この税収を再分配へも結び付けられる可能性が出てくるわけですので、ずいぶん性格が違います。また、リフレ派は資産価格からの波及として、株高→企業の投資行動からの波及を重視します。富裕層に限らず、消費が増えれば基本的に経済に好影響を与えるのは事実です。)

●金融緩和なんてずっとやり続けたじゃないですか

編集人の知っている範囲で言うと、高橋洋一さんは、「緩和の規模が全然足りなかった。20年で3倍なんて、自然増ぐらいにしか緩和していない」というご意見。また、2006年ごろにはそれなりに効果があったという見方も、リフレ派の中には多いようです。
実際のところ、2005年は名目賃金も実質賃金も、増加率はプラスに転じているとのことです。注目すべきは所定外労働時間で、2002年から2006年までどんどん増えていました。(『経済指標はこう読む』)
(稲葉先生)「量的緩和」の時代にはそれなりに労働市場はタイトになりました。私どもも学生の就職状況の改善を体感しております。白川時代にまたあれな状況になりましたが。

有効求人倍率も、本当に1を超えていたんです。編集人σ (・・`)は2005頃インターネット通信業界にいましたが、今の3倍ぐらい給料もらっていましたよ(泣)(まぁ今が低所得なのは、退職して期間が空いて、全然違う業界にいるせいが大きいのですが。自業自得、という奴ですな)

●リフレ派は最低賃金の引き上げに反対だが、それはなぜか。
(稲葉先生)人によります。大方は「大した意味がない」と考えていると思います。私の考えでは、好況期にはそもそも最低賃金は均衡賃金を大きく下回るから意味がなく、不況期には、デフレスパイラルを防ぐというプラスの意味があると思いますので、ないよりあった方がいいと思います。
(編集人感想:最低賃金は自治体単位ぐらいで雇用の状況を見て設定するもので、マクロ的にガバっとやっては、効果のあるところとないところの差が出来過ぎて、全体として失敗感の大きなものになるのではないか。→2013年6月時点では、編集人も最低賃金引き上げに肯定的意見となっております)
(5月17日追記)最低賃金の引き上げが、雇用減につながらないというお話。
タイの最低賃金の大幅引き上げの影響について
※ただし、タイはもともと失業率が1%を切るほどの完全雇用の状態なので、それがどう影響するのかしないのか。
クルーグマンの2月17日のコラム「あの賃金を引き上げろ」

また、松尾匡先生も、最低賃金の引き上げは期待に対してポジティブに働きかけるという見方で、最低賃金引き上げに肯定的です。


小倉弁護士の心配に対して、稲葉先生はこう考えていらっしゃる模様。

そもそも労働運動が弱すぎるので、そこを強化すべきではないか。

(sabisigariakumaさん)労働者が現在の買い手市場の中で生きていけと言われてるのに、どうやって賃上げに動けるのか興味有る。政治からの圧力として最低賃金の値上げはありだし、インフレ目標の数値に合わせてあげるならおかしくない政策だと思うよ。

(稲葉先生)基本的にはパターンセッターたるべきナショナルセンターなり産別の仕事です。何もしていないわけではないがいまいち弱い。むしろ安倍に先手を取られた格好で非常によろしくない。
つまり労働組合の団結が問われているのですよ。ロナルド・ドーア先生がずっと主張していることです。労使の合作による逆所得政策によって金融財政当局に圧力をかけてリフレーションを、という。

(sabisigariakumaさん)労働者の団結が問われてるのは同意だけどそこを今までの政治のミスから行われた経緯も含めて政治から後方支援をきちんとし続けないといけないし、その中で最低賃金の引き上げ圧力を、日銀のインフレ目標以上に上げるのはいい話じゃない?

(稲葉先生)いい話ですけど、連合にも全労連にもその気があんまりないようなのが気がかりですね。

(小倉弁護士)安倍政権は解雇規制の緩和を志向しているのに、どうせよって言うのですかね。

(稲葉先生)どうせよもこうせよもないでしょう。こういう時に政府と対決せずしてなんのナショナルセンターですか。先生は労働者の味方なのだったら労組にもっと期待して発破をかけるべきではないですか?

編集人感想:日本の労働運動は、最近この問題を考え始めた私の目にも、はっきりと失敗しているように映ります。完全に機能不全を起こしています。これは濱口先生のブログを読んだりしていて思うに、やはり企業別メンバーシップ型の日本独自方式が、多様化に向かう労働環境に対し、まったく対応できていないということかと思います。それに連合がどうしてこれほど機能していないのかが、素人には本当に不思議です。もうこんな風なら解体するしかないように感じてしまいます。
いずれにせよ、労働が多様化に向かうことは止めようがなく、ある程度制度をそこに合わせて修正していかないといけなくて、それは結局、メンバーシップ型でない道を探ることになるように思います。濱口先生が提案されているジョブ型はその重要な方策の一つですし、非正規の組織化も必要です。また、非常に長い目で見れば、豊泉周治さんの「移行的労働市場の概念について(1)―― G.シュミットの所説をめぐって――」(PDF)に描かれるような姿になっていくようにも思います。
濱口先生の描く姿にしろ、豊泉さんが論文で描いている姿にしろ、労働者保護をしつつ規制緩和も行われながら、変わっていくと言えるのではないでしょうか。
こういう話になると、もうリフレの文脈とは離れてしまう気もするんですが、労働運動の文脈の人で、リフレに興味を持つ人がほとんどいなさそうだというのは、松尾先生ではないですが、やっぱり不思議な感じがします。
稲葉先生は、製造工場の自動化により雇用がなくなることや、クルーグマンのこうしたエントリ「ホワイトカラー真っ青」にも注目されていることから、この辺の問題意識は常にお持ちだと思うんですけれども。

ともかく、ツイッターでこのような議論が行われ、素人がそれを、議論が発生しているまさにその場で見ることができるというのは、ずいぶん幸せな時代になったものだと思いました―これは余談ですが。


補足的なものとして、小倉弁護士が、稲葉先生のいう「好況期にはそもそも最低賃金は均衡賃金を大きく下回る」に対し、「最低賃金に賃金水準が張り付く職がなくなったことを示すデータがあるんですか?」と質問されています。

完全にそういった職がなくなる、ということはなかなか難しいと思うのですが(どれほど好況でも最低賃金が設定された職はあり得るでしょうし、給与の低さにも関わらず、それを欲する人はいるはずですから。しかしこれはちょっとした揚げ足取りです)、
手がかりとなる情報かもしれませんので、連合作成の賃金水準の推移図を記載しておきます。
一応これを見ると、好況になれば賃金が上がり、あまり最低賃金を気にする状態ではなくなる、ということは言えるように見えます。連合による賃金水準の推移)


【その他の話題】

(稲葉先生)一定以上の規模を持ち、かつ管理通貨制をとる国においては、インフレのコストは大したことはない――貨幣に対する信認を根本から揺るがすことはない――というのがリフレ派はもちろん、そこそこ共有されている見方でしょう。

ユーロの拘束下にある国々ではもちろんこうはいきませんし、90年代のアジア通貨危機の場合も、投機筋のアタックに合ったのは通貨を外貨(ドル)にペッグしていた国々でした。つまり管理通貨制ではなかった。


【最後に】

編集人が、経済も政治もよく知らない素人でありながら、どうしてリフレが必須なものだと思っているのか、なんですが、やりとりの中で稲葉先生がTWされていた次の表現が、感覚として非常に近い感じです。
デフレがよくないと思っていて、なおかつ貨幣経済は存続させなければならないと思っているならば、人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません。

世の中には「貨幣経済は存続しなくてよい」と思っている人がいるかもしれませんが、おそらくそういったドラスティックに社会システムが変わる時には、100年から500年ぐらいを先取りしたアイデアが世の中に出てきているはずだと思うのです。それは突然、明日出てくるかも知れませんけど、とりあえず今はないようです。だから、貨幣を利用したシステムは、もうあと数百年のオーダーで人間が付き合わなければならないものだという考えが前提にあります。
貨幣は、世の中に出回って、ぐるぐると回らなければ機能しません。
そのためには、回るのに十分なだけの量が増加していく必要がある。
この辺がすぐに納得できる人と、できない人とがいるようです。
きっかけは、今年1月にたまたま視聴したVideonews.comの高橋洋一先生インタビューだったんですけれども、今このtogetterをみると、もうあちこち変な理解しているのがわかって恥ずかしいですね(汗)。

(再分配についても取り組まなければならないので、いろいろ書きたいのですが、機会を改めて)



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最終更新:2013年06月18日 09:39